フィナーレ

ハッピーエンド


 魔力循環の回復を、私達は抱き合って喜んだ。


「さぁて、あとは仲間達が帰ってくるまで粘るのみだ」


 黒騎士への脅しの意味も込めて、イリーナは方針を口にする。

 それも今の魔力があれば不可能ではないのかもしれない。



「クッ!」と、呻いてレンドゥルが駆け出す。


 治癒術の発生源を潰そうと私を目掛けた。

 しかし、「おっと」とイリーナが剣を構えて割って入る。


「爆ぜろぉ!!」


 立ち止まったレンドゥルがイリーナに向かって手をかざす。

 しかし、かざしただけだ。『爆破』は起きない。



「あれ? 今度はそっちの魔力が枯渇しちゃった?」


 イリーナの指摘は外れだ。


 正確には、私の『治癒魔術』が『爆破魔術』を上回っている。

 治癒力が破壊力を凌駕し押さえ込んでいる為、爆破自体を不発に感じるのだ。



「僕達の勝ちだ、黒騎士!」イリーナが吠えた。


 それはハッタリだ。


 治癒術は時間稼ぎに有効ではあるが。

 衝突を続けた結果、私たちが即死に追い込まれない保証は無い。


 ましてやレンドゥルを倒せる訳ではない。



 黒騎士との勝負をどう捉えるか。


 仲間の死も含め、これだけの蹂躙を許したのだ。

 全体でみれば一方的な損害を被ったとも取れる。


 失ったものは大きい。勝利だなんて後味の良いものではない。


 ただ、私達は『魔力循環の回復』という一点では目的を達成できた。



「……前向きに捉えよう」


 レンドゥルが自らを納得させるべく呟く。

 そして、声に出して自らを説得し始めた。


「何もここで終わらせてしまうことは無い。

 楽しみが増えた。そう考えるべきだ。


 生きていることが判れば結構。

 付きまとって捕らえる機会を伺おうか。


 引き続き、関係者を次々に殺害してやろうか。

 ほら、決着をつけてしまうより余程いい。


 再スタートだ。それでいいじゃないか」


 私達は焦った。

 逃せば、この男はこの先どれほどの脅威になるか分からない。



「逃がすもんか!」


 慌てて踏み込んだイリーナの剣を、レンドゥルは容易く捌く。

 そして切り返しによる一撃を返す余裕も見せた。


 レンドゥルに裂かれた傷は治癒するが、問題はそこではない。



「貴様では、私を引き止めることは出来ないなぁ!」


 レンドゥルの逃走を食い止めることが不可能だということだ。


「さようなら。ごきげんよう。また、後日。


 そうだ、まずはお前達の生存を公表してやろう。

 支持を得る為、ヴィレオンと結託して民衆をペテンにかけたと広めてやろう。


 ヴィレオンの信頼を失墜させ。アシュハを必ず破滅に導いてやるぞ!」


 そうなればお終いだ。なんとしても此処で食い止めなければ。


「くっそ!!」


 しかし、手首を切断されかけたイリーナは、握力の回復が追いつかず。

 武器を取り落としている。


 だからといって、私が追いかけるのは愚策。

 返り討ちに遭えば辛うじて優位を維持している魔術が途切れる。


 捕らえられでもしたら、それこそ相手の思う壷だ。


 みすみす見逃すしかできない――。



「さらばだ、愛しい玩具たちッ! 更なる悲劇を楽しみにッ!」


 扉を開いて外に駆け出したレンドゥル。

 彼に大きな影が覆いかぶさる。


「!?」


 三人の視線が影の主に集中する。


 それは出撃していたインガ族の戦士でも。

 酒場の主や客でも無い。


 レンドゥルが忌々しげに叫ぶ。


「……お、オーヴィル・ランカスター!!」



 扉を開いた先にいたのは、大剣を振り上げたオーヴィルだった。


 オーヴィルは間髪入れずに大剣を振り下ろす。

 それは有無を言わさず黒騎士レンドゥルを左右に両断した。


 さすがに即死は治癒されない。

 あっけなく、黒騎士レンドゥルは絶命する。



 私とイリーナは呆然とそれを見守っていた。

 オーヴィルがこちらに気がつく。


「お前ら! 無事かよ! 探したぜ!」


 そして少し不機嫌な様子でのしのしと迫ってきた。


 どれだけの距離を走って来たのだろう。

 呼吸荒く、肩を上下させ、汗で水浸しである。


「久しぶり……」「ご無沙汰しておりますわ……」


 再会は実に公開処刑前夜以来か。


「久しぶりっ、ゲハッ! じゃ、ねぇよっ!

