第5話


「まぁ、食いっぷりは中々だったね。もうちょい品があれば合格だったけど」

「うっさい似非ババア。あんたの雑炊だけは認めてあげるわ、雑炊だけはね」

「他のも食いに来な。ほっぺた落としてやるよ」

「また来るから待ってなさい、バーカ」

 どうやら話がついたらしい。

 異次元の会話を聞き流していた静馬はいそいそと身支度を始めた。良二にもらった封筒と地図を持つ。

 懐から財布を取り出す。

「ツケでいいよ」

「え?」

「ツケでいいって言ったんだ」

 珀芽はそう言うと店の奥へ向かう。

 静馬は慌てて呼び止めた。少女は、目を見開いて固まっている。

「しつこいねえ。払わなくて良いって言ったんだから、とっと帰んな」

「いや、でも」

「あんたのためじゃない。その娘の食いっぷりが良かったから今回はなしで良いって言ったんだ」

 珀芽は少女を見た。

 にっこり、と笑みを浮かべる。

「あんたはそのまんまの方がかわいいよ。ここに来たときみたいなのはやめときな」

 じゃあね、と言って珀芽は奥へ引っ込んでしまった。

 少女は店の奥をじぃっと見つめている。

「…ありがとうございます」

 少女は一度だけ頭を下げると外へ向かって歩き始めた。

 なんというか、まぁ。

 相変わらず、静馬は蚊帳の外だった。だからといって、どうということもなかったが。

 階段を上り、地上へ出る。

 居酒屋通りを足早にぬけ、大通りに出た。

 時刻はすでに正午を回っている。

 通りには人通りができ、いつの間にか、露店が開いていた。

 休日らしく家族連れが多数だったが、昼間から飲んだくれてるおっさんどもの姿も見えた。おそらく露店で酒を買ったのだろう。もうすぐ居酒屋通りが息を吹き返す。 その前のつなぎを用意しておく辺り、抜け目がなさすぎるなと静馬は思った。

「ねえ、静馬」

 ふと、少女に声を掛けられた。

 背後からではない。少女は静馬に右側に並んで歩いている。色々と付いていけなかったが、飯を食ったのは正しかったなと静馬は思った。

「ん?」

「ありがとう」

 静馬は少女を見た。少女は真剣な目でこちらを見ていた。

自然、静馬の足が止まる。少女も足を止めた。

「それは…どういたしまして?」

「私に地図の見方を教えてくれたこと、バスに乗せてくれたこと、私のために警察署に行ってくれたこと、ご飯を食べさせてくれたこと。まだ一度もお礼を言ってなかったから」

 本当にありがとう。

 少女は胸を張って、静馬に言う。

 憂いも、恥も、衒いもない。

まっすぐな感謝の言葉を、少女はまっすぐに伝えてきた。

「正直、私、自暴自棄になってたの。見たこともない街で誰も知らないし。食べ物を分けてくれる人や雨宿りさせてくれるところもあったけれど、あなたみたいに私に関わってくれる人はいなかった。本当にうれしい」

「…まぁ、成り行きってのもあるけど」

「それでもうれしい。あんな美味しいお店と素敵な女将さんと出会えたのも静馬のおかげだから。これからもお世話になる身としては、言っておかないとって思ったんだ」

 少女は静馬に手を差し出した。

 真っ直ぐな視線が静馬を見ている。

「私、渡良瀬桜。これからよろしくね」

 凛とした表情から一転、くしゃっとした笑顔に変わる。

 静馬は高まった鼓動を無視し、少女の手を握った。

 なんともはや、珀芽の店に行くことにした自分を静馬はほめたくなった。

 

