第2話 宮廷
城壁の守備兵が五百は少ないと見る向きも多いかもしれないが、もちろん長城全線を五百で守るわけではない。守備隊は長城の様々な場所に点在しており、敵の襲撃があり次第他の守備隊へ連絡し、その都度集結して防御に当たるのである。通常であれば、敵兵を見つけ、連絡を取り、集結してからでも迎撃は充分間に合うし、たとえ間に合わないにしても、城壁がある以上、他の守備隊が駆けつけるまで持ちこたえることは難しくない。長城はそれ自体が鉄壁であったが、それ以上に守備隊の防衛組織化の妙が長城をより不落の城壁としていたのだ。
だが今回はその組織がまったく働かなかった。そもそも敵を見つけることができず(内応者がいるのだから当然だが)、それゆえ他の守備隊へ連絡することもできず、加えて長城に自ら「穴」を開けた上、兵が酩酊して戦うことすらできなかったのだ。全滅は必至であった。
「よし、このまま千五百ずつに分かれて東西へ攻めよ。主力が到着するまでに、可能な限りの守備隊を壊滅させる」
炎に彩られた兵舎に、動く敵兵が一人もいなくなったことを確認すると、ズタスは三千の兵に隣接する守備隊へのさらなる奇襲を命じた。この炎はすでに近くにいる守備隊の目に入っているであろう。しかし事情をつかめてはいないはずである。混乱が起こり始めているに違いない守備隊へ奇襲を仕掛け、その混乱を増大・拡大させる。それらが大きければ大きいほど、自分たちに対する組織的な反抗は遅れるはずである。その間にこちらは主力と合流し、さらに戦果を拡大する。いずれ庸軍本隊と正面から対峙せねばならないだろうが、それまでに主導権を握り、自分たちに優位な形で彼らを迎え撃ち、撃滅せねばならない。
ズタスは、一部の兵をこの場の確保のため残すと、東へ向かう部隊の指揮はケボルに任せ、自身は西の守備隊を撃滅する部隊の指揮を執ることにする。最前線に立つ族長の姿は騎馬民族の兵を鼓舞するに充分であったが、ズタス自身、庸侵略の最中にある自分を抑えることができずにいた。
漆黒の闇の中、炎の矢と見まがう速度と迫力で、「東軍」と「西軍」は、なにが起こったかわからない庸守備隊へ突撃していった。
「北狄数千、長城を越えて侵入。鶏門、雁門、厳門、燈門の守備隊を襲撃、これを撃滅す。さらに二万から五万の北狄も侵入、先鋒の数千と合流の上、近隣の邑落を襲撃。殺人と略奪をほしいままにしながら南下中」
帝都・
が、数万を越える大軍が長城を越えて侵入してきたとなれば話はまったく違う。
朝廷には今、皇帝の他に二十人ほどの重臣がいる。全員が男であるが、髭が生えていない者と生えている者とに分かれ、無髭の者の方が皇帝に近い位置に席を占めている。
宦官であった。
後世の人たちは、それぞれの勢力を宦官派、士大夫派と呼び、二党政治がおこなわれているとしている。国の中枢と言えるこの場所で、宦官派は六人、士大夫派は十四人ほど。数からいえば士大夫派より少ないのだが、座る位置でわかるように、権勢では宦官派が士大夫派の遥か上にある。
彼ら六人は「
士大夫派にすれば歯ぎしりを禁じえない状況だが、この時この場では両党とも思いは等しかった。
「し、しかしどのようにして北狄は長城を越えたのだ。これほど簡単に長城が破られるなど、これまでありえなかったぞ」
宦官の中では比較的若く、賢花の中では最下位の「六花」である
尋ねられた臣下が硬い声で答えた。
「それが長城の内側から扉が開けられた形跡があります。北狄はそこから容易に侵入できたのかと」
「我が国に内通者がいるというのか!? 誰だ、それは!」
符易とは違う宦官・「四花」の
「まだ確認できておりませぬが、どうやら張重仲どのの手引きではないかと…」
その名に士大夫派は表情を蒼白にする。
ただ、長城近辺での戦いは少ないとはいえ、北方では、遊牧民族、騎馬民族が徐々に糾合されつつあるという。庸ではそのことが懸念されていた。
騎馬民族は分裂していればさほどの脅威でないが、糾合された時は北河の氾濫を越えるほどの暴威となる。
聞くところによると一部の部族に強力な指導者が現れつつあるらしい。もしその指導者が北をまとめあげでもしたら、庸帝国にとって容易ならぬどころか存亡の危機をもたらすほどの勢力になりかねない。
「そやつらが攻めてきて張堅を殺してくれれば重畳なのだがな」
ゆえに彼らは急いで北へ対して分裂工作をおこなうべきであるのに、それらの報告を受けた宦官派が考えることはこの水準であった。士大夫派はまだましではあるが、それでも目の前の相手――宦官に対する敵意の方が強く、またそのような重要な国策をおこなう権限も与えられていなかったため、そこまで北へ目が向いていなかった。
とはいえまさか、このような暴挙に出る者が現れるとは…
士大夫派にしてみれば、張堅の気持ちはよくわかる。自分たちには武力がない。それらはほとんどすべて宦官派に抑えられているのだ。そのこともまた士大夫派が身動きを取れない大きな理由の一つであった。巨大な武力があれば、多少強引ではあっても宦官派を一掃することができるかもしれない。しかしそれは宦官派にしても同様であった。その気になれば士大夫派を武力によって全滅させることは可能であり、またそれを実際におこなうことができるのも彼らの方であったのだ。
士大夫派にしてみれば、いくら法や理によって彼らを攻撃し、そのことによって優位を確立したとしても、一瞬でひっくり返される可能性と恐怖に脅かされているのだ。手足を縛られ、口にも無形の猿ぐつわを噛まされているようなものであった。
張堅はその状況に耐えきれなかったのだ。ゆえに自分たち士大夫も「すべてをひっくり返す力」を得なければと考えたのである。それが地道であり困難でもある「自分たちで武力を養う」という方法ではなく、「もともとある強い力を招き入れる」という安易で危険と被害の大きい方法を取ったのは、彼の浅慮というより忍耐力の限界を越えたためであろう。北狄を国境内に無傷で大量に招じ入れる危険より、宦官への憎しみが上回ってしまったのだ。
士大夫派の人間たちはその気持ちがわかった。痛いほどにわかった。だがこれは、宦官と共に自分たちも焼き尽くす炎が放たれたのだということを彼らの理性は深く理解しており、感情はさらに強く理解していた。恐怖とともに。
「ほほう、なるほど、張どのが…」
が、士大夫派の恐怖はそれだけではなかった。宦官の粘ついたうれしげな声がその恐怖を、憎悪と怒りと共に湧き上がらせる。宦官たちもこの事態が戦慄すべきものだとわかっているはずなのに、彼らの性根は目の前の相手の失策をえぐり、なじることへの欲求をこらえることができなかった。それがゆえに彼らは下等であり、自分たちが下等であると気づけないところがさらにその下等ぶりを証明している。
宦官であることが罪なのではない。彼ら自身の人間性が問題であった。そのことを暗に証明しているのが、宦官でありながら高潔な生涯を生き抜いた王健の存在なのだが、その王健の行状が今の宦官たちの権勢の元になっているのが皮肉な話であった。
