漆冊目

「それじゃあ、地下の書庫に行こうか」


 そう言って、汐理しおりは、カウンターの脇にある職員が出入りする為の入り口につづらを案内する。

 地上階の方の閉架書庫までの廊下には、特に扉などは設置していないようだ。


 廊下の脇には、地上階、地下それぞれの棚に戻す予定の本が、車輪付きの小さな本棚のような台に並べられている。どの本も、背表紙が上になるように並べられているのは、書庫に本を戻す時に、職員が効率よく作業できるようにする為なのだと、汐理は実習の時に、職員から受けた説明の中から綴にも分かりやすいように噛み砕いて説明してくれる。


 書庫に戻す予定の台に乘せられた本からは、特に何も出ては来なかったが、その奥に並んでいる、天井近くまである高さの棚が問題だった。

 汐理は、その棚には、利用者から寄贈された本などが並べられていると教わっていた。が、普通に地下の書庫を目指すなら、その棚の手前にある階段を降りるので、問題はないだろうと思ったのだ。……だからこそ、今まで先頭を任せていた綴の前を歩いて、案内を買って出ているのだから。


 地上階の方の閉架書庫も、階段よりは奥にある。なので、汐理は真っ直ぐに地下の書庫に向かおうとしていたのだが……。


 カウンターの奥の廊下の一番奥にある、製本室という部屋のほうから、ガシャン、ガシャンという音が聞こえてきた。

 普段は市内の学校図書館との連携の仕事をしている職員が詰めている部屋だが、もちろんこんな時間に、こんな状態の「図書館」に職員がいるわけがない。


 おそらく、汐理の実習中にも幾度か聞いた、印刷物の作成の際に聞こえてくる音だ。印刷機自体はそんなに音は響かないのだが、パンフレットなどの「折る」作業が必要な印刷物に使われるという機械の音が、かなり響くのだそうだ。


 汐理は出来れば製本室には寄らずに、地下の非常口に行きたかったのだが、綴が製本室に寄ろうと提案した。


「今までの事から推測するに、おそらくあの部屋の音の正体を確かめた方が良いと思います」

「あの部屋は、印刷物を作るのがメインの部屋だよ? 他には、市内の学校図書館の担当の職員のデスクと作業スペースしかないけど……」

「タイミング的にも、私達がカウンターの奥に来てから出た音です。さっきの検索機みたいに、何かを示している可能性があります」


 そう言われてしまうと、汐理も綴に反対することが出来ない。

 汐理は綴を説得することは諦め、廊下の一番奥の製本室に向かった。




 製本室のドアを開けると、印刷機からは大量の、色とりどりの紙が飛び出て来ていた。その横では、印刷物を折るための機械や裁断する機械が、特に紙をどうにかするというわけでもなくただ動いている。まるで、音を立てて綴と汐理をこの部屋に呼び込むのが目的だと言わんばかりだ。


 印刷機から出ている紙を手に取ると、一面に子どもの筆跡のような自体でひたすらに「学校の七不思議」が書かれている。それも何故か、綴の高校の七不思議だ。

 書かれている内容は、紙の色ごとに違うようだったので、それぞれの色の紙を、念の為に二枚ずつもらっていくことにした。六色あったので、合計で十二枚だ。

 紙を綴が鞄から取り出したクリアファイルに入れてしまうと、折機と裁断機の動作が、まるで役目は終わったと言わんばかりにピタリと止まった。


 紙をしまった綴も、この部屋にはもう用は無いと言わんばかりに部屋から出ようとする。


 汐理は慌てて綴の後を追って製本室を出る。


(それにしても、元々クールな子ではあったけれど、ここまで彼女は淡白な性格だっただろうか)


 そんな疑問を胸の内に宿しながら。




 製本室から出たところで、例のぬいぐるみの様なバケモノが飛び出てくる。

 そういえば、製本室は地上階の書庫の児童書や絵本の棚の近くだった、と汐理は思い出した。


(いつの間に書庫の扉が開いていたのだろうか。来る時にも開いていたのならば、製本室に入る前にも襲われていたはずだし……)


