二場 遠くへ行ってしまった。


意識を失っていた――。


わたくしはサンディの死をまのあたりにしたショックで、その後の出来事のなにもかもを意識に組み込むことができなかった。


放心状態でただただ時を過ごし、気づけば意識はなかった。


彼らがなにをわめき散らしていたのかも分からなかったし、瞳がなにをうつしてそれを脳がなにと判断したのか、それさえも分からない。


ながらく暴行を受けていた、それは理解できた。


痛覚が悲鳴をあげつづけていたし、その結果として肉体が破壊されているのだから。


どうせ泣いてもわめいても彼らは止まらない、そうなるともはや痛みの信号を受けとるのも億劫になってしまった。


サンディの時とおなじく勢いあまった一撃が入ればわたくしの人生はおしまい。


だから完全に視界が暗転したとき、ふたたび意識をとりもどす予定もなかった。


でも、どうやらまだ生きている――。



「――――きろっ!」


誰かが怒声をあげて、わたくしのおそらく脇腹あたりを蹴った。


蹴られた部位よりも痛む箇所が多いため、打撃された部位の特定ができない。


殴打された瞼が腫れあがって視界がせまく、正面に立つ男の足もとがぼんやりと見えるだけ。


「――より――ない、見た目だ――」


耳が遠とおい、誰? なにを言っているの?


視線を自らの体に落とせば、色とりどりの痣が全身を彩っている。

尖ったもので殴られた部分は黄色に、平たいもので殴られた部分は青に染まる。


裂傷から滴る鮮やかな赤と内出血の濁った赤、わたくしは白地に赤、青、黄、黒のマダラ模様。



「……殺すのでは?」


しゃべると口のなかに血が溜まる、溺れないようにわたくしはそれを飲みほした。


「放って――も、死ぬ――」


いまのはだいたい聞き取れた、放っておいても死ぬ。だ。


おかしな返答だ、万が一にも生かしておくわけにはいかないのだから放っておくという選択はないだろうに。


──わたくしはなぜ、生かされている?


すぐそこにサンディの遺体が転がっている。


死後ももてあそばれていた痕跡があるけれど、頭部だけは布をかけて隠されていた。


供養か。いや、死に顔を見ながらでは行為がはかどらない者でもいたのだろう。


よく見えないけれど奥に転がっている黒いものがニコランドの遺体。


けっきょく彼は何者だったのだろう、なにが目的でわたくし達に同行していたのだろう。


もはや知る術がない。


皆、遠くへ行ってしまった。



「立て――ちだ」


立て? 無理を言う。


まばたきすらも痛みをともなう、泣いたりわめいたりしても自分を痛めつけるだけ。


わたくしは無視してその場にとどまった。


呼吸をふかくすることだけが気をまぎらわせる唯一の手段、それすらも鼻から眉間に抜ける激痛と肋骨のきしみを誘発した。


指示に従わないわたくしを騎士は強引に引き起こす、鎖骨が折れていることを確信させられる。


わきのしたに手をとおして強引に持ちあげられたけど、膝が立たずにすぐに倒れこんでしまう。


「立てっ!! 隊長――だっ!!」


放っておいて。もう、死なせて――。



動け、動けないと押し問答をしていると頭上から聞きなれた声が降ってくる。


「ご機嫌――、陛下?」


ダーレッド・ヴェイル。


我々の目的は完遂された、あとはおまえの死を確認して帰還するだけだ。


そんなことを言っているようだ。


──殺すなら殺せばいい。


てっとり早いのはダーレッドの感情を逆なでする言葉でもぶつけることか、それが決定的であればきっとトドメが刺されるはずだ。


的確な言葉をえらぶために朦朧とする意識で彼の声に耳をかたむける。


自身の呼吸音がうるさい。


「――だ。――ろう?」


地図の終わりがすぐそこまで来ている、物見遊山に魔具とやらを見物していっても一興だ。と、そう言っているようだ。


なるほど、このさきの扉を開けろと言いたいらしい。


魔具への好奇心でわたくしを生かしているようだ。


古代神聖文字で封印された扉、こんなことなら開くたびに逐一閉じて進めば良かった。


内側から開けられる確証はなかったし退路を塞ぐようなことをするはずもなかったけれど、そうしていれば最悪でも共倒れにはできたのに。



「おまえもそれを確認してから死んだほうが未練がないだろう?」


大分、音をひろえるようになってきた。


生命力とはすごいものだ、わたくしはもう諦めているのに体は回復に向かおうとしている。


──なんのために生きようとしているの。


──それは殺意を成就させるためだよ。


「…………?」


わたくしの疑問に何者かが答えたように感じた、ダーレッドやそれに従う騎士たちではない。 


ふとニコランドを振り返る。


その動作がスムーズにできたことが滑稽だ、サンディを壊した教訓をいかして騎士たちは随分と首周りに気を使ってくれたようなのだ。


どうせ殺してしまうのに。


ふたたびニコランドが語りかけてきた可能性を考えたが、彼は動かない。


故障だらけのカラダだ、幻聴である可能性のほうが高いではないか。


それにはすぐ答えがでる。


──死んだほうが楽かもね。でも、生きれば彼らを殺す機会がおとずれるかもしれないよ?


