第二章 出会い
第4話
黒髪、黒目。
肌の色も、顔立ちも静馬が見慣れた人種のものだ。顔つきについてはやや男前だが、文句なしの美形である。女性にしては短い髪型も個人的にはツボだった。
服装は、見慣れないものだった。紺色の生地の上着とスカートを身にまとっている。最近流行りのものとは違い、スカートの丈がおそろしく短い。その下に素肌に密着した黒い布地を履いていた。首元には茶色い毛糸の織物を巻き付けている。茶色い革靴が少し安っぽく見えた。
嫌な予感がした。
静馬が黙っているのを見かねたのか、少女は言葉を重ねる。
手に持った本を掲げ、言う。
「あの…私、ここに来るの初めてで。これの見方がわからなくて」
しどろもどろいの言葉に、静馬は頭を抱えたくなった。
災難は前触れもなく訪れるらしい。
静馬は少女が持った本に触れ、印を起動する。少女は目を見開いた後、また困った顔をした。空中の絵に手で触れようとしたり、背表紙を覗き見たりしている。
嫌な予感はほぼ確信に変わった。
静馬は、見かねて声をかけた。
「どこを見たいんですか?」
「あの、この近辺の地図をちょっと」
「ああ、なるほど。でも、これは」
「いえ、これぐらい大雑把でいいので」
静馬は目を丸くした。
少女が持っていたのは全国地図だった。この近辺を探るには些か規模が大きすぎる代物である。だが、静馬の予感が正しければ、この少女は賢いのかもしれない。賢い、というよりも冷静さを失っていないというべきか。
静馬は少女の注文通り、頁を開いた。
少女は、間を空けてから固まった。
「…嘘」
少女は食い入るように地図を見つめている。
無理もないと静馬は思う。
買うつもりだった書籍を棚に戻し、財布の中身を確認する。巡回車両の運賃はもちろんのこと、これから掛かるであろう費用を計算する。大丈夫。これなら十分間に合う。
少女はおそるおそるといった様子で、画面の一部を指した。
「ここって、この地図のどこですか?」
静馬は言葉を返さず、画面を操作した。
目当ての頁に進むと少女は呆然とするしかないようだった。心なしか、泣きそうにも見える。静馬は極力無視して言った。
「ここ。東北の山城ってところ」
少女は言葉を発さない。
ただ表情に力が戻ったように見えた。
少女は本を閉じると、棚に戻した。静馬に正面から向き直る。睨み付けられたようで静馬は少し驚いたが、少女は頭を下げた。
「ありがとうございました」
そのまま、振り返って歩き出す。
静馬は呆気にとられたが、すぐに少女を追った。思わず腕を掴む。
瞬間、宙を舞った。
「がっ…!」
背中を強かに打ち付け、静馬は蹲った。視界がちかちがする。地面でもがいていると少女が見下ろしていることに気付いた。
「大丈夫ですか?」
言葉は丁寧だったが、口調と目は恐ろしく冷たい。
反射的に投げ飛ばしたようだが、自分に有利なように進めるためにその場に残ったのだろう。
静馬は、どう言葉を掛けるか考えた。が、面倒になった。そのまま言えばいい、と開き直ることにした。
「ちょっと待ってほしい」
「は?」
「君の助けになりたいんだ」
少女の表情が硬いものになった。
投げ飛ばされてまで力になる必要があるのか、静馬自身、疑問だった。だが、一度決めたことを覆すのは気分がよろしくない。何より、見捨てた後が問題である。
少女は何も言わず、立ち去ろうとする。
静馬は言った。
「君、異世界から来たんだろ?」
少女は静馬を見た。
硬い表情。だが、瞳が揺れている。
静馬はため息を吐いた。
その表情を静馬は知っている。異人の妹分。こういうのに弱いんだよなぁと静馬は思った。
少女はじっと黙って静馬を見ている。
この時、静馬は休みの計画を捨てることを決めた。
*
郊外から市街地へ。
静馬にとって巡回車に乗っての移動は苦痛そのものだった。車内の視線は少女に集まり、少女の視線は静馬に固定されている。自然、静馬に視線が集まるという図式になったからだ。
その視線が辛い。明らかに好奇の混じった視線というのは対処に困る。少女は少女で何を考えているのかまるでわからない。
結局、静馬は目的地まで堪える他なかった。
