暗愚の女王と愛しのグラディエーター  soiree

一幕

一場 皇女らしさ


「どうしたら皇女らしくなれるかって?」


イリーナが質問を復唱し、わたくしはコクリとうなずいた。


コロシアム解放からひと月、八年間の監禁生活から解放されたわたくしの立場はアシュハ皇国初の女性君主(予定)である。


譲りうけた国王の執務室でわたくしは途方に暮れる日々だ。


「はい、どうしたらいいのかしら……」


わたくしは親友たるイリーナに真剣に悩みを相談していた。


先日解放されたからといってすぐ主権をあたえられるという訳にはいかない。


現在は勉強期間であり騎士団、元老院、教会の三大機関より指導を受ける身だ。


そんななか誰もかれもが口をそろえていう一言が、皇女らしくない。なのである。


「ティアンは皇女というよりはしつけのいきとどいた子犬だもんね」


「ひどい、らしくないどころの落差じゃないわ!」


抗議するとイリーナは「お手」といって手をさしだしたので、反射的にその上に手をかさねた。


「ほらね?」


「完全に誘導された!」


距離感のことを子犬っぽいと言うならばそれは彼女に対してだけだ、ほかの人物に対しては野生のリスみたいに距離をとっている。


「イリーナは意地悪なところが猫っぽいわ……」


「猫は意地悪じゃないよ、臆病な動物さ」


イリーナはたまたま掃除にきていた新人の女中にたずねる。


「サンディはどう思う?」


その質問を受け、皇女さまのそばが一番仕事をサボれることを発見しました。と言って近づいてきた女中は答える。


「明日にでも国がほろびる訳でもあるまいし、のんびりやればいいんじゃないですか?」


じつにのんきな回答だ。


たしかに三大機関がそれぞれの役割をまっとうしている現在、運営は滞りない。


わたくしの存在はとりあえず向かう方向におかれた石ころみたいなものだ。


「能力や性格はとつぜん変わるものじゃないからね」


イリーナのそれはいちおうはなぐさめの言葉。


──でも、このままではいられない。


百人あったら百人が『らしくない』と批難する、それであらためないようなら怠慢をうたがわれても仕方がない。


「わたくしは真剣なのです」


言って頬をふくらませると、イリーナな答える。


「人の期待にこたえられないことは怖いよね」


わたくしはキョトンとする。


──役目をまっとうできないことではなく、期待を裏切ることが怖い?


