終幕

ダーレッド・ヴェイル


「自分がなにをしているのか、理解しているのですか……?」


民衆に精神の安寧をとりもどすための結婚と思えばこそ悩んだ。


目指す道はおなじだと信じたから譲歩してきた。


しかしすべては権力欲に駆られたもので手に入れるためには手段を選ばない。


ついにはしびれを切らして任務中の暗殺を画策、実行したと言った。


ダーレッドは非難を気にかける素振りも見せない。


「おまえがいなくなれば名実ともに父が最高権力者だ、皇帝の血筋はおしいが女はおまえじゃなくても構わない。


ポイントはひとつ、殺したのが我々だと知られなければそれだけでいい。それだけで自然と全権は父に移行されるんだからな」


元老院の壊滅により軍事と政治は一本化され、教会の壊滅により対抗勢力のなくなった現在、わたくしがいなくなれば寄る辺を失った民衆たちは騎士団長ハーデン・ヴェイルにすべてを一任する。


しかし、女王を暗殺したことが知れれば話はべつだ。


地方の有力者たちからは不信を買い、民衆の信心は得られず、反旗をひるがえしたヴィレオン将軍に対する追い風にもなりかねない。


それを調査中の事故に偽装することで解消するつもりだ。


思えばメジェフ騎士長らの反対を押しきれたのは、ハーデン団長の積極的なあと押しがあったおかげだった。


はじめから暗殺をおりこんだ計画だった、そんな場所にノコノコとついてきた。


聖騎士にあやかって編成した十二人にわたくし達がふくまれていないことも、はじめから生きてかえす気がなかったからだと勘ぐってしまう。


強力な戦闘要員のニケが部隊に編成されていなかったのは、彼女がわたくしの暗殺に加担するわけがないから。


調査をあんなにも楽しみにしていたイバンがあらわれなかったのは、邪魔になるのを見越してさきに始末されてしまったからなのかもしれない。



「ティアン様、逃げて!!」


サンディが深手の完治もまたずに叫んだ。


そんなことを言われても彼女をのこして立ち去るなんてできない。


もとよりダーレッドは逃げられないことを見越して計画を実行に移したのだ。


「逃げられるものか、この地下ふかくから無力な小娘がっ! そんなことより自身の心配をするんだな!」


深手をかかえて立ち上がれないサンディを騎士たちがとり囲む。


「さんざん生意気な態度をとってくれたが、おまえは邪魔だよ」


心底いまいましげにそう言ってダーレッドは騎士たちに命令する。


「その女は処刑だ、殺せ! しかしただでは殺すなよ、まわせ! なぶり殺せ!」


「やめろ!! はなせ汚らわしい!!」


巨漢のデルボルトがサンディの頭部を鷲掴みにして地面に押し付ける。


彼女はその腕力になすすべもなく捕えられ、衣服を力まかせにむしり取られていく。


「いやだッ!! やめろぉぉぉ!!」


騎士たちは激しく抵抗するサンディを多勢で押さえつけ暴行をくわえる。


それを引きはがそうとするわたくしをダーレッドが取り押さえた。


ダーレッドはわたくしの手首を乱暴にひねりあげ、もう片方の手でカラダをまさぐる。


力づくで胸を揉みしだかれた痛みにうめく。


「んッ!」


わたくしは身をよじってその腕をのがれ彼の顔を叩いた。


「──無礼者ッ!!」


すると間髪入れずにダーレッドが拳をわたくしのほおに叩き込んだ。


強い衝撃になぎ倒される。


「なにを驚いている? 手をあげればやり返される、当然だ」


そう言ってダーレッドはわたくしの腰のうえに馬乗りになった。


隙間なく圧迫されあおむけのまま逃れることができない。


「どいてっ!!」


その膝を殴りつけるとふたたびゲンコツがわたくしの顔面を打ち据えた。


するどい痛みが眼底ではじけて頬骨を骨折したことが分かった、表情を緊張させるたびに眼下を激痛がはしる。


「さあこい、正々堂々勝負といこうではないか」


ダーレッドはわたくしの反撃を待っている、手をだせばやり返すぞと威圧してきている。