目的の停留所で降りる。当然、運賃は静馬が払った。
停留所から目的地は目の前である。
少女は目の前の看板を見上げている。
「…山城刑羅隊本部」
「なんだ。字、読めるんだな」
こくん、と少女はうなずいた。
静馬は意外に思った。が、すぐに自分が間抜けだったことに気付いた。こんなことは書店で会った時点で気付くべきことである。
文字が読めなければ本を見つけることはできない。
静馬が先だって歩くと少女は黙ってついてきた。少女は相変わらず無言である。正門を潜り、玄関口へ向かう。
守衛と目があった。が、今回はやましいことは何もしていない。静馬はそう自分に言い聞かせた。
建物に入り、受付に向かうと良二がいた。
ぽかんとした表情でこちらを見つめている。静馬は手を挙げた。
「よっ」
「お、おう」
良二の目線が静馬と少女の間を何度か往復する。何とも言えない表情のまま、良二はため息を吐いた。
いや、まったく。
今回ばかりは良二の態度に反感を持てるはずもなかった。
「お前ってさ、本当に持ってるよな」
「なんだよ、それ」
「こんなこと、普通ねえぞ」
そう言って、良二はてきぱきと書類を取り出す。何枚かの書類を封筒にまとめ、一枚だけ裸で静馬に手渡してきた。
地図である。
静馬は封筒と地図を交互に見た。
良二はそれ以上何も言わない。
「これは?」
「そこに行けってことだ」
「は?」
「うちでできることは案内だけ。そっから先はそっちに行ってくれ」
悪いな、と良二は言う。
今度は静馬がぽかんとする番だった。
「…ちょっと待てよ。いくらなんでもこれはないだろ。折角、ここまで連れてきたのに」
「しょうがねえんだよ。俺らは関わっちゃいけねえんだ。そういう決まりでな。そこに行けば、あとは大丈夫だ」
「大丈夫って、お前」
「大丈夫だ。…今度、飯おごるから勘弁してくれ」
最後の方は小声だった。
それ以降、目を合わせようともしない。
静馬としては何とも納得できない話だったが、良二の態度を見るにただ事ではないのだろう。絶対だからな、と言い捨て建物を出た。
さて、これからどうするか。
このまま目的地に向かってもいいが、たらい回しにされる恐れがあった。それ自体は静馬にもどうしようもなかったが、少女の心象に悪い。ひとまず説明する場が必要である。
そんなことを考えていると、
「あの、面倒ですよね」
そんな言葉を掛けられた。
「へ?」
「すいません」
なぜか謝られた。静馬には難解なやりとりである。
どう答えればいいのか考えていると、少女はたどたどしく言葉を紡いだ。
「あの…もう、あといいですよ」
「いいって、何が?」
「あとは、自分でやりますから」
どうするつもりなのか、少女は具体的には言わない。その態度が気に食わなかった。明らかに覇気というものがない。
諦めている。
静馬はため息を吐いた。
「…あー」
「だから、大丈夫です。確かに、私はここの人じゃないし、ちょっと道はわからないけど、地図もありますし。ほら、貴重な時間を使うのは申し訳ないっていうか、そのあの、さっきだって」
——厄介払い、されちゃったし。
少女は自分で言って、泣きそうになっている。
慰めの言葉を掛けようにも少女の言葉は事実だった。そして、静馬は良二の態度を許容している。その時点で、少女に掛ける言葉はない。
そもそも、と静馬は考える。
そんなことぐらいで心が折れるようでは——これから生きていける筈もない。
「あのさ」
びくっと、少女は身を強張らせた。
と、同時に——ぐぅううう、と間抜けな音が聞こえた。
少女は顔を真っ赤に火照らせる。
唇はわなわなと震え、涙目がさらにひどくなっている。
様々な感情が入り混じって訳がわからなくなっている少女を見ながら、静馬はちょうどいいな、と思った。
少し早いが、腹が膨れればまともな思考になるだろう。
*
この世界に異世界人が現れたのがいつのことか、静馬は知らない。
ただ、少なくとも静馬が物心ついた時には存在自体は知っていた。実際に目にすることは数えるほどなだったが、そう珍しいものではないというのが静馬の認識だった。
