第16話 新知覚の戦い

「無駄な抵抗は止すんだな。言っただろう、お前たちは完全に包囲されている、と」

時間からの影シャドウ・アウト・オブ・ザ・タイム

それはなんと、すでに死者となった人間を蘇らせ、追跡に加わらせる、と言う能力なのだと言う。

「彼らはすでに過去からの住人だ。しかし無念は、古い時間の中に沁みついている。私が呼び覚ませる魂は二つ、一つは無念を帯びた魂、もう一つは贖罪しょくざいを求める魂だ。ジャイルズはお前たちに無念のうちに殺害され、その魂は過去に漂っていた」

ピートは脇に挟んでいた何かを見せた。それは、数日前発行されたサンフランシスコの古新聞だ。

「ちょうど一年間だ。彼らは私が魂を呼び覚ました日から、一年間はこの新聞の中に住まえる。ジャイルズはお前たちを追跡し、復讐を果たすために快く私に同行してくれたよ。君たち三人の風体や、行く先を教えてくれたのも彼だ」

弾正ダンジョウ

完全にピートの支配下に置かれ、意志を喪ったかに見えたジャイルズが、軋るような声を出したのは、その時だった。

「てメえは殺ス」

「へっ、おれを殺りに戻ってきたってわけか」

ジャイルズが銃口を向けたのを、ピートは留めた。

「後で存分に殺らせてやる。好き勝手に暴れるな。あんたらもいいか、動くなよ?」

ピートの後ろでエイクリーを撃った殺し屋一家が一斉に銃を構える。

「彼らはホーマー一家。彼らは私に殺された。武装強盗、請負殺し、なんでもこいだ。家族で十人殺した。弱い女、子供は息子たちに殺させた。生死問わずデッド・オア・アライブだ。こいつらは自分の罪を償うために私の命令を聞く。容赦はしない。分かったか。君たちはここで、打ち止めだ」


「待つんだ。連中は後だ、連絡を待ってからだ」

ピートは意味深なことを口にすると、血まみれで倒れ込んでいるエイクリーに話しかけた。

「と、言うわけだエイクリー、残念だ。二人は連行する、そして君はここで死ぬ。君はすでに手配犯だ、だがはるばる上海からここまで逃げてこれて本望、と言ったところだろう。とどめが欲しいか?それぐらいなら、手伝ってやらんでもないぞ?」

「…結構だ」

エイクリーはようやく声を出したが、何しろ全身に、弾丸を受けている。旅行用のコートのお蔭でどこに銃創を負っているのか、それはうかがい知れなかったが、足元に拡がった血だまりから見てもこのまま放っておかれれば到底、助かる見込みはないと思われた。

「それより、死ぬ前に教えてほしいものだな。私を手配したのは、上海から逃げてきたあの女だ。…そして、君たちにあの二人をさらってこいと命じた。尼二封妃ニィアルフェンフェイと言う女はそんなに偉いのか?」

「今から死ぬ君が、知っても意味はない。だがピンカートンが動いた、と言うことの意味は分かるはずだ」

ピートの言葉が示唆するものに、エイクリーは息を呑んだ。

「…まさか命令は、合衆国政府から出ているのか?」

「私の口からは、これ以上は答えられない」

ピートはエイクリーを遮るように会話を止めたが、否定もしなかった。今のは、ほとんどそう考えていい、と言うのに等しい。

(そんな)

ひそかに、萌黄は愕然とした。尼二封妃はすでに、合衆国政府にまで取り入っているとは。

「特別任務だ。これは我々の中でも、一部の人間にしか任されていない、栄誉ある仕事なんだ。残念だ、エイクリー君、特殊な追跡能力を持つ私が関わった時点で君の命運はすでに尽きていた」

「ドアーズを狩るのは、ドアーズにか。…なるほど」

掠れた声で頷くと、エイクリーは膝を腕で支え、立った。あれほどに銃弾を喰らい、血を喪っていたのに。どこに、そんな力が残っていたのか。ピートは思わずはっとして身構えたが、エイクリーにもちろん銃を抜く体力はあろうはずがない。最後の気力を振り絞ったかに見える身体はがらりと、カウンターの壁に投げ出され、ライウイスキーが注がれたままのコップが波打った。

