第六話 逆転世界


 人間を騙り地上を支配しているのは、オークと呼ばれる種族である。


 元来は怪物に分類され、人間とは異なる生物なのだと、野良羊の長は言う。


「人間ってのは、元々、オイラたちを指す言葉なんだよ」

 ぶっきらぼうだが温かみのある口調で、ロッコに告げる。


 それが真実だとして、どう受け止めて良いのかロッコには判らない。


 そのオークが現状の支配者であり、自分たちが家畜であるという事実において、呼称の正確性になんの意味があるだろう。



「この国は元々、現在二足羊と呼称され家畜とされているアンタら、数多ある人種の中で、ヒューマンと呼ばれる種族の治める王国だった」


 山岳地帯に位置する王国は、周囲を囲む大樹海もあり、他国との交流が途絶えていた。


 その樹海にはエルフの隠れ里や、数多のモンスターが棲息し、大規模なオークの巣もあった。


 ヒューマンとオークは縄張り争いによる小競り合いを続けた。

 それは全面戦争へと発展し、最終的にヒューマンはオークに国を乗っ取られた。



「縄張り争いに敗北して、立場を追われたって事だ」


 イチキが噛み砕いた説明をしようとしたが、その意見にはミキが反発した。


「負けてはいない! リーダーのお前が不用意な発言は慎め!」


 ミキの反論には二つの意味があった。

『敗北はしていない』と言う歴史的な事実と、『私達がいる限り』という精神的な意味合いとだ。


 二人のやり取りを受けて、野良長が話を続ける。



「戦争には勝った。完全勝利だった。そりゃ、奴らの武器や軍略は未開人のそれだったからね」


 人間はオークとの戦争に勝利した。


 そして戦後処理として、敵種族をどうするかと言うことになった。


「害獣だ、殺しちまえって声もそりゃあった。けどね、豚共の中に人間の言葉を話す個体が発見されちまった」


 猿よりは賢いという認識はあった。

 そのままなら、幾分やりやすかったのだ。


 言葉が通じる事により、オーク達への印象は変わる。


――獣と人の境を越えてしまったのだ。


 言語を解し、教えれば読み書きすら可能な種族を根絶やしにするのは、倫理に反すると言う意見が優勢になる。


 人間はオークの殲滅を思い止まった。


 話が出来ると同時に、敗北した彼らは実に従順だった。

 一族の存亡がかかっていたのだ。命乞いにも必死だったのだろう。


 武器を捨て、地にひれ伏す者を絶えるまで殺すには到らない程度に、人々は理性的だった。



「当時のオイラはまだ子供だったけどね。よく覚えているよ、隣の家に豚が住み始めたんだ。あいつらな、ペコペコ謙ってたっけ」


 国はオーク達を二級市民と定め、共存する事にした。

 文明レベルに隔たりがあるのだ、対等の待遇という訳にはいかなかったが、奴隷という程でもなかった。


 抑圧自体は必要だった。

 そうしなければ、受け入れは叶わなかったのだ。


 オークの気質は獰猛であったし、出産を制限しなければ数が増えすぎてしまう。

 共食いなどの文化を廃止する為には仕方が無かった。


 オーク達にとって、それらは理不尽な弾圧行為でしかなかったが、共存には必要な事だった。



「奴らは従順に従い、人間の文化や技術を学び、努力によっては要職すら与えられる者もいた。

 屈強な種族だ、軍部での扱いは良く、オークを配した軍隊が作られ、部隊を指揮する身分の者も現れた」


 確かに多くの問題を解消出来てはいなかったが、その頃には偏見も薄れ、双方に良好な関係が結ばれていると思えた。


 野良長は自虐的に笑う。



「オイラたちはね、仲良くやっていけるって思ってたよ。まあ、それは一方的な思い込みだった訳だが」


 結果として、共存は果たされなかった。


 オーク達は従順な態度の下で、着々と準備を進めていたのだ。



