陸冊目

「他の非常口も、このドアと同じ状態になっている可能性がある」


 内側から開ける為の鍵の部分が消失したドアを観察した汐理しおりが、つづらにそう告げる。

 どうやら、図書館内に設置されている非常口は、この児童エリアの非常口と同じ、ガラスのドアに内側から開ける為の鍵が付いているタイプのものが殆どだという。


 それを聞いた綴は、少し考えた後、残りの非常口も案内してほしい旨を汐理に伝える。汐理の顔色は青白いままだったが、此処でいつまでもじっとしているわけにもいかないという事は分かっているようだ。素直に、他のエリアに設置されている非常口への案内を申し出てくれた。


 絵本から飛び出してくるぬいぐるみのようなモノたちを避けながら、綴を先頭にして二人は進む。……汐理の方が図書館自体の内装などには詳しいのだが、彼を先頭にすると、何かが起こるたびに止まってしまうのだ。


 汐理が次に示した非常口は、児童エリアから一般エリアへ繋がる途中にある、雑誌と新聞のエリアだ。このエリアは景観を重視したのか、壁が全面ガラス張りになっており、入口の自動ドアからも真っ直ぐに伸びている。外の景色を楽しめるようなテーブルと椅子のセットが置かれていたり、フカフカのクッションが効いている豪華な椅子なども置かれたりしていて、利用者が寛いで利用できるようになっている。全体的に風通しの良い空間だ。天井は吹き抜けになっており、綴が普段通っている勉強部屋へ続く二階の廊下からもこの雑誌・新聞エリアを見下ろすことが出来るようになっている。

 非常口は、その雑誌・新聞エリアの壁際のガラスの両端に設置されているようだ。


 汐理は雑誌・新聞エリアの端のガラスのドアのブラインドを上げる。綴はスマートフォンのライトを既に点けて、映り込みに対する準備をしている。

 やはりガラスに映り込んだ自分たちは、綴の向けたスマートフォンのライトに照らされると、悲鳴を上げ溶けるように音を立てて消えていく。


 非常口以外の窓のブラインドも、汐理が上げたが、映り込みの自分たちが出てくる以外に、外の景色などは見えなかった。夜で周囲が暗くなっているとかそう言う「見えない」ではなく、ガラス自体がその向こう側を通さないような、薄い壁の様にただ薄黒くなっているのだ。


 結局、雑誌・新聞エリアの非常口二つもダメだと言う事で、汐理は図書館の中に設置されている中では最後だと言う、一般図書のエリアの奥にある非常口を目指すと言った。

 その途中で、非常口ではないものの、通常時であれば一応外の空気を入れる為に空けることの出来る窓があると言う事なので、綴と汐理は一般図書のエリアをぐるりと一周する形で非常口を目指すことにした。


 やはり利用者が寛げるような、すわり心地の良さそうな椅子が並べられている通路を通って、汐理が言っていた窓に辿り着いた。非常口からもすぐ近くにある、一般図書のエリアの奥の方にある新書と呼ばれる本が並んでいるところだ。

 途中、閲覧コーナーの近くにある、大型本と呼ばれる、通常の棚に入らない規格の本が並んでいるエリアを通ったのだが、美術関連の本が多い場所なのか、絵本のように面出しされている本の中から、様々なモノたちが飛び出してきた。それらは全てスマートフォンのライトで撃退できたのだが、汐理の精神的ダメージがかなり大きかった。


 外に向けて高めのカウンターのように作り付けの台があり、そのカウンターの奥に窓がある。汐理が踏み台を使ってその窓を覆うブラインドを上げていく。綴はスマートフォンを持って後ろで待機だ。

 案の定、こちらの窓も、外の景観を望むことは出来ず、映り込んだ自分たちを溶かすことになった。


「スマートフォンの電波が圏外なのですが、汐理先輩もそうですか?」


 綴は、自分のスマートフォンの画面を見せながら汐理に尋ねる。


「えっ、圏外……!? 本当だ、僕のスマホも圏外になっている……これじゃあ外から開けてもらう事も出来なさそうだね」


 スマートフォンを確認した汐理は、少し考え込むように黙り込んだが、やがて、顔を上げて進み始めた。


「最後の非常口も確認しておこうか。……最悪、内部の方の非常口に行く可能性も考えておいた方がよさそうだね」


 作り付けのカウンターテーブルから、本棚に沿って歩いて行くと、突き当りの横にブラインドの下がった窓のような物があった。大きさから言って、おそらくこれが汐理の言う最後の非常口なのだろう。


 綴がスマホを片手に待機し、汐理がブラインドを上げていく。非常口であるその大きなガラス扉には、やはり外の景色は映っていなかった。その代わりに、ガラスに映り込んだ綴と汐理の姿が見える。

 今回の映り込みの「自分たち」は、今までと違いこちらに飛び出てくることは無かった。が、ただ、ニヤニヤと笑みを浮かべていて気持ちが悪い。

 映り込んだ「自分たち」は、揃ってある方向を指さしていた。綴が目線で辿ってみると、その先にあるのは、本を探すときに自由に使っていいOPACという機械だった。


 先程までは暗くブラックアウトしていたはずの、その機械のモニターは、綴と汐理が近づくと、前触れもなく、ブゥン、と音を立てて画面が明るくなる。

 普段ならば、画面に直接触れて、目的の本を探すのだが、今回はそういった目的では無いようだ。


 起動したOPACの画面には、黒い背景はそのままに、まるで血で書き殴ったかのような筆跡で、「館内飲食禁止」と書かれている。それも、画面いっぱいに、赤く塗りつぶすかのように。


 「ヒッ」と小さく悲鳴を上げる汐理に対し、綴は冷静に、鞄からお弁当用に持参していたお茶を詰めたマイボトルを取り出し、すぐ正面にあった貸し出しカウンターに置いた。それでもOPACの文字は消えないので、さらにのど飴の袋と、学校の休み時間にクラスの友人からもらったチョコレートをカウンターに出した。


 綴の鞄の中から出された飲食物は、カウンターに出された後、しばらくしてから消えてしまった。


 OPACの文字が表示されなくなったことを綴が確認すると、画面には地図のような物が表示されていて、あるポイントが点滅していた。


「これは……館内の地図のようですが、パンフレットのモノとは少し形状が違いますね」


 綴がそう言うと、汐理がその疑問に答える。


「パンフレットの地図はあくまでも利用者向けのものだから……このOPACに表示されている場所は、閉架書庫のようだね」


 汐理によると、この図書館には二種類の閉架書庫があるという。一つは、図書館の一階と同じ階にある物で、比較的まだ利用頻度の高い資料を収納しているらしい。もう一つは地下にあり、滅多に利用されないが、稀に問い合わせのあるような資料や貴重な古い資料などを置いているらしい。ちなみに、この図書館は急こう配の場所に建てられているらしく、図書館の中では「地下」と呼んでいても、外から一定の角度で見ると普通の一階に見え、むしろ利用者に開放されている図書館の方が二階に見えてしまうという。


 汐理が言ったのは、どうやら地下の方の閉架書庫のようだ。実習中に立ち入ることがあったのだろう、その書庫が薄暗く、不気味に感じると言う。


 汐理はあまり気乗りがしないようだが、外から見れば地上一階ならば外に出ることも出来るはずだ、と考えた綴は、その閉架書庫への道案内を汐理に頼んだのだった。


 ふと、手に握ったままのスマートフォンの時刻を確認すると、綴の方は午後九時四十三分、汐理のスマートフォンは午後八時のまま進んでいなかった。




「それじゃあ、地下の書庫に行こうか」

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