二場 崩落


わたくしは暗闇のなかにいる──。


まず視界がまったくないことに気づく、続いてこの暗闇が夢ではなく現実であることを痛みによって知る。


「……痛っ」


──これはなに、どういう状態?


上も下もわからない、体はまるで地面にうまってでもいるかのように微動だにしない。


未知への恐怖に鼓動がはやくなり心臓にかかる負荷で生存を自覚する。


生きている、それだけはたしかだ。

 

わたくしは感覚をとぎすませる。


額に押し付けられる固い感触、充満する砂ぼこりが口内をざらつかせ眼球にちくちくと刺さった。


どうやら床に押し付けられているらしい、どれほどの重量がかかっているのか身じろぎひとつできない。


あらゆる感覚が不自由ではたして五体が無事なのかすら知覚できない。


四肢が失われているのではとの錯覚に怯えたりする。


──そうだ、礼拝堂が爆発で崩落したんだ。


耳鳴りの残響が記憶を呼び起こした。


わたくしはいま礼拝堂の瓦礫の下に埋もれているのだと推察ができる。


「はぁ……はぁ……」


自身の呼吸音を聞ける程度には落ちつきを取り戻してきた。


レイクリブは無事だろうか。



「――!?」


なまあたたかい感触が首筋をつたって心臓がはねた。


「……なに?」


上方から流れてきた液体がわたくしをつたって下方へと落ちている。


雨だとか漏水だとかではない、その匂いには覚えがある。


血液だ――。


わたくしのではない、頭部や背にそれに足る痛みがないことからそう思う。


そこでようやく思い当たる。


「レイクリブ! レイクリブ!」


のしかかっているものは人間だ、崩落物からわたくしをかばって緩衝材になったレイクリブ。


気を失ってしまっているのか返事はない、背中ごしにようやくかすかな呼吸を確認できた。


かろうじて生きている──。


「お願いっ!! 返事をしてください!!」


不安はふくれあがるばかり。


わたくしの肌を流れていく出血がいつまでたってもとまらない。


うなじから耳を伝って髪を濡らしていく、頬を瞼のうえを流れていく。


とんでもない量だ、このままではやがて尽きてしまうという恐怖に震えた。


「誰かっ!! 誰かいませんかっ!!」


わたくしは張りあげられるかぎりの音を喉の奥からかきあつめて絞り出した。


しかし圧迫された体は悔しいほどに空気を取り込まず、音を生み出してくれない。


砂をくってむせび、苦痛にうめきながら、人を呼びつづけた。


喉が枯れ、痛みに目があかなくなり、血液をまぶした髪がかちかちに固まっていく。


「助け……て、助けて……誰、か……!」


どれくらい叫びつづけただろう、悲嘆に暮れるわたくしの耳にようやく声がとどく――。



「おい、ここに誰かいるぞ!」


頭上から男性の声が降ってきた。


わたくしは居場所をしらせるべく叫ぶ。


「ここ、です……! どなたかは存じませんが、どうか助けて、ください!」


よかった、人がきてくれた。


レイクリブの呼吸はまだかすかに感じとれる、きっと間にあう──。


「これは、無理だな」


「……えっ?」


安堵した直後に聞いたのは予想外の言葉だった。


男性は『無理』と言った。


しかしその内容よりもわたくしはむしろ、その冷淡な口調におびえた。


「いや、とても持ちあがらないよ」


わたくし達を生き埋めにしている瓦礫の質量のことだろう。


それは事実なのかもしれない、けれどレイクリブの命は風前のともしびだ。


「お願いします。どうか、人が死にそうなんです!」


声のかぎりに懇願した。



「だってさ、おまえ手伝う?」


男はツレらしき人物にはなしかけると、もう一人が「ええっ?」と声を発した。


そこにはすくなくとも男性が二人はいる様子。


大人の男が二人もいれば人を掘り出すことだって不可能じゃないはず。


わたくしは返答に期待して耳をそばだてる。


──助けて、お願い!