ちがいがよく分からない。


そもそもが役目をあたえられていない現状にわたくしは問題を感じ、あせっている。


イリーナは「うーん」と思案してから提案する。


「形から入れば?」


「形から……?」


わたくしは具体的な助言をもとめた。


「そうだね、日頃だらしないやつでも正装をすれば背筋が伸びるでしょ」


中身が外見にひっぱられるということらしい。


ヒールの高い靴をはけばふだんより気をつけて歩くし、強い武器をもてば気が大きくなる。


「でもイリーナ、服飾品などはすでに立派なものを身につけさせてもらっているわ」


サンディが提案する。


「ティアン様が多用している。よろしくお願いします、申し訳ありません。あたりの言葉を封印してみては?」


イリーナが賛同する。


「たしかにそれだけでだいぶ卑屈さが抜けるね、言葉づかいを変えていくというのはありかも!」


わたくしはイマイチ要領を得ないままフンフンとうなずいた。


「具体的に、君主らしい言葉づかいとはどんな風かしら?」


イリーナが首をひねる。


「知ってる王様の真似から入るしかないんじゃん?」


「でも、わたくしがまのあたりにした君主といえばフォメルス王くらいしか……」


皇帝だった父がどんな口調だったか、さすがに七歳の頃の記憶は曖昧だ。


わたくしに対しての態度と臣下に対する態度もまた違っただろう。


フォメルスの名を聞いたサンディが「ハードル高いですねぇ」と、冗談として流した


まったくだ、彼のモノマネなんてできるはずがない。


「やはり無理が──」


「いや、やろう!」


と、なにを思ったのかイリーナは乗り気だ。


「……なにを?」


耳をうたがって振り返ると彼女は身をのりだして答える。


「フォメルス王の模倣!」


「むりっ! むりですっ!」


イリーナの表情が本気のそれだったのでついつい敬語になってしまった。


「無理、できない。というのは嘘つきの言葉なんだよ?」


「うわっ、人でなしの発言だ……」


その言葉にサンディがにがい表情を見せた。


「それは妄言だとしても、やってムリと言うのと、やらないでムリというのはまったく重みがちがう」


イリーナは腰に手をあててつづける。


「──やってできたら進展、できなくても停滞。やるやらないは自由さ、でも、やらないってことはステージにあがる資格がないってことなんだぜ?」


──ステージに上がる資格……。


そうまで言われて否定する理屈はない、わたくしは覚悟をきめて血の宿命に従ったのだから。


「やるだけやってみる!」


にぎりこぶしを二つ、胸のまえつくって気合いを入れた。


「じゃあ、声だそうか?」


「なぜ?」


反応してすぐに意図を理解した、フォメルス王はわたくしみたいにボソボソとは喋らない。


「声が小さい動物は舐められる。フォメルスが軍隊でも王様でも強権をふるえたのは声がでかいからだ、現場では正論よりでかい声のほうが強い!」


正論よりデカい声が強いなんてなんだか暴力じみていて悲しい。


でも、たしかにわたくしも強い声の相手には意見を引っ込めるだろう。


「笑い声から真似るよ」


言って一呼吸するとイリーナは笑いだした。


「──フハハハハハハハハハッ!!!」


「おお、すごい」


その声量にサンディが感嘆の声をもらした。


イリーナは見事な高笑いを披露すると今度はわたくしに対して「はいっ!」と、真似るようにうながした。


「……ふ、ふひハフッ。むりです! 恥ずかしいです……!」


「恥ずかしいことは、恥ずかしがりながらやるのが一番恥ずかしい!」


誰よりも温和で一度もわたくしを怒ったことのないイリーナが! 軍隊のように厳しい!


わたくしはショックを受けた。



するとノックもなく扉が開け放たれ、アルフォンスが飛び込んできた。


「皆さん、こちらにおいででしたか!」


それをイリーナがとがめる。


「おい、ノックしろッ!」


「ノックをしたらラッキーアクシデントに遭遇できません」


アルフォンスは当然らしく反論した。


はたして狙って遭遇したものをアクシデントと呼んだものだろうか?


「……なにか用?」


イリーナがたずねた。


「なにもありません。強いて言うなら、ティアン嬢と勇者様がいる空間の空気を吸うのが大好きです!」


回答を聞いてもなにが目的なのかさっぱりわからない。



「うぇぇぇ、この気色わるい男はなんですかぁぁぁ?」


アルフォンスを見たサンディが最大限の嫌悪をふくんだ声でたずねた。


「アルフォンス様です」と、紹介すると「ああ、あの……」と、サンディは合点がいったらしい。


──あの?


彼女がどんな風評を耳にしたのかはしらないけれど、好意的な内容ではなさそう。


「私のことは気にせず、どうぞつづけてください」


イリーナの高笑いを聞きつけたことで楽しいことでも起きたとかんちがいして参上したみたい。


わたくしは訓練の中断を打診するつもりでイリーナを見た。


しかし彼女はキリリとしたまなざしで言うのだ。


「適当なのが来た、いまこそ修行の成果をためすときだ!」


「イリーナ、その記憶はないわ」


そんな免許皆伝みたいな言い方をされても困る。


しかし、彼女は引き下がらない。


「えらい人らに披露するまえに虫けら相手に練習したほうが気が楽でしょう? それともぶっつけ本番でいく?」


──すぐにやるとは聞いてない!


わたくしは涙目になりながらイヤイヤと首をふった。


「よし。じゃあ、いまからティアンはフォメルス王だからね。クオリティは気にしなくていいから自由に演じてみて!」


うむをいわさぬこの押しのつよさ。


わたくしは羞恥に破裂しそうになりながら言葉を発する。


「えっ、はっ、わたしはふぉまるるすおう!」


「で、大前提として絶対に守ってもらいたいんだけど。ボクが終了の合図をだすまで絶対に止めないで」


「えっえっ、止めたらどうなります!?」


「ブチ切れる」


「理不尽!」


──そしてシンプル!


