終幕

英雄の死と物語の結末と


イリーナ対ヴィレオン──。


この展開に持ち込めたのはこの場が闘技場であったことに尽きる。


処刑の場にコロシアムを選んだのは集客力目当てだ。


今後のアシュハを率いていくのは女王ではなくこのヴィレオンであると、より多くに周知させる目的からだった。


解放するだけで設営の手間がはぶける点からも都合が良かった。


しかしここがコロシアムで無かったならば、『決闘』という条件がここまでの説得力を獲得することはなかったに違いない。


イリーナはヴィレオンに詰め寄る。


「決闘の申し出は受けても断ってもいい。断った場合、刑はとどこおりなく執行される」


その代わり、観客は観れたかもしれなかった決闘を見逃したと釈然としない気持ちで解散、将軍への不満を募らせる。


「──受けた場合は話のわかる男だと評価されるかもしれないね。そうすれば、今後いろいろとやり易くなる。フォメルスはそのへんが抜群にうまかった」


娯楽王は観客を楽しませるのが好きだった、その成果として自分が讃えられるからだ。


それが自己顕示欲や承認欲求からくる独善であり、多くの剣士を消耗させていたとしても直接被害を被らない国民たちからは絶大な人気を博した。


ヴィレオンは皮肉を口ずさむ。


「そのフォメルスは、観客の期待を人質に取られて敗北したのではなかったか?」


「今回、ボクは人質を皆殺しにしてしまって身を隠す場所なんてないさ」


罠ではないことをアピールするイリーナ、観客席は決闘を催促するコールで一色に染まっている。


もはや、『空気』によって選択肢は定められた。


闘技場に二人の英雄、満員の観客席、舞台は整ったのだ。


ヴィレオンは溜息をひとつ。


「剣を貸してやれ」


それは決闘の承諾、コロシアムは今日一番の喝采に包み込まれた。


ヴィレオンの指示にしたがい兵士がイリーナへと剣を渡す、ありふれた長剣をイリーナは素振りして見せた。



「やめてイリーナ! 勝てっこないわ!」


わたくしは駆け寄ってイリーナの腕を掴んだ。


当初、活路として考えていたのは観客の人気とり合戦だった、しかし口論の機会はあたえられず処刑の進行をさまたげることは絶望的に。


そこでイリーナは思いもよらない方法で状況を打開して見せた。


意図的に人気を損なうことで発言権を、そして挑戦の権利を得たのだ。


それを狙ってやってのけた、神業と呼ぶにふさわしい。


けれど、はたしてヴィレオンとの決闘を打開策と呼べるのか、とうてい呼べたものではない。


それしかなかったのは分かってる、それすら奇跡だということは分かってる。


でも結局は死に方を選んだにすぎない。


これが処刑でなくてなんなのだ、こんなものは手の込んだ自殺だ。


わたくしはこの作戦を容認する訳にはいかなかった、なのにイリーナはいつぞやとおなじ表情で申し訳なさそうに言うのだ。


「一緒に死んでくれるかい?」


それは懐かしい言葉。


殺し合いに消極的だったイリーナがコロシアムの頂点を目指す覚悟を決めたとき、自らの死が私の死に直結している前提から『戦う許可』をもとめた言葉。


あのとき私は、お安い御用よ。と、即答した。


戦わないで死ぬよりも戦って死ぬと誓った、それが私たちの約束だ。



わたくしはイリーナから手をはなした。否、引き剥がしたという表現が適当だ。


はなしたくない、二人を戦わせたくない、感情との葛藤から自由にならない指を力づくで剥がした。