「そして、人々にとって豚どもが完全に景色と同化し、気に止めもしなくなった頃、奴等は謀反を起こした」


 国の機能を麻痺させる部所に紛れ込み、人間の武器を入手し、人間の言語で統率し、反撃の機を窺っていた。


「その為に、奴等は数十年も従順な振りをしていたんだ。心にもない愛想笑いを浮かべて」


 オーク達はヒューマンの何倍もの繁殖力と成長速度を持って膨れ上がり、内側から国を乗っ取った。


 革命は熾烈を極めた。

 人間を根絶やしにせんばかりの大虐殺だった。



「腹の中から食い破られたんだ、一溜りも無かったね。

 奴ら、女だろうが赤ん坊だろうが盾に使いやがるんだもの。どうしようもないって判ってても、オイラたちゃ、手が出せなかったよ」


 妻を盾にとって、無抵抗の騎士を惨殺した。


 母親を撲殺しながら、赤ん坊の首をネジ切った。


 出口は完全に押さえられ、防衛のために王都を囲む壁は、逃げ惑う人々を閉じ込めた。


 大人達は無条件に殲滅され、国は壊滅。


 長年に渡る支配に対する復讐を果たす道具として、子供たちだけが残された。



――人間は家畜になった。



 それはたった十五年前の事。 


 成人以上は皆殺しに、残りは食用に。


 現在残っているのは、養殖され教育のされなかった自我の未発達な個体のみだ。


 最大でも十五歳で出荷される地上の元人間達に、家畜以前の記憶や原風景は無く、その境遇を見直す発想すら無い。


 ただ、食事と性行為。そして主人に媚びる事だけは、教える必要もなく自然とするようになる。



 敗北が確定した時、野良長は無我夢中で孫を地下へと匿った。

 その時にはもはや戦える者は彼一人しかいない状態だ。


 それから彼は地下に留まり、命懸けのゲリラ活動により、地上から子供達を回収して来た。


 その成果が、地下の三十人である。


 当時の凄惨な光景を覚えているのは、現在二十歳を過ぎるイチキ、ジキ、ミキを含む数名だけだ。


 地下水路を抜ければ王都の外だ、国外に亡命するという手段もあった。


 しかし、十人もの幼子を抱えての旅は無謀であったし、子供達が成長した頃には、野良長の身体はもはや旅に耐えられなくなっていた。


 過酷な戦いの日々と老化で消耗し、野良長はとうとう満足に歩く事すら、出来なくなってしまったのだ。



「解ったかい? アイツらは人間なんて言い張ってよ、歴史の改変がしてえんだよ。主人なんかじゃあねぇ、裏切り者さ」


 ロッコは黙って聴いていた。

 言っている事も理解は出来た。


 それに対して、どんな感想を抱けば良いかは、よく分からなかった。



「嘘だと思うかい? それなら、よく周りを見ることだ。

 アイツらが使っている道具は殆どオイラ達が置いてったもんだ。

 入らねぇ甲冑、指の通らねぇグローブ。そんなもんが、そこかしこに転がってらぁ」



 これ迄、ロッコは気にしたことも無かったが、確かにそうだった。


 長年共生する間、彼等に合わせた道具も造られてはきたが、全体にとってそれは一部だ。

 地上の支配者の巨体には何もかもが窮屈だった。


「新しく作るセンスがねぇのさ、ある物を使い潰すだけ」


 野良長は鍛治職人だった。


 その天才的な腕前を当時は国王に高く評価され、作品はどれも名物とされた。


 より良い武器を造る為、自らが武器術を磨き、道具への理解を深めていた。


 鍛治職人にして、一流以上の剣士でもある。


「そんな話、この娘に理解できはしませんよ。部外者と無駄に交流するのに私は反対します」


 ミキが憮然とした態度で言った。


「ミキは厳しいね。身体が良くないと、こう恨み言でも漏らさなきゃあやってらんねぇのさ」


 そう言って、野良長はミキの頭を撫でた。



「……長、この子を仲間に入れてやれないかな?」

 一段落したのを機に、イツツキは本題を切り出した。