そして彼らの卑しいうれしげな視線は士大夫派へ注がれる。相手の失策は宦官にとって蜜の味なのである。このようなことをしている場合ではないのだが、好物を目の前に差し出されてこらえられる彼らではなかった。
「張どのは確か徐どのの管轄下に入られておられるはずだが、これはもしや徐どののお指図でらっしゃる?」
「三花」である
徐雄は初老の士大夫で、彼らの重鎮だった。張堅のことを若い頃から見所があるとして援助してきたのだが、ここのところの彼は思い詰めることが多く、息抜きも兼ねて辺境への左遷を受け入れるように説いたのだが、このような暴挙に出るとは予想もできなかった。当然徐雄の預かり知らぬことである。
が、徐雄は無用に宦官へ反発しなかった。相手の言葉尻を取り、揚げ足を取るのは、彼らの最も得意とするところだったからである。逃げ場がないのなら、堂々と正面から立ち向かうしかない。
「そのようなことはそれがしの預かり知らぬところである。だが確かに張はそれがしの部下。上役としてそれがしに責任があるのも間違いなかろう」
「ほほう、そのように潔いのはよろしいことだが、それは自分も暗に関与していることを認めているようにも聞こえるが…?」
「そのような詮索はそれがしの社稷への忠誠を汚すもの、宇どのには控えていただきたい。それにまだ張が北狄を長城内へ招じ入れたか判然としてはござらん。仮にそうであったとしても、張を北方へ転属させるように進言したのは朱どのでらっしゃる。それがしに責任があるとすれば朱どのにも同様の責任があるかと思われるが、如何?」
「それがしは北方へでも転じてみてはいかがかと提案しただけじゃ。その他にも西方や東方へも赴任先はあったはず。そのどれをも選ばず張どのを北方へ遷したは徐どのの判断ではないか。それがしに責任を転嫁するのはやめていただこう」
不機嫌さを鋭さに変えて、朱叡は徐雄を非難する。
これは確かに事実であると言えた。朱叡は張堅を北方へ転任させよと、はっきりとは言明していない。だが宦官派の重鎮の言葉は、たとえ強制したものでなくても他の者たちに逆らえるものではない。ゆえに彼らは常にはっきりとは断言せず、暗に強制し、それでいながら曖昧な自分の発言を盾に責任は取らないのである。士大夫派やそれ以外の廷臣にとっては歯ぎしりで済ませるには抑えがたい卑劣さであった。
この時の徐雄も他の士大夫派も同様であり、うそぶく朱叡へ斬りつけたい衝動は、もし剣を帯びていたら耐えきれなかったかもしれない。宮廷へ上がるに帯剣は許されない。このことが宦官派たちの命を救い、同時に士大夫派たちの命も救っている。たとえこの場の宦官派を皆殺しにしたとしても、武力を抑えている他の宦官派たちの報復から逃れられるはずがないからである。またそうでなくても宮廷で剣を抜くことそれ自体が死に値する罪である。その点も宦官派は突いてくるであろうし、名誉や宮廷での秩序を重んじる士大夫派は
宦官の絶対数は少ない。だが彼らは力ある少数派であり、士大夫派は力なき多数派であった。
なぜこれほどまでに庸帝国において宦官が勢力を増すことになったのか。それは韓嘉がズタスへおこなった説明において詳述したい。
「太祖陛下(初代皇帝・
張雄はおのれが帝位を欲してというより、陳裕の即位に不満があったのだ。
陳裕は陳隆の三男で、兄である次男は亡くなっていたが、もう一人の兄・長男の
それは結果としては英断だった。陳裕は有能な政治家として能臣を幾人も選び、育て、彼らを使いこなして庸帝国の基盤を完全なものとしたのだ。
だが即位当時はそのような未来のことはわからない。そしてそれだけに、長子相続という央華の理念に反する行為を亡国の端緒と感じた者も多かった。その中に張雄もいたのである。彼は有能ではあったが頑なとところがあり、また長子である陳共とは個人的に交友も深かった。張雄からしてみれば、私欲ではなく、能力的なことまで含めた公的な見地からも、陳共が第二代皇帝になったとてなんの不都合もないと思えたのだ。それゆえなんの恨みもなく、陳共とほどではないが交友のあった陳裕に彼は叛したのである。
陳裕はその反乱を一年の歳月を使ってなんとか鎮圧したが、叔父のように感じていた張雄が自分に叛したことへの衝撃はあった。彼はこの後、皇帝として露骨に人への好悪や不信を表に出すことはなく公正な人事をおこなうが、心の奥深くにそれらの感情を内包して生きてゆくことになる。そしてその息苦しさを「家庭」で発散するようになった。その相手は皇后であったり皇子や皇女、愛妾であったりはしたが、彼らは異性や異世代であるため、壮年の男同士の話ができる相手がいなかった。そして彼はその寂寥を埋めるのに宦官を頼ったのである。
それは一人、彼の側に優秀な宦官がいたことも大きな要素だった。
それからの彼はめきめきと知力を向上させ、それを知性に転嫁し、さらに人間性や人格にまで昇華させていった。また陳裕と同年代であったため彼と行動を共にすることも多く、いわば幼なじみの親友と言っていい関係にすらなっていたのだ。
彼は知識のみに頼らず、知性と、それらに裏打ちされた想像力をもって陳裕に助言することが多かった。そしてそれらはことごとく的を射ており、現場を経験せずに真理を獲得するという点において、彼の進言は奇蹟とすら言える水準のものであった。
それは陳裕が皇帝に即位しても変わることがなく、彼は「陰の宰相」といってもおかしくない存在となる。
しかしこれでは朝廷にある「表の宰相」たちの心証が悪くなるのは必定で、陳裕は王健の存在を隠すことに腐心した。それだけに王健の名は陳裕が生きている間は朝廷でも世間でも誰も知らず、王健が死に、陳裕が死後発表することになる皇帝自筆の「業績録」によって初めて知られることとなった。
王健の人格が高潔とされるゆえんはここにこそあった。彼は自身の名声や蓄財にはまったく興味を示さず、皇帝に対しても決して狎れようとはせず、私欲や私心からは無縁で、皇帝と国家のためだけに己の能力を使い切ったことが明らかになったからである。そしてこれは、当時の廷臣だけでなく、庶民の間でも激賞されることになる。なぜなら央華史において政治に口を出す宦官といえば、私利私欲のために国を誤らせる存在と同義だと思われていたのである。
また彼の存在を最後までひた隠しにした皇帝の見識にも彼らは賞賛を惜しまなかった。そして陳裕がなぜそのようなことをしなくてはならなかったかのかに思いを馳せ、自省する。それは宦官に偏見をもっている自分たちが原因だったのだから。
これら陳裕と王健の行為、そして彼らに対する廷臣や民衆たちの想いは尊いものであった。だがやや行き過ぎの面もあったかもしれない。この後、庸において、宦官たちへの「締め付け」が甘くなったのだ。彼らは通常の士大夫同様、官職に就くことが認められ、未来への希望を得られるようになった。だが王健のように有能で高潔な宦官の存在は、やはり例外に近かったのである。
