四場 勇者の退場
「……どういう意味だ?」
イリーナが退場すると言った文脈が理解できずに聞き返した。
メディティテと別れるだとか、都から撤退するといったニュアンスではなかった。
「聖都の現状はわかった、急場をしのいで聖竜スマフラウとの対面もかなった」
イリーナは状況を整理する。
「いまは大きな分岐点だ。この体がどの道を行くのか、それを決めていいのはボクじゃない」
イリーナがここをめざした理由にいまさら気づいた。
人格を入れ替えたのはスマフラウの力だ、戻すためにはもういちど会う必要があったんだ。
「おまえ、イーリスに体を返すために危ない橋を渡って……」
倉庫からなら外側にむかえばすぐに都を出れた。
それを敵陣の中央をめざしたせいで竜騎兵に見つかったり危険に遭遇した。
「橋からはむしろ落ちたんだけど」
それが一番キツかったのはわかるが、冗談を言ったつもりはない。
「──というわけでスマフラウさん、主導権をイーリスに戻してあげてよ」
それを決断するのには性急すぎると俺は思った。
「まってくれ、イーリスは命を狙われていてここにはいられない。一旦、アシュハに帰ってから考えてもいいんじゃないか?」
夢だった巫女にもなれないし、命だって危ない。
体を返さなきゃいけないのは分かる。
だが、返したあとに聖竜からはなれたら次はどうすればイリーナに戻ることができるんだ。
「よそ者に口をだす権利はないんだろ?」
引き止めようとする俺を彼女は笑ってとがめた。
都のことは現地の人間が決めることだから、スマフラウのしていることに介入はしない。
自分が言ったことだ。
イーリスの決めることに俺たちがどうこう言うのは筋が通らない。
それを言われたら苦しい。
「本当にいいのか、つぎは無いかもしれねえんだぞ!」
人格の消滅がなかったことは分かったが、あくまでも現時点のことで今後もそうとはかぎらない。
人格を入れ替えられるのがスマフラウだけなのだとしたら、必要に駆られるたびに断崖の底までやって来て交代を打診するつもりなのか。
イーリスが認めなかったら、それは存在の消滅と同義なのではないだろうか。
俺はつよく念をおしたがイリーナはそれをはねのける。
「そのことについてはもう何百時間と悩んだし、あるていどの覚悟はできてるんだよ」
それは闘技場にいた頃からずっとということだろうか。
当然、俺なんかには想像もつかない葛藤が当人にはあったはずだ。
それでもだ、すこしでもズルいやつなら幸運とばかりに自分のものにしちまうところなんだよ。
ひろった財布を持ち主に返さずふところに入れるやつはいくらでもいる。
ひろった命をバカ正直に手放さないんだよ。
そういう奴だから、こんなに惜しいと感じるんだ。
「……姫さんのことはどうするんだよ!」
それを言うと彼女は途端に困り顔になる。
「ティアンのことはアルフォンスとおまえに任せるよ。優秀な臣下もたくさんいるしボクなんかよりずっと頼りになる」
事実だがそういう問題ではない。
こればかりは筋もどおりもない、気持ちと切りはなせない問題だ。
「──きっと二人の手にはあまると思うから、レイクリブたちと協力してなんとかヴィレオンのオッサンと連携をとってやってくれ」
一つでもなにかを残そうとする姿にそれはもう決定事項なんだと思い知らされる。
その決断に遅いも早いもない、体を本人に返すことに迷いはないってことだ。
「正体、隠しててゴメンよ……」
イリーナは申しわけなさそうに言った。
「そんなこたあ、どうだっていい!」
それを裏切りとは思わない。
それをできなかった弱い人間が、これまでどれだけの覚悟を見せてきたか俺は知っている。
「ああっ、しょうがねえなあっ! あとのことは万事まかせとけ、なにも心配はいらねえよ!」
俺はヤケクソ気味に言葉を吐き出した。
納得はしてねえ、納得なんかできるわけがねえ、それでもコイツの期待にこたえるほかに男としてできることはない。
「えーと、あとは……」
イリーナは準備をしていなかった言葉でいま残せる精一杯を絞りだす。
「このさきイーリスがなにを選択するかは分からない。ただ、場合によってはおまえなんかはお人好しが足を引っ張って悩むことがあると思う」
イーリスの選択によってはむずかしい場面がくると言う。
俺は彼女の言葉に耳を傾ける。
