第七話 続・この国の風景


――早朝。

 家畜のロッコは今日も主人に連れられ、街を徘徊する。


 外を歩けば、ロッコはオーク達の目を惹いた。


「羨ましい。ああ、とても羨ましい。その雌、こっちに譲ってくれよ」


 今日も、見知らぬオークが声をかけてくる。


「嫌だね、コイツは特別品だ。相場の十倍持って来い、機嫌が良ければ考えてやるよ」


 散歩とは名ばかりの連れ回し、目的は高級品の自慢である。

 邪険に扱われた雄は、「何だよ、傷物の癖に」と、悪態をついて去って行った。


 目玉の一つが無くても、まだまだ市場価値は高い様だ。


「さあ、こっちに来るんだ!」


――豚が、人間の首にかけたリードを操作する。


 いつもと同じ風景。昨日まで疑問を抱くことも無かった日常。

 だのに、ロッコの歩調は重かった。


 眩暈を覚えるのは、見えなくなった左側に視界が狭まってしまったせいだろうか。



 市場は昨日と同様に、ヒューマンの解体ショーで賑わっていた。


「おおっ?!」

 豚が声を上げる。

「おいっ、見てみろっ! あの人だかりを!」


 豚に従い、ロッコは「はい」と答えた。


 主人が変わっても、出来事に対する反応は一律だ。

 そのせいか、今の主人が何匹目かも定かではない。


 誰が誰とも判らない。彼方が上で此方が下。

 そんな、ぼんやりとした人生だ。


 何となく生きて、何となく死ぬだけ。


 石版に押し付けられた少年の瞳が語っている。

 生きてても同じ、死んでも同じだ。


 次の瞬間、頭蓋を割る音が小気味よく空に響き渡る――。

 豚は皆、この音を楽しみに来ていた。


 爽やかな一日の始まり。と、言わんばかりの優越顔だ。



 流れ作業で頭部を粉砕され、息絶えていく同族を見ていると、それがとても地下の野良達と同じ種だとは思えなかった。


 改めて、野良達の意志を湛えた強い眼差しに、芯が通ったかのように真っ直ぐに伸びた立ち姿を想う。


 魂が宿った言葉。その美しい発音が、頭の中を満たしていた。



 頭部を砕かれた同族が、その場で四肢を切り分けられていく。


 昨日までは何ともなかった風景。

 だのに、今日は眩暈を誘発して、ロッコの視界を狭めていく。


 もう殆ど、直線状の物しか認識できない。

 見たくない。通り過ぎてしまいたい。


 ロッコはその異常を豚に覚られてはいけないと感じ、平静を装っていた。

 しかし、止めようもなく脂汗が額に浮かんだ。


 豚はロッコの歩調に異変を感じていたが、巻き付けた布の下で潰した眼球が痛んででもいるのだろう。

 その程度に考え、別段、気に留める事はなかった。




――日暮れ。


 ロッコは、ただ無心に指示を待った。


 じっとしている事、賛同する事、指示に従いなるべく失敗をしない事。

 そうする事で、与えられる苦痛が軽減される。


――それであと数年、生きることができる……。


 そう思った直後、それは驚くべき新発見だとばかりに、ロッコは天を仰いだ。


『生きることができる』今まではそんな発想すら無かった。

 百年生きても、一秒後に死んでも構わない。そう考え、死を恐れたことは一度も無い。


 怖かったのは、理不尽に振るわれる暴力でしかなかった。

 それは単に、痛みを恐怖していただけの事。


 死を恐れたとも言えるけれど、あくまで反射行動でしかない。

 けして、そうだと思考した結論では無かったのだから。



 ロッコは便所に付き従い、豚が用を足し終わるのを眺めて待った。


 終わると豚が尻を突き出して来て、ロッコが舌で掃除するのを待ち構える。

 身体に染み付いた作業だ、不手際の起きようもなかった筈が、ロッコはうわの空だった。


「…………」

 便のこびり付いた肛門を眼前に、ほうと虚空を眺めていた。



――死に、たい。


 生きる事が出来る。という自覚を得て、出た結論は『生きる』では無く、『死にたい』だった。



――今、死にたい。今すぐ死にたい。



 自分があの野良達とは異なる、石版の上の少年なのだとしたら。

 生きている意味も無い。


 彼等よりも遥かに醜いこの異種族の豚。

 豚に媚びて、寿命を延ばして何になるのか?