彼らは異なる文化と異なる社会で育った異邦人であり、海の向こうの異人よりも更に遠い存在である。この世界に彼らが現れる原因は不明だが、ほとんどの場合は迷い込んでしまったというのが正しいそうだ。
迷い込んだ。
実に面倒な話である。
戸籍もなければ財産もない。そんな人間が生きていけるほど社会は甘くはない。
かといって、彼らは突然現れる。原因がわからなければ対処のしようはないし、そのままにしておいては治安の悪化をまねく恐れもある。
そのため慣習として、彼らを受け入れることになった。
ただし、それにはいくつかの条件があった。
一つ、後見人を見つけること。一つ、定められた規則に則って戸籍および財産権を取得すること。一つ、この世界に滞在する間は後見人の住居に居住すること。一つ、後見人は被後見人に対し、財産権及び権利能力を保証すること。一つ、後見人は被後見人に対して健康的で文化的な生活を提供すること。
ほかにも様々な条件はあったが、概ね要約すればこうである。
後見人に生殺与奪を委ねるということ。そして、後見人はその信頼を決して裏切ってはならない。
後見人の責任は重い。
とは言ったものの、静馬が後見人になるわけではない。
昔は違ったそうだが、現在は後見人に一定の社会的地位が求められる。ほかにも政府自体が代理人となる場合もあった。
静馬は少女の後見人を見つけるまでのつなぎである。
珀芽亭で飯を待ちながら、静馬は少女にそう説明した。
「…はぁ」
「だから、なんとなるよ」
静馬は茶を啜る。
少女も湯呑に口を付けた。ごくごくと喉が鳴った。あっという間に湯呑の中身が空になったようだ。
静馬は黙って急須からお茶を注いだ。
また、少女は飲み込んだ。
「…あー、ごめん。喉乾いてたんだ?」
「三日前から、何も食べてないから」
静馬は愕然とした。
少女は固い表情を崩さない。
冗談なのか、事実なのか。
おそらくは事実なのだろう。詳しい事情を聞きたかったが、それはできなかった。
慣習として、あまり深く関わることはできなかった。特にこの世界に来た理由や前兆について静馬から聞くことはできない。それも、決まりの一つなのである。
自然、場の空気は重くなる。
少女は無言のまま茶を啜っている。
よほど喉が渇いていたのか、急須の中身を全て飲み干した。それでも表情が変わらないのは緊張によるものか。案外、もとからこんな感じなのかもしれないなと静馬は思った。
無言の時間は続く。
いい加減、静馬としても限界だった。
この状況に対する疑問やこれからのことについての不満などはないのか聞きたくもなった。だが、何度か会話してわかったことはこの少女は会話というものを重視していないという事実だった。
今も、何か考え事をしているようである。
これ以上の会話は諦め、素直に料理を待つことにした。幸いなことに、ほどなく珀芽は現れた。
「おまちどう」
運ばれてきた膳は二つ。
小さい鍋が置かれ、わきにれんげと椀が置かれている。昼食というには些か趣向がずれている。静馬が鍋のふたに手を伸ばすと、珀芽に止められた。
よく見れば鍋が置かれた台の印が発動している。まだ鍋は完成していないようだ。少女も伸ばしかけた手をしぶしぶといった感じで引っ込めた。
じいっと鍋を見つめている。
「よっぽど腹が減ったんだね、嬢ちゃん」
「え?」
少女は怪訝そうに首を傾げた。
くそ生意気な幼女がくそ生意気なことを言ったとでも思っているのだろうか。
珀芽はそんな少女ににやりと、およそ幼女らしくない顔で笑った。
そっと掌を差し出す。
静馬は黙って成り行きを見守ることにした。
「初めまして。ここの店主の珀芽ってんだ。よろしくな」
「…あ、はい」
少女は手を取ろうとする。
そこで、少女は気付いた。掌できょろきょろと動く眼球が、
「あんたと同類さ」
ぶわっと。
掌どころか至るところから開いた。
少女の表情が崩れる。静馬も全身で鳥肌が乱痴気騒ぎを起こしている。
悲鳴が珀芽亭に響き渡った。鼓膜を破かんばかりに続く騒音の中、静馬は珀芽の笑顔を見た。
実に満足げで、静馬は何も言えなくなった。
*
「うああああ、あだじがなにしだっでいうのよぉおおおお」
珀芽の奇襲からこっち、少女は泣き崩れている。
本気泣きである。