「──でも、あんまり気にすんな。おまえが公平を心掛けてもみんなは正否なんか気にしない、自分に都合の良いことだけが正義で逆は悪だと判断する」
それがどういう状況における誰を指しているのかは分からない。
イリーナもそこまで見えてはいないだろう。
ただ、俺のことをよく理解したうえでアドバイスしてくれてることはわかる。
俺は言葉の切れ目のたびに「おう」と首を縦に振った。
「だから、なにが正しいかなんてどうでもいいよ、おまえの心がのぞむように動け」
正義に縛られるな、のぞむままに動け──。
自分は正義にしたがってイーリスに体を返すくせにかよ。
「自己犠牲を躊躇しないやつに言われても説得力がないな!」
皮肉っぽく言ってやった。
このさきに介入できない以上、抽象的なことしか言えないのかもしれない。
イリーナが「大丈夫そう?」と言って俺の肩を思い切り叩いた。
蚊が刺したみたいに効かなかったが、叩いた方はとんでもなく痛そうに呻いた。
「知らねえ、分かんねえ、だが任せろ」
言葉の意味はよくわからんが、おまえの帰る場所だけは絶対に守る。
「ティアンにも言ってやって、自分の幸福を優先しろって」
それは今後、過酷な世界の仕組みとむきあう皇女へのエールだ。
「──まかせたぞ、信頼してるからな!」
イリーナはそう言ってしめくくった。
「なにも手立ては思いつかねぇが、俺たちはあきらめてねえからな」
これは一旦の別れだ。
「ありがとう」
イリーナはにへらと笑うと、最後に一言つけくわえる。
「──いま一番しんどいときだから、イーリスにも優しくしてあげてね」
それを言われると正直、気が重い部分もある。
故郷に裏切られるかたちで完全に夢を断たれた少女、なんて声をかけてどう向き合ったらいいもんか。
「俺はよ、イリーナ――」
「私はそろそろ帰っていいか?」
別れの言葉をメディティテがさえぎった。
「いま、終わるとこだったろ!!」
「だって長いから……」
怒鳴りつけてはみたが、エルフに反省の色は見られない。
まあ、だから言っても無駄なやつには無駄ってことだ。
分かり合おうとせず自分の道を行くしかないよな。
イリーナは「あはは」と笑った。
そして、そのままスマフラウに向き直ると人格の交代を願う。
「スマフラウさん、お願い」
『分かった、イーリスに戻そう』
派手なことはなにも起きない、ただ静寂だ。
うつむいたまま微動だにしなくなった肩に俺は声をかける。
「……戻ったのか?」
一度ピクリと身を震わせ、彼女はこちらを振り返った。
イーリスに戻っているはずだ――。
「おい……」
どれほど気落ちしているだろう、頭のなかで慎重に言葉をさがしていると不意打ちで怒鳴られる。
「種明かしまで入れ代わりに気がつかないってどういうこと?! あたし、そんなにキャラ薄いかなッ!!」
泣きくずれるかと身構えていたところを叱りつけられた。
俺はさしだしかけた手を空中に漂わせたまま全身を硬直させる。
「……あ、お?」
軽いパニック状態、イーリスは腕組みをしてあきれたといった態度だ。
「こんなことくらいで落ち込んでるとでも思ったの?」
さすがに今回ばかりは絶望してると思っていた。
聖竜スマフラウが語りかける。
『イーリス、聞きとどけよ。命が惜しくば都をでていけ』
「何度いっても無駄よ。今度はあたし、絶対に出ていかない」
案の定、引き下がらない。
それでこそまぎれもなくイーリス・マルルムに戻った証明だった。
それにしても、竜神に対してもいつもの調子であることには驚いた。
「──竜人様が選んでくれた。この、あたしが竜の巫女になるんだから!」
そう宣言するとあらためて誓うかのように拳を高く突き上げた。
これまでも説得の言葉は尽くしたのだろう。スマフラウは黙ってしまう。
【支配】の力をつかったのか一度は都の外に追い出せた、しかしこうやって彼女は戻って来てしまったとそんなところか。
『聖竜の巫女』は切れの良い動作で『次元竜の巫女』を振り返る。
「メっちん、あたし達を橋のうえまで戻してくれる?」
「メっ……」
メディティテは原型をとどめていない呼称に絶句していた。
「……自由に飛べるわけじゃない」
メディティテがへそを曲げ、結局はスマフラウの支配下に置かれたワイバーンでの移動になった。
飛竜に乗って空を飛べたのは素直に心おどる体験だ。
俺たちはふたたび儀式の橋におり立つ──。
夜はまだ半ばと言ったところで景色に変化はない。
