第21話

 渡。

 それがここに祀られた神の名だという。

 その偉業、逸話については既に文献はなく、口伝ですら残ってはいない。それでも神の一柱としての役割だけは未だ機能している。

 曰く、世界と世界を渡し繋ぐ。

 その言葉通り、異なる世界との行き来を管理する存在である。

「つまり、お前がこっちに戻って来たのも、さかのぼればあっちの世界に送られたのも全部この神様の仕業だったわけだ。椿さんの話では渡来世の一族は必ず異世界に送られる慣習があるらしい。ある程度の年齢になれば連れ戻し、こちらで柱石となる準備する。その理由も、もうわからないって話だったけどな」

「ねえ」

「ん?」

 こまごまとした説明はどうでもいい。

 私は静馬の説明の大半を聞き流すことにした。重要なのはただ一つ。私は真っ向から問い質すことにした。

「私は、帰れるの?」

「…ああ。帰ることはできる」

 含みのある言い方。

 まだ何かあるというのか。

「出来るって、どういうこと」

「そのままだ。確かに、帰ることはできる。けど、そうなるとおれが困る」

 おれが困る。

 何故か、言葉に詰まる。

 いや。

 いやいやいや。

 ここは何も言葉に詰まる場面ではないはずだ。

「…なにが困るってのよ」

「依頼が半端に終わっちまう」

 近くに落ちていた岩の欠片を投げつけた。

 ヒット。

 静馬は悶絶した。

「なにしやがるっ!」

「で、なにが困るってのよ」

「お前、まじでふざけ」

「で、なにが困るってのよ」

 ぐじぐじと文句を言う静馬をじっと見つめる。静馬は、観念したのか、憮然とした表情で言葉を続けた。

「だから、依頼が完全には達成できなくなる。少なくともツバキさんの思い通りにはならないだろうな」

「それのなにが問題なの」

「…まぁ、お前ならそう言うよな」

「当たり前でしょ。あの女なんて関係ないわ」

 首。

 全身を八つ裂きにされてなお生きている女。もはや、あれは人間じゃない。もっと別のなにかで、私の母だった人はもういない。

 静馬は何故か渋い顔をした。

「親の心子知らずってか。耳が痛いな」

「はぁ?」

「お前が帰りたいってのはわかった。けど、それがまっとうな手段じゃないってのは想像つくだろ?」

「自分で言っておいてその言い草?」

「しょうがないだろ。実際、あんまりおすすめ出来る方法じゃない。話せば、それを選んじまうだろうし」

「なら言わなきゃいいじゃない」

「うるせえなぁ」

 静馬はがりがりと苛立たしげに頭をかいた。

 相変わらず、妙なところで及び腰になる。先の展開を考えているのだろうが、考えたからと言ってどうなるというのだろうか。

「とにかく、だ。お前があっちに帰るにはいくつかの手順が必要だ。それが問題なんだよ」

「だから、それはなに」

「お前を神にしなきゃならない」

「…ん?」

「だから、お前が神になるんだ」

 二つ目を投擲。

 今度は躱された。

「避けんじゃないわよ!」

「おっかねえな、ほんとに!」

 視線で牽制するが静馬も負けじとこちらを睨み付けている。

 神になる。

 阿呆か、この男は。

「あんたね、いい加減その思わせぶりな言い方やめてくんないっ? あんたが言ってることもう痛すぎてわけわかんないんだけど! ほんとは何も考えてないんでしょ?」

「だから言いたくなかったんだよ! おすすすめできないって言ったじゃねえか!」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「あー、めんどくせえから最後まで聞けって。いいか、さっきも話したがこの世界と他の世界を渡ることが出来るのがここの神様。で、もし、この神様がいなくなったらどうなると思う」

「そりゃ、渡ることができなくなる?」

「そうだ」

「ちょっと待った。それじゃ話が違うじゃない」

 神殺しで困るのは誰。

 劉堂さん、だけじゃない。

 この話の通りならこの世界に間違って来た誰かも困ることになる。それは、そう、当然私自身も含まれる。ってか、私が困る。

 さっき、この男は私を救うと言わなかったか?