宦官たちも最初は慎ましかった。中には調子に乗り、私欲のために手に入れた権力を行使しようとする者もいたが、そのような者たちは廷臣や民衆だけでなく、同じ宦官たちから吊し上げられた。それどころか最も苛烈に断罪したのは、むしろ宦官たち自身であった。彼らとて自分たちの立場や地位を上げてくれた王健を純粋に尊敬し、感謝していた。その王健の名を辱めるような真似はしてはならないと考える明朗な意識もあった。
だがそれと同等以上に、自分たちに対する廷臣や民衆の心が、まだ表面だけで芯から好意に染まりきっていないことを察してもいたのだ。宦官のほとんどはやはり陰に生きる者で、人の情実の正の面より負の面に敏感であり、過敏と言っていいほどであった。
「まだ気を許してはならん。宮廷の者どもも民衆も、今我らを誉めそやかしておるのは一過性のものにすぎぬ。いずれ熱は冷めるであろうが、それまでに我らの立場を可能な限り強固なものにしておくのだ。それまではおとなしくしておれ。善き顔をしておれ」
と、ひそかに仲間に語ったのは、王健の次の代の宦官の長である
彼もまた優秀な男であったが、王健と違ってその性質が陰に属するものであったのだ。それが庸の将来を左右した。
馮徹が生きていた間、宦官たちは静かに、潜伏するように庸の中枢に根を張っていった。こらえきれずに暴発しかかる者もいたが、そのような者まで抑えきった馮徹の統率力は尋常なものではなかった。そして彼が亡くなる頃には、宦官の勢力はどのような者にも覆せないほど強固なものになっていたのである。
「さあ、もうよいぞ」
馮徹は死の床でそのように遺言したと言われる。この逸話からもわかるように、彼自身は、彼が統率し作り上げた宦官の天下をほとんど享受せずに死んでいった。彼もまた王健と同じように、他者のために自らを使いきる人生を歩みきったのだ。
だが歴史上、王健と馮徹はまったく逆の評価を受けることとなる。その理由はただ一つ、王健は庸の民全員のためにそれを為し、馮徹は宦官のためのみにそれをおこなった。その違いだけだった。
庸帝国以外にも宦官の害悪に悩まされた国は歴史上いくつもあった。だが庸のそれが最も大きなものであったとする後世の人間は多い。なにしろ第四代から庸が滅亡する第八代まで、すべての皇帝を擁立したのが宦官であったほどに彼らの影響力は絶大だったのだ。皇帝の首すら好きにすげ替えられるほどの権力を持った勢力である。宰相はもちろん、財務、司法、行政、軍司令官など、国家の要職すべてを、髭のない彼らの顔で占めるなど造作もないことであった。
これは朝廷の士大夫たちにとって恥辱の極みであった。宦官とは本来刑罰を受けた罪人であり、人以下の存在である。士大夫たちの意識からいえば、畜生に上に立たれ、彼らに頭を下げるのと同じことであった。そして宦官が国の代表である以上、これらの恥辱を他国に対してもあからさまにさらしていることになる。これもまた彼ら士大夫の羞恥心と屈辱を強く刺激した。
そして士大夫たちほどではないにしても、似たような感情は庶民の間にもあった。彼らは宦官と身近に接する機会が少なかったこともあり、士大夫ほど強烈な反感は持ってはいなかったが、彼らが自分たちと違う存在であるということは知っていた。それは知識だけではなく、感覚的にもである。自分たちと異質の存在に統治されるのは、彼らにとってさえ愉快な話ではなかった。
それでも宦官が善政を敷けば、庶民にとってはさほどの大事ではなかったかもしれない。彼らは王健のことを忘れてはいなかったし、政権争いなど結局のところ庶民から見れば、椀の中の嵐でしかないのだ。。
だが自分たちの立場が盤石になったと知った宦官たちはからは、
いわば庶民は、宦官全体が定めた国法による税だけでなく、個人としての宦官が徴収する税と、二重の税を押しつけられたのである。このようなことをされては王健に対する敬意も感謝も霧消するのが当然であった。
王健への敬意は士大夫層にもあったが、それも宦官たちがおとなしくしていればこそである。彼らが大っぴらに彼らの上に立った瞬間から、その感情は庶民と同じように霧消していた。
このような暴政であれば、宦官の天下などすぐに覆りそうだが、そうはならなかった。
宦官たちが優れていたからではない。中には有能といっていい者もいたが、王健や馮徹のような異才はいなかった。それなのに彼らに対する反抗や叛乱はすべて潰され、それを基にさらに強大な宦官体制を築き上げていけた。
それほどまでに馮徹の作り上げた統治組織は強固だったのである。
彼の組織構築能力は芸術の域に達していた。それは、ほとんどが凡庸以下の人材しかいなかった宦官の天下を、組織力のみで数十年も続かせたことからも証明されている。だがその芸術は、宦官以外誰も幸せにしなかったことから、ほとんどの人間に賞賛されずに人の世の歴史に遺ることとなる。
しかし、どれほど堅固な組織でも限界はある。
馮徹の作り上げた組織は庸国内においては完璧と言っていいほどに機能していた。国内においては、正面からはもちろん、裏面側面からの攻撃でも宦官に敵対することはすでに不可能だった。可能にしたかもしれない勢力や人材は宦官たちにことごとく潰され、粛正されていた。ゆえにほとんどの人間は絶望と共に現状を受け入れるしかないと感じていたのだが、あきらめ切れない者もいた。その中の一人が張堅であったのだ。
「あの姦賊どもを滅さねば、我が大庸はことごとく食いつぶされてしまう。しかもただ潰されるだけではない。不浄の者(宦官)に滅ぼされた央華史上初の王朝として歴史に汚名を遺してしまうのだ。そのようなことになったら、我らは太祖陛下(初代皇帝)になんとお詫びすればよいのか…」
絶望の中に希望を見いだそうとする時、人の想念や思考は飛躍する。常であれば思いつけないほど、効果は大きいが害悪も多い方法を考えついてしまう。そして絶望が深ければ深いほど、その害悪に目をつぶり、行動を起こしてしまうのだ。
張堅がズタスへ出した書簡がそれであった。
「張堅は思ったのでしょう。宦官を滅ぼせるのなら、鬼神とでも手を結ぼうと。そして北狄は鬼神よりはましだと。いや、たかが北の蛮賊、うまくあやつることすらできるかもしれない。充分な恩賞を与えてやれば、喜んで宦官どもを皆殺しにし、そのまま北の荒野へ帰ってゆくのではないか。あるいは多少民が殺され、邑は焼かれ、財は奪われるかもしれぬ。だがあの白蟻以下の害虫どもが、我らが祖国を食いつぶすに比べれば、その程度の被害などなにほどのものか、と」
韓嘉は歯に衣着せぬ物言いで、張堅の心情を代弁し終えた。それを聞いたズタスが苦笑を漏らしたのは、師の物言いに対してか、張堅の虫のいい考えに対してかはわからない。だが張堅の真意がそうであるのなら、この書簡の内容は文面のまま信じてよく、そして倫理的に後ろめたさを覚える必要もない。自分たちを利用しようとしている者に気を遣ってやる義務など、この世のどこにもなかった。
