庸滅亡

橘遼治

第1話 長城突破

 夜。月はない。そんな日を選んだのだ。

 ズタス揮下の兵三千は全員馬にまたがり、百長(約百メートル)ほど離れた長城の門を息を殺して注視している。馬にもばいを噛ませ、声を漏らさないようにさせていた。

 遊牧騎馬民族である彼らは自分の足を扱う以上に馬の脚を巧みに操る。そしてそんな彼らの中でも、今夜この場にいるのは精鋭中の精鋭だった。息どころか気配すら消して、長城からの合図を待っている。

 今夜、この時刻、彼らから見て南の大国である庸帝国の高官の一人が、あの門を開く手はずになっているのだ。ズタスたちが裏切らせたわけではない。彼の方からひそかに申し出があったのである。

「長城の門を開くゆえ、汝らの力を貸してほしい」と。

 ありえざる申し出であり、にわかに信じがたいほど良い話である。だがズタスはそれを信じた。通常ならありえぬが、今の庸であれば、充分に起こりうる事態であったからだ。

「……長よ、本当に門が開くのでしょうか」

 暗闇の中、副将のケボルがささやくように尋ねてくる。彼とてズタスの説明を聞いて納得はしていたが、それでもは信じられぬ思いは消えない。

「開く。それにもし張堅ちょうけんが我らとの約定を破って門を開くことがなければ、必ず報復はする。その時は汝も遠慮をする必要はないぞ」

 ズタスはそう応じ、ケボルもうなずいた。当然のことであるが彼らの族長は甘い人間ではない。内通を申し出てきた庸の張堅が裏切ろうがどうしようが苛烈な態度は変わらない。そんなズタスに彼らは頼もしさを覚え、それにより闇の中での待機に焦れる心を抑えることができた。

「……来た!」

 それからさらに四半刻(三十分)が過ぎた頃、ついに合図が来た。城壁の上に松明の灯が灯り、それが円を描いたのだ。ズタスの命により兵の一人が松明に灯をつけ、同じように円を描いて返信すると、ズタスは三千の兵を率いて長城まで近づいてゆく。ズタスも兵たちも、安全であると自分に言い聞かせてはいるが、万一、長城から矢の雨や巨岩が降ってきたりすれば、被害が零ということはありえない。その時は逃げ出して出直すしかないが、やはり報復の理由になるだろう。

 だがそのようなことはなく、蹄の音もほとんどさせないズタスたちコナレ騎兵隊は難なく長城に近づくことができた。そしてそこからほんのしばらく待っただけで、長城全体から考えれば無数にある門の一つが開き始めた。

「おお……」

 ケボルをはじめ、兵たちの幾人かが小さく声を漏らす。許可があるまで絶対に口を開くなというズタスの命に背いた形になるが、族長は彼らをとがめなかった。彼も同じ思いだったからである。

「あの長城の門がおのれから開いてゆく…」

 この城壁を越えようとして、この門を開けようとして、いったい何人のコナレの勇者が死んでいったか。彼らにしてみればこの門は、コナレ族の男子全員の屍山血河を築いて初めて開くのではないかという想いもあったのだ。その門が自ら開いてゆく。それも自分たちを招き入れるために。目の前に見ても信じがたいことであった。

「…ズタスどの」

 門が完全に開き、中から数人の男たちが小走りに走り寄ってきた。先頭を走る男がこの件の首謀者・張堅である。見るからに文官という男で、暗闇のため顔はよく見えないが、ズタスは彼に何度か会ったことがあった。その時と同じように、きっと今日も頑なに何かを思いつめた表情をしているのだろう。頭はよく知識はあるが、視野が狭く、おのれの考えだけが正しいと思いこむ型の男である。ズタスとしては友人にも臣下にも欲しい型ではないが、このような男であればこそ、今宵のような暴挙に出ることができるのだ。

