第22話

 嫌な夢を見た。

 存在を忘れていた肉親に集られる夢。

 ろくな父親ではないと思っていたが、あそこまで情けないと怒りを通り越して呆れる他ない。なにより他人任せが過ぎるのは人間としてどうなのか。

 …なんだかまた腹が立ってきた。

もう二、三発殴っておけばよかったと思ったところで、

「おい、しっかりしろ」

 静馬の声が聞こえた。

 はっとする。

 気付けば、薄暗い室内にいた。

 先ほどまでの輝きはない。無数に走った光の線もなく、砕けた岩がそこかしこに置かれている。微妙な振動。外では、未だに争いが続いているようだ。

「おい、桜」

「なによ」

 静馬を見る。

 相変わらず憮然とした顔だが、どこかこちらを気遣うような目だ。

 その視線のせいなのか、なんだか普段とは少し印象が変わった。いや、というよりも、これは、

「…気持ち悪い」

 思わず、私はそういった。

 静馬が眉根を寄せた。さすがに怒るかと思ったが、神妙な顔でこちらを見ている。…ああ、そうか。そういえば、この男はミクラちゃんと一緒に過ごしていたんだ。

 私達から見た自分たちについては良く知っているのだろう。

「どうやらうまくいったみたいだな」

「ええ。でも、さっきまでと何も変わらないわ」

「さすがに、そっからはおれも力にはなれないからな。慣れれば元の世界に帰れるんじゃないか?」

「適当ね」

「おれが出来るのはここまでだからな」

 震動が強まって来た。

 外の戦いが激しさを増している。

 と、言うよりもこちらに近づいているような気がする。

 その理由は容易に想像がつく。

 というよりも、つながったことでより明確に理解してしまっているというかなんと言おうか。

 まったく、本当に愛が重い。

「ねえ、静馬」

「ん?」

「あんたさ、本当に気持ち悪いわね」

「お前、神様になったからって言っていいこと悪いことがあんぞ…!」

「本当に気持ち悪い」

 憮然とした表情が怒りに変わる。

 なんて気持ち悪い。

 間近で見るとより一層気持ち悪さが増した。

 怒りから驚きへ。

 その変化を見逃さないよう観察し、私は静馬の頬に手を当てた。

 静馬は咄嗟のことに反応できていない。

その様子が、また、なんというか、

「食べちゃいたいくらい、気持ち悪い」

 妙にそそるのだ。

 静馬の顔が赤く染まる。

 硬直したのを見逃さず頬に口づけを一つ。

 そっと身を引くと、おかしな体勢で静馬はこちらを見つめている。

 それがおかしくて、私は笑ってしまった。

「あはは、変な恰好」

「お、おま、ふざけ、っていうか、何なんだよ、急に…!」

「べっつにー? なんだかいろいろ見えたって言うの? なんか悔しくてさ」

「だから何言ってんだ、お前っ?」

「だまれ。あんたが好きな子の名前を三喜男たちに言うわよ」

「はぁっ?」

 困惑する静馬。うん、私も何がなんだかよくわかっていない。

 ただ、悪い気分じゃなかった。

 無駄に情報が頭の中に取り込まれ、それを処理するために気分がハイになっているのだろう。

 現在、未来、過去。

 その全てを知ることこそが神になる過程に必要なことなのだ。

 人間の気持ち悪さ。

 それは過去から現在までの業の深さに他ならない。

 静馬の気持ち悪さはこの男の人生を反映し、それがとてもそそる。だが、その中にあって不快なものも当然あった。

 具体的に言えば、こいつは私に対して好意を持っていない。友情に近い感情は持ち合わせているようだが、恋慕の念などつゆほども抱いていないのだ。

 まったく、せっかくここまできてやった私に対して随分と失礼な男である。

「まぁ、おふざけはここまでとして」

「お前が勝手にやってるだけだろうが…」

「まずはあの人を止めないとね。協力してもらうわよ、静馬」

 知覚が拡大していく。

 室内の状況だけでなく、外の状況もおぼろげながら把握し始めている。

 自分に出来ることとできないこと。

 その境界線が時を経つごとにぶれていく。

 だからこそ、わかる。

「わたしじゃ、まだあの人に勝てない」

 特大の振動と轟音が屋内を揺らす。

 天井に亀裂が走り、その中心を突き破って巨大な脚が室内へ飛び込んできた。

 崩落する天井。

 静馬を抱え、私は自分の出来ることを全力でやることにした。

 