「では師よ、ここに書かれた条件とは、どのようなものになるでしょう」
苦笑を収めたズタスは、そのことについても韓嘉に尋ねた。
「さよう、まずは陛下をはじめ、皇族の方々には絶対に手を出さないこと。そして出来うる限り民を害さないこと。報償については交渉次第。そしてなにより、宦官には必ず壊滅的な打撃を与えること。そのようなところでしょうか」
「なるほど、では我らは彼らに、どれほどの報償を求めればよろしいか?」
師の答えにズタスはうなずき、そしてにやりと笑って尋ねた。その笑いに込められたものを韓嘉は正確に感じ取り、答えた。
「さよう、仔州を含む十州をよこせ、というあたりでしょうか」
仔州は庸の北方で最も栄えている州で、「北の首州」と言っていい地域だった。そこを含めての十州といえば、「小国を一つ割譲せよ」というに等しい。
「いきなり十州でござるか。師はなかなかに欲が深い」
ズタスは笑い、韓嘉はにこりともせず続ける。
「ここから交渉になりましょう。最終的には六から七州。このあたりで手が打たれると思われます」
「なるほど、そのあたりなら現実的と考えるでござろうな。たかが欲の深い北の蛮賊を満足させて追い返す報償としては」
ズタスは笑いの種類を少し変え、師の意見に賛意を見せた。
ズタスはすでに決していたのだ。張堅の提案に乗ると。そして庸の領土深くへ侵入し、かの地を我が物とすると。「交渉」とその結果は、張堅たち庸の士大夫を油断させる方便に過ぎない。「欲深く智なき蛮賊」を甘く見た報いは、その時に存分に味わわせてやろう。
「それにしても…」
と、ズタスは思う。彼は長城を越えて庸を侵略することは、ほとんどあきらめていたのだ。長城に孔を穿つだけの力を、自分は身につけることができなかった。そう感じていたのである。それが突然、開くはずのなかった長城の壁に孔が開いた。
「これを天与と言わずになんという」
ズタスはこれまで、ごく素朴な信心しか持ち合わせていなかった。コナレ族を含めた騎馬民族は、太陽や雷などの大自然を神の化身として崇めている。それゆえ彼らの神は、生きる糧を与えて彼らを守り、あらがいようのない自然の猛威によって彼らを戒めはしても、あくまでも守護のための存在であった。
だがズタスは、ここではじめて天意を感じた。彼に天が「庸を滅ぼし、央華を汝のものにせよ」と告げてきているのだ。天意などというものが央華の思想であることは、ズタスも自覚している。なにしろ韓嘉から教えられた思想なのだ。だからこそ、彼は思うのだ。自分は央華の支配者になるために師を与えられたのだと。央華の天が、自分こそが央華の支配者にふさわしいと、命を下してくれたのだと。
ズタスはただの侵略者や略奪者ではなく、中原に鹿を追う王朝創始者として生まれ変わろうとしていた。
そして現在。宦官に支配された宮廷である。
「やめよ、味方同士でいがみあっている時ではあるまい」
不毛な彼らの諍いを止める声があった。皇帝ではない。
この時この場に皇帝も臨席してはいる。だが庸帝国第八代の皇帝・
陳徹は即位してすでに十八年になる。青年期に傀儡人生が始まり、実年に達してもそれは変わらない。最初の頃はともかく、いまだに親政(皇帝がみずから政をおこなうこと)を許さぬ宦官に対して、彼もいくばくかの不満があるのだが、それこそ幼帝の頃から心身に染み込まされた宦官への服従と恐怖とに、その不満は霧散する日々であったのだ。
では誰がこの場を納めたかといえば、これも当然ながら宦官であった。現在宦官派の長であり、つまり庸帝国の実質的な支配者である「一花」、
王健と同じ姓だが、血縁や子孫というわけではない。同じ宦官としては、むしろ馮徹の不可思議な不気味さのみを受け継いだようである。
その威圧感は周囲の者を圧倒し、今の庸の朝廷は、つまるところ妖怪じみた彼の顔色をうかがう場でしかない。
が、政の見識は、王健はもちろん馮徹にも遠く及ばない。それは張堅がこのような暴挙をおこなうと予想できなかったことからも証明されるが、自分の無能さを隠し、他者にそのことを悟らせないため、責任を負うのは常に彼以外の者であった。
この時も王潔の威圧感は、士大夫派のみならず彼の配下である宦官派の恐怖を誘い、平伏させる。士大夫派にしてみれば王潔の「味方同士」という物言いには大変強い違和感と反発を覚えるのだが、北狄に対しては確かにそうであった。だが士大夫派からすれば、北狄以上に憎らしいのは宦官派であるというのも正直な心情である。
「とにかく北狄が我らが領土へ侵入したというのは確報であろう。それがどれだけの規模なのか、そしてどこの部族なのかということを確かめねばなるまい。同時に援軍を北へ送らねばならぬ。援軍の規模は敵軍の数を把握してから確定せねばなるまいが、それでも可及的速やかに、そろえられるだけの数はそろえねばならぬ。そのような対応でよろしいでしょうか、陛下」
宦官派と士大夫派との論争、というよりなじり合いを止めた王潔は一応の方針を示し、それを臨席する皇帝に進言する。方針の内容自体に誤りはなく常識的なものであるだけに、皇帝も首を横に振る理由はなかったのだが、そもそも彼には王潔に拒む権利がなかった。王潔ら宦官になにか発言を求められるたびにそのことを思い知らされ、不機嫌さと無力感が
恐怖による脅迫と圧迫。これが宦官たちの基本姿勢であった。
「それで構わぬ。万事よいように」
だから皇帝はこう答える。主語をはぶき、誰にとってよいようになのかを曖昧にすることが、彼にとってせめてもの反抗であった。
王潔もそのことに気づいている節はあったが、皇帝のそのような幼稚な反抗程度は見逃してやるつもりであった。度が過ぎた時に灸をすえてやればよく、それでも言うことを聞かねば、皇帝の首をすげ替えればよいのだ。
王潔は庸帝国の永続を疑っておらず、庸ある限り宦官の天下が続くと信じ切っていた。馮徹ならば宦官の天下は定まった未来ではなく、定まった未来へ自らが続かせるものだと知っているのだが、彼より劣る王潔では、その認識まで持ってはいけなかった。
ゆえに騎馬民族に対するこの対処は、常識的ではあったがそれだけに甘かった。今起こりつつあるのは、庸帝国どころか、二千年以上をけみした央華の歴史でも初めて起こる事態だったのである。
東西に分かれ、雁門など近くある長城の守備隊を、奇襲と、純粋な力の差によって次々と壊滅させていたズタスは、本隊三万が到着したとの報告を受け、最初に攻略した鶏門に先鋒隊を集結させる。そこには騎兵を中心とした彼の精鋭たちがそろっており、ズタスの庸侵略の高揚感をさらに強めさせた。
「汝らに問う。我らは今日まで庸に勝つことができなかった。それは我らが庸より弱かったからか!?」
全軍を前にしてズタスは兵たちに説く。農耕民族であろうと騎馬民族であろうと、兵を鼓舞する演説は必要である。質実剛健を旨とする騎馬民族ではあまりに口が達者な者は軽蔑されるが、伝えたいことを伝えられない者は指導者にはなれない。ズタスも演説は得手ではなかったが、彼の言葉には実力によって勝ち取った実績による説得力があった。