「その質問への回答は、二年前にすませているでしょう?」


ふるえる唇をかみしめ、眉間に力を込めて、覚悟を涙で流して有耶無耶にしないように耐えて言った。


わたくしはもう騒がない、喚かない、抗わない。


ただ、イリーナが私のためにしてくれる事のすべてをこの眼に焼き付けるだけ。


あのとき反故にした一番大切な人との約束を今度こそ誓おう。


「イリーナ、わたくしはどこまでだってあなたについて行くわ」


無力な私にできることは、あなたの覚悟に寄り添うことだけ。


イリーナは私を抱き寄せると額にキスをした。



決闘の場が整うと、中央でイリーナとヴィレオンが対峙する。


兵士たちがそれを円形に取り囲んだ。


わたくしはその輪よりも一歩まえで二人を見守る。


イリーナに切っ先を向けてヴィレオンがたずねる。


「望みは?」


処刑ならばこの段取りは必要ない、けれど決闘ならば勝者には報酬が与えられるべきだ。


そうしなければ真剣勝負に水が差される。


「自由を。それと、できることなら仲間たちの仇討ちを──」


この決闘はイリーナにとって必ずしも苦肉の策ではなかったのかもしれない。


ヴィレオンこそが黒騎士だ。


仲間たちを次々に殺していった正体不明の暗殺者、あの掴みどころのなかった黒衣の騎士。


イリーナはそれを承知で騎士団という巨大な隠れ蓑から宿敵を引きずり出し、直接対決へと追い込んだのではないか。


たった今、即興で。


自由の獲得と仲間たちの仇討ち──。


要求を聞いたヴィレオンは「欲張りだな」と言ってかすかに笑った。


イリーナの目的を確認し指示が出されると決闘開始のドラが打ち鳴らされる。


最後の戦いが始まった──。



厳かに、二人は長剣を構えて距離を詰めて行く。


イリーナの立ち姿は美しい、どれほどの修羅場をくぐってきただろう。


彼女はもはや剣士と呼んで差しつかえのない腕を身につけていた。

 

どちらかに挙動があるたび刺すような痛みが胸を襲う、まるで親兄弟が殺し合う現場を見守るしかないような心境だ。


ヴィレオン、彼は私の最大の忠臣であったとともに最大の敵でもあった。


存在があまりにも身近すぎて、まだ両者を重ねることができずにいる。


この期に及んで怒りや憎しみを抱けない、疑問が飛び交うばかり。


──ヴィレオンの真意はどこにあるのだろう。


彼の忠誠は国家にあり皇族たる私を護ってきた、けれどその存在が国家にとって癌であると判断して見限った。


あるいははじめから権力を得るための道具として利用していただけなのか。


義憤か、権力欲か、どちらにしても私の死を彼は望んだ。


父の時代、帝国最強の将軍としてヴィレオンは数多の奇跡を成し遂げてきた。


しかし家名に恵まれなかった彼はどんなに実績を積んでも騎士長よりも出世することはなかった。


フォメルスが騎士団長になるまでには彼の十分の一も功績を挙げなかっただろう。


理不尽に感じ野心を募らせていたかもしれない、フォメルスに従うより皇女を抱き込んだ方が可能性がある。


そういう算段だったのではないか。


そして私の処刑が済めば、彼は実際にこの国の最高権力を手に入れる段階に来た――。



人間は身勝手で強欲な生き物だ。


だからきっかけが野心だったとしてもかまわない、結末が裏切りであってもかまわない。


悲しいのは過程が失われることだけ。


芽生えたと思っていた信頼が幻想でしかない事実だけが耐え難い。


──私だけだったの? 心を通わせた気になっていたのは私だけ?



