四場 清算


死者を自在に操り強国アシュハ皇国をも滅ぼせし不滅の魔王──。


わが妹、リングマリーの姿がそこにあった。


私の接近には気付いていない様子で特等席から滅びゆく世界を見下ろしている。


気配を殺して近づけば、そのまま倒せてしまえそうなそんな雰囲気だ。


その無防備さが、彼女が最近までただの引き篭もりの少女でしかなかった事実に気づかせる。


世界を知らない、他人を知らない、ただ誰からも愛されることがなかっただけの妹だ。


その姿は大司教のものではなく母が奪い取っていたもとの肉体、彼女の魂は正しい肉体へと帰っていた。



「どうです、人類を滅亡させる気分は?」


私はその背中に声を掛けた。


「ひっ!?」


魔王は大げさとも言える勢いで肩をはね上げそのまま転倒した。


驚かせてしまったらしい。


私の存在を認識したはずだが無様に転んだことが恥ずかしいのか、振り返ることなく返事をする。


「別に、楽しかないよ。言ったでしょ、ただの自衛だって――」


魔法で魂の存在を察知していたが、あらためて母ではなく本人であることが確定した。


母スーザラはやはり【宝玉】を隠し持っていた。


娘に敗北し両方を奪い返されたという結末をたどった様だ。


イヌ家の人間はわれわれ二人だけになった。


「泣いているのですか?」


頑なに振り返らない様子から、なんとなくそう察した。


「泣かねーしっ!? ……ただ、ちょっと虚しく感じただけ」


否定したが彼女は手の甲でぐいと顔を拭った。


「あなたにとっては誰しもが無関係な人々でしょうからね」


社会との関わりが皆無だった彼女にとって、燃え盛る街や人々はどう映っただろう?


自らを脅かす害虫の駆除とでもいったところか。


コロシアムでの生活が無ければ、私も大差のない考え方をしていたはずだ。


妹は「よっと」と、もたれていた手摺りから離れおぼつかない足取りでこちらを振り返った。


相変わらず伏し目がちで視線を合わせない。


彼女の視線は追えば逃げ、待ち構えれば逃げの繰り返しだ。


「どう……、この派手な格好? こんな、誤魔化しのアクセサリーをジャラジャラ付けて、さ、なんのために若い体がほしかった訳? 意味不明」


母も若い頃はこんな大粒の宝石をジャラジャラ付けるセンスはなかっただろうに、なんだかアンバランスで滑稽だ。


私は素直に答える。


「まあ、悪者らしくはありますよ?」


それが無ければ、それこそ彼女は貧相なだけの子供でしかない。


「悪者って……」


少し笑っただろうか?