メディティテが解散を宣言する。
「いい加減、私は去るぞ」
「あっ、ちょっと待って」
イーリスは彼女を呼び止める質問する。
「トールキンの巫女も歌ったり踊ったり、儀式はするの?」
「いや、一切しない」
メディティテは無愛想なりに律儀に答えてくれる。
意外と付き合いは悪くないのかもしれない。
それから二人は巫女同士いくつかのやり取りをしていたが、いつの間にか俺と距離をとって内緒ばなしに花を咲かせた。
「なんの話だ?」と聞いたが「巫女同士の秘密」とか言って教えてはもらえなかった。
こうして使命を保留にした『次元竜の巫女』は闇夜に溶けるようにして、聖都の渓谷を後にしたのだった。
「どうした、それ?」
メディティテを見おくったイーリスは見おぼえのないネックレスを付けていた。
「もらっちゃった。竜の力をよりひきだせる魔法のアイテム」
聞いてはみたものの、さしたる興味も惹かれず。「へえ」と返事をした。
「トールキンの巫女ならあたし、なりたいと思わなかったのにな」
聖都の巫女は炎竜の伝説からトールキンの巫女を参考にして竜神官たちがでっちあげた模倣品だ。
踊るだの歌うだのの演出はメディティテの実態とは掛け離れている。
彼女は少女の憧れとは無縁の戦士だった、エルフなのもその長寿が竜の相棒にふさわしいだとかの理由があるのかもしれない。
「この都のインチキ巫女が良かったのか?」
意地のわるい表現になってしまったが見下しているわけでをはない。
そういう役職として彼女たちは高いクオリティの仕事をしていて尊敬できる。
「あたし、知ってたよ」
インチキ巫女と言う表現をイーリスは否定しない。
「──都にとってあたしは邪魔な存在だって、だから竜神さまは隣国に逃がしてくれた」
イーリスの言葉のトーンは落ちこんでいる。
「飛竜にさるわれる格好でこう、ひゅーって、アシュハ国にほうりだされたの」
手振りをまじえて愉快な話ふうに仕立てているが自虐気味な声色だ。
「竜人さまはあたしに新しい人生を望んでくれた、巫女はインチキだしあたしは巫女にはなれないから」
イーリスがアシュハにあらわれたのは、彼女の身の危険を察知した聖竜スマフラウが巫女を神官たちから遠ざけた結果だ。
「とりあえず一番栄えてるところにおろしたのか」
貧しい国よりは治安も良ければ仕事もある。
イーリスなら食いっぱぐれることもなさそうだし、いざとなれば【古代魔法】で身を守れる。
「だけどどうしてもあきらめられなくて、あたしは闘技場に飛びこんだの」
「なんでそうなった……?」
年頃のムスメの百人に百人がその選択をしない。
あそこにいたのはそれ自体を罰とされる罪人と、人生一発逆転を狙う腕自慢だけだ。
「大陸最強の帝国なら都の仕組みだってなんとかして、あたしを巫女にしてくれるかもしれなかったでしょ」
なるほどな、コロシアムの頂点に立った闘士には望みの褒賞があたえられた。
当時のアシュハ王はみずからの力を誇示する意味でも可能な限りそれに応えた。
イーリスは皇国から聖都に圧力をかけるつもりだった。
俺はなかばあきれもふくめて称賛する。
「大した覚悟だよ」
方法はばくぜんとしていただろうが、いちるの希望を抱いて少女は殺戮の競技にその身を投じた。
「見て」
イーリスは言ってススっと俺と距離を取り、タタンと軽くステップを踏んだ。
「──この橋でくりかえし踊ったわ、本当は最後までその他大勢だったけど」
かるくいくつかの動作を披露する。
美しいと素直に思う。
動作にはダイナミズムを、姿勢を維持する姿には静寂の美を感じさせる。
「あたし、この場所が好き! ここで一番になりたかった! 竜と話がしたかったわけでも都の平和を守りたかったわけでもないの」
月明かりが幻想的に彼女の舞踏を演出した。
「──幼いころに見た儀式と巫女に憧れて、誰よりも舞踏に打ち込んだ。あたし、この儀式の橋で主役になりたかったんだ」
使命なんて関係ない、誰の為でもない、少女は儀式の美しさに魅入られ自分もそうなりたかったのだ。
「資格、にいよね?」と、申しわけなさげに笑う。
さっそくイリーナのアドバイスが生きるときがきた。
「俺の親友が言ってたぜ。正義に縛られるな、心に従え」
自分の幸福を優先しろってさ。
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