捌冊目
「危ない、
児童書庫から飛び出して来たヘビのようなぬいぐるみに、綴は驚いたような表情を見せる。
ぬいぐるみは綴の身体をぐるりと巻いていて、綴の身動きがとれなくなる。
ヘビのぬいぐるみは、まるで本物のように、綴の首筋に噛みつく。
綴がぐったりとして動かなくなったことで、なんとかヘビにスマートフォンのライトを当てた汐理は、ヘビの拘束が解けてそのまま崩れ落ちる綴を慌てて支える。
「綴、綴!」
声をかけるが、綴はヘビに噛まれた影響か、なかなか目を覚まさない。
汐理は、綴を抱き上げると、ひとまずその場を移動することにした。児童書庫の近くにいるのは危険だと思ったのだ。
(地下閉架には、あまり絵のついた本は置いていないはずだ……書架が密集しているから、最悪書架を詰めてしまえばバケモノたちも出て来れないだろう)
綴を抱いたまま、器用にスマートフォンで足元を照らしながら、汐理は地下書庫へと入っていった。
幸いにも、地下書庫の書架は、表紙に絵や写真の入った本の棚が詰められた微妙なバランスになっていた。
綴を書庫の入り口近くに置いてあった、キャスター付きの踏み台に座らせ、手近な書架に凭れかからせる。念の為、綴のスマートフォンは本人の手に握らせておく。
汐理は、溜め息を吐きながら、これまでの状況を整理することにした。
(僕は、図書館実習の為に、この図書館にいた。綴は試験勉強の追い込みの為だ。
図書館が閉館した後、閉館業務を手伝いながら、僕は一度この地下書庫に、何かの本を取りに来ていた。綴は、閉館の放送も職員も目にしていないと言っていた。
さっき確認したら、綴のスマホの時計は進んでいるようだ。僕の方は、閉館時間の八時で止まっている。
バケモノたちへのスマホの攻撃に差があるのは、単純に綴がライトの照射が上手いからなのか? それとも、スマホの時計が関係しているのか……?
いずれにせよ、僕は、何か重大な事を『忘れて』いる気がする……そういえば、事務室でぬいぐるみに食べられた『
書庫の入り口に置いてある、扉を押さえておく為の重石代わりに束ねられた雑誌の上に座りながら、汐理は思案する。雑誌は表紙面が裏側にして纏められているので、表紙から何かが飛び出してくることはなさそうだ。
(一旦、綴は書庫の入り口に置いて、僕だけでも地下の非常口を確認してみようか……)
汐理は綴を座らせた踏み台を移動させて、書庫の入り口を固定するように座らせると、スマートフォンを握りしめて、すぐそばにあるガラス製の非常口を確認しに行くことにした。
(……やっぱり、非常口は全滅、か……)
スマートフォンで照らしながら、非常口を確認する汐理。ガラスに映り込んだ自分は、特に何をするでもなく、ただ、ガラスに映っているだけのように見えた。
(……あれ?)
よく見ると、ガラスの向こうの汐理は、紫色の文庫本を手に取り指さしている。浮かべている表情は、特に無い。
(……文庫本を確認しろって事か?)
念の為、ガラスから離れて文庫本を確認しようとした汐理だったが、非常口から離れると、映り込んだ自分も消えてしまう。
書庫の入り口に置いてきた綴の事も心配だったので、汐理は書庫に戻ってから、文庫本を確認することにした。
(綴が修理してくれてから、目に見える異変は無いように見えるけれど……)
書庫に戻った汐理は、元の位置に綴を戻し、再び雑誌の束に腰かける。事務室で綴が修繕してくれた紫色の文庫本は、一見、その後何も変わっていないように見えた。
(……内容、か?)
そう思い、文庫本をパラパラと捲る。汐理は速読が出来るので、通常の厚さの文庫本ならば何気なく頁を捲るだけでもすぐに内容を把握することが出来る。
(……?)