 よくも俺を、ブハッ! おいていき、やがって……!


 フゥ、フゥ……。


 自力で探すの大変だったし! 心細かったんだからなっ!」


 身体がどんなに大きく丈夫になっても。

 心は打たれ強くならないんだなぁといった感想を抱く。



 彼とはぐれた後。

 お互いに百万人都市で人目を避けて行動しなくてはならなかった。


 合流は困難を極め、私達には時間が無かった都合。

 そのまま首都を出発したのだった。


 一応、イバンなどに任せて来たけれど。

 よくぞ、この場に間に合ってくれたものだ。


『猫の手』経由で辿り着いたのだろう。

 息を切らしながら喋る姿から、全力疾走をしてきたことが伺えた。

 


「二人だけで黒騎士と対峙してるって聞いて、危なっかしくてよ。


 それで、コイツが血塗れのサーベルを片手に出てきたもんだから。

 てっきりお前達が殺されたんじゃないかとハラハラしたぜ」


 それ故、問答無用の一刀両断だったのだ。


 私たちの身を案じて本気で怒ってくれる。

 素直に嬉しい。


「それで、首尾は?」


「たぶん、大成功」


 オーヴィルに訊かれ、イリーナは答えながら私に同意を求めた。

 私は二人に微笑んでみせた。


「二人とも、本当にありがとう。


 私はまだ、人生を楽しむことができるようです」



 こうして、ハーデン以下による。

 一連のアシュハ皇国乗っ取りに関する事件は決着した。




――程なくして、酒場からすこし離れた位置に移動した。


 私、イリーナ、オーヴィル、イバン。

 猫の手の構成員が二十人と、マハルトー率いるインガ族の戦士が六人。


 各々に仕事を終えて、集合した所だ。



「皆、お疲れ様!!」


 全員を見渡して、イリーナが三ヶ月にわたる計画の終了を告げた。


 此処にいるのは、もはや女王でも何でもない私なんかのために力を貸してくれた。

 イリーナが『劇団・猫の手』と呼んでいる仲間達だ。


「マハルトー。それに、インガ族の皆。

 無知、無力な僕らの旅を助けてくれてありがとう。

 おかげで危なげなくここまで来れた。


 今日も安心して任せられたし、素晴らしい仕事だったよ」


 イリーナが感謝を伝えると、代表のマハルトーが応える。


「闘争としては物足りなかったな。

 しかし、他民族と行動することは我々にも有意義な体験であった。


 今後、我々にも新しい時代の風を取り入れるよい機会になったはずだ」


 それを受けてイリーナが、「良いこと言った!」と絶賛すると。

 オーヴィルが「ダジャレだぞ?」と指摘した。


 指摘を受けたイリーナが取り乱したので、盗賊ギルドの皆がそれを笑った。



「ダ、ダジャレ自体を否定はしないけど!


 コイツらはユーモアの文化がそれしか無いくせに。自分より強いやつのダジャレでしか笑わねぇんだ!