「張どの、開門感謝する。守備兵たちは?」

 ズタスは馬上姿のまま、売国そのものである行為を皇帝と社禝と正義のためにおこなっていると信じて疑わない張堅に尋ねる。普段の張堅ならばその無礼に眉をひくつかせることだろうが、今宵はその余裕もなさそうであった。神経質な口調で、すでにその必要もないであろうにひそめた声で答える。

「全員に正体を失わせるほど痛飲させておる。しばらく役に立つまい」

「なるほど。一兵残らずでござるか」

「残らずだ。中には酒に強い者もおったが、そのような者たちには薬を混入した酒を飲ませた」

 一兵残らずと断言する張堅に、ズタスは内心で失笑する。国境を守るという、国家にとって再重要の任を与えられた兵たちが、たとえ朝廷から送られてきた重臣に勧められたとはいえ、今夜の当番も残さず全員が痛飲するとは。自分たちの任務の重さを知っていればできないことであった。「庸に兵なし」とズタスはあらためて知る思いだったが、それを面には出さず、彼は張堅にうなずいた。

「なるほど、重畳でござる」

「ではズタスどの、後はお頼み申す。我らは約定を果たし申した。汝も我らとの約定、違えぬよう」

「もちろんでござる」

 慣れない暴挙に出たことに抑えがたい興奮を見せる張堅へ短く応じると、ズタスは背後の兵たちを振り向く。

「さあ、長城を抜けさえすれば、ここから先は美果と美宝にあふれる沃野ぞ。まずは守備兵を皆殺しにし、そこからはやりたいようにやれ!」

 ズタスの扇動するかのような命令に兵たちは歓呼の鬨を挙げ、張堅は仰天する。

「ズタスどの、守備兵はすでに物の役には立たん。殺す必要はなかろう。それにそのように兵を煽るとは… 略奪は最小限に抑えるとの約定ではござらぬか」

 狼狽する張堅たちの横を、兵たちは各隊長に率いられて長城内へ突入してゆく。そして最初に飛び込んだ兵は、すでに正体を失って道端で眠りこける一人目を刺殺する姿が見える。そこから五百名を越える守備兵の惨殺が開始された。

 それを見やっていたズタスは、張堅へ視線を移す。

「酒が抜ければ兵たちは武器を取り、我らの背後を襲うであろう。それでは我らは帝都にまで届かず深手を負い、張どのの望みも達せられぬかもしれぬ。それとも張どのは我らの全滅が真の望みであったか」

「い、いやそのようなことは…」

 自然と威を発するズタスの言には理もあり、張堅としては口ごもるしかない。それを見てズタスは続ける。

「それになにをもって最小限必要かを決めるのは、張どのではなく我らだ。コナレ族ではない張どのにわかるはずがないが、如何?」

 さらに威と理をもって張堅の抗議を封じるズタス。すでに何を言っていいかわからない張堅だが、それは門の中から聞こえてくるコナレ族の叫喚と、守備兵たちの悲鳴、そして火をかけられて燃え始めた物見台や倉庫、宿営舎などの建物に圧されたからでもある。戦場に来たこともない文官の張堅にはこらえがたい光景である。自分には覚悟があり、どのような凄惨な目に遭おうと自分を見失うことなどないとの自負があった張堅だったが、それはあっという間に揺らいできた。

 そんな張堅にズタスは告げる。

「ゆえにこれから先の我らの行動を掣肘する資格は張どのにはない。それでも止めようというのであれば、約定違反ということで汝を斬る」

 己自身の手で何十人も殺し、臣下に命じることで数千人以上を殺してきた男と、観念で彼に対抗できると思いこんでいた男の差であろうか。張堅は青ざめたままズタスを見上げるのみで、すでになにも言えずにいた。

 そんな張堅を一瞥すると、ズタスも門の中へ愛馬を駆る。ここにいるのは奇襲のための先鋒隊であり、この後、主力の兵三万が到着する。その後もさらに兵を増強する準備も進んでいる。目の前で燃える兵舎は、これから央華大陸の半ばを焼き尽くす炎の、最初の火種であった。