長城を「内側から」指差し、ズタスは続ける。
「そうではない。我らは庸に勝てなかったが、負けはしなかった。いや、そもそも戦うことすらできなかった。庸人は卑怯にも、あのような壁の背後に隠れて我らから逃げ回っていたからだ」
ゆえにこの演説も、単純ではあるが兵たちの心に響かせることができた。
それは兵たちが彼の演説の内容と同じ感情を持っていたからでもある。ズタスはそのことを知っていたが、彼らにおもねっているわけではない。彼自身も兵と同じ情を抱いていたに過ぎなかった。
「だが我らはこうして長城の内側に入ることができた。しかも無傷でだ。これは常に正しく真っ直ぐに生きてきた我らに神がお与えくださった恩寵以外の何物でもない。神もおっしゃっているのだ。庸を汝らの物にせよ、卑しき庸人から央華の美果を奪い取れ、と!」
兵たちが槍や剣を天に突き上げて歓声を揚げる。庸の民からすれば身勝手極まる絶対受け入れるわけにはいかない理屈だったが、コナレ族にとっては正当すぎる理由であった。自分たちより弱い相手が、自分たちより豊かな生活をしている。力こそが正義であり、略奪が生活の糧である彼らにとって、庸人の生き方は、軟弱であり卑怯でもあるのだ。その不正、不当を正すことができる。彼らの喜びは略奪の欲望だけでなく、抑圧された精神の発露でもあった。
兵たちのそれらを見て取ったズタスは、おのれも剣を振り上げた。
「さあ行け、勇敢なるコナレの戦士たちよ! もう耐えることはない。奪え! 殺せ! 焼き尽くせ! 我らの正義を卑劣なる庸人たちに叩きつけろ!」
族長の、演説の形を取った扇動に、兵たちの歓声はますます高く、大きくなる。引き絞った弓につがえられた矢のように、おのれを抑えるに限界を見せる兵に煽られて、彼らの乗馬もいななき、蹄で地を掻く。
その彼らの最後の理性を断ち切るように、ズタスは剣を振り降ろし、弓から矢を放った。
「突撃!」
歓声は喚声に変わり、三万の騎兵は人馬の形をした火山弾となって、南へ爆走を始めた。
コナレ族の進撃はほとんど一直線だったが、蛇行することも多かった。一応は帝都である寧安を目指しているのだが、彼らにとっては過程の方が大事であった。
目に付いた邑はすべて侵す。奪えるものはすべて奪い、使えそうな者以外、人はすべて殺す。
騎馬民族には基本的に技能がなかった。遊牧や馬術などでは右に出る者はなかったが、それ以外のこととなると央華人に遠く及ばない。それは定住民族と移動民族との違いが大きい。常に移動している者と、同じ場所で腰を据えて生活する者とでは、身に付けられる技術に違いが現れるのは当然である。だがどちらがより多種多様な技術を手に入れられるかといえば、これは定住民族に軍配が上がらざるを得ない。
移動民族は定住民族を「せせこましい世界でみみっちく生きている卑小な存在」と見下していたが(逆に定住民族は移動民族を「根無し草であり動物と変わらぬ野蛮な存在」として見下していた)、彼らが持つ建築、鋳造、陶器制作など、自分たちが持っていない諸々の技術は有用と感じていた。文化的な側面からというより、武器の制作等、即物的な面からであったが。
それゆえこの侵攻時も激しい略奪がおこなわれてはいたが、人的資源の確保――ありていに言えば人さらい、誘拐――に比重が置かれてもいた。それはズタスの命令であり、現段階ではひそかな、しかしやがて開陳される彼の大望が見え隠れする行為でもあった。
だが、だからといってコナレ族の侵略と略奪と殺人とが生ぬるかったわけではない。それどころか、おそらく央華史上でも類を見ないほどの苛烈さと執拗さであったろう。
長城が築かれる以前、北からの侵入は比較的容易だった。だがそれだけに、北に近づくほど、央華人はその土地に住もうとはしなかった。騎馬民族の領域に近ければ近いほど襲われやすくなるのだから当然である。また住んでいるにしても少数で、略奪する物などほとんど持っていないのが常だった。
そのため多くの獲物を得ようとするならば、騎馬民族たちは央華大陸のより深くへ侵入しなければならない。いかに強力な彼らとて、それは危険が大きかった。騎馬民族の軍隊に比して弱小とはいえ、地の利は央華の軍にあり、それは彼らにとっても無視できない不安要素だったのだ。
また距離が伸びればその分補給の労や困難も増す。略奪が目的であるため補給など必要ないかもしれないが、それも常に思うような成果が上げられるとは限らない。そうなれば飢えが軍隊を襲い、戦いどころではなくなってしまう。
加えて央華の奥深くへ侵入するほどに土地や風土も変わり、北ではかからない病に兵たちが苦しむこともある。
そもそも騎馬民族の戦法は「風のように侵略し、風のように去る」が基本であり、最も威力を発揮するものである。だが敵地へ深く入れば入るほど、その戦い方は困難になるのだ。
が、長城が築かれ、央華の民にとって北方の相当な範囲の土地が安全になった。それは彼らの定住をうながし、より大きな耕作地帯と経済圏を生み出すことともなり、央華帝国のさらなる繁栄をもたらす要素にもなったのだ。
しかしその恩恵は、長城が破られればすべて裏目に出るということでもあった。騎馬民族にしてみれば、長城さえ越えられれば、自分たちの領域のすぐ近く、ほとんど目の前に豊潤な美果が生っているようなものである。摘み放題、もぎ放題の果樹園であった。
だがそれも騎馬民族の心象風景でしかない。現実にあるのは果実をもぐような平和な光景ではない。
流れるのは果蜜ではなく人血であり、焼かれるのは樹木ではなく家屋である。騎馬民族たちは、長城が築かれてから抑え込まれていた数百年分の欲望を爆発させるように、庸人と、庸人たちが築いてきた物を、刈って刈って刈りまくっていった。
この間、庸も指をくわえて傍観していたわけではない。宮廷はこの非常事態において、なお内輪揉めを繰り返す愚行をおこなっていたが、長城付近に在る軍隊は違った。彼らはこのような時には許されている、現場の判断による迎撃態勢に入っている。守備隊のいくつかはズタスたちに壊滅させられたが、長い長城すべての守備隊が全滅させられたわけではない。それどころかズタスたちが叩き潰したのは、それらのほんの一部でしかなかった。
また近隣の城塞は常に予備兵力が集結できるよう組織化されており、そこへも兵たちは次々に集まっている。いくら庸が平和に倦んでいるといっても、央華に生きる帝国と民衆にとって北への恐怖と警戒は、遺伝子にまで刻み込まれた本能のようなものである。
それは特に、北方で暮らし、騎馬民族により近くに接する者たちに顕著であった。
「急げよ! すでに北狄は
この近辺で最も大きな城塞、「北の首都」といっていい
柏もすでに庸兵がこもり、周囲の民間人を収容し、コナレ軍を迎え討つ態勢を整えていたが、城から出ての会戦を敢行しようと考えてはいなかった。あくまで籠城し、援軍を待つ姿勢である。それも当然で、柏の兵は五千しかおらず、三万のコナレ軍と正面からぶつかって戦うなど不可能であった。