 完全に死んでる文化だから、やめた方がいいぞソレ!」


 それを聴いたインガ族の皆が笑い出す。


「あと、何言われてるか解らない時、とりあえずで笑うのやめろマジで!」


 言われていっそう笑い出すので、「この未開人ども……」とイリーナは皮肉をこぼした。



「まあ、いいや」と気を取り直して、『猫の手』の皆を振り返る。


「盗賊ギルドの皆。黒騎士の特定から当日の舞台準備まで、裏方のほぼ全てを担ってくれてありがとう」


 イリーナが頭を下げると、スタークスが気にするなと手を振った。


「特定まで時間がかかってすまなかったな」


 そうは言うけれど広大な国土、数多ある集落の中から。

 雲隠れしたレンドゥルの隠れ家を見つけ出すのは至難だったはず。


 黒騎士討伐は彼らの功績が九割といえるだろう。



「君たちがいなかったら、僕は希望的観測を述べただけで。何一つ実現できなかったよ。


 結果として、国に降りかかるかもしれなかった災厄を未然に防いだと言って良いと思う。

 君たちは歴史を変えた。誰も認めないだろうし、誰も褒めてくれないだろうけど。


 でも、君たちは救国の英雄で。ティアンの命の恩人だ。心から感謝してる」


 私はイリーナの横に立って、皆に向かって頭を下げた。

 対して皆は温かい拍手を送ってくれた。



 イリーナは最後に、イバンとオーヴィルを振り返る。


「お前達には今更、礼とか言わないから」


「姐弟子、お役に立てて光栄です!」


「いらねーよ。でも今後、除け者にだけはすんな」


 いつものやり取りが愛おしい。



 女王に即位した時、私は民衆の熱狂に強い味方を得たと安堵した。

 それは同時に地獄の始まりでもあった。


 味方ができた時、同時に敵も同じだけできた。私はそれを抱えきれなかった。


 今はもう、味方は数える程しかいないけれど。

 だからこそ全幅の信頼を置くこともできる。


 そして、どうしても考えてしまう。


 彼が、彼女が、あの人がこの場にいてくれたら。

 でも、それはもう叶わない願い。



「笑おう。人生は一期一会だ。


 二度と同じ面子では仕事ができないかもしれない。

 だから後悔しないように、その都度最高を目指すんだよ」


 イリーナが私の頭を撫でた。


「ごめんなさい……! 私……!」


 私は涙を止められない自分に取り乱す。

 せっかくの場を台無しにしてしまいたくはなかった。



「これにて、『劇団・猫の手』の解散を宣言します。お疲れ様でしたっ!」


 頭を下げたイリーナに拍手が浴びせられる。


「一日、酒場を貸し切ってる。陽はまだ高いが、存分に飲み明かそう」


 スタークスが提案する。

 私は思い返すと、鼻をすすりながら言った。


「ぐすっ……。宴会の前に大掃除をしなくてはなりませんね」


 レンドゥルの死体を撤去して、血を拭き取って。

 荒れ放題になった店内の片付けをしなくては。


「あっという間さ」


 圧倒的な手際を持つ盗賊ギルドと、超人的な体力を誇るインガ族が揃っている。

 スタークスの言う通り、すぐに場は整うだろう。


「チャチャッと片付けるぞ」と、スタークスが支持すると。

 一斉に打ち上げ会場へと移動を開始する。


 この頼もしさ。頭が下がる思いだ。



「賃貸で人を殺してしまったけど、大丈夫かな……?」


 イリーナがそれを見送りながら呟くと。

 オーヴィルが答える。


「別に珍しくないさ。喧嘩はつきものだ。

 酒瓶で殴られてよく人が死んでる」


「酔っ払いは平衡感覚が死んでるからね……」


 死にやすい時に限って気が大きくなって喧嘩するの、危なすぎる。



「これからどうすんだ?」


 イリーナに向かってオーヴィルが訊ねた。


「何も考えてないよ。今日のことで頭が一杯だったんだから」


 今日、失敗していたら明日は無かった。

『魔力循環の回復』が出来ていなければ、方法を探しただろう。


 明日からの予定は何も無い。


 私はイリーナに確認する。 


「ヴィレオン達の邪魔をしないよう、アシュハを出て行くのよね」


 七歳のころに言い渡された国外追放が、今さら実現したみたいで妙な話だ。


 それに対して、オーヴィルは呑気に構えている。


「ひと所に留まらなきゃ大丈夫だろ?」


 ラクサ地方はアシュハを二分割した新興国側の為。

 すでに国外と言えばそうとも言える。



「一緒に世界中の遺跡巡りとかします?」


 イバンの提案を、しかしイリーナは突っぱねる。


「もう、地下とか潜るのは沢山だよ。

 それに暴力とか怪我とは無縁の活動がしたい!!」


 切実な声で「痛いのはイヤなんだ……!」と叫んだ。


「私もトラウマです……」


 殺し合いはもちろん。もう権力争いとは無縁の生活を送りたい。

 そうは思っても、俗世の事を私はなにも知らない。



「劇団でもやってみるかぁ?」


 イリーナがいささか面倒くさげにそう言った。

 私は、「劇団?」と聞き返す。


「吟遊詩人が物語を歌として残すだろう?