                  *


 三件目までは我慢できる。四件目からは惰性、五件目からは不信感。六件目を超えた辺りから、静馬は行政というもののあり方について考えるようになった。

 すでに夕飯時は過ぎていた。

 待合所の灯りは半分ほど消え、静馬たちの周囲を職員が行き来する。片付けたくて仕方がないのだろう。決して失礼のないような適度な距離で掃除をしている。

 静馬とて、こんな時間までいるつもりはなかった。閉店ぎりぎりに駈け込んで来たのは確かに問題があったように思う。だが、そもそもたらい回しにされたのが原因である。

 まさか、神社にまでいかせられるとは思っていなかった。

 隣に座る桜も、明らかに苛立っていた。

 黙ってはいるが目つきは当然険しい。貧乏ゆすりも隠さず、腕を組んで正面を見据えていた。正面には静馬達を受け付けた職員がいる。

 眼鏡をかけた、如何にも線が細そうな男だ。静馬と同年代に見えるので、もしかすると研修生かもしれない。

 その彼が泣きそうになりながら書類と格闘している。

 静馬たちが持ち込んだ書類だ。中身は把握していないが、相当の量があるようである。

 それをせっせとめくっては何かを確認し、上司のもとへと持っていく。そのたびに何事か怒鳴られ、せかせかと孤独な戦いへ戻っていく。

 静馬も普段ならば同情しただろうが、いい加減に腹が据わっていた。

 立ち上がり、男の元へ向かう。

 眼鏡の男は静馬に気付いていない。静馬は受付台に身を乗り出して、男を怒鳴りつけ——


「できたぁっ!」


 ——ようとして、大音量の声にかき消された。

 眼鏡の男と目が合う。

 ものすごい勢いで立ち上がった眼鏡の男はきょとんとした顔をしている。目の前に静馬がいる理由がわからないようだった、が、すぐに笑顔を浮かべる。

 その笑顔が実にうるさい。いや、うるさいという表現が正しいのかわからないが、静馬はそう思った。

「大変お待たせしましたっ! 黒賀屋静馬様ですねっ! 渡良瀬桜様の件、受付させていただきましたっ! つきましてはご本人様にもお伝えしなければならないことがございますので、こちらへお越してくださいっ!」

 最後の方は桜に対してのものだった。

 桜は不機嫌さを隠そうともせずに、のっしのっしとやってくる。眼鏡の男は煩い笑顔で出迎えた。心なしか、爽やかさが上がっている気がする。

 眼鏡の男が受付台に書類を広げる。

 細かい文字でびっしりと埋まった紙片の束が、山のようにある。確かに箱詰めにして抱えてきたがここまで多いとは思わなかった。

 眼鏡の男は無造作に束を拾い上げる。

「こちらが渡良瀬桜様の納税証明書と戸籍登録証になります。あなたの人権及び財産権は我が国における憲法によりこれを保証し、以後、わが国民としての権利と義務を享受することとなります。ただ、渡良瀬様は未成年であるので年金支払いと健康保険料の一部の納税は免除となります。所得税等の課税書は住居が決まり次第発送いたしますので住居が決まり次第、届け出を行うようお願いします。またすでに数日間の滞在がなされているようですのでその日数の正確な申告及び宿泊先等々の情報についてもこちらの書類に記載していただきたく」

 ずらずらと言葉が濁流のように押し寄せてくる。

 よくもまあこれだけの言葉を淀みなく発せられるものだ、と静馬は感心した。が、それ以上にうんざりした。桜も同様のようで、げっそりとした顔をしている。

 いくらかしゃべらせた後、静馬は眼鏡の男の言葉を遮った。

「で、これからどうすればいいんですか?」

「はい、これからこちらの書類に渡良瀬様から自署していただきます。その際、条項についてよくお読みください。あとから不備があった場合は当方の方で一切責任を取ることはありません、自分の身は自分で守るということをご理解ください」

 なんともありがたい言葉だな、と静馬は思った。

 桜の顔色も変わる。凛とした、まっすぐな顔つきである。なんとも頼もしいな、と 静馬は思った。

 眼鏡の男は笑みを崩さずに、書類を並べていく。並べ終えると、どうぞ、と手を動かした。桜は無言で書類と格闘し始める。

 眼鏡の男は静馬へと視線を移した。

「黒賀屋様に書いていただくものがあります」

「はい」

「一つは、ここまで彼女のために払った資金をお書き下さい。領収書などがあれば助成金から補償させていただきますので。それと、もう一つ、後見人の件について相談があるのですが」