イリーナとヴィレオンの決闘は思いのほか長引いた、そして白熱していた。


目で追えぬようなヴィレオンの連撃をイリーナが捌ききったとき、客席は悲嘆の雄叫びを上げた。


事故現場の決定的瞬間に遭遇し、落下物に押し潰され死んだ。そう思った誰かが無事生きていたときのような強烈な安堵感。


わたくしはそれを味わいつづけている。


ヴィレオンが攻撃を繰り出すたび私の心臓は悲鳴をあげ、それをイリーナがやり過ごすたび目頭を熱が襲う。


「……イリーナ、凄いね。……とても、強くなったね!」


観客席の熱気は凄まじく、そこかしこで失神者が出るほどの興奮に包まれていた。


声援はヴィレオンにのみ捧げられ、悪役を演じるイリーナには罵声の雨が降り注いだ。


味方は無く。

策も無く。

精神的優位も無く。


剣一本、実力以外に頼るものが無い。


それでも死に物狂いが起こす奇跡か、イリーナは驚異的な集中力を発起していた。


きっと、これまでで一番強い。


こうもヴィレオンの攻撃を延々と捌きつづけることが可能なのか。


わたくしは目をみひらき指がくだけそうなほどに拳をにぎり込んで観戦していた。


一挙手一投足を見逃さぬよう、一瞬の決着を見逃さないようにと意識を集中した。


決着はいつも一瞬だ、それまでまったくの無傷でも人差し指ほどの傷で人は死ぬ。


何回も当てる必要はない、有効ひとつですべては終わる。


正々堂々、精一杯にやった。


だから当然、順当な結末を迎えるだろう。


そして必ずそのときは来る。


強者が勝って、弱者が負けるその時が――。



イリーナが一歩後退するとヴィレオンが一歩半踏み込んだ。


「あっ!」と誰もが思ったとき、イリーナの腹部に切っ先が触れ、それをヴィレオンは躊躇なく押し込んだ──。


一瞬の静寂、その光景に誰もが息を飲む。


五千人がまるで訓練された飼い犬の様に飼い主の合図を待っている。


勝利宣言という餌を味わい、一斉に歓喜する一体感に酔うために、快感を最高潮にするための『待て』だ。


引き抜かれた刃は根元までベッタリと血液が付着している。


そしてヴィレオンが剣を掲げると、観客はすべてを解き放つ。


大絶叫──。


五千人がヴィレオンの勝利を祝い、その名を繰り返しコールする。



「イリーナ!!」


決着を見届けた私は彼女に駆け寄った。


立っていることが叶わず彼女は地面に膝を着いた、立ちあがれずに尻餅を着きそのまま地面へと崩れ落ちる。


わたくしは地面とのあいだに膝を差し込むようにして彼女を受け止める。


「……お疲れ様、素晴らしい勝負だったわ!」


イリーナは呼吸荒く咳き込むと痛みに呻いた。


もはや身をよじる余力もなく、焦点の合わない眼は虚空を眺めている。


脱力し重くなっていく体を仰向けに寝かせ、両膝のあいだに頭を乗せた。


瞳からは生気が失せ、呼吸は弱まっていく。


貫かれたのは腹部の中央、大量の血液が衣装を真っ赤に染めていく。


鳴りやまぬ祝福の大喝采があまりに耳障りで私は叫ぶ。


「静かにしてぇぇぇッ!!!」


それは五千人の声にかき消されてしまったけれど、客席を鎮めるためのドラがヴィレオンの合図で打ち鳴らされた。


「イリーナ……?」


わたくしは苦痛の有無を確認すべく問いかけた、ためしたところで【治癒魔術】は発動しない。

 