現状に対する不平不満からこれまでのこと、さらにはよくわからない身内話まで。一通り叫んでから、わけのわからない雄たけびを上げている。
静馬はひたすら聞き手に回った。
事の原因である珀芽は、焼酎を気分よさそうに飲んでいる。久々に本業に戻れて満足しているのだろう。
同じ卓で飲むのは止めてほしかったが、それどころではない。
静馬はひたすら、少女の言葉にならない声に相槌を打った。
「だいだいなんあのよぉ、わけわかんないよぉ」
「うん、そうだなそうだろ。とりあえずお茶飲め、な?」
少女はようやく顔を上げた。
鼻水は垂れていなかったが、顔がぐしゃぐしゃになっている。
静馬が茶の入った湯呑を渡すと一気に飲み干した。淹れたてだったが、特に問題はなさそうだった。
涙目で静馬を睨んできた。
「いい加減、名前くらい教えなさいよ」
「黒賀屋静馬だ。名乗らなかったのは、さっきの話に関係してる」
「…ふぅん」
少女の不機嫌そうな態度は変わらない。
ただ平静は取り戻したようだ。鼻声は徐々に止んで、表情もしっかりしてきた。先ほどまでの硬い表情ではない。
なんというか、実に鼻っ柱の強そうな顔である。
「じゃあ、静馬、さん。聞きたいことがある、んですけど」
「静馬でいいよ、同い年みたいだし。言葉遣いも気にしなくていい」
「じゃあ、静馬。あたしは、これからどうなるの? 後見人、だっけ? を見つけるってことだけど」
「まずは案内に従うしかない。何軒回るかはわからないけど、一日はつぶれるだろうな」
「うぇえええ、マジでぇ?」
うなだれる少女を見ながら静馬は呆れるべきか感心するべきか迷っていた。
最初の印象とこうも違うものなのか。猫を被るとはまた違うのかもしれないが、ここまで変わると流石に何とも言えない気分になった。
「文句を言うんじゃないよ、飯を食わせてもらうだけでありがたいとは思わないのかね」
からかうように珀芽が茶々を入れてきた。
少女は静馬に対するものよりもさらにきつい視線を向ける。珀芽は動じることなくにやにやと笑っている。
「…さっきはよくもやってくれたわね…ましたね」
「暗い奴が大嫌いでね。はきはきしゃべってらわなきゃ飯もまずくなる」
少女の視線が一層きつくなる。珀芽は余裕綽綽だ。静馬はいい加減、事の成り行きを見守ることにした。
お茶がうまい、と静馬は思った。
「さっき同類って言ってましたけど、どういう意味ですか? わたし、手に目玉とかありませんよ」
「あたしも迷い込んじまったって意味さ。もともとこの世界の住人じゃない」
「私たちの世界にはあなたみたいな人はいません」
「いたかもよ? あんたが会ったことないだけでさ」
「世間ではいないってことになってるんです! っていうか、そもそもお金を出したのは静馬じゃない、あんたにとやかく言われる筋合いはないわよ!」
「作ったのはあたしだけどねん♪」
「客に対する態度がなってなさ過ぎるでしょ…っ!」
静馬は自分の考えを訂正した。
こんな会話に混ざれるわけがない。矢継ぎ早に繰り出される言葉に付いて行く気にもならなかった。
ぴゅーっと間の抜けた音が響く。どうやら鍋が完成したらしい。
少女は瞬時に反応した。
蓋に手を掛ける。短い悲鳴。手を抑えて悶絶。
一連の流れが見事過ぎて、静馬は感心した。珀芽は爆笑している。
なぜか静馬は少女に睨まれる。
懐に入っていた手拭いを出すと奪われた。少女は蓋を開ける。
雑炊である。
真ん中に椎茸が浮かび、周囲を黄色い卵が彩っている。ぎっしりと詰まった米には白身魚や白菜も混じっているようだ。
味噌の濃厚な香りが食欲をそそる。
「いただきます」
静馬が鍋を鑑賞している間に、少女は一杯目を盛り終わっていた。
両手を合わせ、祈るように目を伏せている。いや、実際に祈っているのではないか、と静馬は思った。
静馬の目には、少女が、何か、貴いモノのように見えた。
少女はれんげを持った。
あとは、お察しである。
少女の食いっぷりに触発され、静馬も鍋をかき込む。
実に、美味かった。
*
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