「──不死者の王は悪なんかじゃないやい!」


すぐに不貞腐れた態度に戻った。


「そうでしたね、これは人類と新しい種族との戦争でした。そのせいで私は人間側の立場から貴女を倒さなくてはならない」


私は短剣を鞘から抜きとり距離を詰め、鋭利な刃をマリーの眼前に突きつける。


マリーはその場に直立している、不死王は逃げる必要を感じていないのだろう。


剣闘士や聖堂騎士団、これまでの屈強な戦士たちに武器を向けるのとはまったく違う。


眩暈がするほどの不快感が私を包み込んだ。


それでもマリーはうつむき気味に日常の不満を漏らすのだ。


「……私、お兄ちゃんの、それ、の、他人アピールの敬語が大っ嫌い……」


分析したこともなかったが確かにそうだ。


私が家族に対しても敬語なのは、嫌いだった彼女らに壁を作るためだったのだろう。


母と知らない男とのあいだに産まれた妹マリー。


大人になってみれば複雑な事情があったのだろうとも考えられるが、十二かそこらの小僧には我が家に居られるだけでも居心地が悪かった。


不定の母に対して怒りを感じていたし、彼女を容認することは父への裏切りのように思えた。


母はもちろん妹も同種の悪だと思っていたし、彼女たちに制裁を加えない父にもどこかで失望していた。


彼女が無能だったならば私の溜飲も下がっただろうに、彼女は死霊魔術としての頭角を現す。


それはいつまでも成果を得られない父を惨めにし、私を脅かした。


思えば私がマリーを嫌ったのはそれだけの話なのだ。


敵だと思えばこそ打ち解けてはいけないと思い込んでいた。


「恥ずかしながら、原因は嫉妬です」


非を認めた私をマリーは批難する。


「そんな権利無いよ……。だってそうでしょう? 剣がどうだとか、女の子がどうだ、とか……、お兄ちゃんは、嫉妬して良いだけの努力をしていないもん……」


不老不死研究は一族の命題、心中するべき使命だ。


けして真剣じゃなかったわけではないが、同時に別のことに夢中であるフリはしていた。


「勝てないだとか、悔しいだとか、そんなこと、私より努力してない奴に言われたくないよっ!」


別のことに時間を割くことで実力を発揮しきっていないんだ、まだ伸び代はあるんだと周囲に思い込ませようとしていた。


「私は、やりたくもない研究にすべてを捧げた! あらゆる娯楽も! 健康も! 子供らしいワガママも! すべてを犠牲にして、引き換えに、それを、手に入れた成果なのよッ! フラフラ遊んでいた人に、持って生まれて来たみたいに言われたくなんかないよぅ!」


同じだけの努力をして負けてしまったら言い逃れはできない。


かと言って真っ向から立ち向かって勝てるとも思えなかった。


私は本気を出せなかった。


父の血が劣等であると証明されてしまうのが恐ろしかった。


私たち三人を聖堂騎士団から逃がして死んでしまったあの父が、才能のない二流の魔術師だと結論づけたくなかったのだ。


「褒めてほしかった! よくできたって頭を撫でてほしかったの! お父さんやお兄ちゃんの役にたって、家族の一員になりたかった……、あの家で認めてもらう方法が、他になにかあったの……ッ?!」