 庸帝国は建国から百四十四年が過ぎている。広い央華大陸を統治し、隆盛を極め、時に戦乱や内紛はあれど、おおむね平和と安穏を享受していた。

 が、人にも国にも他のどんなものにも寿命はある。国家のそれは「個国差」はあれど、なぜか二百年を境に前後五十年程度の間に来ることが多いかもしれない。

 どんな帝国も建国時は清廉である。そして当時の状況にとって有効な統治方法を造り出す。さらにその方法を機構化することに成功すれば、その帝国は百年を越える長命を得ることが出来るのだ。

 だが時が流れれば、時代も人も少しずつ変わってくる。それは本人すら気づかぬほどゆっくりと、少しずつ変容してゆくため、表面はなにも変わっていないように見える。これまで成功を収めてきた統治機構が機能し続けているように見える。

 しかし徐々に歯車はきしみ、多少の改造や修理ではどうしようもなくなってくる。時代に合わせ、根本的に、始めから造り直さなければにっちもさっちもいかないところまで来てしまうのである。

 それが王朝交代の世、乱世である。中には自らの肉体に、出血も痛みも恐れず大手術をおこない、時代に合致したまったく新しい肉体(統治機構)を創り出して生き残る王朝もあるが、そのような存在は例外だった。ほとんどの王朝は自らの肉体の衰えを認めることが出来ず、ゆえに必死の延命措置にも関わらず死に至る。

 それは、庸も例外ではなかった。



 突入したズタスたちは、しばらく無人の兵舎を進んだ。それほど外には人がいなかったのだ。雪崩れ込んだ勢いのまま、剣を振るって庸兵をなぎ倒してやろうと考えていたコナレ族は拍子抜けし、しばらく走ったあと馬を止めて降り、少し警戒しながら兵舎をのぞく。と、そこには酒壺をかかえ、泥酔する庸兵たちの姿がある。一人ではなく何人も。他の兵舎も加えれば何十人も。

 これにはコナレ族も毒気を抜かれるほどだったが、一人を刺せば血に酔う。よってしまう。これまでの鬱憤も込めてコナレ族は反撃もままならない庸兵を惨殺しはじめた。

 ただ殺されてゆくだけの庸兵の姿に、自身は馬上にまたがったままズタスはため息をつく気分だった。

「張堅は庸の腐敗の責任は宦官の専横ゆえだと言っていたが、決してそうではないな…」



 庸帝国は宦官の勢力が強い国柄だった。その理由は建国時にさかのぼるのだが、詳述は後にまわす。とにかく建国に多大な貢献をした宦官がいたということである。

 宦官とは去勢した男のことで、彼らは皇帝の家庭である後宮の雑務を取り仕切るために存在した。後宮に存在することが許された男は皇帝ただ一人。しかし女だけではどうしてもこなせない仕事も多々ある。そのために彼らは必要であったのだ。

 だが皇帝に近く、また「家庭内」で常に顔を合わせるのである。宦官が皇帝や後宮の女たちに影響を与える余地は大きかった。

 宦官は本来、央華では不浄の者として蔑視される存在であり、官職に就くことも出来なかった。だが庸に限っては建国の事情から、例外のように彼らにも官途への道が開かれていたのだ。

 それでいて皇帝の実質的な「家臣」になりやすい立場であることにも変わりはなかった。公私とも玉座に近い存在であるとすれば、これは国政に影響が出ない方が不自然であるといえた。

 中には高潔で有能な宦官もいた。だが大部分は私欲のために皇帝を利用し、そのぶん民に迷惑をかけるような輩が多かった。


 もちろんそのような状況を憂えて宦官を一掃しようと画策する皇族、士大夫(貴族)もいなかったわけではない。それどころかそれぞれの時代に幾人も現れるのが常であった。

 だが宦官は自分たちが子孫を遺せないことを知っているがゆえに、現在の栄華を死守しようとする執念は、国を取り戻そうとする士大夫達の意志に勝った。宦官はあらゆる手段を講じて彼らに敵対する者たちを徹底的に排除してきた。時に彼らが窮地に陥ることもあったが、それでも粘質の精神力は簡単に負けることを許さず、最後には必ず逆転をして、国内での地歩をますます固めていった。