「こんなに言葉が分かるし、自分の意思で豚に逆らって、俺を助けてくれたんだよ。そんな事、今まで無かったろ?」


 延々と昔話に興じる野良長から、許しが出るような期待感を持っての事だったが、それはあっさりと否定された。


「そりゃあ、無理だな」

 野良長はにべも無く言い捨てる。


「でも、俺の命の恩人なんだよ!」

 イツツキは食い下がった。


「その歳になっちまったら、もう此処ではやっていけねぇだろう。地上で上手くすれば、まだ数年は生きられんだ、帰してやんな」


 野良長は殺せとは言わず、帰せと言った。


「良いのですか?」

 ミキは確認する。アジトに踏み入った者を外に出せば、危険が伴う。


「ああ、良いよ――」



 ロッコの姿を見ると、長は思い出さずにはいられなかった。


 ジキを救助した時、本当はもう一人助けたい子供がいたのだ。

 丁度ロッコと同じ歳、同じ様な背格好の娘で、ジキの姉だった。


 状況から一人しか抱えられず、子供の足に合わせていたら全滅していた局面だった。


 野良長は弟を取り、姉の方を見捨てた。


 姉の方が大きく、弟を抱えた方が速度が落ちなかった等の理由もあった。

 だが、優秀な戦士に育つ可能性が高いのは男児の方だと言う打算もあった。


 敵に捕まり、助けを求める少女の声を振り払って、野良長はジキだけを連れて帰った。


 思惑通り、彼は最強の戦士に成長する。


 強くなるモチベーションは、姉を見殺しにした野良長への反発と憎悪。


 野良長より強くなって痛めつけてやろうと、その暗い情熱が彼を努力させ、最強へと押し上げた。


 しかし、ある日から彼の中で復讐の炎は鎮火していた。

 大人になるにつれて、思い直すことがあったのだろう。


 今でも、二人が言葉を交わすことは珍しいが、ジキは粛々と任務を遂行している。



「――その子を殺しちまったら、アイツとの関係がまた悪くなっちまう気がするからな」


 ミキは二人の長い確執をよく理解していたし、野良長の余名も長くないことを察して、それ以上の口出しはしない。


 最近の野良長の様子を見ていると、胸が苦しかった。


 オークを憎む余り厳しい試練を課し、子供たちを戦士へと育て上げた。

 あの妄執に駆られたかつての鬼が、このまま静かに朽ち果て行くのではないかとも思える。



「イツツキよ、怪我の治療で貸し借りなしって事にして、飯でも食わせて帰してやりな。それが、その子の為だよ」


 貴族の子供として生まれ、贅沢な毎日を送る人間もいれば、家畜として生まれて食卓に並ぶ人間もいる。


 それは当たり前のことだ。


 全部を一律にして扱う事はできないし、家畜が家畜として死ぬことを憐れむ事もない。


 当人にとっては当たり前の事なのだ。



「……はい」


 イツツキも、それ以上は食い下がらなかった。

 野良長の言う通りだと思ったからだ。


 野良長の寿命は、地下生活の終わりを意味する。


 それが明日か明後日か。どの道、新しい仲間を加えて育成している段階ではない。


 まだ幼いロッコは地上で飼われていた方が、戦士である彼等よりも長生き出来る見込みだってある。


「お前も、それで良いね?」


 野良長がロッコに問い掛けた。


 ロッコはそれが何を意味するのか、よく考えもせずにただ、「はい」と返事をした。


 例え理解できていなくても、不可能でも、間違っていても、問いかけにはそう返事をするようにロッコの身体は出来ている。




――明け方、ロッコは地上にいた。


 まるでそれが、一夜の夢であったかのように、元いた家畜小屋の藁の上に蹲っていた。

 




  第七話、『続・この国の風景』に続く。

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