「と言っても、神殺しをしなくてもお前が元の世界に帰るのは不可能に近い。これは単純な確率論だ。その上、この世界から出られたとしてもお前が帰りたい世界とは違う世界に行っちまう可能性もある。そう考えれば、困るとは言えないだろ」

「困るわ!」

「だから、おれは確実に帰れる方法を提案してる。今のままじゃ、お前が元の世界に帰るのはほぼ絶望的だ。けど、お前が神になれば間違いなく帰ることが出来る。

そして、おれはお前を神にすることが出来る」

 ばちり、と火花が散った。

 静馬の指先、石床に接した部分から放射状に光の波が走った。

 と同時に、室内の至る所に光の線が走る。

 線と線が交差し、無数の点が生まれ、印が顕れる。

 薄暗い室内に生まれた輝きが、私の視界を彩っていく。

 …いつもそうだ。

 この男の手から生み出されたなにかは、いつだって私の心を揺さぶってくる。

 私にとってはこの男が異世界だ。

 見慣れない街、異なる文化、習慣を持つ人々。

 その全てと比較しきれないほどのなにかをこの男が見せてくれる。

「さて、ここからはもう説明はいらないな。お前は帰りたい。で、おれはお前のために出来ることがある」


「選択の時間だ、渡来瀬桜。神となってこの世界を去るか、それとも人としておれ達と生きていくか。好きな方を選べ」


                *


 選択の余地はない。

 答えは既に決まっていた。

「帰れるならなんでもやるわ。神だろうが悪魔だろうが、なってやろうじゃない」 

 思いの外、言葉はすんなりと出た。

 静馬は表情を崩さず、私を見つめている。

 相も変わらず憮然とした表情だが、どこか我慢している様にも感じた。

 我慢。何を我慢するというのだろうか。

 我ながら妙な表現だと思うが、なんというかそうとしか表現できない。いつものふてぶてしさの中に何か別なものを見て取れるというか、なんというか。

 私が戸惑っていると、静馬は深く息を吐いた。

「わかった。すぐ準備する」

 のろのろと静馬は立ち上がった。

 それに呼応するように室内の輝きは増していく。室内に浮かぶ紋様とそれを構成する線が不規則に広がり、狭まっていく。

 もう瞼を開けていることも出来ない。

 来るべき瞬間。

それを予感し、私は息を呑んだ。

「……あれっ?」

 ふと、気付いた。

 瞼を貫く光がない。全身を包んでいた不思議な感覚もない。どころか、なにやら不思議な暖かさを感じた。

 瞼を開けると何もない。

 文字通りなにもなかった。

「…はぁああああああっ?」

 何もない。

 真っ白な空間。

 歩き出そうとして、地面すらないことに気付く。

 掌を広げ視界に映せば、見慣れたそれが目に入った。もちろん、色付きである。

 私は、いる。

 他は、何もない。

 なんだ、これ。

「…どうなってんのよ、これ」

 どこを見ても真っ白。

 あるのは自分だけで、宙に浮いているのかもよくわからない。落ちている感覚も飛んでいる感覚もないのにここにいるという違和感。

 何かの本で赤い部屋で過ごすと気が狂うと読んだことがある。けれど、一面真っ白な空間というのも気持ち悪い。いや、そんなことを考えている場合じゃなくて。

 何が起こったのか。

 静馬が原因なのは間違いない。あの眩いばかりの輝きが私をこの場所へと連れて来たのだ。

 神になる。

 これはそのために必要なことなのだろう。

 思考停止しそうになる自分に言い聞かせ、せめて自分に何かできることはないかと考えいると、


「やあ、ひさしぶり」

 

 そんな声が聞こえた。

 振り返る。

 先ほどまで何もなかった空間。

そこに、当たり前のように一人の男がいた。

 年のころは二十代の中盤だろうか。

 彫りの深い顔立ちながら怖い印象はなく、むしろ穏やかそうな性格が見て取れる。浮かんだ笑みも眼差しも優しげで私は何故か安心した。

 と、同時に違和感も覚える。

 その顔立ちと雰囲気。

 それに見覚えがあったからだ。

いや、むしろ正反対なのだ。なのに、似ている。

 ある種のデジャブ。

 その正体を見極めたくて、私は男を凝視した。一言も発せず、ただ見つめる。

 男の方もどこか困ったように眉根を寄せる。

 忙しげに頬を掻いたり、後頭部に手を当てたりと落ち着きがない。が、やがて決心したようにこちらをまっすぐと見つめて来た。

 思わず身構える。

 男は、

「どうも、父です」

 そんなことを言った。

 父。

 父親。

 瞬間、私は違和感の正体に気付いた。

 祖父。

 私を育ててくれた人とこの人はとても良く似ている。

「正直、なんて言おうか決めていなくてね。こういう場面を予測していなかった。君にまた会えるなんて、それこそ奇跡だと思っていたからね」

 優しげな声音は祖父とは正反対。

 なのに、わかるのだ。

 この人が祖父と血がつながっていて、当然、私とも血がつながっている。

 そういう繋がりを感じる。

「お父、さん?」

「そうだ、そう呼んでくれるとうれしい」

 優しげな眼に涙が浮かんだ。

 ゆっくりと近づいてくる。

 ためらいがちに開かれた腕が届く距離。それを見計らって、私は動いた。


「がっ!」

 

