三場 最終局面
宿敵ミッチャントへのリベンジに燃えるアルカカをおいて私はその場を離れた。
リビングデッドの専門家として手伝いたかったが、彼なりの意地があるのだろうからと粘ることはしなかった。
彼らが生き残れるか、天才リングマリー相手に私になにができるのか、混沌としていて先のことはもう分からない。
ただ、世界が徐々に終わっていくスイッチが押されてしまったことは確かだ。
私はウロマルド・ルガメンテを思い出していた。
闘い続けることを己の使命として死地を求め、すべてを燃焼し尽きたその勇猛な戦士の姿を。
門衛棟を抜け女中たちの待機所から慣れた手際で居館へと侵入を果たす。
ここを抜けた先、塔を昇った屋上が見張り用の広いバルコニーになっていてリングマリーはそこ居るはずだ。
居館は荒れ果てていた。
侵入を阻むはずの兵士たちは城下に出払ってしまったか、フレッシュゴーレムの材料にでもなってしまったのだろう。
避難していた老人や女中たちも乗り込んで来たリビングデッドに蹂躙されたに違いない。
その光景を思うと胸が痛む、中には見知った顔が幾つもあったはずだ。
敵の襲撃に気を張りながら私は広間を横切った、そこで意外な人物と遭遇する。
吹き抜けになっている広間。
二階のホールへと続く階段を塞ぐようにして、準騎士レイクリブがリビングデッドと戦っていたのだ。
広間には二十からのリビングデッドが散らばっていた。
活動を停止しているもの、部位を欠損しもがくだけのもの、それらは彼が撃退したのだろう。
階段の中ほどに陣取り高低差を利用して集団に対処しているが、怪力を振るうリビングデッドが相手では一瞬の油断も命取りだ。
リビングデッドがまた一体、レイクリブに襲い掛かる。
彼は鎚矛と盾でそれを退けた、疲労の色が濃くおびただしい量の汗が流れ出ている。
側面のテラスから誰かがリビングデッドに向かい花瓶を投げつけた。
しかし、それは飛距離がまったく足りずに地面に衝突して粉砕される。
テラスの人物に向けてレイクリブは怒鳴りつける。
「余計なことをするなッ! 奥に引っ込んでいろッ!」
その指示に対して彼女は反論する。
「できませんッ! お手伝いさせてくださいッ!」
その可憐な声には馴染みがあった。
「ぜんぜん役に立ってないんですよ!!」
レイクリブの怒声に割り込んで私は呼び掛ける。
「ティアン嬢! ご無事でしたか!」
呼びかけに答えて手すりから身を乗り出したティアン姫がこちらを発見する。
「アルフォンス様! 良かった、ご無事でしたのね!」
元気そうな姿を見て私は胸を撫で下ろした、彼女の安否は大きな心配ごとの一つだった。
レイクリブが最後の一体を撃破したのを確認し、私は階段に駆け寄る。
彼は限界とばかりにその場に腰を落とした。
かなりの死闘を演じた様子でうなだれて呼吸をととのえ始める。
「なぜ貴方がこんなところに?」
彼はチンコミル将軍の側近として城下で戦っているものだとばかり思っていた。
いや、むしろ再会を果たすまでその存在をすっかり忘れていた訳だが。
「城門を、怪物に突破されていた、からな……。敵が城内へ侵入したと判断し、隊を離れて駆けつけた」
体裁を保つ余裕もないのか粗暴な言葉使いをしている。
「お父上の仇である姫を、まさか貴方が守っているだなんて」
誰かの命令ではなく単独で駆けつけたということが意外だった。
準騎士レイクリブは食って掛かる。
「俺の騎士道を侮辱するなっ! 主君のために命を懸けるのは当然のことだっ!」
それで姫の危機に真っ先に参上し、城内のリビングデッドを一掃していた。
私は彼の評価を見誤っていたようだ。
「……ところで、あのペテン女はどうした?」
ペテン女とは酷い言いようだ。
レイクリブの質問に答える前に、二階からティアン姫が駆けつける。
「アルフォンス様! イリーナは?!」
開口一番、同様の質問である。
