三場 正義の反対


「それでは、私はこのへんで失礼いたします」


体調確認が目的だったらしく、アルフォンスは退散を告げた。


ラストスパートとばかりに料理をたいらげる彼をわたくしは引き止める。


「どうか、ゆっくりされていってください」


「いいえ、招かれてもいないパーティでこれ以上飲み食いするわけにもいきませんので」


そう言って彼は両手に持っていたグラスをカラにした。


「招かれてない席で主役にケンカ売ったとか、愉快すぎる!」


ニケは上機嫌で彼の行動をとがめるというよりは楽しんでいるみたいだ。


「では」と言って去っていくアルフォンスの後ろ姿はどこかさびしげで、私とおなじ気持ちなのだろうなと思わせた。


イリーナの一刻もはやい帰りを待ち望んでいるのだ──。



アルフォンスを見送るとニケがこともなげにボヤく。


「あーあ、やっぱ騎士団やめようかな」


「ええっ!?」


──主君のまえで!


そうでなくともいまは人材がほしいときなのに。


「まあ、チンコにゃんに義理立てしてもう少しだけねばるけど」


彼女の忠誠は女王や皇国にあるのではなく、どうやらチンコミル将軍個人にそそがれているらしい。


新参のわたくしが知るよりも彼はずっと偉大な人物なのだろう。


彼女にかぎらずほとんどはわたくしが即位するまえからの騎士なわけで立場も様々、革命で台頭した子供に命を預けられないのも道理。


かくいうわたくし自身が臣下たちを信頼せずに警戒ばかりしているのだからお互いさまだ。


それが不甲斐ないところでもある。



「いまは忍耐のときです、そうやって味方との信頼関係が構築されていくのですわ」


わたくしが精一杯の言葉で引き止めると、ニケは首をかしげる。


「ヴィレオン将軍を冷遇する奴らは陛下にとって敵じゃないの?」


たしかにハーデン騎士団長の采配はわたくしの望むものとはかけ離れている。


しかしそれは皇国のためだ。


「そんな、敵だなんて……」


チンコミルは開戦中のマウ王国方面の防衛にあたり、ヴィレオンはデルカトラ方面を守護している。


彼らがそばに居てくれたらどれだけ心強いか──。


せめてヴィレオンを呼び戻したいが騎士団の編成に口だしするには事態が切迫しすぎている。


せめて復興が安定するまではハーデン団長率いる騎士団をあてにする以外にない。


女王があまり下手にでるものじゃありませんよ──。


アルフォンスの言葉がよぎった。


けれど、わたくしがワガママを言って誰も従ってくれなくなったらどうなってしまうのだろう。


そう考えると身動きがとれない。


「わたくし勉強しました、正義の敵は悪ではなく、またべつの正義なのだと!」


強盗や殺人にも貧困などとの因果関係があり、コロシアム解放にわたくしたちが存亡を賭けたように闘争には理由がある。


誰しもやむをえない事情や踏みとどまれない理由があり、それらの衝突が争いなのだと知った。


賢人は言いました、正義の逆はまたべつの正義。なんて含蓄があり思慮に満ちた言葉でしょう。


ニケは心底から見下した声で言い放つ。


「バッカじゃねーの?」


わたくし主君ですけど!


