六場 計画実行


イービルアイの叫声がからだを突き抜ける、その衝撃は強力で全身を針でさされたような錯覚をおぼえた。


触手から解放されたわたくしはめまいを起こして地面に尻もちをつく、放心状態だ。


ニコランドは激しく暴れる球体を殺し切ろうと追撃をくわえつづけている。


根元までうめこんだ長剣を手ばなし、魔眼のまぶたをこじ開けると手刀をその眼球に突き刺した。


イービルアイは激しく抵抗しているが、光線を浴びてもニコランドが金縛りにかかる気配はない。


絡みつく触手もその怪力で手あたりしだいに引きちぎっていた。


とても人間わざではない──。


わたくしはニコランドがイービルアイを蹂躙するすがたをぼんやりと見守るしかない。


──気のせいかしら?


心なしかイービルアイがしぼんでいっているように見える。


錯覚ではない、ニコランドの執拗な攻撃を受けるたびにイービルアイはちぢんでいる。


ついには溶けだして球体を保てなくなっている。



「油断しないで! 逃げるつもりです!」


勝利を確信し気がゆるみかけたとき背後からサンディの声がとどいた。


振り返ると騎士たちが続々と階段をおりてくる。


十二人、石化したはずの者たちもふくめて全員の無事が確認できた。


「──逃がさないで!」


サンディが指示した。


しかし、あのサイズの怪物が逃れるスペースは上空以外に見当たらない。


そこで気づく、イービルアイは空間を移動する魔物。


縮んでみえるのは溶けているからではない、触手をそうしていたように本体をはなれた場所に転送しようとしているのだ。


ニコランドはそれを阻止せんと触手をつかんで床に沈んでいくイービルアイを引きあげようとしている。


逃げようとする魔眼と阻止しようとするニコランドの力が拮抗、騎士たちがイービルアイに殺到してつぎつぎに剣を突き立てていく。


球体は不快な絶叫をまき散らす。



「ティアン様、おけがは?!」


サンディが助け起こしてくれた。


「大丈夫です、みんなは平気なのですか?」


一時的な金縛りならばともかく、石化した騎士たちは肉体が完全に変質したように見えた。


サンディが答える。


「石化はしてなかったんです。ガスに催眠作用があって、光線を浴びると石化するという幻覚を見せられていただけでした」


ニコランドがイービルアイを追い込んだことでその催眠が解けた。


「安心しましたぁ……!」


サンディの返答にわたくしは心底安堵した。


無事を確認するまでは石化した時点で死、あるいは再起不能を想像していたくらいだ。


そこからは一方的な展開だった。


戦意のなくなった怪物の逃走をさえぎりながら寄ってたかって球体を切りきざむ。


調査隊は魔眼とのたたかいに勝利した──。



一人の脱落者もでなかったとはいえ、ほとんどの者が負傷してしまったためサンディによる治療時間を設けることにした。


ニコランドはあの苛烈さから一変してまた置物のようにおとなしい、部隊からはなれて壁ぎわで静かにたたずんでいる。


あいかわらず彼のことはわからない──。


優先的に治療をすませたわたくしのもとにダーレッド騎士長がよってくる。


「あんなオゾマシイ生物は見たことがありません。あれが、封印された上級悪魔だったのでしょうか?」


悪魔と認識しても無理のないビジュアルをしていた。


ニコランドがいなければ調査隊が全滅しかねなかったおそろしい怪物だ。


「サンディはイービルアイと呼んでいました」


イービルアイは異空間をたゆたう実態をもたない意識存在なのだと書物には記されていた。


負のエネルギーを好み、それが沈殿する場所に居心地の良さを感じて住みつく。


イービルアイはこの世界に定着することで実体を得る、わるいものを吸収してふくれあがることであの球体になるのだとか。


つまり、この地下迷宮はそういう場所ということになる。


その存在を断片的にはしっていたけれど、戦闘中はパニックでそれどころではなかった。


知識があったところでそこに紐づけて正しい対処をするためには、やはり経験がものをいう。


すべてが終わった頃になって、ああ、あれがそうだったのか。などと思い出したところで意味がない。


「──世界上に実在しない存在を異界から呼び寄せるのが悪魔召喚、イービルアイはそれに近しい存在といえるのかもしれませんね」


儀式によってこちらからの干渉を必要とするデーモンとちがい、イービルアイは自力で世界をいききする。


デーモンのように確固たる存在ではなく、ぼんやりとした希薄な存在ゆえに境界をすり抜けてしまうのだろう。


「陛下は博識でいらっしゃいますな」


ダーレッドはわたくしの断片的な知識に感心してくれた。


そこにみんなの治療をおえたサンディが合流する。


「モンスターとの遭遇はもうないかもしれないですね」


「なぜそう思う?」


ダーレッドがききかえした、ほんとうならば朗報だ。


「私たちが襲撃を受けたように、イービルアイは負のエネルギーが沈殿したこの最下層を独占して侵入者を排除していたはずです」


弱いモンスターならば生きておらず、この先により強力なモンスターがいればイービルアイは淘汰されている。