わたくしは躊躇した。手を出せばまた、あの大きくて硬いこぶしに顔面を殴打される。


恐怖のあまり「くぅ……」と、情けない声がこぼれた。


どうしようもなく屈辱的だ。


「いやだ! やめて痛い、痛いのッ! やだやだやだッ! やだぁぁぁぁッ!!」


サンディの悲痛の叫びに耐えかねてわたくしはもう一度ダーレッドの太腿を殴る。


しかし通じないと分かっている一撃、はなてば反撃があると分かっている一撃は萎縮してしまう。


わたくしの拳が触れると彼は思い切り腕を高く振り上げた。


あわてて顔面を両手でかばう。


しかし彼の一撃はわたくしの腹部に打ち込まれた。


「ンンンッ!? ぃぎゅうぅぅ……ッ!!」


内蔵を打撃されて言葉にならないうめき声をあげた。


ダーレッドの体重に押さえられ反射に体を丸めることすらできない。


「どうした、もうあきらめるのか? おまえの大切な女中が大変な目にあっているぞ?」


挑発されてももう立ち向かうことができない。


だって、はむかっても事態は好転しない、それどころか悪化するということを体がおぼえてしまった。


「それが屈服だよ陛下。ハッハッハッ、なにが女王だ。脆弱な雌じゃあないか。我々よりもはるかに劣る低脳動物が、ずいぶんと調子にのってくれたものだなぁ」


サンディがどんな目にあわされているのか、ダーレッドが邪魔で視認できない。


悲鳴だけが絶えず耳にとどいてそれが拷問のように耐えがたい。



「……許して。……もう許して!! 痛いの、無理! もう無理やだやだ駄目だってばぁッ!! 痛い痛い痛ぁぁぁいぃぃぃ!!」


いつも気丈なサンディがむせび泣いている。


一際小柄な女子を、屈強な男たちが寄ってたかって傷めつけている。


なぜそんなことができるの?


彼女の知識と行動力に救われ、彼女の魔術で傷を癒してここまで来れたのに──。


ダーレッド越しにデルボルトが巨漢を激しく振動させ、獣じみた汚らしい喘ぎ声をあげている。


サンディが泣き叫び、騎士たちがそれを見て愉快そうに笑っている。


笑っている──。



「お願い、サンディを解放して!!」


「ダメだね、全員が満足したらその場で殺す。絶対に、変更は認められない」


ダーレッドからは一切の譲歩はないという意思を感じる。


要求がとおらないことを思いしったわたくしは、ただ「ひどい……」とつぶやいただけ。


「ハッ、ひどいことなどあるものか。これが人のあるべき姿さ。そんな当たり前のことすら手を汚さないできた女王様は知らないんだな。どこの戦場でだって、この光景よりもずっとひどいものが見られるのに!」


心底見下げはてたという表情でダーレッドはわたくしを見おろした。


すぐにサンディを助けたいのに体が動かない。


抵抗すれば制圧されることが確定しているから、どんなに頭で命じても信号が手足にとどかない。


いっそのことダーレッドから手を出してくれれば、呪縛がとけて無謀な行動にもでれるのに。


それがわかっているからダーレッドはあえて手を出してこない、そうやって支配している。


だから、彼は自信をもって言えるのだ。


「善も悪もない。強いものは栄え、弱いものはそれに委ねて生きるのだよ」


もはや完全に勝ち目を失った相手をあきらめ、わたくしは騎士たちに呼びかける。


「あなた方は、それでも誇りたかきアシュハの騎士なのですかっ!」


皆、志をもってその名誉ある称号を受けたはずだ、洗練された自らであるべく己を高めてきたはずだ。


「アシュハに忠誠を誓ったことを誇りに思っているならば、いますぐ野盗にもおとる行為を中断してくださいっ!」


しかし返ってきたのは嘲笑のみ。


「無駄だ、人は損得に敏感な動物だよ。おまえに従っても得るものがないことを彼らはよく理解している。


それに、勝利は気持ちがいい。誰だって勝てるほうに加担したいにきまっている」


ダーレッドはわたくしの上で悠然と持論を述べる。

  