 拳に熱い感触。

 肩にも背中にも衝撃が走った。

 初めてにしては十分に出来たと思う。男は頬を押さえ、私を茫然と見上げていた。当然かもしれない。

初めて会った娘にいきなりぶん殴られたのだ。

だが、どうして殴られると考えていなかったのか。

「…桜」

「あんたの事情は知ったことじゃない。恨みもない。けど、あたしはアンタを殴らなきゃいけない。だから、殴ったの」

 我ながらめちゃくちゃな理論である。

 けれどそうとしか言いようがなかった。それがむちゃくちゃであっても、こいつがあたしの父親であるならそれだけで理由になる。

 男は何故か笑顔を見せた。

「はは。男らしい。さすが父さん、娘の教育にも遠慮がない」

「それは遺言かしら」

「いや、ほめたんだよ。そうか、君はきちんと育ってくれたんだなって」

「育ててくれなかった親が何言ってんのよ」

「はは、ここまで嫌われるなんてね。…父さん、相当苦労したんだね」

 笑いながら言うことじゃない。

思えば、祖父が身を粉にして働いていたのも当然なのだ。何の身寄りもない中で、あの人は私を育ててくれた。

 恨み辛みは一言も言わずとも、その背中を見て育てば苦労のほどはわかる。

 私がいなければ。

 そう思わないほど、私は馬鹿じゃなかった。

「ジジイはあんた達のことはなにも教えてくれなかった。だからって、あんた達があたしをあの人のとこに預けなければあの人はあんなに苦労することはなかったんだ」

「それは」

「どうしてっ!」


「どうして、私を置いて行ったのっ!」


 状況も、自分の心も何もわからない。

 けれど、父親が目の前にいるなら言わなくちゃいけないことがある。

 突然の再会も関係ない。

 私はただ自分の思いをぶつけるのに精いっぱいだった。

「ごめん」

「だれも謝れなんて言ってない」

「ごめん」

「だから!」

「ごめん」

 繰り返される言葉はそっけない。

 なのに、何故か反論できなくなる。

 父と名乗った男は、また、情けない笑みを浮かべた。

「僕のことはどれだけ罵ってくれても構わない。君を一人にしてしまったのは僕の責任だ。だけど、彼女を悪く言わないでやってくれないか」

「…彼女?」

「君のお母さんだ」

 首。

 全身を八つ裂きにされてなお生きる化け物。それを、この男まで母と呼べと言うのか。

「彼女は、君を守るために全てを捨てた」

「私のせいだっていうの?」

「まさか。悪い人なんていないよ。ただ、そうしなければ君を救えなかった。…僕が君に会いに来たのもそれを伝えるためだ」


「君を愛している。僕も、ツバキもだ」


 その言葉を聞いて、私はどうすればいいというのだろうか。

 愛している。

 今更言われても、私に出来ることなんてない。

「僕は君に何もしてあげられなかった。それはよくわかってる。でも僕たちは君のことをずっと愛してる。それだけはわかってほしい」

「だから」

 どうして、置いて行ったのかと。

 そう繰り返すことでしか反論できない。

 不思議な感覚だった。

 感情がここまで真っ直ぐ響くなんて経験はしたことがない。

 この空間のせいだ。この妙な感覚のせいで、感情が無駄に高ぶっている。

「桜、よく聞いて。君がここにいるということは君が神になることを決意したということで間違いないね」

「…ええ。そして、元の世界に帰るの」

「元の世界?」

「神の力があれば戻れるって聞いたから」

「なっ? どうして、そんな馬鹿なことを」

「ほっとけないからよっ。あのじじいを一人にしておけるわけないじゃないっ!」

 男は押し黙った。

 私は強く睨み付ける。

 男は苦い顔をして、言葉を続けた。

「…わかった。いずれにせよ、君は神になる。心するんだ。君はもう普通の人間として生きることはできない。その身を神にささげ、神としての責務を果たさなければならない。その上、君が異世界に行くと言うなら君はその力すらも使えなくなる。特権もなく神として生きることは、正直想像もできない」

「なによ、今更脅しつけたって」

「そんなつもりはない。もうそんなことをしても意味がないんだ。ここにいる時点で後戻りはできない。いいかい、心するんだ。君はもう神であって人じゃない。人としての考え方を捨てなさい。そうしなければ堪えられなくなる」

 

「その上で、君に頼みたい。君の母を救ってやってほしい。僕にはできないんだ」


「男なら、自分の女ぐらい自分で何とかしろっ!」

 本当に情けない。

 何もかも他人任せな男の頬をもう一発ぶん殴ってやった。

 

              *

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