 そんな時代が百五十年近く続き、宦官の勢力は、ついに何者にも覆せない領域にまで達していた。

「何者」に例外はなく、皇帝ですら彼らを抑えることができなくなってきていたのだ。


 しかし、宦官たちはやりすぎた。皇族や士大夫など、彼らの敵を追いつめすぎてしまったのだ。袋小路に追い込まれ、上下左右にも道がないと知った敗者は、そこから抜け出し、さらに逆転を狙うため、思いもかけない行動に出てしまうことが多々ある。それが後にどんなに巨大な災厄になるかわからずに。あるいはわかっていても、現状をどうにかするためにあえて目をつぶって。

 まさか士大夫の一人である張堅が、北方の遊牧騎馬民族の力を借りて自分たちを追い落とそうとしているなど、宦官たちには考えつくこともできなかった。なぜならそのような行為は、宦官からまつりごとの実権を取り戻すどころか、多くは亡国への片道切符にしかならないからだ。

 そのことを宦官たちは過去の歴史から学んでいた。張堅も知っていた。だが張堅は「祖国 いとし」と「宦官憎し」とに目がくらみ、後に起こる惨状をあえて無視したのだ。あるいはそのような結末を回避する自信があったのかもしれないが、結果は歴史の多数例と同様であった。



 だが庸兵の中にも真っ当な者もいた。酔ってはいても武器を持ち、侵入してきた敵兵に斬りかかる。むしろそのような男を望んでいたかのように走り出すコナレ族もおり、勇んで剣を撃ち交わした。が、数合ももたずに斬り伏せられる庸兵に、返って失望を深めているようだ。

 ズタスは変わらず馬上にいる。



 央華文明の勢力圏は北方において、明確に「線」が引かれていた。

「長城」と呼ばれる、城壁が連なる防衛線がそれである。

 その長城の南側に住む者が央華の民である農耕民族、そして北側に住む者が遊牧騎馬民族、狩猟民族などの異民族であった。

 狩猟民族もそうであるが、遊牧騎馬民族は戦闘力に長けていた。特に集団騎馬戦術による機動力を活かした会戦では、央華民族はほとんど太刀打ちできない。

 それは彼らが騎馬能力に優れていたからというだけが理由ではなかった。北方は自然が厳しく、農地を増やそうにもそもそもが植物は育たない。遊牧によって細々と糧を得るか、あるいは「持っているやつからぶん捕る」以外「産業」がなかった。

 そのような環境で育つ以上、彼らは精強にならざるを得ない。弱者は生き残ることができず、悪ですらあった。端的なところで見ても、農耕民族が長子相続であるのに比べ、騎馬民族は末子相続が一般的であった。年が上の者は自分で自分を養う力を身につけた以上、さっさと家を出て自力で生きてゆくのが当然であり、結果、父親の財産を受け継ぐのは最後まで残った末子になるのだ。

 その他にも様々に騎馬民族の強さの理由は存在するが、このように厳しい生活を、しかも何代も重ねてゆけば、尚武の民にならない方がおかしい。そしてそんな彼らにしてみれば、温暖な気候に暮らし、自分たちより弱く、それでいて豊穣な土地を持ち、商業も発達し、「ぶん捕る物」を大量に産している央華は、最高の獲物であった。

 とにかく彼ら騎馬民族と正面から戦って勝てた経験は、長い央華民族の歴史でも稀なことである。

 騎馬民族は明確な文明を築く余裕などなかった。そんな彼らの未開さ、野蛮さを指差し、「北狄ほくてき」と蔑んでみたところで、戦に勝てなければ好きなように略奪され、破壊され、殺されるだけなのである。それこそ滅亡させられるまでに。


