三場 聖竜スマフラウ


いま自分が寄りかかっていた壁こそが竜だと知らされて、俺はあわてて飛び退いた。


「わりい、壁かと思った」


それははるか頭上の竜の耳にとどいたらしく、聖竜スマフラウは長い首をくねらせてその頭部を俺たちの前まで移動させた。


『初めまして、人間の戦士』


竜の声が聴こえる、いや流れ込んでくる。


「ごていねいだな、だが俺は戦士じゃねえ本職は吟遊詩人だ」


あやうく自分でも忘れそうになる。


メディティテの光球がドラゴンの頭部を照らし、ギラギラとした瞳に光を反射させた。


邪竜と呼ぶにはあまりに神々しい、まるでそびえたつ黄金の城、金色のドラゴン。


生物最強とされるドラゴンの中でも最大クラスであり、永遠の命をもつとも神に匹敵するとも伝えられる古の竜。


上位生物エンシェントドラゴン──。


どんなにこの谷が深かろうと橋の上から確認できたわけだ。


至近距離からでは全貌などとても見渡せない、前足の指だけでも俺の背丈の倍もある。


デコピン一発で絶命するという意味でこの巨躯のまえでは赤ん坊も人類最強も同じだろう。


俺が倒したチンピラドラゴンとはスケールのなにもかもがちがう、巨大トカゲなどと揶揄する気もおきない。


出会えば伏して我が身の無事を祈るほかにないという意味で、この竜は神と崇められるにふさわしい。


それがいま目と鼻のさきで有機的に躍動し息吹を放っている。


――で、どうすればいいんだ?


せっかくたどり着いたがなにを質問してよいかわからない、イリーナは気絶中だ。


勇者は竜の足もとに無造作に転がっている。



『トールキンの使いが、灯を提供しているのだ我も力を持ち寄ろう』


聖竜スマフラウが発言するとそれが竜の魔法なのか、イリーナがパチリと目を覚ます。


「あ、お、おはようっ!」


寝覚めの悪さを日々呪っている、そんな彼女とは思えない瞬発力だ。


「──これが聖竜スマフラウ……」


そしておどろくほど冷静に状況を受け入れた。


いつもならパニックを起こして下手すりゃ再度の気絶もありえたはずだ。


ジタバタしても無駄──。


俺もそうだが、これだけ差があると覚悟が決まってしまうものなのかもしれない。


「うあぁ、デカイぃぃ……」


無駄にかすれた声で、無駄に見たままの感想を述べた。


『意識の覚醒に精神の安定、それと体調の回復をおまえ達に命じた』


気がつけば俺の調子も全快していた。


体を蝕んでいた厄介な毒はすっかり排出されたかのように力がみなぎっている。


スマフラウが魔法で解毒してくれたようだ。


「おお、ありがてえ」


いまの話によると精神的に落ち着いていることも竜の魔法の効果ってことらしい。


──これは聖竜だな!