「──ああ、楽しいなぁ陛下。この世でもっとも気持ちが良いものは勝利だ。うん、最高の気分だ」



バキリ――。


聞いたこともない音が空間に鳴り響いて、その迫力に背筋が冷えた。


それをサンディの絶叫が追従する。


叫んだあと、ヒィヒィと呼吸のみだれる音が鳴りつづけた。


「一気に骨をへし折ったときの音は、慣れない人間が聞いたら驚くくらいに高らかに鳴り響く。


多少こわしても魔術でもとに戻るからな、いたぶりがいがあるなぁ修道士様は」


──ごめんなさい。ごめんなさいサンディ。ごめんなさい。ごめんなさい……。


「それが敗北の味だよ、アシュハ四世陛下」


「わたくしならなんでもします、サンディを解放して……」


もう耐えられない、気が狂いそうだ。


「そんなにオネダリをしなくてもすぐにおなじ目に合わせてやるさ、俺に向かって尻をふる姿を皆に披露するんだな。


おい、お前ら! お高く止まったアシュハ女王が雌に落ちる姿を見たいだろう! フフハハハハハッ!」


本当に、本当にこの男は、心からこの状況を楽しんでいる。


これまでに見せた献身や、しおらしい態度や、打ち明けたコンプレックスも警戒をとくための手管でしかなかったのだ。


「──そうだ、黒騎士に警戒しろと言っていたか?」


「……くろ、きし?」


なおもわたくしを苦しめようと、ダーレッドはとっておきとばかりに話を切りだした。


「その心配はないんだ、ティアン陛下。――あれは俺たちの差し金なのだからな」


絶句した。


この時点でもはや尽くす言葉など皆無になっていたけれど、これほど理解の範疇をこえた事実はない。


黒騎士は騎士団長たちの仲間――。


「敵国の暗殺者だと考えていたようだが、ちがうちがう。本日の計画のため、あれを使って女王に加担する者たちを排除していたのさ」


ショックのあまり視点のさだまらないわたくしにとどくように、ダーレッドは前のめりになって言い聞かせる。


「書記官リヒトゥリオの仕事ぶりは素晴らしかった。奴がいては女王の評価が上がってやりにくくなる。だから復興の成果があがるまえに始末しておいた」


ダーレッドはわたくしの髪をつかんでグイグイと揺さぶる。


「おい、寝るなよ。よく聞け、ここからが面白いところだ。


次はアルフォンス。奴がいては我々の計画が筒抜けになる恐れがあった、だから殺した。


あのタイミングで決行したのは単にあの男の態度に腹が立ったからだ」


騎士団の人間ならば城内に忍び込む必要もない、アルフォンスが孤立したタイミングも知ることができた。


「しかし、あやうく黒騎士が我々の手の者だとバレそうになってしまい、あわてて俺が逃がしたというわけだ」


なんて間抜けだろう、捕らえたと思っていたのが敵に引き渡しただけだった。


ニケが黒騎士を返り討ちにしたのは千載一遇のチャンスだった、あの場で顔をあらためていれば騎士団の関係者であることを暴けたのに。


「あとはレイクリブか。レイクリブ、フッハッハッ。いや、奴を始末したときはスカッとしたぁぁぁ。


黒騎士の仕業とつくろったが礼拝堂を爆破したのは我々の指示で護衛兵たちがやったことだよ。その後、口封じとして奴らは始末したがね」


礼拝堂を爆破したのは同行していた護衛兵たち、だから誰も助けに来なかった。


「あの時はレイクリブが標的というよりは、王女諸共のつもりだった。人目を離れた場所という理由で目的が婚姻から謀殺に移行していたからな」


パーティまでは婚姻を主軸に計画を進めていた、皇帝の血筋を残せたほうがより盤石だから。