 が、央華文明はこれまで彼らに滅ぼされてはいない。それどころか隆盛を極め、発展してきた。

 最強を誇る騎馬民族にも弱点はあったのだ。そしてその弱点を央華民族は巧みに突き、彼らに対抗してきたのである。そのための有効な武器の一つが「長城」であった。


 前述したように、騎馬民族は平原での正面決戦、会戦に強い。騎馬の機動力を最大限に活かせる戦場では無類の強さを見せる。だがその機動力を殺されると、彼らは十全に自分たちの能力を発揮できなくなってしまうのだ。具体的には攻城戦などの持久戦である。彼らには攻城兵器を造る技術もなく、また持久戦に耐えうる補給能力もほとんどなかった。そんな余分な食糧があるのなら、そもそも略奪を産業とはしていない。それゆえに央華民族は、彼らに苦手な攻城戦を押しつけるために長城を造ったのである。

 長城は、元々はそれぞれ別個に造られていた城壁を、大戦略と、それを実現する大規模な工事によって何年もかけて完成された。その間に死亡した作業員も百人や二百人ではすまない。だが彼らの努力と犠牲により完成した長城は、騎馬民族からの侵略をほぼ完全に退けられるほどの防壁となった。まったく比喩ではなく、一つの文明を守護するための「盾」となったのだ。

 この防壁の前ではほとんどの騎馬民族は立ち往生するしかなく、そして元々少ない兵糧を早々に食い潰すと、故郷へ向かって馬首を返さざるをえなかった。いかに「正面から戦わないのは卑怯だ! 臆病者!」と罵ったところで、目的を達せず追い返される以上、負けは負けである。長城が機能している限り、騎馬民族は手も足も出なかった。



 そしてもう一つ、騎馬民族には大きな弱点があった。

 彼らの住む高原は広い。たとえほとんどが不毛の地であっても、単純な「国土」の面積からいえば、央華大陸の倍以上の広さがあった。それだけ広い大地であるのなら、人口も相当なものである。騎馬民族は央華民族と違って記録などほとんど取らないため、正確な数はわからないが、集結すれば一大帝国を築けるほどの人口があるのは間違いない。そのような強大な敵がすぐ北にあるのは央華民族にとって脅威以外の何物でもなかったが、実は騎馬民族が一大帝国になることはほとんどなかった。彼らは広大な「国土」に、それぞれの部族、あるいは家族単位で分散して棲息しており、また一人一人、一部族ごとに誇り高く、そして弱肉強食を旨として生きているため、結束することが持久戦以上に苦手であったのだ。厳しい風土に形成された精強で独立心の強い精神は、自分より弱い者の下に付くことをがえんじえないのである。しかもその「強弱」をはかる計器は単純な力。武力のみに帰されるのである。

 それゆえ、央華民族の対騎馬民族の戦略のもう一つの根幹は、いかに彼らを分裂させておくかにかかっている。一つの部族が力をつけないように、常に他の部族を煽り、彼らを互いに相争わせる。それだけで彼らは、央華の民から見れば「同士討ち」を始め、自らの強大化を妨げてしまうのである。


 この戦略がうまくゆき、さらに長城の防衛機構が完全である以上、騎馬民族は央華の土地へ侵入することはできない。そして央華の民は自分たちの土地で繁栄を繰り返し、経済的にも文化的にも豊かになってゆく。彼らの中で葛藤や不正、不公正があろうとも、北からの暴風に怯えずに生きてゆくことができるのだ。


 が、歴史は時として、央華の民の思惑を越えて回り始める。半分は天の意志であっても、半分は人為が原因である。

 天意が央華に与える脅威は、彼らの騎馬民族への離間策を越えるほどの統率力と武威とを持った人物を騎馬民族の中に生み出すこと。そして人為の方は、央華人自体が腐敗し、長城を構成する機構を破綻させてしまうこと。