目の前の姫はけして無傷ではなかった、寸前のところで助け出されたのだろう乱闘の痕跡が見て取れる。
「申し訳ありません。勇者様とは道中ではぐれてしまいました」
私は彼女の護衛なのだから実質、職務放棄して来たことになる。
「イリーナは無事なのでしょうか……?」
ティアン姫は顔を曇らせた。
ここは気休めでも言って安心させるべきだと理解はしているのだが――。
「もう死んだかも……」
「そんなっ!?」
本心を言ってしまうのがこの私だ。
「勇者様とはぐれたのは敵の本拠地のど真ん中でした、周囲はリビングデッドで完全に埋め尽くされている頃です」
死んでいて欲しい訳じゃない、公正な目で見ればという話だ。
「──友人に後を託してきましたが、たとえ合流を果たしていたとしても生存は非常に厳しいと思います……」
ティアンはそれを聞かされても顔を下げなかった、まっすぐにこちらを見詰め。
「大丈夫、イリーナなら心配はいりません」
凛々しい眼差しで私を励ました。
瞳は涙を湛えて零れ落ちそうだったが、暗い表情は見せなかった。
「あの人が死んでしまったという気がまったくしないのです。必ずまた会えると信じましょう」
それは希望的観測に過ぎない。
しかしだからこそ不確定なことに傷ついて悲観的になるより、現状を打開するための励みに変換した方が正しい。
ティアン姫の姿勢はそう思わせた。
「私たちは生きて戦い抜いた兵士や逃げ延びた民たちを労い、この悲劇の傷跡を少しでも癒して差し上げなくてはならないのですから……」
役立たずの小娘はそれでも伊達に逆賊フォメルスとの長年に渡る戦いを制した訳ではなかった。
無力感に打ちひしがれようと愛する者の訃報を聞かされようと、頭を垂れることはしない。
「立派ですよ」
レィクリヴが父の仇を褒めた。
背を向けて視線は明後日の方向にあり、どこか不貞腐れた態度ではあったが、主君を確かに称賛した。
彼女の未熟を責めることは酷だ。
幼少から先日まで監禁されていた少女にこの状況をどうこうしようも無い。
導くべき大人、有能な家臣たちは派閥争いに忙しく、教会は壊滅し、彼女を傀儡にしようと画策した元老院はおそらく死に絶えた。
騎士団は万全の状態で備えることもできぬまま絶望的な戦いへと投入されている。
そして被害者という認識の民衆たちは実際にことが起きるまで他人の悲劇に無関心だった。
妹が簡単に付け込み破壊できてしまうくらいに最強を謳う皇国は脆弱だったのだ。
「それで、おまえはなにをしに戻って来た?」
準騎士殿の質問に答える。
「黒幕のネクロマンサーがいることを確認したので、討伐しに来ました」
目的を伝えるとティアン姫は目を輝かせて称賛する。
「さすが大天才魔術師のアルフォンス様! この広い王都の中から首謀者を特定できたのですね !」
実際には相手が名乗り出ただけだし、フレッシュゴーレムの出現で位置特定も容易になった。
奇跡を起こした訳ではない、なにもかもが必然だ。
必然の巡り合わせだからこそ、私がこの件に決着を付けなくてはならない。
「これだけの惨事を招いた魔術師を倒せると言うのか?」
レイクリブが不安がるのも当然。
魔術師としての実力勝負でリングマリーに勝利できるのかという意味の質問であれば、それは不可能だ。
彼女は不世出の天才であり、不滅の存在であり、大量殺戮兵器か、天災か、果ては特効薬の開発されていない致死性の疫病のようなものである。
皇国で随一の魔術師である大司教すら為す術もなく乗り移られた。
どんな魔術師よりも優れ、どんな戦士でも殺せない、誰も倒せないと断言できる。
「ええ、何者にも倒せない。だから私が行くのです」
私は魔術にすべてを捧げた一族の当代であり、その偉大なる技術の蓄積を受け継いだ特別な魔術師だ。
私ごときが天才を名乗るのも烏滸がましいくらいに、各分野で私より優れた者、功績のある者、語られるべき魔術師はいくらでもいる。