だが籠城戦ならこの戦力でも充分勝機はある。庸軍にとっての籠城戦は、コナレ軍にとっての攻城戦である。攻城戦を不得手とするのが騎馬民族であり、央華の軍は歴史的に、彼らに対してこの戦法を取るのが常套であった。そして城塞の攻略に手間取るコナレ族を釘付けにして、やってきた援軍とともに挟み撃ちにする。いかに精強なコナレ軍とはいえ、この状況になれば勝ちを得るのは難しい。
そのことを庸軍はよく理解しており、卓晨もわかっている。
「我らの勝利は確実だ。北狄を食い止めている同胞を、汝らの勇気をもって一刻も早く救い出してやろうぞ!」
卓晨の声に、益へ集結した兵たちは喚声で答える。志気は高く、戦術は確立されていて、勝利は確実であるようだった。
だが騎馬民族が城攻めを苦手とすることは、当のズタスたちもよく知っていた。そしてそのための対策も、すでに考えていた。
庸軍はその可能性を、迎撃の要素に入れていなかった。
ズタスは柏を全軍で囲んだ。城といっても単純に「城」が単体であるわけではない。城壁に囲まれた内部には街があり、民間人もいる。大陸の「城」はこのような形が多い。
だが柏はさほど大きな城ではなかった。まして城内にいる兵はコナレ軍の六分の一でしかない。城攻めが不得手な騎馬民族といえど、陥落させるのは不可能ではないはずだった。
であるのに三万のコナレ軍は、柏を攻略することができなかった。いや、手は出してしるし、それは激しいものでもある。戦死者もいる。
だが見る者が見ればわかる。コナレ軍は本気で柏を落とそうとしてはいなかった。ズタスにその意思がなかったのである。それがコナレ族の攻城に微妙な手心を加えていた。
だが攻められる柏の兵たちにはコナレ軍は充分本気であると感じられたし、卓晨の指揮する援軍もそのことを疑わなかった。
「卑しい奴らめ。余すところなくすべてをしゃぶりつくさなければ気がすまんか。城壁があるところを避けてさっさと不毛の故郷へ馬首を返せば、まだ生きて帰れる可能性があったものを」
編成を終えた援軍五万をもって益を出立した卓晨は、コナレ族をそう嘲笑した。彼には北方の蛮族が、蛮族らしい意地汚さで柏を略奪するために躍起になっているようにしか見えなかったのである。それは卓晨の偏見だけでなくズタスがそう見せていたためでもあり、この時点でコナレ軍と庸軍の最初の本格的会戦はコナレ主導で始まっていたと言っていい。
益に集結しはじめていた庸軍が動き始めたことを、ズタスはすぐに知った。斥候に見張らせていたのだから当然である。しかも斥候には、庸軍の全体の数だけでなく、歩兵と騎兵の比率、補給部隊や工兵隊などの非戦闘員の数、兵の質や指揮官が誰であるかなど、できるだけ事細かに調べてくるように指示してあった。
庸軍も当然斥候は放っていたが、彼らは指揮官である卓晨に「約三万の兵が懸命に柏を攻めている」程度の表面的な報告しかしておらず、また報告を受けた卓晨もそれで満足しており、この点でも庸軍はコナレ軍に大きく差をつけられることになった。
本来なら情報戦は庸の方が上手であったのだが、長い平和の間に庸の諜報力は衰えてきており、逆にコナレ族のそれはズタスの教化により、鋭くも骨太のものとなっていた。
それはズタス個人の才でもあるのだが、韓嘉に教えを受けて身に付けた、庸をはじめとする央華の知識によるところも大きい。
央華は彼ら自身の英知を受け継いだ「弟子」によって痛打を被ろうとしていた。
だがそれは、央華の歴史や文明に人格があるのなら、喜ばしいことと感じていたかもしれない。師を乗り越えることこそが弟子にとって最大の恩返しであり、師と呼ばれるにふさわしい者は、乗り越えられることを心から喜ぶ者であるのだから。
そして「弟子」はついに行動を起こす。
「騎兵一万を選抜せよ。他の兵はこのまま柏攻略を続行。ただし三分の一の兵が抜けたことを悟られぬように気をつけよ。おそらく庸援軍の斥候はすでにこの場を立ち去っていようが、柏城内の兵が異変に気づき、援軍になにがしかの報告をする可能性があるからな。ゆえにここに残っての攻城は、城内の兵を封じ込めるためのものでもあると知れ。たとえ一兵たりとも城内から出させるな。よいな」
と、ズタスは自分に代わって柏攻城戦を指揮する将に事細かに指示すると、自らが新たに編成した一万の騎兵をもって出陣する。その時刻は深夜であり、敵どころか味方にも気づかれぬほど静かな出立であった。この一事だけでもズタスの指揮する騎兵隊が精鋭であることがわかる。
その精鋭を率い、ズタスは夜の敵地を疾走する。
益を出撃して三日目の朝、卓晨が指揮する庸の援軍は陣営地を引き払い、柏へ向けての行軍を再開した。いかに強行軍であっても、五万の兵をたった一日で柏のある地まで率いてゆくことはできない。通常の行軍で十日であるところを、六日に縮めようというのが卓晨の意図であった。本来であればあと一日は早められるが、それでは兵が疲れすぎて、コナレ軍と対峙したとき使い物にならない。それに斥候の報告では、コナレ族の城攻めは、激しくはあっても非効率で、まだしばらくは柏も保つとのことである。卓晨は勇敢であっても無謀ではなく、自軍の強さに自信はあっても敵軍の力量をみくびってはいなかった。できるだけ条件をよくしてから戦端を開きたいと考えていたのだ。
だが彼は勇敢で冷静ではあったが、やや疎漏だったかもしれない。いや、確かに斥候の選抜が甘く、正確な報告を得られなかったところを見れば細部が粗かったと言わざるをえない。
しかしやはりそこはズタスが二枚も三枚も上手だったという方が公正であろう。卓晨は行軍中、戦場も遠く離れたこのような場所で、このような報告を聞くとは思ってもいなかった。
「後背より正体不明の騎馬群接近中」
「なんだと?」
驚きを含んだいぶかしさの中、卓晨は背後を振り返り自分の目で確認した。朝日の中、濛々と上がる砂煙がたしかに見え、それが数千を越える騎馬のものであるとすぐにわかった。だがそれがどこから来て、誰の指揮する騎馬隊であるかがわからなかった。
「どこかの城から、騎馬隊のみの援兵の申し出があったか」
「いえ、そのような報告はございません」
いぶかしさを表情に浮かべたまま、卓晨は副官に確認するが、副官は生真面目にそう答え、指揮官をますます困惑させる。
この時点で卓晨は、迫ってくる騎馬隊――規模からすれば騎馬軍というべきか――が味方であろうことを疑っていなかった。ここは自国の領土であり、敵は遙か前方にいる。後方から現れるはずがなかった。
「よし、全軍一時停止だ。それと何騎かあの騎馬軍へ送って、指揮官にわしの元へやってくるように伝えよ」
それだけに卓晨は一旦行軍を停止する。どこの誰だかわからないがまずは合流し、話を聞いて自分の指揮下に入れようと考えたのだ。この一帯の軍の指揮権は彼にあり、これは越権行為でもなんでもなかった。ただ一つ問題だったのは、命令を受ける方が、彼の指揮下に入る義務がなかったことだけである。
