第五話 野良長


 地下水路の道中、物資搬送の中継地点として使用された倉庫が、野良たちのアジトだ。


 必要に応じて拡張、改良が施された棲家は、三十人程度が快適に生活出来るだけの設備が整えられていた。


 外敵の侵入を阻み、必要な物資は地上から略奪する事で賄い、今日まで十五年地下に潜んでいるのだ。



「無駄になるかもしれないが――」


 イチキは前置きをすると、長に伺いを立てる前に治療を優先し、ロッコを医務スペースへと案内した。


 眼球は破壊されており、失明は免れなかったが、簡単な手術で止血を完了し、怪我が誘発する頭痛を収める鎮痛処置がされた。


 治療をしたのは、その総称を<ジン>とされる名付けのされていない無名の野良だ。


 そのジンは特に小柄で、年齢はイツツキと同じ最年少であり、地上で家畜だった期間があった。

 その時に虐待で顔面に傷を負っており、それを恥じて仮面を手放さずにいる。


 以前は、度々素顔を晒すこともあったが、イツツキが名付けをされて以来、どういう訳か人前でそれを取ることは無くなった。


 無名であるが故、不名誉ながらも『仮面』と言う呼称は囁かなアイデンティティだ。


 そのジンは特に戦闘に不向きな個体で、自覚からか怪我人の看病、炊事など雑務を積極的に行っている。

 しかし、それを仲間達は良しとせずに、侮蔑することもあった。


 弱いならば、より一掃、訓練以外のことに時間を割く余裕など無いのだと。


 地下では、強くなって初めて個性を認められるのだ。



――野良長の部屋はアジトの最奥にある。


 イチキがロッコを先導し、イツツキがそれに同行した。


「長、許してくれるかな?」


 イツツキが不安を漏らす。


「さぁな」


 地下では、強さこそがアイデンティティだ。

 少し言葉を話せる程度の家畜を、遇する理由もない。


 むしろ同種ゆえに、醜く傲慢たる人間に屈する姿を嫌悪する。


 今から教育して、果たして、使い物になるものか……。


 望みは薄そうだとイチキは考えている。


 だが、口頭でただ伝えるよりも、実際に会わせる事で、某かの反応を祖父から得られるのではないか。


 気休めにしても、その方が良いように思えた。



「はぁ、どうか御機嫌でありますようにぃ……」

 長の部屋に辿り着くと、イツツキが祈り出した。


――彼らが恐れるのも当然。

 長を除けば二十八を数えるイチキ。彼が最年長である。

 多くは十代であり、五十匹にも満たない野良羊が百万の人間から逃れて来れたのは、野良長の力による。


 イチキ達が使い物になる迄、独りで人間達から寄る辺を守って来た雄なのだ。


 その徹底された苛烈さ。冷徹さは野良達の心身に刻まれている。


 イチキは判断に窮したが、「長も、最近は大分優しいからな」と、イツツキに対して慰めの言葉を掛けた。



「イチキです。入ります」

 入室を断って、戸を開く。


 部屋の中には二人の人物がいた。


 安楽椅子に腰を掛け、毛布などで身体をいたわっている老人が野良長だ。


 その風貌は野良達の畏怖に反して、好々爺といった様子で威圧感は皆無だった。

 同時に肩幅は広く、相貌や前腕に刻まれた無数の傷が歴戦の勇士である事を表していた。


 その傍らには美しい雌が控えている。

 名はミキ、名付けが済んだ一人前の戦士であり、此処ではイチキに継ぐ年長だ。


 イチキを除けば最も野良長に近しく、率先して身の回りの世話を焼いている。



「騒がしいぞイチキ。イツツキはどうした?」


 ミキは険しい面持ちで報告を促す。

 戻らないイツツキの捜索を、ついさっきイチキ達に命じたばかりなのだ。


「それなんだが……。イツツキは戻った、俺たちが出掛ける直前だ」


「なんだ、歯切れの悪い……」


 二の句を継ぎそうなイチキの様子にミキは怪訝そうに眉を潜めた。

 イチキが回りくどい言い回しをする時は、必ず誰かの失敗を報告する時だった。


 長の孫であるイチキは、ミキ以下すべての仲間たちの師でもある。

 身体の悪い長の技術を吸収し皆に伝達したのは、実働のリーダーたるイチキなのだ。


 そんなイチキが優しすぎる為、次いで年長に当たるミキが厳しくならざるを得なかった。


 白毛のイチキ、黒毛のジキ、女傑のミキ、ツリ目のヨキ、最年少のイツツキ。

 そこまで五人が、名付けと呼ばれる皆伝を与えられた者達だ。


 イツツキの責任は大きい。

 いつまでも長兄の背後に隠れていられては困る。


「イツツキッ!」


 ミキが怒鳴りつけると、イチキの後ろに身を潜めていたイツツキが前に出る。


「ミキ姉、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……」