 劇団は物語を実演して観客を楽しませる集団だよ」


 それはいったいどういったものか。


 どのような段取りでそれを実現できるのか。

 まったく想像がつかない。


 けれど、心配はいらないだろう。

 剣士でもない。巫女でもない。もともとそれが彼女の本職だったのだから。


「イリーナがいつもやっていたのと同じことよね」


 交渉の時も、決闘の時も、革命でさえ。それは一つの演劇だった。


「うーん。それくらいしかスキル無いし。


 人類を滅ぼしかけた天才魔術師の話とか。

 邪竜から都を救った巫女の話とか。

 死刑にされたはずのお姫様が大冒険する話とかさ。


 職業病かな。本当はもう面倒臭いんだけど、考え出すと止まらないや」


 イリーナは苦笑い。それすらもなんだかキュートだ。



「楽器の出番はあるのか!」


 食いついたのはオーヴィル。


「ああ、音楽使ってガンガン盛り上げる」


「いいな!! ぜひッ、やろうぜッ!!」


 これぞ待ち焦がれていた理想の展開。これぞ天命と。

 オーヴィルがおおきな拳を握りしめて吠え。


 イリーナがそれに水を指した。


「お前は客席係な」


「客席係?」


 語感からして不本意な役職にオーヴィルは首を捻る。


「公演中に騒いだり妨害したりする奴がいたら、客席から排除する係」


 確かに、これ以上ない適任者ではある。


「そりゃねぇぇぇぜぇぇぇ!!!」


 本人が望んでいないことを除けば。



「話は終わったか、イリーナ?」


 マハルトーが仲間を引き連れて声をかけてきた。

 オーヴィルが異議を唱えようと身を乗り出したタイミングだ。


「終わったよ「終わってないだろう!!」」


 イリーナの言葉をオーヴォイルが必死の思いで遮った。


 しかし、マハルトーは聞こえていないという素振り。

 オーヴィルの肩に手をかけると言った。


「では、メインディッシュを頂くとしよう」


「はあ!? 乾杯がまだなのにか!」


 オーヴィルは興奮のあまり勘違いをしているが。

 インガ族の言うメインディッシュとはまさに彼自身。


 強い戦士との闘争を指す。


「おい、話はまだ――」と喚くオーヴィルを六人がかりで取り押さえ。

 何処かへと連れ去って行ってしまう。



「排除する係に任命した途端、この場から排除されて行きましたね……」


 イバンが見送りながら言った。


 私はこれから彼にどんな試練が降りかかるのかと思うと。

 居たたまれない気持ちになる。


「イリーナ!」と、助け舟を求めると。


「一応、お祝いの席だから……。

 腕相撲くらいで勘弁するように伝えてきてくれる?」


 そのようにイバンへと指示を出した。


 巨人達の喧嘩を仲裁しに飛び出せる者はなかなかいない。

 私はそう思うのだけれど。


 さすがは七百年もの歴史を持つ大聖堂を全焼させた人物。


 イバンは「了解です!」と頼もしい返事をして。

 躊躇なくオーヴィル達を追い掛けた。


 走り去っていく姿を見送っていると。

 イバンがくるりと振り返り、足を止めずに言葉を置いていく。



「姉弟子!! 次も楽しみにしてますからね!!」


 私はギクリとした。


 それは、前世でイリーナを自殺に追い込んだ一言。

 不安に駆られて私は彼女の表情を振り返る。


 イリーナは楽しげに笑った。


「あははっ。僕、このタイミングで翌朝死んでたんだよ。

 一生の語り草になるだろ?」


 確かに一生忘れられないだろうけれど。


「一生、恨むわよ!!」


 なるほど、たしかにこの人は半分イタズラ目的で命を絶ったのだ。

 本当にどうしようもない人。


「大丈夫、もうやらないよ。

 この出し物には成果を自分で確認出来ないという。致命的な欠陥があることに気づいたからね」


 まったく。今夜は一晩中、見張っている必要がある。

 この状況で置いてきぼりになんてされたら、たまったものではない。


 彼女のいない人生なんて、もはや考えられないのだから――。



 打ち上げ会場へと向かうイリーナを、私は足を止めて眺めた。


 すぐに気づいて、「どうかした?」と彼女も足を止めて振り返る。


 この人に不満はないのだろうか? そんな思いがよぎってしまう。


 私は、何もかもを失ってしまった。地位も、財産も、その名すらも。

 イリーナが頼った人々と違い、無能で、今後どれほどの迷惑をかけるか分からない。


「ティアン?」


 急かされて、ついに言葉が漏れてしまう。


「……私は!」


「うん?」と促す声が優しいので、それを白状してしまう。



「私はもう、きっとあなたが好きになってくれた頃とは大分。

 その、変わってしまったと思います……。


 無垢でもないし、純潔でもありません。悪魔に魂を売り渡そうとすらしました!」


 こんな私にどれほどの価値があるだろう。


「嫌ではないですか? 軽蔑してはいませんか?」


 私は不安だった。

 イリーナが好きなのはコロシアムにいた頃の私。


 それすらも同情で助けてくれただけかもしれない。