 苦痛が続くだけなのに――。



 オークは異変に気付くと立ち上がり、ロッコの頭部を打った。


 彼女の頭蓋程もある拳の一撃は強烈だ。

 それを理解しているオークは、殺さないように加減をしたが、裂けた唇からは血が滴った。


「ボケっとするな、舐めろ!!」


 例え理解できていなくても、不可能でも、間違っていても、問いかけには『はい』と返事をする。


 そういう決まりだ。


 そういう風に出来ている。



「嫌だ……」


 だから、その言葉を発するのは、この世に生を受けて初めてのことだ。


 オークが二足羊からその言葉を聞くことも無かった。

 言葉よりも先に、オークの拳がロッコに届き、彼女を壁に叩き付けた。


 悪くすれば殺していたが、ロッコはまだ生きていた。



「食えっ!」

 オークは今出した便を素手で掴みあげ、ロッコの口へと押し付けた。


「嫌だ……ッ!」

 ロッコは首を振って拒絶する。


 オークはパニックを起こしていた。

 これが我が子なら、怒りに任せて殺しているが、相手は家畜だ。『何故』という疑問が先に立つ。


 それ程に、二足羊が逆らう姿は異常な光景だった。


「食えぇぇぇッ!!」

「嫌だッ!!」


 オークはロッコを床に押し倒し、馬乗りになると、ムキになって大便をねじ込もうとした。


 ロッコは必死になって抵抗する。

 家畜の抵抗に、しかしオークは怒りを凌駕する興奮を覚えていた。


 フフと笑いがこぼれ、次第に高笑いへと変わる。



 オークにとって人間の家畜化、蹂躙は、自分たちを下等と定めた種への復讐だった。


 それにより最大限の愉悦と快楽を、豚共は感受することが出来ていた。


 更なる逆転を封じる為、革命以前の大人を皆殺しにし、成人まで生かさない事で、完全な勝利を手に入れた。


 同時に、彼等は張り合いを無くしてしまったのだ。

 敵対種族の淘汰は、いつの間にか只の人形遊びに成り果ててしまった。


 抵抗するロッコは、そんなオークにとっては求めていた刺激だった。


 ただ大人しくされるままだった昨日までとは違う。

 アクションに対してリアクションがある。


 嫌がる相手を無理矢理に組み伏せ、意のままにするのは格別だった。


 対象は非力で、圧倒的に自分に部がある事が良い。

 嗜虐心を擽った。



 少女の悲鳴はご馳走だ。


 オークの荒い鼻息はロッコの髪をなびかせ、バケツ一杯あるだろう粘度の高い唾液がロッコに浴びせられた。


 興奮の余り、オークは言語を失い。

 獣そのものの咆哮を上げ、ロッコの上で身体を激しく揺さぶった。


 まるでそれが本来の姿と言わんばかりに、言語を手放し嘶く姿がお似合いだ。

 理性のタガが外れ、完全な獣へと変貌していた。



 そのせいで気付かない。

 下腹部に与えられる快感に、欲望の解放に、全意識を割かれた豚だ。


 ロッコの冷静かつ、冷酷な反撃に反応する事ができない。


――ロッコは左手を伸ばした。

 人差し指と薬指を先端のように伸ばし、迷いなくオークの眼球の横に滑り込ませる。

 スプーンで果実の果肉を救い出そうとする様に、刺し込んだのだ。


 その動作があまりに速やかで静かだった為、明確な攻撃である事にオークが気付いたのは、ロッコの親指と人差し指がオークの眼球をしっかりと握った時だ。


 激痛を感じると同時に、オークの右目は頭部を離れ、床に叩き付けられ破裂していた。


 それを彼女に教えたのは、他ならぬこのオークだ。



「プギィイイイッ!!!」

 オークが豚さながらの絶叫を上げた。


 その隙をついて、ロッコは豚の腹の下から這い出す。


 遂にロッコは自らの意思でオークを振り払い、逃げ出した。

 逃げ出したが、すぐに転倒する。左足首を襲う鈍痛が踏ん張りを効かなくし、床を蹴れなかったのだ。

 圧倒的な体重差の相手と揉み合うことで、ロッコも無事では済まなかった。


 すぐに立ち上がろうとするも叶わず、転倒したロッコの身体を追い付いたオークの影が塗り潰す。


 片目を失ったオークがロッコを見下ろしている。痛手を負ったことで、逆に冷静さを取り戻していた。

 不用意に顔を近付けたりはしない。再び噛み付かれて残りの視力を奪われては堪らない。


 ドンと重い音が鳴ってロッコが痛みに呻いた。

「ああアッ!!」

 逃げ出そうとするロッコの負傷箇所を踏みつけて、オークが逃走を妨害する。


 オークは視界からロッコを外さず、呼吸を整えるよう努めた。

 冷静になり、何故、たった一日でこの家畜が変貌したのか、その事に思いを巡らせていた。


「……お前、何かあったな。あの忌々しい野良が逃げ込んできた時に、懐柔されたな?」


 それ以外に無い。例えそうだとしても、こんなにも簡単に二足羊が主体性を取り戻し、反抗する事は想定外の事だった。

 それはオーク達にとって、潜伏する強力な敵が戦力を容易に拡大出来ると想像するに十分だ。


 実際は、ロッコは受け入れられずに追い返されていたし、寿命の近いリーダーを抱えた彼らが、この先に長期的な計画など企ている訳も無かった。

 だがそれは、ロッコ以外からは知らされようもないし、知らされたからと言って鵜呑みにもしないだろう。


「お前は殺処分しなければならない」

 オークは言った。

「これは俺だけの問題ではない。ヤツらについて知っている事を全て吐いて、お前は死ななければならない」


 そのオークは軍部に所属する一頭だった。すぐに事態を報告し、ロッコを吊るしあげると軍隊を動かした。



 三日後、この国からロッコと全ての野良がいなくなる。脅威は排除され、オークの王国は以降十年繁栄することになるのだ。





  第八話、『出陣』に続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る