「申し訳ありませんが私は後見人にはなりません」

「そうですか。いえ、それも関係してくるのですが。実はですね」


「現在、後見人制度は利用できません」


                  *

 

「利用できない、ですか? それってどうゆう」

「制度自体は廃止されておりません。ですが、現在被後見人を引き取ることができる方がいらっしゃらないのです」

 眼鏡の男は帳簿を取り出した。

 表紙をめくり、番号が書かれた表の頁を開いた。番号の下に欄があり、表のいずれの欄にも空きがない。

「この時期になるとこちらに来られる方が増えてしまいますからね。つい一昨日も後見人制度の登録をさせていただきました」

「それじゃ、他の自治体の方に申請すればいいんですか?」

「それもできないんです、紅祭まで半年を切りましたからね」

「あー、そっか。じゃあ、確か、仮設住宅があったはずですよね」

「うちの県は持っていないんですよ。代わりに庁舎の宿泊施設を貸し出すことになっているんですが、あいにく建て替えで」

 まったく使えない。

 静馬は言葉にこそ出さなかったが、深くため息を吐いた。もちろんわざとである。眼鏡の男も苦笑いを浮かべている。

 桜が声を上げた。

「ねえ、静馬」

「ん? 終わったのか」

「それはまだだけど…、いい加減説明してくれない?」

 何が、とは静馬は聞かなかった。

 代わりに眼鏡の男を見る。さすがに察しが早い。眼鏡の男は頷いて、桜に語り掛けた。

「渡良瀬桜様、あなたはご自身の現況をどこまで把握されていますか?」

「…理由はわからないけれど、私のいる世界とは別な世界に来てしまった。でも、ここではよくあることで、私みたいな人でも受け入れてくれる制度がある。けど、今はその制度が使えなくて、その」

「完璧です。付け加えるなら本来貴方を保護すべき機関及びその補助となる機関の全てが受け入れ自体を拒否しているということです」

 にこにこ笑いながらとんでもないことを言う。

 文句を言おうかと思ったが、事実なので何も言えない。横目で桜を見ると瞳を潤ませて、ぶるぶると震えていた。

 あれ、打たれ弱くなってる?

「…それじゃ、私はどうすれば——いえ、そうじゃなくて」

 彼女は零れた言葉を、自分で否定した。

 潤んだ瞳をまっすぐに向け、毅然と問いかける。

「私は、帰れますか?」 

「結論から言えば、あなたは帰れないかもしれません」

「——————」

 桜の顔が強張った。

 薄々は察していたのだろう、表情は暗くなったがそれ以上の変化はなかった。それでも動揺は隠しきれないのか、震えた声で言葉を返す。

 当たり前だ、独りぼっちになって平気な奴なんていない。

「随分、曖昧に言うんですね」

「ええ、私どもとしても確実に言えることではないので」

「……それは、そう、でしょうね」

 桜はぎゅと口元を真一文字に結んだ。

 全身に力を込めて、零れ出すものを必死にこらえているようだ。静馬は黙って、事の成り行き任せるつもりだった。

 だが、どうにも雲行きが怪しい。

 眼鏡の男を見ると、なぜかにこりと笑った。

 この野郎……っ!

「……んっ」

 臨界が近いらしい。

 横目で見ればすでに表情が崩れている。

 静馬は慌てて、桜の両肩を掴んだ。正面から目を合わせる。突然のことにきょとんとしているが、静馬も自分の行動に理解が及んでいない。

 静馬は、言った。


「でも、帰れるかもしれないんだ」


                 *


 紅祭り、と呼ばれる祭りがある。

 十年に一度、月蝕と同時期に行われる祭事である。国内四十九ヶ所の神社で行われ、各所の市街地で宴会が催される。花火に屋台、大道芸人など様々な娯楽が集い、一昼夜に渡ってどんちゃん騒ぎを繰り返す。