 キャッチ。

 座標はここそこあそこ彼方まで。

 前人未到、人跡未踏。

 我は心渡す悠久の旅人。

「…あ、桜」

 黄金の鬣、黒い雲海。

 眼下、無数の蜘蛛が木々を蹂躙した光景が見える。地平の彼方で異形の巨人が射抜くように眼光をぎらつかせ、城郭を貪る蜘蛛がこちらを見た。

 怒り、悲しみ。

 様々な感情がとぐろを巻いている。

 その意味を、私は正確に汲み取った。

「どうしてよぉっ!」

 か細い悲鳴が胸を突く。なるほど、と私は自分に言い聞かせる。

 これが親の期待を裏切るということか。

「ごめん」

 視線を背後へ。

 先生、玲、三喜男、そして静馬。

 全員の視線を受け、

「力を貸して」

 私は親離れを決意した。


                 *


 空を滑る。

 黄金の鬣を靡かせ、ミクラちゃんは全霊を以って飛翔している。眼下には無数の蜘蛛。あのデカブツが力を増すにつれ、その数を増やしていったのだろう。

 まったく、親不孝者である。

 ぎらつく視線は紛れもなく敵意であり、本体である私に対しても呵責がない。既に肉体の復元は成功している。あとは顔を再生し、万全の状態で私を取り込むつもりだろう。

 そうなれば神話の復活である。

 だが、人間でありながら神に祀られ、死後もその身に艱難辛苦を背負わされた。そんな存在が人間の味方であろう筈もない。

 惨劇は目に見えている。

 なるほど、あの人は本気で世界を滅ぼしたかったらしい。

 神殺しという保険はかけてあっても、その思いには嘘がなかったということか。

「どうしてぇえっ!」

 眼下、無数の蜘蛛が脈動する。

 黒い体毛に覆われた肉体がその形状を棒状に変化させ、跳び上がった。

 迫る無数の尖端。

 黒雲を貫かんばかりに伸びるそれを、ミクラちゃんは急旋回して交わす。

 一つ、二つ、三つ。

 蛇行するごとに摩擦音が響き、黄金色の鱗がその度に黒く変色する。

 見えない壁、いや、空間の支配領域といった方が正しい。あの巨人は私達を睨み付けているだけではなく、行動すらも制限している。私とミクラちゃん。二人分の支配をも上回っているのだ。

「どうしてよぉっ!」

 追撃が続く。

 天へ向かって伸びる黒い槍が、急角度で曲がる。上下左右。全方位から向けられる切先がじりじりとプレシャーを掛けてきた。

「桜っ!」

 三喜男の絶叫。

 前方から迫る黒い壁。

 無数の穂先が向けられた槍衾。

 それが視界に入ったと同時に、

 ぎらり、と。

 全方位から穂先が迫る。刹那のタイミング。寸分の狂いなく、こちらを目掛けてくる殺意の束。

 防ぐことは不可能。

 であるならば、

「キャッチ」

 逃げるしかない。

 風景が変わる。

 遠くで黒い何かが貪るようにその身を蠢めかせている。が、すぐに獲物がいないことに気付いたのだろう。動きを止め、円形の球体へと変わる。途方に暮れているのだろうか、球面にさざ波が立っている様に見えた。

「どうしてぇっ!」

「いい加減うっさいわっ!」

 怒声に怒声で返す。

 こちらを見上げる視線は憎悪に染まっている。

 可愛さ余って憎さ百倍。

 流れ込む感情を読むまでもなく、あの人の心情は手に取るようにわかる。彼女がこれまで堪えたもの。それを私は無意味だと否定したのだ。

 私を守るために、彼女が捨ててきたものを。

「あなたは! 自分のしたことがわかってるのっ!」

 叫びが胸に突き刺さる。

 けれど、だからといってそれを肯定することなどできる筈もない。

「うっさいつってんでしょ、ババアっ!」

「もう戻れないのよっ! やり直しなんてできないっ! どうしてわからなかったのっ!」

 それは。

 それは、私の台詞でもある。

 なにが起きたのか。

 なぜ私を置き去りにしたのか。

 その全てはとうに見通したし、その理由すらもよくわかっている。

 けれども、わかっていても、納得できない。

「だからどうしたってのよっ!」

 球体が膨張する。

 瞬く間に風景を埋める大質量。空を覆わんばかりに巨大化したそれから、無数の触手が降ってくる。

 無作為に見える動きは、その質量も相まって必殺の一撃である。そのくせ、こちらの進路を確実につぶしているのだからいやらしい。

 何より、


『いったーいっ!』

 

 頭に直接響く悲鳴。

 黄金色に輝く姿態がその身をくねらせ、不可視の衝撃を訴えている。眼下の木々はより無残にはじけ、剥き出した地面には亀裂が走った。

 やはり、力はまだあちらの方が上。

 ミクラちゃんは飛翔。私はあくまで出来損ないの奇蹟。

 出来る事は限られている。

 だから、

「キャッチ」

 私達は私達に出来る事をする。

 

 斬。


 肉塊が裂けた。

 十文字。

 金色の軌跡が宙を舞い、無数の触手が切り刻まれる。

 三喜男と玲だ。


『すっげえなぁ、これっ!』

『…ちょと切れ過ぎ』


 黄金色を身に纏い、二人はその腕を存分に振るっている。

 対照的な反応は想定内。

 効果のほどは想像以上。

 三喜男は無駄に動き回って八面六臂の働きを見せ、玲は冷静に状況を見極めている。まるで風車に挑むドンキホーテ。それよりなおスケールが違うというのに、こちらが押しているというのが信じられない。