 やはり淡々とぬいぐるみにスマートフォンのライトを浴びせる綴の後ろで、汐理はそう考えていた。


 ぬいぐるみの撃退を綴が終えたので、今度こそ地下の閉架書庫に向かうことにした。




 製本室に向かう時とは違い、やたらと廊下が長く感じる。だが、綴が事務室で入手したパンフレットの地図と、先程OPACで見た地図を見る限り、こちらの長さの方が図面通りのようだ。


 汐理的には気が遠くなる程の距離、綴的には二階で歩いた廊下の距離とほぼ変わらない距離を歩いたところで、ようやく地下への階段に辿り着いた。


 階段は地下の他にも、先程綴がいた二階へと続いているようだ。綴が汐理にそのことを尋ねると、こちらの会談は、主に職員や、図書館内で活動をしているボランティアサークルの人が使うらしい。なので、基本的に普段綴が使う図書館側の階段のように絵画などの装飾は施されてはいないようだが……。


「そういえば、さっき視聴覚資料のブースで、画面から何かが出てこようとしていたんです。もしこっちに回ってきていたら……」

「……もう来ているみたいだね」


 綴が視聴覚資料のブースで見た、青白い腕の持ち主であろう、青白い肌の襤褸(ぼろ)を纏った人間のような何かが複数、四つん這いのような体勢で階段を降りてこようとしていた。少なくとも、普通の人間に出来る姿勢ではない。関節がありえない方向に曲げられ、どろどろとした動きで階段を降りてきている。


「地下まで急ごう。ドアを閉めれば追って来れないと思うから」


 汐理が言いながら階段を駆け下りていく。それに続いて綴も階段を降りようとしたが、青白い手に足首を掴まれてしまった。階段の一番上から転げ落ちそうになったが、綴は咄嗟に手すりにつかまりスマートフォンで足首を掴む手を照らすと、何とか解放された。


 既に階段を降り切っていた汐理が地下への扉に手を掛けて綴を待っているのが踊り場から見えた。どうやら地下に続く扉には鍵は掛けられていなかったようだ。

 綴は階段を二段飛ばしで降りて、汐理に追いついた。


「ぬいぐるみと違って、あの青白い人型のバケモノはスマホで完全に撃退は出来ないようです」

「なんでそんなに淡々と報告出来るかなぁ……」


 半ば呆れ気味な表情を浮かべる汐理が、地下への扉を開け、綴がその後を追って地下の廊下に出る。

 何時の間に迫っていたのか青白いバケモノが追いついてきそうだったが、何とか扉を閉めて防ぐことが出来た。


「さて、地下の方の非常口も確かめてみようか……」


 諦め顔の汐理に、綴は思わず尋ねてしまう。


「先輩、もしかしてその非常口も……」

「うん、ガラス製だよ」


 地上での展開を見る限りでは、ガラス製のドアや窓では基本的に外の景色が見えず、映り込んだ「自分たち」に襲われる、というパターンが殆どだった。だが、と汐理は言う。


「あの検索機――OPACに表示されたポイントは、通常の非常口では無い方だったんだ」

「……何があるんですか?」


 地上へ続く扉の向こうから、あの青白いバケモノがドンドンと扉を叩く音が聞こえるが、綴は気にしないで汐理に尋ねる。

 汐理は、しばらく考え込んだ後、その答えを口にした。


「あのポイントは、『地下閉架書庫』そのものだったんだ。書庫は行き止まりになっていて、非常口なんて無かったはずなんだけど」


 納得がいかない、という様子の汐理に、綴はやはり淡々と告げる。


「ではその書庫に行ってみましょう。何かわかるかもしれませんし、今の『図書館』は普通ではないですから」


 そう言って書庫の方へ向かった綴に、汐理が慌てて声を掛ける。

 地上から地下へ続く扉のすぐ横に、児童書専門の地下書庫が有るのをすっかり忘れていたのだ。その児童書書庫から、ヘビのようなぬいぐるみが音も無く這い出てきている。


「危ない、綴!」

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