「いいね?」


返事は、ハイのみ。と、やさしい顔につよめに書いてある。


「えとえと、その、心の準備を──」


「じゃあ、アルフォンスに対して挨拶から、ハイッ!」


する間もなくイリーナは開始の号令を発した。



「あ、挨拶……えと、わたくし、じゃなくて、余ならばなんと言いま、言うだろうか?」


挨拶の言葉すらでてこないわたくしにイリーナが小声で助け舟をだす。


「ひれ伏せ愚民よ」


「へっ?」


フォメルスはたしかに尊大な人物だったけれど、そこまでエキセントリックな人柄ではなかったように思う。


本音と建前をつかい分けられる人だった。


「いいからやる!」


そして返事は、ハイのみ。と、顔に書いてある。


──暴君だわ!


「……ひ、平伏しせ、ぐ、愚民?」


「そんな王様はいない!! もう一度!!」


「で、できませ……!」


音をあげようとすると即座にイリーナがさえぎる。


「サンディ、指導用のムチを」


そんなもの、わたくしの部屋にはない。


「はい、どうぞ」


サンディがすみやかにムチをイリーナの手におさめた。


──新米女中!?


イリーナがひゅんひゅんとムチのふりごこちを楽しんでいる。


わたくしは覚悟を決めて力のかぎりに叫ぶ。


「ひれ伏せ愚民!!」


絶叫のあとの余白をサンディのかわいた拍手が埋めた。



「おほっ、なんです?」


アルフォンスはとつぜんの暴言に驚いたり気分を害したりすることなく喜んだ。


「いいから王様ごっこに付き合え」


イリーナが状況を簡潔に説明するとアルフォンスは「なるほど」と、即座に理解して対応する。


「はいぃぃい!!」と言って、わたくしの足元に躊躇なくひれ伏した。


正直、かるく恐怖をおぼえた──。



「……つ、つぎに余はどうすれば?」


わたくしの疑問にイリーナではなくなぜかアルフォンスが答える。


「地面にひたいを擦り付けたみじめな私を罵倒するのではないでしょうか! 王ならば!」


知らなかった!?


でも、フォメルス王はわたくしやイリーナにそれに近しいことはしていたように思う。


「……なんと言ってののしれば?」


──どうしよう、そんな語彙力のひきだしはない。


困惑するわたくしにアルフォンスが提案する。


「豚で! 豚がお似合いかと!」


「えっ、なぜ豚なのです?」


ええと、人を家畜と揶揄することは失礼なことで、だからこそ屈辱感をあたえるのに適している。


そういうことでいいのかしら。


「──だって、なんのために屈辱感をあたえるのかわからない……」


なぜかサンディが答える。


「屈伏させるためです!」


──それは常識なの?


こんなわけの分からないことを、みんなが共通認識みたいにしているのが怖い。


躊躇しているとイリーナが怒鳴る。


「豚がいやなら代替えのアイデアだして!」


わたくしはあわてた罵る。


「では、豚で! この豚め!」


そしてアルフォンスがそれを絶賛する。


「そうですっ!! あっ、いいぞぉこれ!!」


わたくしはもう恥ずかしさやらなにやらでわけも分からず指示に従う。


「つ、つぎに余はどうすれば?!」


「踏んで! 頭を! 踏みますよ、王ならば!」


「えっ、なんのために!?」


「踏んで、このマゾ豚が!! と言って罵るのです。さあ!!」


なんだかわからないけどアルフォンスは必死だ。


「踏まないなら代替のアイデアをだし……ブフッ!」


「いま笑った?!」


真剣にやっているのに水を差された気がしてイリーナを振り返った。


「……いいや」


笑ったかと思ったイリーナは真顔だ。


サンディはなぜか顔面を両手でかくして肩をふるわせている。


「まだ、終わりの合図は出してないよ?」


「……う、うむ」


笑われたのは気のせいだったと、わたくしはあらためて足もとのアルフォンスを見おろす。



「踏み、余は踏むぞ! いいんだな、余は! 踏むからな! 余、余はっ!」


「YO、YOって……ラッパーか……ッ!」


──イリーナがなにか言ってるけど意味わかんない! わかんないYO!


