土台

昨夜は一睡も出来なかった。

はじめての石塑粘土の感触に浸りきって、ひたすらこねまくった。

ひんやり冷たく、しなやかできめ細かい。

石塑粘土の他には、子供の頃に触った油粘土と、紙粘土ぐらいしか知らないが、そのどちらにもない手触りと質感だった。

少量の水を加えれば柔らかくなってよく伸びた。油粘土のようにニオイもなく、紙粘土の粗さも感じない。

白い生チョコのような…キャラメルのような、魅惑的で美しい粘土なのだ。

よくこねて、平面に伸ばす。それを厚みが均一になるように、スチロールの芯材に巻きつける。

人間でいうところの、スチロールの芯材は骨で石塑粘土は筋肉だ。

ペチペチとスチロール芯に巻きつけて叩いてみる。粘土と粘土の継目は、少量の水をつけてなじませる。ただの水なのに、魔法の化粧水のように浸透して継目が消える。

頭部分は大福のようになり、

胴体は鶏むねのよう。

両腕と両脚はキリタンポになった。


乾燥までこのまま放置。室温にもよるが、2、3日とのこと。待ち遠しい。

今日は粘土で真っ白だ。スチロールの破片で真っ白よりも気分がよかった。


【初心者は、まず粘土を均一に巻きつけることに集中しましょう。中級、上級者は大まかな造形を意識しながら粘土を巻きつけてみましょう】


均一に巻けたかどうかは分からないけれど、満足だった。

両手をきれいに洗って、大福と鶏むねとキリタンポを並べて撮影。画像をアップすべくSNSのコミュニティを開いた。


マリモ》初めての粘土作業(^^)乾燥まで待ち遠しいです*\(^o^)/*


闇色乙女》マリモ様お疲れ様です。室温によって乾燥時間が前後しますよね。乾燥まで他の作業を進めておくといいですよ。


美智子》いよいよ造形ですね!この季節だと、暖房の近くに置いておけば早く乾燥します。関節に使う球体部分を作り始めても良いですね!ガンバ!


相変わらず闇色乙女は上から目線だなぁと苛立った。美智子さんと同じような内容のコメントなのに、言い回しがいちいち腹がたつ。

美智子さんには、そうですね!頑張りますと優等生な返信をし、闇色乙女には…と少し考えてフリックする指をウロウロさせていたら、闇色乙女のハンドルネームを押してしまった。


画面が切り替わり、闇色乙女のページに飛んだ。

行ってはいけないと、入ってはいけないと言われていた場所に立ち入ってしまったような罪悪感に襲われた。

紫の背景に、ツタが絡まったように装飾された黒い文字。予想通りといえば予想通りの、すぐ前の画面に戻ればよかったと思わせる、闇と毒と…それから…

闇色乙女のトップ画は、おそらく本人と思われる顔写真で、右側半分だけこちらを覗いている。加工してあるのかどうかは分からないけれど、かなりの色白だと思った。


ようこそ、闇色乙女です。

貴女を心から歓迎いたします。


私は闇色乙女にそっと手をとられた気がした。






「あいよ!天ざる」

奥に長細いカウンターは、今日も満席だ。

私の勤務先のうどん屋、麺屋 匠は、本場讃岐で修行した店主と、フルタイムで働く私とパートの園部さんの3人でまわしていた。

店主の妻子は、滅多と店に顔を出さない。パートの園部さんによると、数年前から更年期でイライラが酷いそうだ。とても店を手伝えるような状態ではないと。

店を拡張したいと店主が言い出したのをきっかけに、奥様が大爆発してしまった。

経営は上手くいっているように見えていただけで、現実はカツカツだったのだそうだ。

店のやりくりも、家庭のやりくりも、奥様に任せきりにしていたという。

園部さんは店主が悪いと言い切った。ええ、それだけではないでしょうと私は思う。

お互いが知らなさすぎた。言わなさすぎた。憶測だけど。

いつだってねぇ、男がわるいんだよ。旦那がぜーんぶ悪いんだよ!

園部さんもきっと色々あるんでしょうね、と私は笑ってやり過ごした。

午後3時過ぎ、ランチタイムが終わって園部さんは帰宅。

私はカウンターの1番端っこでまかないをいただく。

うどん屋だけど、店主は洋食を好んで作る。今日はナポリタンだ。

フォークはないので備え付けの割り箸でツルツルやりながら、スマホ片手にコミュニティを開いた。

闇色乙女は、朝イチで制作過程をアップしていた。制作中のシエルという名の人形は、闇色乙女らしく悪魔のイメージなのだそうだ。


ようこそ。と、闇色乙女に手をとられた私は、長い長い自己紹介を隅々まで読んだ。

そして、紫色と漆黒が好きなこと、ゴシックが好きなこと、そして26歳であること、関東在住であること…

そして、つい最近恋人と別れてしまったことを知った。

人形の制作過程以外にも、毎日の生活の事や別れた恋人との思い出を日記にしたためていた。

仕事のことにも触れられていた。

現在はコールセンターで働いていて、毎日辛いとある。

以前はドレス会社で縫製をしていたが、不景気の煽りで倒産。その後あちこち履歴書を送ってみたものの何処も厳しく、結果コールセンターで働くことになったのだという。

縫製という技術がありながら、全く関係のない職種に落ち着くというのはよくある話ではある。私もそうで、長年美容師をやっていたが今はうどん屋だ。

美容師免許があるのに、何かしらの資格があるのに、そこから全く関係のない職種に就いていると、勿体無いと言われがちだ。

何が勿体無いのか。

むしろ、その免許や資格を持ったからこそ失う自由もあるのだと思う。

他の仕事を選ぶ事に躊躇する。

罪悪感も伴って。

美容師を辞めてうどん屋に転職する事が、とんでもなく重罪な気がして、当初は悩んだ。

美容学校へ行き、インターンを経て国家試験を受けた。その数年間が無駄になるように思えて。違う道に進むことは悪だと悩んだ。

今思えば、何かしらの肩書きがある自分に安心していたのかもしれない。

私は美容師です。

という肩書きだ。

うどん屋です。でも何も問題ないというのに。


闇色乙女のシエルは、顔の造形が完成しつつあった。

左右対象の美しい造形。それでも本人は納得していないようで、まだまだですねと呟いていた。

















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