庸軍は整然と停止し、五騎ほどが騎馬軍へ向かって走ってゆく。それを見送った卓晨は、しばらくじっと背後を見続ける。
「………?」
いぶかしげだった卓晨の表情が、さらにいぶかしさを増す。騎馬軍の速度が落ちないのだ。すでに彼の伝言を持った五騎は到着しているはずである。誘導に従って速度をゆるめるのが当然であった。そうでなくてもこのままでは、友軍である自分たちに「追突」してしまうことは彼らにもわかるはずである。
「…………」
それでも騎馬軍は速度をゆるめない。すでにいぶかしさは卓晨だけでなく、庸軍すべての兵が感じている。そしていぶかしさ以外の、なにかざわついた感覚が腹の底から全身に、しかも急速に湧き上がってくるのも感じていた。それは不快な感覚であり、しかも最上級の不快さであることも兵たちは感じ取っている。
だがその不快さの正体が見極められない。状況の変化と異常さに感覚は反応している。だが思考がついていけないのだ。
そして思考が感覚に追いついた瞬間、彼らは絶叫していた。
「敵だあ! 北狄だあ!!」
庸兵たちの叫びは騎馬軍――ズタス率いるコナレ軍精鋭一万の突入とともに砕け散った。彼らの肉体と、追いついた思考が導き出した感覚、恐怖とともに。
ズタスを先頭に庸軍の後背に突撃したコナレ軍は、そこからさらに左右へ分かれ、彼らを完全包囲してしまった。庸兵たちは、枯れ枝のようにへし折られ、踏みつぶされていった。剣を使い、槍を振るう必要もないほどで、ただ馬を走らせ続ければ、彼らを蹴り砕き、弾き飛ばせてしまう。
それも当然である。布陣を敷く以前の状態で、敵に対して正面すら向いておらず、背中を無防備に一撃されたのだ。戦意の一欠片も持たず、加えて突撃されるまで敵だとすら思っていなかった。なにが起こったかわからない兵の方が多いほどで、虐殺という言葉でも軽く感じるほど、庸軍は簡単に解体されていった。
撃滅ではない。解体である。庸軍は逃げる間さえなく、土で出来た人形のように崩れさってゆく。
「北狄!? 北狄だと!? 馬鹿な、どこから湧いた! コナレと違う部族まで侵入してきたのか!?」
兵たちの悲鳴より速く自軍を消し潰してゆくコナレ軍を見て、卓晨は怒りにも似た声を発した。
彼にしてみれば無理もない認識だった。コナレ軍は今自分たちが向かっている柏に全軍がいるはずである。それが背後から、しかもこれほどの大軍をもって現れるはずがなかった。
が、やはりこの惨状の原因の半ばは卓晨自身に帰してしまう。彼が質量ともに、もう少し情報収集に力を入れていれば、柏を攻めるコナレ軍から一万の兵が抜けたことに気づけたかもしれない。
それ以前に、自分たち庸の援軍が迫っているというのに、愚直に柏を攻め続けるコナレ軍に違和感を覚えるべきだったかもしれない。
だがやはり前述した通り、これはズタスの能力が遥かに上だったと考えるべきだった。庸軍の裏を完全にかいたこともそうだが、彼は柏を攻めながらも、情報収集に凄まじいまでの熱と力を込めていたのだ。
庸軍が数騎の斥侯で表面を撫でる程度の偵察しかおこなわなかったのに対し、彼は斥候能力に長けた数十騎を、日に二度以上必ず派遣し、庸軍の動きを徹底して把握していた。しかもそれだけでなく、庸の地理を知るために、占拠した役所から地図をいくつも押収し、また地元民を脅して道案内させ、さらに専用の騎兵を使ってその道が行軍可能かどうかを実地で調べさせてすらいた。
それゆえにコナレ軍一万は、まったく道に迷うこともなく、庸軍に見つかることもなく、大きく迂回しながらも騎兵の機動力を活かし、わずか一日で彼らの背後に現れることができたのである。
それどころか庸軍を襲撃できる位置までたどり着いたのは深夜であったが、夜では自分たちも彼らがよく見えず、混乱の末取り逃がす将兵も多かろうという理由で、明朝まで仮眠を取る余裕すらあったのだ。
彼らが起き出したのは夜明け前で、炊煙を出さないために干し肉で簡単に食事を終え、休息を充分に取れていた。
このような精強な軍に戦意なく後背を突かれては、庸軍には全滅の二文字の結末しか許されないのも当然であった。
戦闘、と言っていいものかどうか。庸軍の全滅は、時間にして半刻(約一時間)もかからなかった。コナレ兵の中には「これは本当に庸軍か? なにか別の集団を襲ったのではないか?」と疑心にかられる者がいたほど、彼らはなんの抵抗もなく庸軍を粉砕してしまった。文字通り、粉のように砕いて土に返してしまった印象である。
通常、このように一方的な戦いでも、かなりの数の兵が逃走に成功するものなのだが、今回はただの一人も逃げ切れなかった。全員戦死である。これにはズタス本人すら驚いた。それほどまでに完璧な奇襲であり、素早く包囲を敷いたズタスの戦術が妙であり、軍・兵の強弱に差があったのだ。また庸軍が完全に停止していたことも大きかっただろう。立ち止まったまま背中から斬りつけられ、なにが起こったのかわからないまま逃げ道を防がれたのだ。反撃どころか状況判断すらままならないまま、庸兵は殺されていった。
ひるがえってコナレ族の被害は、戦死者はもちろん重傷を負った者すらいない。密集地帯で落馬し、足首を捻挫した軽傷者が一人いるだけであった。
司令官の卓晨も逃げる間もなく殺され、遺体のみがズタスの前に運ばれた後、首だけを斬られた。その首はこの後、籠城する柏の城壁内に投げ込まれる。北上してくる援軍を指揮していたはずの卓晨の変わり果てた姿に城内の士気は目に見えて落ち、すぐに落城することとなる。
この戦いは「戦い」や「会戦」の名を与えられることはなかった。「
「明鴻街道の殲滅」は、寧安の朝廷にも衝撃をもたらした。一兵も残さぬ全滅など聞いたこともない。誤報であるかと考えもしたが、たとえ数人の兵士が生き残っていたとしても全滅には違いない。央華大陸全土を見ればまだ兵はいるが、これで北方のまとまった主戦力はほぼ壊滅したと言っていい。北狄の南下を防ぐためにも、実質的に支配された北方を奪還するためにも、全国から本格的な戦力の集結が必要になった。
「まごまごしている暇はないぞ。急がねばこの寧安とて危険だ」
帝都である寧安は、央華大陸を俯瞰すれば「北寄り」にある。怒濤の勢いを得始めたコナレ族が帝都まで達する可能性は、低くはない。自分たちの安全にかかわることだけに、宦官派も士大夫派もさすがに諍いを納め、外敵に対しようとしはじめた。
が、それでも楽観する気分もないことはない。
「たしかに北狄は強力だが、数は三万。大軍ではあっても央華全土を征するには少なすぎよう。それに連中の最大の目的は略奪だ。奪えるだけ奪い、両手に抱えきれないほどの獲物を手に入れれば、それで北へ帰ってゆくことだろう。被害は甚大にはなるし、再興に時間も費用もかかろるだろうが、じっとしていれば去る嵐のようなものだ。耐えてしかるべし」