紫色の文庫本を一通り捲り終えた汐理は、その内容に、違和感を覚えた。言葉には出来ないが、それでも感じてしまう、そんな違和感だ。
ふと、綴の持っていた方の文庫本は、どうなっているのか気になった汐理は、悪いとは思いながらも綴の鞄を漁る。淡い青色の文庫本は、汐理の持っていた紫色のそれを比べて、少しばかり厚めのように感じる。
(僕の方は、この『図書館』に入ってからの内容と思えば、そう違和感のないものではあったけれど……)
綴の青色の文庫本を捲っていた汐理は、先程自分の抱いた違和感の正体に、確信こそ持てないが近づいたように感じた。
(もしかして、この本は……)
「先輩?」
小さく響いた声に、汐理は慌てて青い文庫本を鞄に戻す。
踏み台の上に座らせていた綴が目を覚ましたようだ。ヘビのようなバケモノの噛まれた辺りをさすりながら、綴は汐理の方を見ていた。
「あぁ、綴、気が付いたんだね、良かった」
心からそう思った汐理だが、やはり先程の文庫本の事が頭から離れない。
(今は、この『図書館』から脱出することだけを考えよう……)
そう考えた汐理は、改めて綴の状態を確認する。
「……あのヘビ、噛まれると即効性の麻酔か何かがあるんですね。上で先輩が絡まれた時に噛まれなくて良かったです」
「そうじゃないでしょう……他に痛いところとか、しんどいところは無い?」
「……大丈夫です」
そう言いながら、綴が鞄に目を向けているように汐理は感じた。
「あぁ、念のために、鞄の中身が荒らされていないかだけ確認させてもらったよ。中身は無事みたいだ」
「……そうですか」
「あと、ここの非常口なんだけど……やっぱり外には出られないみたい」
「そうですか」
綴はスカートの埃を払いながら立ち上がった。ついでに、先程落としたかもしれないと思い、スマートフォンの動作確認を兼ねて、ライトで周囲を照らしてみる。
照らしてわかったが、この書庫はかなり暗いようだ。
(……あれほどビビりの汐理先輩が、このほぼ真っ暗な書庫で、平然と過ごしていた……? 非常口の確認以外にも何か理由があるのかしら?)
適当に書庫の中を照らしていた綴だったが、ふと、書庫の入口から正面にある壁に、何かが書かれているのを見つけた。スマートフォンのライトから外れると、見えなくなるらしい。
(……こんなわかりやすい場所に何かあるのに、汐理先輩は周囲の確認もしなかったの?)
雑誌の束の上に腰かけ、何かをぶつぶつと呟いている汐理に、壁に書かれているモノについて綴は報告した。
「え!? そんな場所に……? OPACが示していたのはこっちだったのか……?」
困惑する汐理をよそに、綴は壁面に書かれたモノを確認する。どうやら文字のようだ。地上の検索機で見かけたような、血で書き殴ったような筆跡で、何かが書かれている。
その書かれている内容を確認した綴は、声に出して読み上げた。
「う、し、ろ、の、しょ、う、め、ん、ど、こ、だ……?」
良く似たフレーズの、わらべ歌なら綴も良く知っているし、子どもの頃に遊んだ記憶もある。だが、微妙にニュアンスが違う。あの遊びで問われるのは「誰か」であり、「何処か」では無かったはずだ。
しばらく考えた後、綴は汐理に声を掛ける。
「先輩、この真後ろには何かありますか?」
ライトの照射をやめてしまうと文字が見えなくなるので、綴は壁に向かったまま話す。
「えっと……あぁ、そこは『移動図書館車』のある車庫だよ」
移動図書館車というのは、図書館や、その分室・分館などに行くには距離が遠い利用者のために、図書館の蔵書の一部を車の中に備え付けた書架に乗せて、各停留所を一定の間隔で回っているものだ。綴は利用したことが無いが、この図書館では移動図書館車の利用者へのサービスも充実させており、他の自治体の図書館よりも評判は良いと聞いたことがある。……評判がいいのは移動図書館車のサービスだけではないのだが。
車庫に繋がっているならば、その車が出るための出口もあるはずだ。望みは薄いが、今はこれにかけるしかないだろう。
「……行ってみるかい?」
綴の考えを読み取ったかのように、汐理の方からそう尋ねてきた。
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