 この二つが合致したとき、央華は北からの暴風に滅亡の危機を押しつけられてしまうのだ。

 そしてこの時期の庸は、この宿命に直面していた。



 幾人もの庸兵が、自分が殺されたことも気づかないまま死んでゆく。彼らを直接殺すのはコナレ族の兵士たちだが、この状況を造り出したのは、ただ一人この殺戮に加わっていない馬上の男である。

 その男に向けて走ってくる庸兵がいた。酔いに強い体質なのだろうか、槍を構えて突進してくる足取りにふらつきはない。馬上の男を狙ったのは偶然だったろうか。

 しかし馬上の男は恐れ気もなく庸兵をじろりと見ただけで、手にした剣を構えることすらしない。庸兵も普段のままであればそんな男になにか、えもいわれぬ迫力を感じただろうが、このときは酔いが残っている。勢いのまま突進し、そのまま斬殺された。不自然なのは剣より槍の方が長いにも関わらず、斬られたのは庸兵だったことだ。男は庸兵の槍をよけた風には見えず、剣を伸ばす――あるいは伸ばしたように見せる特殊な技術を使ったようにも見えない。ただ無造作に振るっただけなのだ。まるで気迫だけで庸兵を斬ったかのようである。それが不思議に見えないズタスの威であった。



 騎馬民族は大小様々な部族に分かれている。その中でコナレ族は中程度の規模の部族だった。大き過ぎもせず小さ過ぎもせず、大勢力になることもなく、かといって勢力を縮めることもない。それは彼らが戦闘力に秀でており、他の部族から一定の敬意と恐怖を得られていたこと、しかし大規模な勢力を築けるほどの器量を持った人材を得られなかったことが理由であった。言ってみれば「喧嘩は強いが頭が悪く器量も小さい」という存在だったのだ。

 しかし四十年ほど前、この部族に生まれた男子は、彼らの「頭と器」になれる資質を持っていた。部族長の次子に生まれたズタスである。騎馬民族は姓を持たないゆえ、彼の名はズタスでしかない。

 彼は子供の頃から勇猛なコナレ族の中でも有数の力量を持っていた。わずか十歳で三匹の狼に囲まれながら、わずかな傷を負うだけで斬り伏せたり、十五歳の頃には、今度は三頭の獅子を一本の槍でまとめて串刺しにしたなどの逸話が残っている。これらは後世、伝説化した話であるため信憑性の乏しいところはあるが、しかしまるっきりの嘘でないことは確かだろう。実際、これくらいの勇猛さがなければ、気性の荒い騎馬民族の中でもさらに荒くれ者ぞろいのコナレ族の男たちを束ねてゆくことなど不可能である。

 騎馬の民は、相手の知性や徳などには心服しない。力。純粋な力のみに畏れ、ひれ伏すのである。


 ズタスは次子だったが、同時に実質的な末子であった。彼の下に弟は二人いたが、二人とも夭折したのだ。もともと幼児や乳児の死亡率が高いのが古代であるが、北方の厳しい自然環境は、その確率を飛躍的に高める。生き残れるだけで、彼らは勇者だった。

 そして末子相続の騎馬民族の則に従い、ズタスは父から部族を譲り受けることになっていた。そして次期族長として、父の代わりに部族を率いて、いくつもの戦いに臨んだ。同じ騎馬民族との争いもあれば、遠く西方の王朝へ攻め入ったこともある。そして当然、南の大国である庸帝国の軍隊と戦ったことも。

 その時の庸軍に対する若いズタスの感想は「なんとぬるい」であった。数十騎同士の小規模な戦闘であったが、騎馬民族同士のそれとは違い、ほとんど手応えがなかったのだ。

「これならば蹴散らせる」と、笑みを浮かべたズタスだったが、かなわぬと知ったか、庸軍は早々に逃げ出す。そして彼らを追ったズタスが見たものは、両端が見えぬほどの長い城壁、長城だった。