「やだよ、汚れるし手とか切るかもしれないじゃん」


「だよなぁ……、やっぱりちょっと無理だわ」


彼らはそれが可能かどうかためす素振りさえも見せない。


わたくしにはそれがまったく不可解だった。


「……どうして?」


このあいだにもレイクリブの血液が私の表面を流れ落ちていく、命がこぼれおちて冷たい地面に吸われていく。


「助けを呼べませんか! ちかくに兵士たちがいるはずなんです!」


護衛の兵士たちが礼拝堂の周囲を警戒していたはずだ。


「いや、誰もいないけど?」


そんなはずはない、そう思ったところで彼らが駆けつけていないことに気づいた。


──なぜ?


兵たちはどこに行ってしまったのだろう、爆発に巻き込まれてしまったのかもしれない。


不自然だ。


けれどいまは考えている場合ではない。


「でなければ、ほかの誰かを──!?」


物体がぶつかり合う音に驚いて言葉を失う。


「さっきからアレやれコレやれって、うるせぇなっ!」


男が不快感をあらわにして怒鳴った。


恐怖と驚きに涙がこぼれる。


わたくしはあせった、このまま立ち去られでもしたらおしまいだ。


「……き、気にさわる言動があったのなら謝ります。けれど一刻を争うんです」


「知らないよ、俺たちには関係ないだろ」


──関係ない?


それが救助してもらえない理由。


わたくしは混乱する。


関係がないから手をかさない、それは常識なのだろうか。


「お願いします……! どうかお願いしますっ!」


どんなに必死にうったえても彼らには響かない。


「爆音の発生源を見にきただけだもんな」


「そうそう、面倒くさいことはゴメンだよ」


「人にやらせないで自分でやれって話だよな」


「できねーだろ、ワハハハッ」


二人は楽しそうに談笑しているだけでけして動こうとしない。


なにが起きているの?


彼らはおなじ国の人間?


言葉は通じている?


酸欠か、あるいは怪我のせいで意識が朦朧としてきた。



「もう行こうぜ」


「おう。じゃあな、かわいそうなお嬢さん」


男たちはこの場から去ろうとしている。


「待って!! 行かないで、待ってください!!」


わたくしは懸命に呼びとめた。


「助けてください!! どうか、助けてください!! お願いします!!」


いったいどうすれば彼らの助力を得ることができるだろう。


身を挺して主君を守ったこの誇りたかい騎士を救うことができるだろう。



「……なんだろうな。お嬢さんさぁ、あんまり世のなか舐めないほうがいいよ?」


「そうそう、いつでも人が助けてくれると思ってるならとんだ甘ちゃんだよ」


世のなかを舐めている──。


わたくしがズレていて、彼らこそが基準だというのだろうか。


わたくしが生い立ちから甘やかされてきただけで世界はそうじゃない。


誰も手をさしのべない――。



「……ごめんなさい、わたくしが間違っていたのですね? たいへん失礼をいたしました」


わたくしは彼らに謝罪し、そのうえで懇願する。


「それでも今度だけ、一度で良いのです。この無力で無知なおろか者にお力添えいただけないでしょうか。どうか、どうかお願いします。助けてください……。お願いですから……ッ!」


地面にひたいをこすりつけて祈る。


どうか神様、わたくしたちをお救いください。


必死の願いは立ち去りかけていた男たちの足をひきとめた。


「もしかしてあんた、えらい人だろ? なんか、人に命令してあたりまえって態度だもんな」


命令をしているつもりなど毛頭ない、けれど頼みを聞かせようという行為があったのは事実。


それが傲慢だと指摘されているのかもしれない。


「申しわけございません……」


「えらい人なら恩を売っておいてもいいかもな」


男はそう言った。


素性をあかせば手を貸してもらえるだろうか、それならそうしよう。


「わたくしはティアン、アシュハ国女王です」



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