当然北に住む民を見殺しにするつもりはなく、軍隊を編成して北へ向かわせ、北狄を撃退する。それでもこの暴風が一時のものであると考えるのは、宦官派も士大夫派も変わりはなかった。
だが彼らの考えは甘かった。北からさらなる兵が南下し、益を占領したコナレ軍三万と合流したという報告は彼らにさらなる衝撃を与えた。しかもこの後、これ以上の衝撃が続く。
彼らは自分たちが歴史の分岐点にいるという自覚を持ち得なかった。それを持っていたのは、北からやってきた蛮族の長だけであった。
「師よ、お待ちしておりました」
北の首都・益で合流したコナレ族を率いてきたのはズタスの息子だが、その中に顧問として長年彼の師を努めてきた韓嘉もいた。ズタスは誰よりも先に彼に会いにゆき、そして丁重に礼を施した。韓嘉もそれを受け、静かにうなずくと、感慨深げに、しかしやはりどこか複雑さをにじませながら無言で周囲を見回した。
「……」
韓嘉は庸の使者としてコナレ族を訪れ、そのまま半ば強制される形でズタスの師となったのだ。彼は帝都・寧安出身であるため、今いる場所は厳密には故郷ではなかったが、故国であるには違いない。このような望まぬ形の帰郷でも胸にあふれるものを抑えることはできないようだった。
「……」
その師に対してズタスもしばらくなにも言えなかった。韓嘉の帰国は十三年ぶりのことである。それほどに長く離れさせ、そして「敵」としての帰国を強いたのは、他ならぬズタスであった。韓嘉はそれについてなにも言わないが、それもまたズタスにとって心苦しい。思えば三十代の青年であった師も四十を
「……略奪は、しばらくは致し方ありますまい。しかし一段落したら最小限に。よろしいか」
央華人にとっては肌寒く、北方民族にはあたたかいとすら感じる涼風の中、そのどちらの感覚も持つ韓嘉は、静かに表情をあらためるとズタスにかねてからの方針を確認した。
「はい、わかっております」
「最初は仕方ありますまい。兵たちは略奪を楽しみにいくさの労苦に耐えておるのです。そして私たちと共に今到着した者たちも、それは変わりありません。だがいつまでも奪い、殺し、壊すのみでは長の野心はかなえられませぬ。彼らがひとまず満足を得た後は、違うやり方に変更せねば」
繰り返し静かに語る韓嘉の胸中はいかほどのものか。騎馬民族の性情と現実を見ればその方針を取らざるを得ない。だがそれは、韓嘉にとっては同胞を見殺しにするのと同じことなのだ。そして彼自身は安全な場所で侵略者たちに手を貸している。
それでもすでに十年以上をかけて覚悟してきた状況である。韓嘉の想いに変化はなかった。いずれ地獄に落ちるにしても、その道連れは一人でも少なくする。それが彼の、おのれにふりかかった数奇な運命に対する精一杯の抵抗であった。
そして言葉では聞かないが、そのような師の覚悟を感じるズタスも神妙に応じる。
「はい、心得ております、師よ」
それを見た韓嘉はうなずき、話題を変えた。
「さて、長よ。まずはここ益を一時的な根拠地として、周辺を攻略してゆくことになります」
「は、師にうかがった通り、この地は足場として使うには非常に便利でありますな」
「さよう、交通の要地であるし、広い平原でもある。防衛としては弱くありますが、長居をするつもりがない我らには都合がよいでしょう。それに騎馬の民は、攻城もですが籠城も苦手でありますし、今はまだ城壁のある地にこもっても害の方が大きいと思われますからな」
「は、さようですな」
かねてから師兼対庸特別顧問である韓嘉と練ってきた方針をあらためて確認しつつ、ズタスは彼とともにやってきた同胞を見る。その人数は数十万を越え、中には女子供もいる。彼らが天幕を張り、住む場所を造る様子は、まるで一つの巨大な街を建設するに似た風景であった。
そしてそれは、事実、その通りである。ここにいるのはコナレ族のほぼ全員であり、彼らは民族を挙げて「引っ越して」きたも同然なのだ。
「これより我らは庸を征服する」
その意志を、ズタスはこの行為によって庸の民に示す。これは彼の宣戦布告だった。
「しかし長よ、これからはさらに混迷は深まりますぞ」
韓嘉はズタスに対し、そう告げる。これもまた彼らの間では何度も話し合わされたことだが、やはり確認しておかないわけにはいかない。これからの彼らの敵は、庸だけではなくなるのだ。
「覚悟の上です、師よ。ですが必ず勝者となってこの央華に君臨してみせます」
混迷と困難とが倍増するであろうことはズタスもわかっている。だがそれを上回る野心が彼にはあり、成し遂げる自信も彼の内にはあった。
三万のはずだったコナレ族が大挙侵入。しかも軍だけでなく民間人と言っていい者たちまで連れて長城内へ橋頭堡を築き始めたことに、庸の宮廷は震撼する。
コナレ族に限らないが、北方の騎馬民族は、風のように侵略し、戦利品を抱えて風のように去ってゆくのが常套であった。だがこの行為は明らかにこれまでと違う。本腰を入れて央華大陸を侵略するつもりなのだ。
「馬鹿にするのもほどにせよ!」
震撼すると同時に激しい屈辱と怒りを宮廷は爆発させた。それはそうであろう。いくら軍事的に劣勢とはいえ、央華は自分たちの土地である。それを蛮族とさげすんでいる相手が好きなように奪おうなど、実質的な被害以上に彼らの誇りを傷つけた。
「なにがなんでも北狄を駆逐する。あの者ども、無事に故郷へ帰れると思うなよ!」
「おうさ! ただの一人とて無傷なままで帰さぬ! 二度とこのような不遜な真似ができぬよう、完膚なきまでに叩き潰してくれようぞ!」
「それとても生ぬるい。奴らの故地まで攻め上り、その地からすら叩き出してくれる!」
この時ばかりは宦官派も士大夫派もなく、すべての廷臣が北狄に対する怒りに燃えていた。庸の宮廷がこれほどに団結したのはこの時が始めてだったかもしれない。それほどに彼らの怒りは凄まじかったのだ。
が、その怒りに、厚く重い鉄板が勢いよくのしかかってきた。これまで以上の凶報が、庸の宮廷を襲ったのである。
「さらなる北狄襲来! 次々と長城を越えつつあります!」
それは意外でもあり、しかし必然なことと彼らはいまさらながら気がついた。
「コナレ以外の北狄どもか……!」
コナレ族への怒りに燃えていた廷臣たちが、頭をかきむしりたい衝動に駆られる事態であった。
北方の騎馬民族はコナレ族だけではない。コナレ族は騎馬民族の中ではたしかに巨大な勢力だったが、彼ら以外にも大小無数の部族がいるのだ。中にはコナレと同規模の大勢力もある。
それらが大挙して防衛力を失った長城を突破してきたのだ。コナレ族の侵攻だけでも手に余る事態であるのに、さらなる侵略者が大挙して押し掛けてきた。しかもその数は減ることはなく、これからさらに増えるに違いないのだ。
亡国の危機である。いかに政争に明け暮れるしか能のなかった彼らでも、防衛の戦意は衰えていなかった。だがこれからの困難を思えば、心に無力感が吹き抜けるのも自覚せずにいられなかった。
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