メディティテが解説する。


「スマフラウの特性は『支配』彼が命じれば人は意のまま。意識をうばうことも肉体をあやつることも、睡魔や病を忘却させるていどはたやすい」


能力は【支配】イーリスの魔法をみて俺はそれを【催眠】くらいに思っていた。


──それは邪竜かもな……。


イリーナは不思議そうに自らの精神状態をたしかめている。


「その、支配の魔法で恐怖や興奮がおさえられてるのか……」


本来、こんな巨大生物と肉薄して平常心をたもてるわけがない。


スマフラウが『聖竜』とも『邪竜』とも呼ばれるゆえんが分かってきた。


これがエンシェントドラゴン──。


こんなにも強大な存在が畏怖されないわけがない。


「スマフラウさん、ボクらの事情はご存知ですか?」


イリーナが神に語りかけた。


『我の影響がおよぶのは橋の周囲まで、遠い他国で起きたことは知らぬ』


スマフラウの答えに「そっか」と彼女は納得した。


橋の付近ではじめての交信があり、そのあとなかったことの説明がついた。


俺たちがいまされているように竜はいつでも声を送ることができる。


巫女たちにスマフラウの声が聞けないのではなく、スマフラウがイーリスにしか語りかけていなかっただけ。


その範囲が崖下から橋の周辺までということだ。


イリーナは正直に伝える。


「ボクたちがここに来たのは単に緊急避難なんです。それで、スマフラウさんから情報を得られたら良いなと考えてました」


竜騎兵に殺されるか、マウ兵に捕まるかからの消去法だからな。


「──そちらもボクらを招き入れることに積極的だったみたいですが、どうしてですか?」


竜は見張り台の兵士を無力化してあらかじめ障害を排除してくれていた。


聖竜スマフラウは答える。


『次元竜の巫女を納得させるために必要と判断した』


イリーナはエルフ女を振り返る。


「メディ、なんだっけ?」


「メディティテ」


『次元竜の巫女』は先刻とは対照的に誇らしげに名乗った。


しかし耳馴染みがなさすぎる名前だ、イリーナは省略して呼びかける。


「メデっち」


「メデ、っち……?」


困惑を隠せないメデっち、俺はかまわず質問をつづける。


「それと俺たちになんの関係がある?」


『次元竜の巫女』は主竜の命令で邪竜を討伐しに来たと言っていた。


それはつまり聖竜スマフラウと次元竜トールキンの争いに巻き込まれたということだろうか。


──おいおい、今度はなんの事件だ?!


イリーナの件、イーリスの件、マウ軍の件、くわえて古竜の件ととても整理しきれない。


メディティテはおのれの使命を明かす。


「他種族を害する竜族は滅する、それがトールキンの意思。スマフラウがそれに該当しないかを私は見きわめに来た」


次元竜トールキンは竜族が他種族に害することを嫌う、炎竜と戦った逸話があるくらいだしな。


穏健派のイリーナが助け舟を出す。


「害するどころか有益だよ、戦争難民たちのより所になっているんだから」


古龍がそこにいるだけで外敵からの侵略が抑止され、百年間の安寧が守られた。


人間に利用されて竜はどう思っているのかと気になっていたくらいだ。


──これは聖竜だろう。


メディティテは反論する。


「それは違う」


「違うって、メデっち。どういう意味さ?」


「メデっちは、やめてっ!」


嫌だったらしい。


フランクに受け入れてくれればもう少し絡みやすいのに。


「──自発的に人が集まったわけじゃない、これはスマフラウが呼び寄せた結果」


メディティテは仕切り直しておそるべき真相を語る。


「人間たちの意識に介入して集落をつくらせ、そのエネルギーを収奪して自らの糧としている」


この都は人間が自らの意思でつくったのではなく、竜が【支配魔法】でつくらせた。


人が竜を軍事利用するための都ではなく竜の餌場だったのだ。


「──私たちはそれを悪と判断したの」


──それは邪竜!


儀式が竜にむけて行われていないと知ったとき以来の衝撃。


人は竜を崇めてないし、竜は人を守ってないし、巫女は竜と交信できてないし、竜神官は竜の巫女を殺すしで嘘ばっかりだ。


『しかし次元竜の巫女よ、議論は尽くしたがそれが人間たちにとって害とは限らぬのだ』


スマフラウは否定しない、彼はたしかにに人々を操作し搾取しているのだろう。


同時に行き場を失った者たちに居場所を提供し、人間の営みを保証しているのも事実。


人が暮らすにはあまりにも不便だとは感じていた、古竜の介入ありきの団結だったわけだ。


そして他の集落がここより平和かと言えばあやしい。


世界一平和だつた皇国の首都で百万人が死んだ、彼らよりは長生きできたのだから。


「それが正義なのか悪なのか、もはや私には判断がつかない。それに、もう戻らなくてはならないんだ」


どうやらメディティテには時間制限がある様子。


「──だから決断を人間にゆだねることにする」


彼女にとっても苦肉の策らしい。


次元竜の巫女はあらたまって俺とイリーナに言い聞かせる。


「支配下にある都の民に公正な判断はできない、だから二人が決めて。人間にとって邪竜スマフラウは滅すべき敵なのかどうかを」


メディティテの目的は理解できた。


できたが、どちらにも肩入れしたくないというのが本音だ。


──古竜との闘いに巻き込まれるなんてゴメンだぜ……。


どちらかといえば高圧的な態度の彼女より、聖竜スマフラウのほうか紳士的でフェアーな相手に感じる。


なによりイーリスの味方だ──。


イリーナは確認する。


「スマフラウを人類の敵と判断したとして、そのあとは次元竜トールキンが倒してくれるわけ?」


それはそうだろう、とても人の手に終える代物ではない。


このサイズ同士が激突したらと想像しただけで背筋が凍る思いだ。


メディティテは答える。


「トールキンは持ち場をはなれられない、だから私がやるつもりだった」


──馬鹿な、単独でか!?