 修練。

 言葉にすれば簡単だが、その言葉に込められた意味は何よりも重い。

 執念、いや、妄執といった方が正しい。

 連綿と続く系譜の最先端。

 刀という鉄の塊を振るった先人の結晶。

 そこに、私達の力を乗せた。

 それだけ。

 それだけで、彼らは空をも斬ったのだ。

「もうどうにもできないっ! 私が、私が助ける筈だったのにっ! どうしてよぉっ!」

 巨人が動いた。

 地平の彼方、この世界の主が満を持して登場する。安全圏で睨みを利かせていた超越者は、その一歩で存在を知らしめる。

 森の木々が枯れ、空気が重さを増した。

 圧倒的な存在感から放たれる憎悪はそれだけで私の身を焦がす。

 けれど、


『静馬、そっちはどうだっ?』

『できました』

『よし、ぶちかますぞっ!』

 

 立ち上る炎。

 黄金色のそれが瞬く間に巨人の全身を舐る。燃え盛る炎は勢いをまし、二歩目を踏み出すはずだった足を消し去った。

 前のめりに倒れ、巨人はその自重で大地へとめり込んだ。

 同時に、

『静馬!』

印が発動する。

 網目状に巨体を大地に縫い付ける黄金色の縄。

 神殺しではない。

 あくまで時間稼ぎでしかない術の行使。もともとの地力が違う。既に脚は復元し、拘束を解かんと全身を奮っている。

 以って数分。

 それで十分だ。

「もう、やめようよ」

 眷属もなく、神としての力も封じた。

 ただ恨ましげにこちらを見上げる化け物は既に一人の人間としてそこにある。

 いや、

「…どうしてよ、どうしてこうなったの?」

 そこにいるのは、

「私は、私は、ただ、あなたを守りたくて」

 たった一人の私の母だ。


「ごめん、お母さん」


 そっと抱きしめる。

 懐かしい感触と匂い。

 伝わる思いはあまりの濃さにめまいがする。気持ち悪さはこれまででも最悪な部類で、一生包まれていたいほど暖かい。

 だからこそ、

「もういいよ。これからは私もしっかりするから」

 ここで親離れしなければならない。

 これまでのこと、これからのこと。

 考えなければならないことは山ほどある。

 けれど、今必要なのは決断だ。

 守られているだけではもうだめだ。この状況に流されるのはもっとだめ。

 母と私、そして、非常に不愉快だけれども父。

 それが揃った今、私がすべきことは一つである。

「……何をする気?」

「行こう、お母さん。ジジイには私が頭を下げるからさ」

「待ちなさいっ! そんなことしたら、あなたは神の力すらも」

「いいの。私は、そっちの方がいい」

 あちらの世界で力は使えない。

 空間を転移することも誰かの感情を読み取ることも、まして異世界を行き来することもできなくなる。この世界にいるからこその特権。それを捨てるのだから、当然の話だ。

でも、それは今までと変わらないということだ。

 学校へ行って、授業を聞いて、友人と話して、そして、同じような日常を繰り返す。

 もちろん、それだけで終わるつもりはない。

 十六年間の失敗と、この数か月の失敗。

 二度も失敗したのだ。

 いい加減、私は自分の人生を歩み始めるべきだ。

 真面目に授業を聞き、友人と思う存分遊び、日々を過ごすのだ。

 少しでもいい。

 色んな物事にきちんと向き合うことこそ、最も大事なことだったんだ。

 斜に構えず、流されず、確固とした自分をもって物事を受け止める。

 その積み重ねこそが人生で、それをきちんとした方がよっぽど人生面白い。

 静馬を見た時の気持ち悪さ。それは、きちんとした人だからこそ見えるもので、気持ち悪いと思うのは、きっと私がそれをできていないからだ。

 それを、家族皆でやり直す。

「なにもないところでやり直せばいいんだよ。大丈夫。あっちのことは私達が教えるし、一緒にがんばろ」

 あった。

 此処ではない彼方。

 懐かしい匂いと空気は、記憶の中でも鮮明に刻まれている。

 六畳程度の部屋。

 点きっぱなしのテレビと夕飯を用意する背中。

 食卓に置かれた料理は二人前。

 数か月前に見慣れた景色は、今も何も変わっていない。その背中にも哀愁はなく、恐らく、このまま私が現れてもまるで動じないだろう。

 まぁ、げんこつ一発くらいは覚悟しておく必要があるけれど。

「どうして、わかってくれないのよぉ…」

 すすり泣く声。

 強く抱きしめ、私は自分の知覚を拡大する。


「そういうのもあとで全部話し合いましょ。私達、家族なんだから」


 キャッチ。

 座標はここそこあそこ彼方まで。

 前人未到、人跡未踏。

 我は心渡す悠久の旅人。

 

 自分が消える感覚。

 広がった知覚が元のそれに戻るのを感じる。

 気持ち悪さも、もう感じない。

 抱きしめた感触はそのままに、私は自分の中から何かが抜け出すのを感じた。

 さてさて、どんな顔をされるのやら。

 家出娘が突然戻り、家族が二人増えるのだ。

 いくらなんでも、あの仏頂面も少しは顔色を変えるだろうか。

 そろそろ着くころだ。

 薄れゆく意識。

 私は、最初の一言だけを決めて、思考を手放した。


「ただいま」


                   *

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