しかし、わたくしにその意思がないことから殺害もやむなしという方向に変わっていった。


「こうやってタネ明かしをするのは滑稽かな? でも、それは仕方がないんだよ。もっとも気持ちの良いことは勝利なんだから。こうやって敗者に立場を解らせることで、より明確な勝利を自覚することができるんだ」


ダーレッドは恍惚とした表情で語る。


「──自分のためにやっているんだ、やめられないんだこれだけは」


そんなことは、どうでもいい。


わたくしのなかでしぼみかけた怒りが再燃していた。


──この期におよんで?! この期におよんで味方の人材を損なっているのが自国の人間によるものなの?!


「この大事に、いったいなにをやっているのですッ!!」


野心からとはいえ国を治める立場になろうという人間が、優秀な人材を損ない復興の足を引っ張っているだなんて。


愚行の極みだ。


そんなことでは王座を手に入れたところで滅ぼしてしまうに決まっている。


「この大事だからだよ。平和になってしまったあとに誰が変革を求める。民が飢え、不満が最高潮のいまこそが、女王を引きずりおろす絶好の好機なんじゃあないか」


「あなた達のやっていることは破壊工作以外のなんでもありません、そんなこともわからないのですか!」


「立て直してからでは遅いんだよ、そんなこともわからないのか?」


わたくしは眼前にせまっていたダーレッドの顔をおもいきり引っぱたいた。


しかしビクともせずに間髪入れずに殴り返してくる。


その一撃で鼻骨が折れた。


「ナイスファイトだ陛下」


わたくしは鼻血がしたたり落ちるのにもひるまずダーレッドを睨みつける。


それに対して彼がイラつきをおぼえるのが伝わってくる。


「よし、ならば試そうか。どれくらい痛めつけたら女王の傲慢な眼差しが、奴隷の媚びたそれになるのか」


わたくしは覚悟を決めた。


もはや死の運命はまぬがれない、苦痛のかぎりを味わうことになるだろう。


それでも、この男を喜ばせるようなリアクションは絶対にとらないと心に誓う。


すべてを終えてわたくしの死体をまえにしたとき、思い通りにならなかったことに屈辱を感じるように。


王座についたあとも、小娘一人を屈服させられなかったことに苦い思いをするように。


それが女王としての最後の意地だ──。



そう覚悟を決めた直後、怒声が響いた。


「馬鹿野郎ッ!! なにやってやがる!!」


それはサンディをいたぶって御機嫌のはずの騎士たちのなかから発せられていた。


下種な楽しみを満喫しているはずの彼らから喧騒が起きている。


「勝手に治るから多少強くやっても平気かと思ったんだ」


咎められていた騎士がなにやら弁明しているようだ。


部下たちがいさかいを起こしているのに反応してダーレッドが立ち上がる。


そしてそちらを一瞥して一言。


「ああ、もったいないな」


と、さしたる問題もなさそうにつぶやいた。


心臓が鋭く痛んだ。


それを実際に視界に入れるまえからはやい段階で予感していた。


それは、もったいない。の一言で確信に変わっていた。


それでも心が受けつけなくて脳が事態の把握を拒んだ。


サンディが視界に入る。


頭蓋が陥没し、断裂骨折した首が胴体からぶら下がっていた。


それがなにを意味するのか理解するまでしばらくの時間を必要とし、理解すると同時にさきほど固まったはずの覚悟もなにも、すべてが砕けてなくなってしまっていた。




『暗愚の女王と愛しのグラディエーター・前編』終幕。

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