二場 タマキン違い


「もたもたしないで」


女はつめたい口調で俺たちをせかした、傲岸不遜な態度からはむしろ命令とでもいったほうが適切かもしれない。


確かに俺たちは聖竜スマフラウに会いに来た、しかし見知らぬ人物におとなしく従うのはむずかしい状況だ。


一向に身分をあかす様子のない謎の女にイリーナが切りだす。


「ちょっとまって、あなたは誰?」


「そんなことおまえ達には関係ない、竜に会うのが目的でしょう」


第一印象で危険なやつだと予感していたが、それは正解だった。


間違いない、この女はコミュニケーション能力が欠如しているタイプの人間、意思疎通ができない人間はもっとも厄介で危険な存在だ。


そもそも女は人間ではなかった。


人間ばなれした雰囲気からよくよく観察してみれば、特徴的な耳からエルフだということがわかる。


すると、コイツが例の侵入者かもしれない。


「マウの兵士か?」


テオ達の仲間だろうと確認したが彼女はそれを否定する。 


「ちがう、しかし私のことはおまえ達みたいな大国にポジションをもつ人物には知られないほうが好ましい」


なにかしらの事情はあるようだが、このままでは距離が縮まらない。


「でも知らない人について行っちゃダメって、ママに言われてるから!」


イリーナのそれは信用できないという意見を遠回しに伝えるものだが、エルフの女は文字どおりに受けとめる。


「そんな理由で?」


と、さも意外といった表情をみせ。


「──私は目的地まで案内しようと言っているのに……」


と、困惑する姿をみせた。


──まさか本当に善意で言っているのか?


これが対等な相手ならここまで警戒していない。


しかし、いざ相手と戦闘になったとしてこの俺がまったく歯が立たない予感がある。


それほどに隙がなく不気味な雰囲気をまとっている。


「身分をあかしてよ、話はそれから」


とまどうエルフ女にイリーナが念を押した。


「……しかたない」


観念したのか、謎の女はそう前置きして答える。


「──おまえ達の呼び方では『竜の巫女』か、私は次元竜トールキンの巫女メディティテだ」


エルフ女は意外なほどあっさり名乗ると、これで良いかと胸を反った。


次元竜の巫女メディティテ──。



「ん?」「はっ?」イリーナと声がかぶった。


次元竜はイバンから聞いていた三体のひとつだ。


とっさの偽名にしてはひねりが効いているが、新たな竜の名が浮上したことに戸惑いが生じる。


──なんだって聖竜の巣で次元竜とやらの巫女に遭遇するんだ?


アシュハの国境でマウ軍と遭遇したり、聖竜の都で次元竜の巫女と遭遇したり、入り組んでるにもほどがある。


俺が頭を抱えていると、イリーナがメディティテに詰めよる。


──こらこらそんな不用意に!


「次元竜の名前、トールキンって言うの?!」


どうやらイバンがまちがえた名前を伝えていたことに反応したようだ。


「そう、トールキンと呼んでいる。竜の真名は人間には発声不可能だ、だから人間が名付けたものにすぎないけ──」


イリーナはよほどのショックを受けた様子で力一杯吸い込んだ空気を思いっきり吐きだす。


「タマキンじゃないじゃんッ!!」


「なんだ突然、下ネタやめろよ!?」


大声でなに言ってんだと咎めた。


イリーナは「ああっ!」とのけぞって頭をガシガシとやりながら「めんどくさっ!」と叫ぶ。


──どうした、狂ったのか?


驚いたがコイツの奇行の意味がわからないのはいつものことだ。


イリーナは無視してエルフ女に確認する。


「マウとは無関係なんだな?」


「私は単独でここへき──」


「どいつもこいつも間違った情報をよッ!!」


イリーナの怒りの叫びが俺たちの会話をさえぎった。


オオトリのオードリーに続いての間違いがよっぽど腹立たしいらしい。


「なにをそんなに怒り狂ってんだ、名前くらい誰だって間違えるだろ」


正しい名前がわかったらもういいだろ、諫めにかかったがイリーナはひかない。


「間違えないんだよ! 名前を間違えることはあってもタマキンだけは絶対にないッ!」


「トールキンに命じら──」


「チンコとか! タマキンとだけは! 絶、対、に、間違えないんだよっ!」


「邪竜スマフラウを討ば──」


俺もたまらずに叫ぶ。


「いい加減に下ネタやめろッ!!」


「なんなの?! 童貞だから女子の下ネタに敏感なの!!」


「童貞じゃね……ちょっ、まてまてまてっ!!」


俺は両手をバンザイしてバタバタとはためかせることで強引にイリーナとの口論を中断させる。


メディティテの発言に聞き逃せない言葉があった。


「……聖竜、スマフラウだろ。邪竜ってのはどういうことだ?」


メディティテは平然と答える。


「炎竜ロードエヌマも地域によっては氷竜と伝承されている、トールキンも幻竜と呼ばれたりする」


ここでは聖竜と呼ばれていてもメディティテの界隈では邪竜あつかいなのか?