「何の真似だ…?」

エイクリーは片頬を歪め肩をすくめると、銃撃戦の最中奇跡的に無事だったそのコップ一杯のウイスキーを飲み干した。

「別に。ただ確信しただけさ。おれや、あんたの末路をな」

大きく息を吐いたエイクリーの意識は、アルコールで少しは保ったが口調はうつろになりつつあるように見えた。

「ほざけ。末路が見えてるのはお前だけだ」

「どうかな。あんたは古い中国人たちの言い伝えを知らないだろうが、彼らの言い伝えの中にこんな話がある。『賢い兎を狩るのには、いぬを用いる。だが兎死して後は、狗は残らず煮て食われる』。確かそんな感じだ」

「『狡兎死こうとしシテ走狗煮そうくにラル』…司馬遷しばせんの『史記』、越王匂銭えつおうこうせん世家の言葉です」

「それだ」

思わず出典をつぶやいた萌黄に、エイクリーは弱々しく口笛を吹いて見せる。

「尼二封妃は、ドアーズたちの脳味噌を欲しがっている。ドアーズの脳味噌を集める方法は簡単だ。彼らに殺し合いをさせればそれでいい。ピート、あんたがどういう考えでこのゲームに参加しているか、俺にはそれは分からないがゴールはきちんと決まっているんだ。目的を果たしたあんたは、殺されて脳味噌を盗られる。それがあんたの『命運』ってやつなんだ」

「お前の頭をぶち抜いてやるッ!」

怒りに震えたピートが、撃鉄を起こした時だ。

「思い出した。兎ってのは、ずるいんだそうだ」

にやりと笑ったエイクリーは、次の瞬間、ぐるりときびすを返すと言った。

「『窓』を開けろッ、弾正ッ!」

(なんだ…?)

今の刹那、その言葉が萌黄に向けられたものなら、思わず茫然としてしまったかも知れない。だが弾正は、エイクリーの意図を瞬時に察した。

「『窓』かよッ」

ぎらりと剣を抜くと弾正は。

一閃、真っ向からエイクリーの『背中』を斬り下げた。

誰もが、想像すらもしていなかった。精確に言えばその瞬間まで、エイクリーともう一人、その意図を直感した弾正以外は。

弾正によって裂かれたエイクリーの背中から、血しぶきと爆煙とともに無数の弾丸が跳ね返ってきた。

銃火は、エイクリーの背から飛び出した。精確にそうだったかどうかはその場にいた誰にも分からない。だがそれは間違いなく、精確にエイクリーの身体に撃ち込まれただけ、の弾丸だった。

証拠に同じ場所にいた銃手たちは、自分が撃った弾丸に全身を貫かれ、ぼろ布のようになって死んだ。ピートの手から、アルフレッド・ホーマー一家を閉じ込めていたはずの新聞が青白い炎を上げて消滅したのは、次の瞬間だ。

「馬鹿な…」

さすがのピートも、あまりの事態に硬直し、発砲するのすら忘れた。

だがもし発砲していたのなら、ホーマー一家と同じ目に遭っていただろう。

それにしても不可解だ。

一体今の一瞬、実は何が起こっていたのか?

(まさか)

コートの布が裂けてほつれ、黒色火薬の爆煙の中から、エイクリーの裸の背が現れる。その瞬間、萌黄はエイクリーが何を狙っていたのかを知り、愕然とした。まさかこんな手段でもしもの反撃を考える、そんな人間がいるとは。

エイクリー・ヴェインのドアーズとしての能力。それは『窓にウィンドウ窓にウィンドウ』。おのれの血で描いた窓の印を刻みつけた二つの窓を『出入り口』としてつなぎ、空間を直結させる能力であった。これにより、一方の『窓』を通過したあらゆるものは、もう一つ設けられた『窓』から何事もなく、出ていくのである。

しかるにエイクリーは防弾チョッキのように身体中に、『窓』を描いていたのだ。そう言えば先にジャイルズと戦った時、ふいに攻撃されたときの『保険』としてエイクリーが、自分の身体に『窓』の能力を仕込んでいること、それは萌黄も知っていた。

だが今の局面は、ピートの能力によって殺し屋ホーマー一家の弾丸を、エイクリーは全身に受けてしまった。従って吸収しきれない弾丸が、無数に身体の中に埋め込まれてしまっていたのだ。