身じろぎすらしなくなったイリーナ、その口内に血が溜まり溢れる。


わたくしはイリーナに口を合わせ、窒息で苦しい思いをしないようにと血を吸い出す。


口に含んだ血液を吐いて地面に吸わせる、そしてもう一度、今度は唇同士を重ね合わせた。


わたくしは満足し、膝に抱えたイリーナの頬や頭を撫で付けた。


彼女の顔は安らいだものになり、まるで眠りにでも着いたかのよう。


その愛しい死に顔にこたえる。


「当たり前じゃない、いつまでも一緒よ」


わたくしの勇者さまが手を差し伸べて、一緒に行こう。と、そう言っている気がした。



闘技場はいつのまにか沈黙に包まれている。


わたくしに猶予をくれているのか、見世物として楽しんでいるのか、そんなことはもはやどうでもよかった。


残すは私の処刑だけ。



「謀反人イリーナとの決闘る俺が制した!」


ヴィレオンが勝利宣言し、ふたたび客席が喝采を上げる。 


「──女王みずからが逃走するほどに我らの国は未曾有の危機に晒されている。


だが民衆よ、なにも案ずることはない。皇国はかならず我ら騎士団が護り抜く。


そして、ふたたび以前の栄華を取り戻すことをここに誓おう!」


これでこの国はヴィレオンの物になった。


彼の他にその役割を担える者はなく、観衆の気分を完全に取り込むことに成功したのだから。


「引きつづき謀反人の処刑を執行する!」


もはや誘導する必要もない。ヴィレオンが右と言えば右、左と言えば左だ。


熱狂に酔った人々が彼を押し上げる。


観客は繰り返す、殺せ!。と──。


わちくしはただ視界にイリーナを収めていた、そこに爪先が侵入してきたことでその主を見上げる。


ヴィレオンが私を見下ろしていた。


「死を目前に、これほど穏やかな表情の人間は見たことがない」


大陸一の騎士が言うのだ、よほど現場に不釣り合いな顔をしているらしい。


わたくしは答える。


「力が及ばなかったことは無念です。けれど、できる限りを足掻きました」


それに、わたくしはこの人とおなじところに行くだけだから。


やっと愛する人とゆっくり過ごすことができる、それ以外は些細なこと。


「未練は無いと?」


その質問に私はうなずいた。


ここに閉じ込められていた頃、わたくしは彼に殺される姿を何度も想像していた。


なにも無い──。


その苦痛が続くくらいなら終わらせてしまったほうが楽だと思えたから。


その必要なくなってから、そんな気休めが実現してしまう。


「望んではいませんでした。けれど、わたくしを殺すのがあなたであることが相応しいとは思います」


──なぜだろう、不思議だな。


たったいま最愛の人を殺されたというのに、わたくしはこの男を憎めない。


ヴィレオンは眼前に膝をつく、そして発した言葉は私を驚かせる。


「俺は、生涯あなたの忠臣でいたかった……」


その言葉で私はどれほど救われただろう。


──良かった、過ごした日々にうそは無かったんだ。


それなら良い、最後がどんな幕引きになろうとも。


「どうか、アシュハの人々を幸福へと導いてください」


微笑みながらそう言った。


彼にゆだねて逝くのだ、もうなにも心配はいらない。


きっと、これがこの国にとって最良の選択。


客席からは『ティアンを殺せ』という声がくりかえされ、処刑を急かしている。



「陛下、ご容赦を……」


許す必要などない、わたくしが役割をまっとうできなかっただけの話──。


「アナタは自らの正義に従ってください。わたくしの望みはたった一つ、この人とおなじ所に行くことだけ」


ヴィレオンは左手で私の肩を掴み、右手の剣を肋骨の下あたりに押し当てた。


苦しまないようにという配慮、心臓をつらぬいて確実に命を絶ってくれるみたいだ。


こんな優しい殺し方のどこが処刑なのだろう。


刃が押し込まれる──。


わたくしはそれを受け入れた。


痛みはない、ないと言うよりは想像に足らなかった。


人間が知覚可能な痛みの上限は決まっているのだろう、胴体を刃が貫通するに等しい痛みを私はすでに味わっていたらしい。


切っ先が埋まってゆく。


わたくしが真っ赤に染まってゆく


どこか開放感に包まれながら、わたくしはこの先にいるイリーナとの再会を夢想していた。


ヴィレオンが剣を引き抜くと、支えを失った私の体は前のめりに倒れた。


イリーナに折り重なり、そして目を閉じる。


まるで添い寝をする姉妹のように、幸せな夢の世界に旅立つように──。



『ティアン・バルドベルト・ディエロ・アシュハ四世。  国家反逆罪により死刑』


この日を最後に歴史書にアシュハ四世の名が記されることは無かった。


これは私が死ぬまでの物語。

これは私の愛した勇者の物語。


そして、夢のように幸福な二人の恋の物語――。





『暗愚の女王と愛しのグラディエーター』終幕。

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