「でも邪竜ってのは、その、あんまりだな……?」


印象が真逆だし、そうでなくとも敵中に孤立した俺たちは唯一の味方として聖なる竜をたよって来たのだ。


そんな呼び方をされては余計な不安に煽られる。


「お願い、急いでいるの。明け方には私はここを去らなければならない、それまでにあなた達をスマフラウに会わせる」


メディティテはイラつきはじめた。


急いでいるのはこちらも同様、引き伸ばしている場合ではない。


どのみち竜には会わなければならないのだ。


「下へはどうやって行くんだ?」


見渡すかぎり道はない、谷が深すぎてとどく梯子もないだろう。


メディティテがつぶやく。


「光の精霊よ」


すると彼女のまわりに光球が発生し周囲を照らしだした。


「魔法だ」


反射で言った言葉をメディティテは「精霊魔法」と訂正した。


「なにか違うの?」


イーリスがたずねるとエルフは親切に答えてくれる。


「これは外部エネルギーを転用する我々独自の魔法、体内循環する魔力を使用する人間の魔術とは異なるものだ」


「よし、わからん」と、俺は理解を断念した。


俺たちの周囲は明るくなり相対的に崖の景色が闇を増した。


「ひえっ」


イリーナがストンとその場に座り込んだ。


明るくなったことで崖下の奈落の深さを実感、意図せずに腰を抜かしたのだ。


「おい、しっかりしろ!」


「ご、ごめん。ボク、じつは高いところが苦手なんだぁ……」


情けない声で鳴いた。


なんだよ、さっきまで飛竜に乗りたがっていたじゃないか。


おびえるイリーナ、そこにメディティテが追い打ちをかける。


「下へは飛びおりて行く」


下へは、飛びおりて、行く──。


理解するよりさきにイリーナは「へっ?」と、悲鳴じみた声をあげた。


「安心しろ、地面に衝突するまえに落下の衝撃を霧散させる。さあ、飛んで」


さあ、飛んで、ではない。


「バッカ! それが可能か以前に初対面の人間に安全と言われたからって底の見えない奈落に飛び込めるか!」


まったくの正論だ、イリーナは断固拒否の姿勢を貫く。


しかしメディティテはコミュニケーションを取れない女。


「もういい、話し合いは無駄。おまえと信頼関係を構築している時間はない」


言ってイリーナに歩み寄ると両手でつかんでヒョイと頭上に持ち上げた。


「……どうやってんだ、それ?」


その細腕でおそらくは俺がそうするよりもたやすく人を持ち上げた。


「巫女は竜の力を一部借用できる、これくらいは簡単」


「ちょっと!!」


イリーナが抗議しようとした次の瞬間、信じられないことが起きた。


「えい」


エルフ女は躊躇なく橋の下へとイリーナをほうり投げた。



「ぎゃあああ――――――!!!」


イリーナの姿は絶叫とともにあっという間に闇に飲まれて消えてしまった。


階段から転げ落ちても死にそうな少女が奈落に消えた――。


あまりの衝撃映像に思考を停止し固まっていると、メディティテがこちらへ手を伸ばす。


「きて、追いつかなくては」


ここで俺がしぶって時間を食えば、メディティテの影響下のそとでイリーナは墜落死するのではないか。


「くっそ! 好きにしろ!」


迷っている暇はない、俺はエルフ女と同時に橋を蹴って飛び降りた。


メディティテが唱える。


「風の精霊よ」


力が発生し、先に落下したイリーナと俺たちの距離が縮まっていく。


まるで放たれた矢のようにまっすぐ突き進むと俺は空中で彼女をキャッチした。


腕の中のイリーナはグッタリとして動かない。


「おいっ!! これ死んでんじゃねえのか?!」


飛び降りは地面に叩きつけられるまえに落下の恐怖で心停止する場合もあるらしいぞ。


もし魔法の灯りがなく周囲が完全な暗闇だったら、意識を手放さない自信は俺にだってない。


「それはマズイ……」


メディティテの表情が曇った。


ひどい短絡的行動だ、とても命をあずけてよいタイプではない。



底無しに感じられた奈落の底へは間もなく到着した──。


着地まで速度を落とさずほぼ自由落下からの急停止には寿命が縮まる思いだった。


たぶん、よっぽど心臓と肉体が頑丈でなければ高確率で死んでいる。


とにかく俺たちは崖の底に到着したのだ。


「死んだの?」


メディティテが不安げにのぞきこむ、無責任な話だ。


「いや、大丈夫そうだ」


防衛本能がはたらいて瞬時に気絶したのだろう、落下体験をほとんどすることなくショック死をまぬがれたようだ。


「──そんなことより俺のほうが深刻だ……」


こんな無茶ができる体調ではない。


俺はイリーナをおろしてかたわらの岩壁によりかかった。


「で、どれだけ歩けば竜の巣にたどり着く?」


断崖の底、周囲をただよう光球が照らしだす景色を見渡した。


十メートル先は暗闇だ。


どんなやつ、もとい竜が待っていようとこれ以上はおどろかない覚悟が必要だ。


そうでなくては身がモタナイ。


メディティテはなんの抑揚もなく答える。


「もう会っている」


「あん?」


言われていま自分が寄りかかっている壁への違和感に気づく。


「それが、邪竜スマフラウよ」


俺たちは橋から落下し、竜の真横に着地していた。



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