「このマゾ豚!」


わたくしは一念発起でアルフォンスの頭を踏みつけた。


その瞬間、イリーナとサンディが爆笑してひっくり返る。


「はわぁぁぁ! 靴ぬいで踏んでるぅぅぅ!」


「無理ですぅぅぅ! これは無理ですぅぅぅ!」


「やっぱり笑ってるじゃないっ!!」


なにを笑われているか分からないけど死ぬほど恥ずかしい。


そしてなぜかアルフォンスが激怒する。


「足をどけるなぁぁぁ!!」



その瞬間、時間が止まった――。


執務室に入室してきたチンコミル将軍と目が合ったのだ。


将軍のうしろには見知らぬ若い騎士が控えていた。


場の硬直をやぶって将軍がたずねてくる。


「……なにをしているのですか?」


わたくしは答えに窮する。


アルフォンスの頭を踏みつけたこの状況をどう説明したものか。


状況説明のために一旦、演技をやめるべきだろうか。


しかしイリーナから終了の合図はない、続行しろということだ。


わたくしは気を引き締めてチンコミル将軍に向きなおる。


「なんの用だ、うかがいも立てずに入室するとは不敬であるぞ!」


──いまの、それっぽかったのでは?


けれどこの状況はなんだろう、心臓が破裂しそう。


「失礼しました、ドアが開け放たれ叫び声が聞こえましたので有事かと」


死にたい!! という感情で溺れ死にそう。


きっと人は羞恥心で命を絶てる。


「……ふっ、余を心配するなどと上からものを言うではないか」


わたくしは必死に冷静をよそおった。


「そりゃ、心配しますよ」と、サンディ。


フォメルス王の模倣は心身共に過酷な負担を強いた、いまにも砕け散りそうだけれどわたくしは『中断するな』という指示を尊主する。


「陛下はどうされたのだ?」


話が通じないとでも言いたげにチンコミル将軍はわたくしを飛び越えてサンディにたずねた。


「フォメルス王ごっこです」


サンディの一言に反応し、チンコミル将軍のうしろに控えていた従者らしき青年がわたくしを凝視した。


強い殺意の眼差しで。


「……将軍、その者は?」


恐怖のあまり青年から視線をそらしつつたずねた。


「陛下にぜひ紹介しようと、この者はフォメルスの次男レイクリブです」


そして若い騎士の殺意の理由に思いいたった。


彼はこのつたない芝居を見て、わたくしたちが死後も父親を冒涜していると誤解したのだ。



「ち、違うんです! も、申しわけあ――!?」


謝りかけて思いとどまった。


──まだ、イリーナから終了の合図がだされていない!


「……フッ、そうか、誠心誠意、余に尽くすがよ──」


「レイクリブ、なにをしている! ただでは済まんぞ!」


レイクリブが腰の剣に手をかけ、チンコミル将軍が即座にその手を押さえつけた。


一触即発──。

 

「……イリーナ、もうよいのではないかな?」


わたくしはレイクリブからは目をはなさずイリーナに緊急事態を伝えた。


「将軍、いまから起きることを罪に問うなとは言いません。ただ、止めないで頂きたい。この女の息の根を止めたあと、いさぎよく我が命を断つ覚悟」


レイクリブの表情はすでに怒りすら失われ完全な無表情、すべてを捨てる覚悟ができた者の顔だった。


「イリーナっ!! 終了……」


わたくしは助けを求めてイリーナを振り返った。


「――の合図?」


しかし室内にイリーナとアルフォンスのすがたは見当たらなかった。


──あれっ?


サンディに目を向けると彼女は扉のほうを指差し首を横に振った。


イリーナとアルフォンスは彼が何者か知っていて、一目散に逃げ出していた。


──ひどい!! 終了の合図をまっていたのに!!



その場は将軍によってことなきを得ることができけれど、それが尾を引いてイリーナとわたくしに対するレイクリブからの不信は積った。


そして彼との冷戦状態は半年ものあいだ続いたのだった。



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