 本当は、今の私を見てガッカリしていて。

 優しさからそれを包み隠しているだけなのではないか。


 ダーレッド・ヴェイルも言っていた。

 女は誰でも良いのだと、女王であることに価値があるのだと。


 私にはもう、愛される資格が無いのではないか。

 少なくとも、自分にその価値を見出すことが出来ずにいる。



 イリーナは歩み寄って来ると言った。


「なんで? なんの問題もないよ。


 僕は君が同性だろうが、悪魔だろうが、オオサンショウウオだろうが。

 愛するに決まっているんだから」


 同性だし、悪魔になりかけたけど、オオサンショウウオではなかった。


 私はキョトンとする。


「ティアンは帝国の統治に失敗したくらいで、自分の能力を疑っているけど。

 そんなのは誰にだって出来なくて当たり前。


 君は優秀だよ。僕の心を惹き付けることに関しては天才的さ」


 私は不公平な人間だ。だから、人の上に立つ資格は無い。

 同時にそれは、人の隣に寄り添う為の才能だ。


 イリーナはそう教えてくれた。


 でも、それではまだ不充分。



「では何故、処刑の時に接吻を額にしたの?

 恋人どうしの接吻は唇にするものだと教わったわ!」


 サボりがちな専属女中に。


 咎めると、イリーナは爆破魔術で頭を弾かれたみたいに大げさに仰け反る。


「人前でするようなことじゃないんだよ」と、視線を外して弁明する。


 人前に出るのがあれだけ達者な癖に。

 皇帝にだって、騎士団長にだって、帝国民衆数百万にだって楯突くのに。


 接吻一つを怖がるのはなんなの?



「私は、不安なのです。自分の気持ちが一方通行なのではないかと」


 足でまといな上に、迷惑なのではないかと。


「あのね。僕は、これでも嬉しいんだよ。

 これからは気兼ねなく、君のことを独り占めにできるんだからね」


 これで満足か? という視線を送ってきたので、私は返答する。


「それで?」



「え!? それでって……。


 分かった! 普段、からかわれているから仕返しのつもりでしょ?!」


 察しの通り。いつの間にか私は精神的優位を楽しんでいた。

 イリーナは「勘弁してよぉ」と頭をかく。


「ふふん、私だっていつまでもやられっぱなしじゃないの――」



 そう言って両手を腰に胸を反らすと、心の準備を割愛して。

 イリーナが唇を私のそれに押し付けた。


「?」


 一瞬、理解が追いつかず。状況を飲み込めたのは、唇が離れた後だ。


 私は頭部へと駆け上がる熱に呆然としてしまい。

 両手で顔を覆って隠しながら、その場に立ち尽くした。


「!?!?」


 これは確かに、容易な事ではない。


 動悸が乱れてあらゆる機能がままならないし。

 脳ミソが溶けだしているのではないかと錯覚するくらいに、思考力が低下してしまう。

 

 こんなの、バカになっちゃう。

 


「ほら、行くよ。みんなの手伝いしなきゃでしょ」


 その場に硬直していた私を置いて、イリーナは先に行ってしまう。

 私は抜けそうな足腰を鼓舞しながら、その背中を追い掛けた。


「待ってイリーナ! 私もよ!


 私も、あなたが女性でも、ペテン師でも、害虫でも石ころでも愛してるわ!」


「言い過ぎッ!?」


 追いつくと、私は彼女の腕をとって並んで歩いた。


「ねぇ、イリーナ。接吻が短いわ。やり直しを要求します」


「はいはい、またの機会にね。

 キスの威力は物語の積み重ねに比例するから。大事にしないとね」


 なるほど、物語こそは結果がすべてではないことの証明。

 出会った直後では、確かにこれほどの感動は得られなかったに違いない。


 でも、威力半減でもぜんぜん不足はないのだけれど。


 平静を装っているイリーナ。

 しかし、一切こちらへと視線を振らなくなってしまった。


「なぜ照れるの! ねぇ、顔色が夕焼けのようよ!」




 そして、私たちはまた歩き出す。


 世界は理不尽で、人生はしんどくて。目を覆いたくなるような出来事ばかり。


 これからも、たくさんの苦労をするでしょう。

 苦痛を感じたり、心を痛めたりするでしょう。


 だけど大切なのは、人生を楽しもうとする心構えなのだと。私は知ることができた。


 あなたはずっと言っていました。

 楽しいから好きなのではなくて。好きだから楽しい。

 それは不公平で、とても愚かなこと。


 そして、人間らしいこと。


 だから、私は自分の人生を恨まない。


 それまでの人生がどんなにマイナスでも。

 あなたに逢えたから私の人生はプラスです。


 私がそう思えたように。愛する人のいる世界も、きっと同様に愛せるはず。



 暗愚の女王ティアンという物語を解散し。

 愛しのグラディエーターとの新しい舞台が幕を開ける。


――明日も、私たちは二人の物語を積み上げていく。





  『Re:Actor・オブ・グラディエーター』終幕。

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