マリーは感情を爆発させ涙で顔を濡らした。


家に居た頃にはこうやって気持ちを吐き出すことは一度も無かった。


いや、私が見向きもしなかったのだ。


「不死者の王でしょう? そんな、人間みたいな、妹みたいな泣きごとを言わないでくださいよ!」


同情はできない、私はマリーを叱責した。


舞台に上がったら、終了の合図があるまでなにがあっても芝居は止めない。


それがプロの矜持なんだと勇者は言った。


そうしてくれなくては同じ舞台に上がった私の芝居も剥がれてしまうじゃないか。


戦闘状態に意識をシフトさせ短剣を構えなおしてマリーを威嚇する。


「私は人間の総意として侵略者たる不死者の王を討伐する者です!」


この世の終わりに直面しても相入れることの無い兄に、妹の顔は絶望に染まった。


どこまで行っても独りぼっちだ。


「無駄だって言ってんだろ!! やれるもんならやってみろよッ!!」


マリーは両手を広げて挑発した。


私はためらわずに使命を実行に移す。


妹の薄い胴体部に力いっぱいナイフを突き挿れた。


大した抵抗もなく刃は柔らかい内部に侵入していく。


「あアッ!? あぐぃぃ……」


マリーが言葉にならない呻き声で苦痛を訴える。


痛みに耐え、力を振り絞るように、貧弱な細い腕を震わせながら私の頭を両手で抑え込んだ。


そして強引に自分の方に向けさせる。


生まれて初めて視線が合った。


──ああ、こんなにも。


彼女の強い眼差しに私は戸惑いを覚えた。


マリーは荒く息を継ぎながら、苦痛に歪んだ険しい表情でそう宣言する。


「すぐに、その体を奪い取ってやる!!」


魔術で私の意識を乗っ取ろうとしているのだ。


人の体を乗り継ぎ続けられる限り彼女は不死の存在だ。


誰にも彼女を倒せない。


しかし、次の瞬間に彼女が発する声は困惑に塗れた。


「あ、あれ?! ……なんで、そんな、なんでっ!?」


私はその疑問に答える。


「貴女の魔術は誰も研究していない未知の魔術だからこそ無敵なのです。しかし同じ研究室で実験を目のあたりにし、実際に勇者で再現した私ならば対策することが可能だった」


【通信魔術】は魂の位置を特定した相手と意思疎通を可能に、いや強制する魔術だ。


発動して解除するまでのあいだ魂の位置を固定できる。


これは【死霊魔術】におけるリビングデッドに指令を送る技術の転用。


私はマリーとの通話状態を維持することでその場、つまりは肉体に足止めし魂の上書きを妨害した。


私の魔術自体がそもそもマリーの魔術に対する【対抗魔術】として編み出したものだった。


あとは肉体が死を迎えて意識の信号が途絶えてしまえば、不死者の王は肉体という枷に道連れにされて消滅する。


マリーならば対策済みか即座に対応する可能性もあった、しかしその余裕はもはやないようだ。


「痛い! 痛いよぉ!」


生命の危機を自覚し悲鳴をあげる。


「──痛いぃぃ……お兄ちゃん! やめて、助けて、お兄ちゃん……ッ!」


ひと思いにトドメを刺したかった、しかし握力を得られない。


血の気が引き、手足は痺れ、短剣の柄を上手く握り込めない。


はやく楽にしてやりたいと思うのに、皮肉にも行為に対する抵抗感がそれを邪魔している。


妹を上手に殺してやれない。


「いたい……や、だ……やだ……死にたくな……ぃ」


マリーがもはや無意味となった命乞いをした。


「貴女にはもう!! その言葉を口にする資格は無いんですよ!!」


私はただ暖かい血液が両手を濡らす感触に咽ぶしか出来ない。



「マリー?!」


マリーは力尽き、膝を地面に着いて体重を私に預けてきた。


私は崩れ落ちる妹を支えるように追従する。


呼吸は途切れ途切れで弱々しく、肩に預けられた重みは増していく。


「マリー! マリー!」


なんのつもりか私は何度も妹の名を呼んでいた。


「ああ……、しくじった……。私、家族になりたかった、のに、それどころか、全然べつのなにかに、なってた……」


最後の呟きは辛うじて聞き取ることができた。


私の手の上に重ねられていたマリーの手が力を失ってだらりと垂れ下がる。


【通信魔術】の効果が切れて、それが彼女の絶命を証明した。


「なにを言っているんだ……。家族でなかったら、俺は責任を負ったりなどせずに真っ先に逃げ出していたに決まってるだろ……」


私は泣いていた。


あんなに憎かった妹が死んだ時、感じられたのは強い後悔と自分への失望だけだった。



――人類の敵はめでたくも滅せられた。


私はその場に妹の死体をよこたえ、おぼつかない足取りで立ち上がる。


頭の中をふわふわと浮遊感が充満し思考がさだまらない。


「さて、どうするか……」


なんとなしに呟いた。


見張り台の上で周囲を見渡した。


燃え盛る大都市、逃げ惑う人々の喧騒、血の匂い、世界は見渡す限りの地獄だ。


もはや【宝玉】を手に入れたからといってなにができるだろう。


──手遅れ、すべてはもはや手遅れだ。


死に行く百万の人々を見下ろしながら、もはや自分にできることは無いのだと確信した。


家族の引き起こした功罪を背負う覚悟も、背負ったまま研究を続ける気力も無かった。


罪悪感ではなくこの地獄を抜けて生き残ることが、ただただ億劫になってしまった。


寄り添ってやりたかった父も、打ち解けることのできなかった母も、虐げてしまった妹も、誰一人いなくなった。


勇者には悪い事をした──。


申し訳ないが本心ではそれを悔いてはいない。


身勝手ながらも共に過ごしたその日々は、一生で無二といえるほどに楽しい時間だったからだ。


だからもう充分だった。


個人が放棄せずに抱え込むにはこの事態は重すぎる。


いつもの様に逃げてしまおう。


私はらしくも本能に従うことにした。


脱走でも企てるかのように手すりに乗り上げ、そしてこの国でもっとも高い塔の屋上から飛び降りた。


すべてがとっくに手遅れだが、せめて。


あの世では少しでも兄らしく振舞ってやりたいと思う──。


視界はすぐに真っ暗になり、頭部が粉砕されるに足る衝撃を受けて私の意識は途絶えた。



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