しかし、この件に関してだけは私が主役でなくてはならない。
「おまえ、そんなすごい奴だったのか……?」
レイクリブが懐疑の視線をこちらに向けている。
それはさておき仮面家族なりに身内の責任くらいは取ろうということだ。
家族が世界を滅ぼそうとしている事実は保身のためにも伏せておくが。
「黒幕と決戦というわけだな。連れて行け、引導を渡してやる……!」
ついに明確な敵の所在をつかんだ若い騎士が血気にはやり立ち上がる。
しかし彼をマリーのところに向かわせるわけにはいかない。
「頼もしい申し出ですが物理攻撃による殺傷は、不死者の王を名乗る首謀者に対して効果がありません。
加えて手勢が増えるということはそれだけ敵の手駒を増やすという結果にも繋がります。ここは私一人に任せてください」
彼は優秀な男だができることはなにもない。
それどころか足手纏いであるという事実を伝え、なんとか聞き分けさせる。
「……ッ、くそっ!」
護るべき自国を踏みにじった相手が目と鼻の先にいるのだ、その心中は察するに余りある。
「準騎士レイクリブ、アルフォンス様の意見に従いましょう」
ティアン姫は屈辱に塗れた若き騎士を諫め、私に指示を仰ぐ。
「わたくしたちにできることは?」
「そうですね……」
厚意はありがたい、もし彼女に回復魔術の力が残っていたら世話になりたかったのだが、彼女は魔力を貯蓄できない体質だ。
リビングデッドに感染しても動力が無く、そのまま死んでしまうだろう。
「黒幕を討伐できたとしてもすでに暴れまわっているリビングデッドの感染拡大を止める手立てはありません。どうか私に構わず、安全な場所まで避難を急いでください」
彼女の使命はなにをおいても生き残ることだ、それ以外には無い。
「──準騎士殿、よろしく頼みましたよ」
「……分かった、務めを果たそう」
苦渋の決断と言った様子で聞き分けると、レイクリブはティアン姫に撤退を促した。
「アルフォンス様、お気をつけて」
最後にティアン姫は私の袖を握り、瞳を見詰めて別れの挨拶を交わした。
「はい。短い間でしたが皆さんと出会い、王宮で暮らせた日々は楽しかったです」
自堕落で素行にも問題のあるろくでもない居候ではあったが、それは本心だ。
レイクリブに引かれてティアン姫は私の進路とは反対へと向かう。
彼女たちに背を向けて、私は最終決戦の地へと足を踏み出した。
「アルフォンス様! また、再会できますわね?! イリーナと三人でまた!」
返答はせずに広間を出た。
ただ胸に暖かいものが灯る。
自分たちを追い込む世間を物差しに、人間と言うものを私は浅ましい下劣な存在として見ていた。
他人に価値を認めず研究にのみ没頭した。
成果だけ、快楽だけ、自分だけ──。
それが私の価値観のすべてだった。
そんな尺度を破壊し人と触れ合うことの喜びや、個々人の個性や魅力を愛することを教えてくれた仲間たち、その筆頭はティアン姫だったように思う。
この数十日がそれまでの二十年よりも愛おしい。
まっすぐ伸びる長い廊下の突き当りから中庭を抜け、塔の入り口に辿り着いた。
螺旋状の階段を昇り、貯蔵庫、待機所と階を抜け、ついに屋上のバルコニーへと到達する――。
素晴らしい見晴らし、広大な大都市が一望できる。
最大級の栄華を誇った皇国の景色はいま阿鼻叫喚に塗りたくられ、地獄絵図で敷き詰められていた。
風が少し強い。
建築の数々が燃え盛り、立ち上った煙が人々の断末魔を乗せて流れた。
そこに不死者の王は居た。
研究室にいた頃と同じ様子で、たった一人寄る辺もなさげに佇んでいる。
あの日まで私のまわりにも誰も居なかったし、いまもマリーのまわりには誰もいない。
よく見慣れた姿だった。
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