次元竜の巫女はそんなにも強大な力を持つというのだろうか。


驚いているとメディティテはさらにとんでもない発言を炸裂させる。


「――だからスマフラウを悪と判断したなら、あなた達で討ち取って」


あぜんとする俺のよこでイリーナがつぶやく。


「丸投げ、だと……」


「まてまて、これを人間が倒せるわけあるか!」


俺は抗議した。


相手はただの巨大生物じゃない、【支配魔法】をあやつる古竜だ。


平原に万全の兵器と軍隊があっても勝利を想像できない。


ましてやこんな辺境の地の、そのまた崖の底でだ。


「普通に考えたら勝てない。だけど不可能ではないわ、よく聞いて」


どうやらメディティテも考えなしに言っているわけではないようだ。


『次元竜の巫女』は射抜くように真剣なまなざしで、俺の心に刻み込むように伝える。


神とも称されるエンシェントドラゴンを倒すための必勝の策を──。


「──竜は、心臓を刺せば死ぬ」


心臓を刺せばそりゃ大概の生き物は死ぬだろ。


「おまえはなにを言ってるんだ?」


俺のとうぜんのリアクションに対してメディティテは不快感をあらわにする。


──この女、なんでイラッとした?


「大体、俺の剣だって心臓までとどきゃしねえよ」


あまりに規格外のサイズだ。


まず手足をかいくぐって胴体までたどり着かなくてはならないが、もぐり込んだところで突き入れた刃が皮膚を貫通して内臓に達するとは思えない、そんな半端な厚みではない。


そもそも頑丈な鱗や外皮を傷つけられるかすらあやしい。


俺はメディティテの頼みを断る。


「どのみち、この都をどうするかなんて余所者が決めていいことじゃないだろ」


これが世界の危機とかいうなら分からないこともない。


しかし、スマフラウは百年そうしてきたように都に干渉するだけ。


「──魔法の影響があるのかもしれねえが、それも橋の周辺までなんだろ、どうするかは上の連中が決めることだ」


この都に住む人たちを俺はどうにも好きになれなかった。


そいつらのためにリスクを負う気もない。


邪竜をあがめてニセの巫女をありがたがって、幸せを満喫しながら魂吸われて早死にすればいいじゃねえか。


覚めなけりゃ夢も現実も一緒、真実をしらなければ幸福のままでいられるって理屈だろ。


環境が人を決める、外から口出しするなんて余計なお世話だぜ。


メディティテが失望したように吐き捨てる。


「臆病者……」


スッキリしない感情を持て余している俺をイリーナがフォローする。


「神を倒さなきゃ臆病者なんて無茶もいいとこだよ」


炎竜を人間が止められなかったようにスマフラウと戦うとなれば、それはもう種族の存亡をかけた戦いになりかねない。


とてもそんな責任は負えないし期待もされてないたろう。


イリーナは結論を伝える。


「──それでも臆病者のボクらにゆだねるって言うなら、これ以上のことをしないかぎり聖竜は人間にとって害はないと判断する」


【支配】の影響が橋までしかおよばないなら、ここにとどまるのは人々の判断だ。


ただ、もれなく真実を知らないだけ──。


スマフラウも都を襲って殺戮のかぎりを尽くしているわけでもなく、崖下でおとなしくしているだけだ。


トールキンとその巫女が判断に迷うのもわかるが、大事にするべきではないだろう。


「わかった、それが人間の判断なら私はこれ以上の介入はしない」


倒す気できたなら判断をゆだねたりはしない、メディティテはすんなり引き下がった。


イリーナは安堵した様子でまとめる。


「今回は保留ってことにしたらいいんじゃないかな」


俺たちは聖竜スマフラウとは戦わない──。


そう結論がでたところでイリーナはとうとつに口走るのだ。


「──話もまとまったところで、そろそろボクもおサラバかな」



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