「情けない真似をするな、用件を簡潔に述べろ!」

 ミキは前振りを緩衝材にしようとしたイツツキを咎める。


 そして、言い訳を積み上げようとするイツツキを遮り、それまで様子を窺っていた長が口を開いた。



「イツツキよ、地上の者を連れ込んだな?」


 その声色には確信が込められていた。


「え、なんで!?」と、イツツキは驚く。


 それを回答と受け取ったミキが、「だ、はっ……なんてことをっ?!」と驚愕した。


 それ程、在り得てはならない出来事だった。


「子供だね、興奮している様だ」


 野良長は、入り口の影に潜む気配を感じ取り、ロッコの存在を言い当てた。


 先に簡単な説明が必要だろうと、ロッコを部屋の外で待たせていたが、愚策だった様だ。


「……そうかな、大人しいけど――」


 長にはすべてお見通しだ。

 イツツキは観念して白状することにした。



 ロッコを室内に引き入れ、長と対面させる。


「――一人くらい増えても良いよね?」

 言って、イツツキは笑って誤魔化す。


 その家畜の姿を見て、ミキは脱力する。

 ロッコを目の当たりにして、その余りの幼さ、脆弱さに気勢を削がれ、重い溜息が零れた。


「イツツキ、お前にはまだ名付けが早かったようだな……」


 只々、呆れる他ないと言った態度だ。


 イツツキはミキの怒りを反らそうと、お道化ながら恐縮した。

「そんな……。ヨキと同じようなこと言わないでよ」


 彼らが如何に精強な戦士であろうとも、敵の総数は十万倍にも及ぶ。

 軽率な行動は許されないのだ。


 それくらいの事を理解していない筈がなかったし、イツツキ自身も理解しているつもりだった。


 それでも、放っておけなかったのだ。こんな事は初めてだった。



 野良達の視線に晒され、リアクションとばかりにロッコは頭を下げた。


「は、はじめまして、私はロッコです……」


 長の言うように、ロッコは興奮していた。

 それは抑圧されることが常である家畜生活において、これまでは痛みによるパニック状態くらいでしか得られなかったものだ。


 知らない場所に連れ込まれることも、虐待されることも、もはや日常。

 状況に身を任せる事に馴れきったロッコにとって、好奇心から来る興奮は未知の、或いは忘却された感覚だった。


「ほう、自己紹介が出来るのかい。だが、そんなもんは名とは呼ばない、捨てるべきだな」


 オサはそう言って、しばしロッコと見つめ合っていた。


 ロッコが、成長しきった二足羊を目の当たりにするのは初めての事だ。

 地上の二足羊は十五歳で殺処分される。


 地下の野良達はそれを逃れて来た為、数匹は成人しており、それだけで珍しい。


「不思議だろう。地上にはもう革命以前の人間は残ってないからなあ」


 長がロッコの疑問に答える。

 それがまたロッコに首を捻らせた。


「……人間なら、たくさんいます」


 食料不足を共食いで賄って、それでも減る気配が無い程に、地上は人間達で溢れ返っている。


 残っていない。という言葉を誤認していなければ其の筈だと、ロッコは思った。


「そうだね、先ずはそこから説明しないといけねえや」

 言って、長は頭を掻く。


 部外者に対する親身な態度を不可解に思い、「長?」とミキがその意図を確認しようした。


「まあ、年寄りの気晴らしだ。お前たち相手に話すことはもうねえし、飽きっちまった」


 もの知らぬ相手に、昔話を聴かせるのは年寄りの楽しみと野良長はミキを制する。


 ロッコに向き直り、野良長はこの国の成り立ちについて説明を始めた。



「いいかい、お嬢ちゃん? 今、お前さん達を飼育しているデカブツ、人間を名乗っちゃいるが、賤しい獣野郎よ――」


 長は忌々し気に、その正体を開示した。


「――奴等はオークと呼ばれた別の生き物だ」


――オーク族。

 数多ある獣人族の一つであり、人と豚とを掛け合わせたような外見の種族である。

 その獰猛な性質から、亜人としてより怪物としての認識が強い。


 肉体の成長が早く、数年もあれば成人の体力を得る為、他種族と常に争いを起こしており、兵隊の補充に事欠かない強みを持っている。


 半面、寿命が短く、知能が鈍感で、言語の習得や知識の活用を苦手としている。

 それ故に、膂力によって他種族を屈服させる事に妄執を抱いていた。



「……オーク?」

 ロッコは感慨も無く、只、その名を呟いた。


 それがこの国の支配者。

 豚が人を飼う世界、それがこの国の実態だった。





  第六話、『逆転世界』に続く。

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