 国民全員が放蕩することを許された日。

 それは確かにこれまでの勤労の日々を祝う意味もあるのだろうが、本来の理由は別にある。

 この宴は、別れの宴なのだ。

「この世界に迷い込まれた方々は、総じて自らの意思でここへいらっしゃったわけではありません。ですが、帰る手段もお持ちでない。生きていくためには衣食住が必要であり、そのために後見人制度ができた。しかし、それでは今回のように後見人の数が圧倒的に足りなくなる。犬猫ではありませんからね、一人の人間の面倒を見るとなれば数年から十数年の時間と費用が嵩みます。


 そこで、異世界人を元の世界に返すための儀式を行うようになった。


 それこそが紅祭。異世界とこの世界を繋ぐたった一日だけの別れの日です」

 眼鏡の男は流暢な口調で話す。

 その語り初めの絶妙な間がひどく腹立たしい。静馬は桜の視線が眼鏡の男の方へ向いたのを見て、そっと手を離した。

「じゃあ、私、帰れるんですか?」

「いえ、わかりません。そこが、問題なんです」

 神隠し、と呼ばれる現象がある。

 目の前にいた誰かが突然いなくなる。消息も消えた理由の何もかもが一切不明な場合に用いられる言葉だが、紅祭においてはそれこそが主目的となる。

 迷い人が突然いなくなる。

 その理由も方法も一切謎のまま。

「過去幾度も行われた儀式ですが、誰が選ばれるのかは一切わかりません。陰陽寮と呼ばれる機関があるのですが、紅祭はそこが主催しています。秘密主義が激しく情報は一切漏れてこないんです。まぁ、実際のところ陰陽寮でも把握していないのが実情だと思われます。何せ、こちらの世界に迷い込んでしまう理由もわからないのに、帰す方法なんてわからないと思うんですよねぇ」

「その、つまり、私は」

 桜は言葉を選ぶように間を空けてから、言う。

「次の、その、お祭で帰れるかもしれないんですね。ただ、今回は選ばれないかもしれない」

「そうです。そして、これから先一度も選ばれないかもしれない」

 実際にそういう人もいます、と眼鏡の男は言う。

 眼鏡の男の言葉に嘘はない。

 およそ七百年、選ばれることなくこの世界に住み続ける存在を静馬は知っている。

 桜は目を手で拭う。

「…でも、選ばれる可能性がないわけじゃないんですよね」

「ええ、ですから期待はしないで下さい。でも、希望は持ってください」

「はい、それで十分です」

 桜の凛とした返事に眼鏡の男は満足そうにうなずいた。

 さて、と眼鏡の男は静馬を見た。

 ようやく本題に戻る。

 後見人の不在、その問題を解決しないことには事態の進展はない。

とは、言っても――その解決法はすでに用意されている。

「あとは渡良瀬様の居住先と働き口についてなのですが、どうでしょう? これもなにかの縁ですし、黒賀屋様に居住先の提供を依頼したいのですが」

 ほら、来たと静馬は思った。

 断り文句はすでに考えてある。自分は研修生の身であり、研修先に居候している。経済的余裕は当然なく、仮に面倒を見る場合には研修先の許可が必要である。その場合、面倒を見てもらっている自分が桜を研修先に紹介することはできない。

 あまりほめられた言い分ではなかったが、理屈は間違っていないはずだ。静馬は言い訳を言う。いや、言おうとした。

 見てしまったのだ、桜の顔を。

 無表情、いや、どこか恥を忍ぶような顔をしていた。

 静馬はため息を吐いた。

「…一応、研修先が許可をくれれば」

「それなら、大丈夫でしょう」

 眼鏡の男は言う。

「勝手ながら調べさせていただきました。あなたの研修先である飯村啄木様は外国人に対する住居の貸し出しの許可を申請されていますね。これは異世界人にも適用されますし、飯村様は過去にも異世界人の受け入れに応諾をいただいております。もちろん、助成金の適用は問題ありませんので、資金面に関しても一応の解決になると思います。そしてなにより」

 

「あなた自身も異世界人を引き取った経験がおありのようなのでこれ以上の適任者はいないと私どもは考えています」

 

                   *

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