「なるほど、地図によればこのさきは行き止まりだからな」


地図はここまで正確だった。


そこがこの調査の終着点、悪魔封印の場所であり【聖騎士の遺産】の在り処のはずだ。


「それを聞いてだいぶ気分が楽になりました」


わたくしはサンディの手を握ると上下にふってよろこびをあらわした。


帰り道にも数度の戦闘はあるだろう、しかしいまのが最大の脅威であれば騎士たちの手にあまるということはない。


任務はほぼ完遂したといえる。



「頃合いだな」


そうつぶやくとダーレッドがこちらに向き直った。


恐怖をかんじた──。


わたくしが気をゆるめたのに反して騎士長の緊迫した表情に不穏さをおぼえる。


「……なにがですか?」


表情をたたえない冷たいまなざし、そこにはまるで知らない人間が立っているようだ。


「これは最終勧告だ、ゆえに慎重かつ懸命な返答をお願いしたい。要求は一つ、俺の妃となり王座をあけわたすことだ」


耳をうたがった。


それが騎士団長と彼の政治的計画であることは承知している。


けれど、その言いぶりがあまりにも強攻であることに戸惑いを隠せない。


「──さて陛下、返事をいただこうか」


「……状況にそぐわないかと」


どんなときでも明るく豪胆で、どこか空回りしつつもつねにこちらを気遣うすがたを見せていた優秀な騎士長。


その面影の欠片すらも見当たらない。 


どんな対象にならば、人はこんなにも熱のかよわない視線をむけることができるのだろう。


知らない、こんな冷淡な表情は見たこともない。


別人を疑うほどに、これまでの態度との落差がある。


わたくしは目のまえの臣下に未知の怪物と相対したときよりも得体のしれない恐怖を感じた。


それに拍車をかけるのは、彼の発言に対して誰一人として異議を唱えないこの状況だ。


彼は主君に対して言い放ったのだ。王座を明け渡せ』と、なのに騎士たちの誰一人としてそれに異を唱える者がいない。


「なにか勘違いをしているな、俺は命じているのだアシュハ四世。妃として忠誠を誓うか、ここで死ぬか、どちらかを選べと言っているんだよ」


絶句した、そして恐怖した。


気がついたのだ、この場にいる騎士たちがダーレッドの謀反を容認している事実に。


それに反発するのはたった一人。


女王に忠誠を示すべき騎士ではない、権力の抑止力としてむしろ対立すべき組織に属したサンディただ一人だけだ。


「貴様っ!! 狂ったかッ!!」


ダーレッドを引き剥がそうとサンディがわたくしとのあいだに割って入った。


そしてダーレッドはなんの前置きもなく、顔にかかった前髪をどけるような何ごともない仕草で。


彼女の腹部を剣でつらぬいた――。

   

「サンディ!!?」


駆け寄ろうとしたわたくしをダーレッドは殴打し、崩れおちたサンディから突き刺した剣を引き抜く。


「わきまえろよ下女がッ!! 俺は次期アシュハ王だぞ!!」


わたくしはサンディに這いよって容態を確認する、刺し傷は彼女の薄っぺらい胴体を背中まで貫通していた。


激痛にむせびながら、サンディは必死に【治癒魔術】を詠唱する。


わたくしは激しい怒りにかられダーレッドを振り返る。


「──!」


その背後にニコランドが斬り掛かっていた。


遠巻きにしていた彼が瞬時に距離をつめ、その剣をダーレッドめがけて振り下ろす。


そのあまりの勢いに置き去りにされた騎士たちが騎士長に危険をしらせた。



「ホーリーワンド、浄化せよ!」


攻撃が到達するよりはやくダーレッドは【魔術杖】を振りかざして浄化の雷をニコランドに浴びせた。


「ウォォォォォ!!!」


それまで一度も声を発しなかったニコランドが悲鳴をあげた。


苦しむニコランドにむかってダーレッドは執拗に杖の力を浴びせつづける。


「ハハハハハッ! これは良いなっ! おまえが杖の効果範囲を警戒していたのは道中の戦闘で何度も確認済みだよ!」


「やめなさい! ダーレッド・ヴェイル!」


わたくしは杖を振りかざした腕にしがみ付いて止めようとした。


けれどダーレッドはまったく意に介する様子もなく、ビクともしない。


「用無しだよ!! 亡霊剣士!!」


そして杖の魔力に押さえつけられたニコランドの胸を、その剣でさし貫いた。


ニコランドは二度、三度ともがくとそのまま力尽きてしまい、ピクリともしなくなってしまう。


ニコランドの無残なすがたにわたくしは哀惜を募らせる。


「そんな……」


助けてくれたのに、ここまで何度となくわたくしを、そしてダーレッド達の危機をすくってくれたのに。 



「見張っておけ」


部下に杖をあずけるとダーレッドはこちらへと向きなおる。


わたくしは視線で彼のおこないを責めた、しかし騎士長の冷淡な表情は崩れない。


これがともに苦難を乗り越えてきた者の姿だとは信じたくない。


デルボルトが暴走した時のように何かが彼らを操っているのだと思いたかった。


しかし、ダーレッドはそれを否定する。


「出発の時点で決まっていたことだよこれは。邪魔の入らない場所で女王に決断をせまり従わないようならば殺す、という事はなぁ」



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