「ニケさんに哲学は難しかったかもしれませんねぇ……」


ささやかな反撃を試みたわたくしにニケはキッパリと断言する。


「あるよ、純然たる悪意ってのは」


その揺るぎない姿勢にわたくしはただ言葉を飲み込むことしかできない。


「──そういう連中の事情とか知ったことなくね?」


純然たる悪意──。


しかし、それがどういったものなのか比較対象が思い当たらなかった。


わたくしにとって最大の敵だったフォメルスは非常に人間味のある優秀な人物だった。


皇国史上最大の厄災となったリングマリーは許されざる大罪を犯したけれど、被害者という側面もあった。


争いは無からは生まれない、結果にはかならず原因がある。


自分にとって憎い相手も誰かの愛する人間であるはずだ。


そういう連中の事情とか知ったことなくね──。


相手が人間ならばその背景を知って争いを回避する道をさぐるべきだ。


彼女の言ったことがわたくしにはまだピンときていなかった。



パーティが終了し賓客の撤収が完了すると、専属女中のサンディが飲み水をさしいれてくれた。


「ありがとう、サンディ」


彼女は「もう!」といって怒りをあらわにする。


「陛下が最後までのこるだなんて恥ずかしいことですよ!」


「片付けの邪魔だったかしら、ごめんなさい気がつかなくて」


あわてて立ちあがるとあきれ顔で指摘する。


「そういうところですよ?」


「なんですの、だれもかれもわたくしのことを、どういうトコだとか、ああいうトコだとか!」


わたくしが発言すればそのつど親しい人物ほど残念そうな表情をうかべてそう言った。


とんでもないマヌケあつかいをされた気がするし、実際に要領をえていない事実が恥ずかしかった。


──君主なのに! 君主なのに!


半ベソ状態のわたくしにサンディはたずねる。


「おつとめの手応えはいかがでした?」


「どうでしょう……」


印象としては皆、快く力を貸してくれそうだった。


しかし事前にレイクリブから、彼らの親身な態度はすべて仮面だ。と、念を押されていたせいで自信はない。


善意とは関係なくバランス感覚で彼らはそれなりの援助をしてくれるだろう。


女王への発言力の獲得手段と割り切っての投資、それを踏まえたうえで協力を得ろ。


そのように彼から言われていた。


裏を意識しながら人と接することにわたくしはすっかり疲れてしまった。


こういうとき元老院の老人たちの存在がいかにありがたかったかを思い知る。


すべて織り込みずでこちらに利を得られるよう取り計らってくれていたのだから。


「皆さま方、八年も幽閉されていたとは思えないと沢山褒めてくださりました」


会場をはなれたとたん彼らは一人残らず女王の悪口でもりあがる、それもレイクリブの弁だ。


──けど、残らずは言いすぎなのでは?!


「立派だと思いますよ、女王としての威厳には欠けていましたけど」


サンディのなぐさめに私は顔をしかめる。


あまりに皆が威厳がないとくりかえすので、わたくしは一念発起してフォメルス風の立ちふるまいを模倣したことがあった。


下賤の者たちよ、我に平伏せ! という、アレだ。


そしてひどい目にあった、一生分の笑いものにされた気分だった。


もとをただせば、あれこそが「そういうトコだぞ?」の言われはじめかもしれない。


サンディが私の不服顔に文句をつける。


「その顔やめなさい、ゴブリンの赤子みたいですよ」


ゴブリンの赤子みたいってそれは悪口?


立派だったが威厳がなかったという感想に対してボヤく。


「サンディもアルフォンス様とおなじことを言うのですね」


そう言ったらサンディはムッとしたようだ。


どうにもあのお方の評判は良くない。



『――ティアン嬢、私です』


いわれのない悪評をどうにか払拭してあげたい、そう考えているところにアルフォンスからの【通信魔術】だ。


「アルフォンス様、どうかなさいまして?」


名を聞いたサンディが苦い表情をする。


「──あ、魔術通話のことは……」


「知ってます、あのアホが自慢げに言いふらしてますからね……」


不審に思われるかと確認したところ、サンディも彼の魔術のことを知っていた。


ならばと、わたくしは通信に耳をかたむける。


『このあと話は可能ですか、日をあらためてもかまいませんが』


あらたまってなんだろう、別れてから間もないというのに。


「どちらにいらっしゃいますか?」


言ってしまわないということは、それなりの情報量があるのだろう。


このまま魔力を消耗させるのは気が引ける。


『では、庭園でお待ちしております』


もしかするとリヒトゥリオに関する新しい情報が手に入ったのかもしれない。


直前まで会っていたという騎士の所在がつかめたとか。


「サンディ、庭園に向かいます。レイクリブをむかえに寄こしてください」


敷地内で相手がアルフォンスだ、護衛を呼ぶ理由もないが逐一そうしなくてはまた怒鳴られてしまう。


「これからでございますか?」


王族専用の庭園を指定したということは内密な話なのだろう。


──いまを逃せばいつ時間をつくれるか分からない。


早急に済ませておくべきだろう、わたくしは広間をあとにして蝋燭の明かりが煌々とてらす通路を進んだ。


「アルフォンス様、すぐに参りますわ」


とおく、視界の外にいるアルフォンスに呼びかけた。


『…………』


しかし返事がない。


──どうしたんだろう?