なんのことはない、それはわたくし自身の声だ。


思考するときに頭にひびくいつもの声。


そうか、わたくしが言うのだ。生きて殺意を成就せよと。



「生きたい……」


わたくしはつぶやいていた。


それはダーレッドに対して発したわけではなかったけれど、彼はそれを命乞いと判断する。


「つづけろ、そうすれば目的の魔具とやらを拝ませてやる」


屈辱的な命乞いをしたところで扉の封印を解くまでの猶予があたえられるだけ。


けれど、それまでに好機がないとは限らない──。


わたくしは頭をさげた。


「ダーレッド……、殺さないで」


「不服だな、おまえはまだ自分の立場が理解できていないようだ」


へりくだれ、ということか。


ここまでやってまだ貶めたいというのは驚きだ。


立場が逆転したとき彼らはどうするだろうか。


悪気はなかった――。


誰かのようにそう言うだろうか。


魔具の状態によっては逆転の可能性があるんじゃないだろうか。


もしそれが強力な魔術を行使できるものならば、彼らを道連れにすることが可能なのではないか。


「次期アシュハ王ダーレッド・ヴェイル様……わたくしを殺さないでください」


恥も外聞もかなぐり捨てて、わたくしは仲間たちの仇に懇願した。


「聞こえないなぁ」


「ダーレッド様、惨めなわたくしにどうかお情けを」


そう言ってひれ伏した。


その体制が楽だった、傷みきった体で声を張るには地面に寄り掛かる必要がある。


「ハハハッ、まあ及第点か。女王もほかの凡庸な女どもと変わらないということが分かってスッキリしたよ。


どんなに正論で説いても聞き分けなかった低脳の分際で、殴れば王座も明け渡す国賊だと」


そう言って、見ろと配下に支持すると騎士たちはいっせいにわたくしを笑いものにした。


ダーレッドはすっかり気を良くして語る。


「女は本当に救いようがないよな。能力においてはるかに劣る分際でありながら自らの優位性を疑わない。

なにより愚かしいのは理屈を解する力がないということだ。つまり、知性に訴えても無駄、まったくの時間の浪費だ。


そんな時は暴力だよ、人間としてあつかっても聞き分けないくせに家畜と同様にあつかえば従順になるのだから」


すごいな人間は──。


想像をはるかに下回る、期待を際限なく裏切ってくれる。


「感謝しろ、貴様ら低脳動物は我らの温情によって生かされているのだ」


「ありがとうございます……」


家畜同様にあつかった結果、どうなるかを存分に思い知るといい。



わたくしは生き長らえた──。


ダーレッド達の好奇心を満たす手段としての存命を許された。


最下層にたどり着いた地下迷宮をふたたび最深部まで目指す。


そしてもう帰り道の心配はしなくていい──。


ここからが他人に頼りきりだったわたくしの本当の戦い、最後の戦いだ。



ボタンがすべてはじけ飛んでしまった上着の裾をしばり、捨てられていた下着をつける。


指が数本折れていて、その程度のことにずいぶんと難儀した。


なにかを杖にと思ったけれど、ものを握ったり腕で体重をささえるといった行為はもはや不可能だ。


痛み自体は分散しているおかげで気にしないでいられた。


けれど折れた鎖骨や外れた股関節、割れた足の甲、伸びきった膝の靭帯などが仕事をしてくれない。


わたくしは壁にもたれて立ち上がる。


立っていることは苦しいが、地面を引きずるより壁に体重をあずけたほうが前進できそうだ。


一歩、一歩、進むと、騎士たちが冷やかしの拍手を浴びせる。


その程度の音も痛覚を刺激するような気がした。


「さて、行ってきますサンディ……」


わたくしは最後にもう一度だけその遺体を拝んだ。


──あちらで会いましょうね。


彼女をこのまま放置するのは気が引けるけれど、ダーレッドたちは埋葬を了承しないだろう。


一人でも多くを道連れにする、それが最高の弔いだとみずからを納得させた。


最後の扉に向かって調査隊は歩き出した。



『やあ、はじめまして。かわいそうな少女』


また、声が語りかけてきた。


味方がいなくなってとうとう心の声と会話しはじめた自分をあざけながら答える。


──はじめまして、わたくし。


『あら、私はあなたではないわ』


どうやら本格的に頭がおかしくなってしまったようだ。


心の声とはなしているくらいならまだかわいいところを、声はべつの人格を主張しだした。


──では、どちら様かしら?


声は答える。


『私はあなた達が悪魔と呼ぶ存在、この地下迷宮でもっとも邪悪な存在をさがしていたの』


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