第35話


 真琴さん――魔法少女、トゥルーハート。

 そしてその弟子、キャロラインちゃん。


 ふたりからいろんな話や思いを受け取った、その翌日。

 私はしばらくぶりのレッスンを受けるために事務所に来ていた。

 といっても、まだ事務所には入れていない。入り口の前で、少し逡巡してしまっていた。


 星司さんと会うのも、日曜のお出かけの時以来だ。

 あの時の気まずい別れ方を思うと、再び顔を合わせるのが怖いというか、どうにもおなかが痛くなる。

 この感覚は、星司さんも似たようなものを抱いているのではないか――


「なんだ、着いていたのか」

「ひえっ!?」


 いきなり事務所の扉が開いて星司さんが顔を出した。

 そうだった。心の準備が済んでいないときに限って、この人は現れるのだ……!

 心臓をバクバクいわせながら、私は急いで頭を下げる。


「おっ、お久しぶりですっ! あの、その節は、すみませんでした……!」

「? よく分からんが、まあ中に入ろう。まだ少し寒いからな」


 そう言って扉を開けている星司さんは、なんだか、何事もなかったような、いつもどおりの様子に見える。

 とりあえず言われるがままに事務所に入りながら、私の頭はぐるぐるとねじれる。


 あの時のことを、気にしていないのだろうか。

 私はこんなに気まずくて、顔を合わせづらい思いと、でもやっぱり会いたい思いでシーソーが激しく動いていたというのに。

 ホッとする気持ちもあれば、反面、寂しい気持ちもある。


 自分と同じように感じてくれていたら、なんて、自分勝手な期待をしてしまう。

 昨日のことが――真琴さんとぶつけ合った熱が、尾を引いている。


「……さて、今日はデビューについての話をしよう」


 いつもの会議室で、星司さんは白板に黒ペンを走らせる。

 文字ではなく、イラストのようだ。


「新米魔法少女のデビューは、難しい話じゃない。書類提出や認可とかはあるが、そこらへんは俺や姉さんに任せてくれればいい。君がやらなきゃいけないことは、シンプルだ」


 説明を続けながら、星司さんはなおも白板へ向き合っている。

 描かれるイラストの全体像も掴めてきた。怪獣のような存在をやっつける、魔法少女のような存在。


「すなわち」


 描き終えて、星司さんがこちらに向き直る。

 わずかに上がった口の端に、自信と期待を滲ませて。


「魔象の討伐だ。それを以て、魔法少女は一人前――デビューを迎える」


 ウム、と自分の言葉に頷いて、星司さんは落ち着きなく部屋をうろつきだす。


「デビューを控えると……こういうのは不謹慎ではあるが、魔象の出現が待ち遠しい部分もあるな。俺もそうだった……無論、出現した魔象が強大であろう場合にはデビューを見送ることもあるが、朱里から一本取れる君なら大抵のものには後れを取らないだろうが……ふむ」


 言葉と歩みが同時に止まる。

 部屋の中途半端な位置で止まって、そのまま、じっと私の方を見ている。

 私の視界にとらえてはいたものの、反応するのはやや遅れて、


「……な、なんですか?」

「加奈。やはり、まだ本調子ではないんじゃないか?」


 そう、真剣な顔で問われてしまう。


「そ、そんなこと、ないです!」

「ならいいが……だが、デビューはやはり魔法少女にとって一大イベントだ。普通なら、もっと盛り上がるものだが」

「少しぼうっとしてしまって……すみません」

「俺の時も、小躍りしながら今か今かと一日千秋」

「それはさすがに盛ってますよね、話」

「…………後は、各所との折衝だな、うむ」


 弾みで言ってしまったのだろう言葉を、そっぽ向いて手帳をペラペラ、なかったことにしようとする星司さん。

 その様子が微笑ましくて、わだかまっていた心が解けていくのを感じる。


「……ああ。リリプロからも、近々デビュー予定の魔法少女がいるのだったな。ここは調整が必要か……」


 リリプロ――魔法少女トゥルーハートの現所属魔法少女事務所。

 ならばその弟子も当然にリリプロに所属することになるだろう。

 それはつまり、キャロラインちゃんのことだ。


 彼女とも、熱を交わした。

 自分のために――それ以上に、それぞれが信じる師匠のために。

 あなたには、負けないと。


 そうだ。いつまでも、くよくよしている場合じゃないのだ。

 今は、目の前のことに。自分のデビューに、向き合わなければならない。

 私のデビューを我がごとのように考えてくれている、星司さんに報いるためにも。


「――しかし日取りを決めるにも、ここのところ変則的な出現が多いからな……こういう時は近々大きいのが来て周期がリセットされるものだから、それが済むまでは見通しにくい部分もあるな……」

「……あの」

「? なんだ?」


 気持ちを切り替える。

 もやもやがあるなら、晴らす。

 未来の先を、しっかりと見据えるために。


「実は昨日、真琴さんと会ったんです」

「……なんだって?」


 星司さんはにわかに怪訝な表情になった。


「レッスンをお休みしたのに、すみません」

「それは問題ないが……真琴と、か」

「はい。そこで、星司さんと真琴さんが魔象に襲われた時のことも、聞きました……すみません」

「……そうか」


 誠実に向き合う。

 かつて、まだ星司さんのことをよく分かっていなかったときに、心がけたこと。

 今一度、その時のことを思い出そう。


「それで……私、思ったんです。星司さんのこと、知らないことが多いんだな、って」

「そうだな。俺も、自分のことを話すのは、あまり得意じゃないからな」


 星司さんの深いところの話を、本人の口から聞けたのは、数えるほどしかない。

 契約した夜の時。その帰り道。

 それ以外は、真琴さんや優花さんたち、周りの人に教えてもらったものくらい。


「……それでも、私。知りたいんです。星司さんのこと。いっぱい、いっぱい」


 私が、踏み込まなきゃいけない。


 傷つくこと。傷つけること。どっちも怖い。

 進まなければ、きっと痛みも何もない。そう、分かっていても。


「だから……知りたいです。星司さんが、魔法少女に変身できなくなった時のことを」

「…………」

「時が来たら話すと、言ってくれました。それは分かっています……その、は。今じゃ、いけませんか?」


 星司さんは俯き、長く深い息を吐いた。

 そして、顔をあげて。


「……そう、だな。俺も……自分の醜さと向き合う時だ」


 部屋の隅から椅子を一脚引いてきて、長机を挟んで対面に座る。

 私と星司さんが、ほぼ同じ目線に立って、正面に向き合う。


「話そう。3年前の、ある魔法少女の失敗を」

「……お願いします」

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