無言から緊迫感が伝わってくる。


「アルフォンス様?」


『ティアン嬢、予定を変更……なに、様子が……』


通信の節々がとぎれて聞こえる。


「どうかなさいまして?」


呼びかけに返答はない。


『…………』


『……ッ、……ッ』


返答はないけれど通信は途切れず、かすかに音声を伝えてくる。


悲鳴ともうめき声ともつかない。


「アルフォンス様! アルフォンス様!」


緊急事態を察知したわたくしは一目散に庭園へと駆けだした。



夜空のしたに出ると静寂が落ちる。


いつの間にか通信は途絶えているけれど、中庭の休憩スペースにはあかりが灯っている。


それを目印にわたくしは歩を進める、そこでアルフォンスが待っているはずだ。


庭園の中央にたどり着くと、そこに人影が一つ。


──アルフォンス様じゃない。


立ち止まってそのすがたを観察する、そうせずにはいられない異様の人物だった。


それは全身を闇夜に溶けてしまいそうな漆黒の甲冑で覆い、処刑人を想起させるようなフルフェイスの兜をつけている。


特徴的な兜の騎士――。



その足もとにアルフォンスが倒れていた。


仮面の人物の片手には軍刀であるサーベルが灯りを照り返し、まるで立会人のいない決闘があったかのような景色。


「あなたは誰ですか?」


鉄仮面の人物は答えない。


衣装の統一感と高級感からはとても忍び込んだ暴漢という風情ではない。


精錬された美しい立ち姿、サーベルの持ち方も様になっており上位の騎士を思わせる。


「──名乗りなさい!」


黒衣の騎士ははじめて言葉を口にする。


「……ティアン姫、キサマは王にふさわしくない」


わたくしの名を呼んだ、そう思ったときには眼前まで迫っている。


──!?


それはあまりに静かな動作で、目と鼻の先まで来てやっと体が反応したくらいだ。


まるで亡霊がとうとつに眼前にあらわれたように錯覚した。


「──おとなしくしていてもらおう」


くぐもった鮮明ではない声だ。


──殺される。


黒衣の騎士が剣を振り上げてもその場に棒立ちでいることしかできない。


わたくしは馬車に轢き殺される直前の猫のようにその場に硬直した。


「……んッ!?」


死を覚悟した瞬間、黒騎士の剣が目前で制止した。


その刃は鎖にからめ取られており、それをたどった先には予期せぬ人物のすがたがあった。


「サンディ!」


「不審者め! おまえの相手は私、聖堂騎士団のサンディ・レイニィだ!」


専属女中のサンディが聖堂騎士団を名乗った、そんなことは初耳だ。


「陛下! アルフォンスを!」


私は黒騎士の横を転がるようにしてくぐり抜け、倒れているアルフォンスの横に膝を着く。


「アルフォンスさ……!?」


声をかけてそれを飲み込んでしまった。


その顔は目鼻の位置を見うしなうほど血に塗れていて、ひと目で死体であることを予感させられる。


しかし、あきらめる訳にはいかない。


手首、首筋などに手を当てるが脈が取れない、胸に耳を押し当てるが心音は聞こえない。


「そんな……!!」


わたくしの【治癒魔術】は肉体の損傷を修復する魔術であって死者の蘇生はかなわない。


なによりコロシアムの革命で魔力を枯渇させて以降、魔術をまったく使えなくなってしまった。


それでも私はこなれて必要なくなっていた基礎の呪文を一から唱え、思い付くかぎりの詠唱を試みる。


でもできない、魔力の循環がおこなわれない。


──できない! 魔術が発動しない!



「ひゃあ!?」


絶望に打ちひしがれる間もなくサンディの悲鳴が響いた。


振り返ると、女中服の白いエプロンを真っ赤に染めあげた彼女が地面に転がっていた。


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