そこでエイクリーはそこに倒れた瞬間、自分の背中に自分の血で新しい『窓』の印を描いたのだ。しかし、窓と言うのは『開かれた』ものであり、『出口』となる隙間がなければ能力は発動しない。

「『窓』を開けろッ、弾正ッ!」

そこでエイクリーが叫んだのは、無理やり自分の身体を窓として斬り開く、と言うアイディアだったのだ。自分の背中を斬り裂かせる、と言う発想も正気ではないが、まさに今の瀬戸際、弾正が彼の『狙い』に気づかなければピートに止めを刺され犬死、一貫の終わりだった。だがそれをそうと気づいてとっさに、エイクリーの背中を日本刀で斬り裂く弾正の判断も、常人のものではない。

(でもこれが、ドアーズとの戦い…)

萌黄は思わず、息を呑んだ。異能力者同士の戦い、と言うのはこれほどまでに予断を許さないものなのか。

「嫌いじゃないぜ。中々いかれた思いつきだ」

「どうも」

瀕死のエイクリーはそれで強がって、震える目蓋を片方閉じてみせる。

「さっさと片をつけてくれよ。そう長く保たないぜ」

「ぼさっとしてんじゃねえよ萌黄ッ!」

一瞬、我を喪いかけた萌黄に弾正の叱咤が容赦なく降り注ぐ。勝負度胸ばかりは強いこの男はすでに、ドアーズとの戦いに順応し始めている。

「さっさとどきな。おい、壁のシミ野郎。俺に会いに地獄から舞い戻ってきたんだろ。熨斗のしつけて送り返してやらア」

弾正は日本語でそうおらびあげると、銃を手にしたクリスと対峙する。

「どうだ。決闘には、おあつらえ向きの場所じゃアねえか」

弾正は辺りを見回す。そこは狭い部屋のしかも隅で二人の距離は三メートルほど、銃でも刀でも十分に相手に致命傷を与えられる場所にいた。

「殺ス」

日本語が分からずとも、それと分かったのかクリスは銃を腰のホルスターに仕舞うと、ゆっくり腰を落とした。

「いいねえ、思った通りの粋な野郎だ。お前はそれ、俺はこれ。分かりやすくていいじゃアねえか」

弾正も納刀し、居合の姿勢を取る。地を這うような低い前傾とためは、睾丸から脳天までを一直線に斬り上げる、戦国時代さながらの古流の居合術に多い型であった。

「ふっ、ふざけやがって!勝手な真似をやめろッジャイルズッ!」

「動かないで下さい」

萌黄がすかさず銃で、割って入ろうとしたピートをけん制した。もう、誰も二人の邪魔をするものはいない。

決着は一瞬だった。

一歩退いて剣の間合いを外そうとしたジャイルズを、弾正の剣が追った。胴を斬り上げるのにはまだ浅い。しかし弾正の狙いは、それではなかった。

ジャイルズの銃を持った手首だ。

狙いあやまたずその剣は、引き金を絞ろうとした指の形のまま、利き手を斬り離した。そのままもう一歩、踏み出した弾正は、大きく剣を振りかぶる。

(あばよ)

大きく腰を沈めての一撃は、頸から腹までを一気に斬り下げた。申し分ない一撃だ。弾正に完敗したジャイルズは満足したのか、ぼんやりと断たれた腕の跡を見つめると、そのまま蒼い炎に巻き込まれ消え去った。血しぶき一つ上がらない。綺麗なままの佩刀を収めて弾正は、ジャイルズに末期を偈を与えた。

涅槃ねはんで待ちな」


ピートの『時間からの影シャドウ・アウト・オブ・ザ・タイム』は敗れた。

完全に今や形成は逆転し、さすがのピートにもなす術がなかった。

「お前ら…自分が何をしているのか、分かっているのか!?」

「今さら言うなよ。なあ萌黄」

弾正は半笑いで肩をすくめると、あごをしゃくった。

「言われなくても分かってますよ」

萌黄は頬を膨らませると、有無を言わさない口調で言った。

「ピート・ブレイカーズ、あなたの時間は終わりです。わたしたちと一緒に、あなたが来てもらいます」

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