 ズタスも長城のことは知っていた。そして見たこともあった。だが攻城ためにその長大な壁に取り付いたことはなかった。ズタスはこの日、初めて長城の真価を「見た」のだ。

 逃げ込んだ庸の騎馬隊に代わって現れた石の壁は、せいぜい八長(八メートル)程度の高さである。だが当然馬で飛び越えるわけにはいかず、乗り越えようにも壁面は注意深く突起が削られていて、手がかりがない。またそのような壁を乗り越えるための技術も道具も、打ち砕くための兵器も、ズタスの手元にはなかった。

「……手も足も出ぬか」

 話には聞いたことがあったが、これほど盤石の守りを誇るものだとは考えていなかった。ズタスは自分と自分の部族の強さに絶対の自信を持っていたが、たかが石の壁に屈するなど考えたこともなかった。

 そしてこの「敗北」は、彼の誇りを傷つけた。

「見ておれ、いつか必ず汝を破砕してみせるぞ」

 これ以上ここにとどまっていても、いたずらに兵糧を食いつぶすだけだと察したズタスは、物言わぬ石の壁に向かい、激しい闘争心をこめた一語をぶつけた。その一語が堤を崩す一穴となるのは、これよりおよそ二十年後のことである。



 ズタスはこの後、すぐに部族の長を継ぐ。父親が他部族との戦いで死んだのだ。彼の後継はなんの不都合もなくおこなわれた。この時期になると、ズタスはすでに部族の長としてふさわしい実力も実績も身につけていた。

 そしてこの時から、ズタスの二つの戦いが始まった。一つは他部族との戦いに勝利し、彼らを吸収し、一大勢力を築くこと。そしてもう一つは、築いた大勢力をもって央華を征服することである。

 騎馬民族は央華の民を蔑んでいた。「ぬくぬくとした土地にしがみつき、愚にもつかぬ詩歌などにうつつを抜かす惰弱者たちの群」というのが、彼らの央華文明に対する評価だったのだ。人として、ことに男として生まれたからには、広い平原で馬を駆り、雄々しく戦い、そして死んでゆく。それこそが彼らにとっての誇りだった。ゆえに文明や文化など、軟弱な央華人の自己満足としか思えなかったのだ。

 だがズタスは違った。彼も最初は同胞と同じように央華を侮蔑していたのだが、その惰弱な文明が生み出したただの石の壁に敗れたことが、彼をして央華文明を知る必要があることを痛感させたのだ。「勝利のためには敵を知ること」と明文化したわけではないが、戦いの民である騎馬民族は、体感としてそれを知っていた。それまでの騎馬民族たちも長城には何度も撃退されているのだが、その経験も「正面から戦ったのではないから負けではない」という意識の前には活かされず、ますます央華を見下す材料にしかしてこなかった。

 央華を同等の敵と認識したのは、この時代の騎馬民族ではズタスがほぼ最初の一人と言っていいだろう。央華文明は、一つの「勝利」から最大の敵を生み出してしまったのである。


 他部族との戦いは、最初は最も身近なところから始まった。すでに独立していた兄が作り上げた部族との抗争がそれだった。

 前述したように、騎馬民族は上から順に独立してゆき、末子が親の財産を相続する。かといって、親の部族と完全に関係が切れるわけではない。親戚として近しい協力関係にある部族として交流を持つのが常であった。

 だがズタスの兄は、己に自信がありすぎた。弟が継いだ父の部族も自分の配下に吸収しようとしたのだ。だが、これに関してはズタスも兄を責められない。なにしろ彼も兄の部族を吸収して自身の力を強化しようとしていたのだから。それをズタスはもっと先のことと考えていたのだが、兄は父の跡を継いだばかりの弟の基盤はまだゆるいと見て、速攻を仕掛けてきたのだ。

 が、ズタスも潜在的な敵である兄の動向に注意を払っていないはずはなく、露骨ともいえる兄の不穏な様子に警戒を強めており、兄が攻めてくると同時に討って出た。これは兄にとっては思わぬ反撃で、機先を制したつもりが逆に制されてしまい、彼は弟に完全に押され、撃滅されてしてしまった。

 この「サンガルド平原の戦い」はズタスの勝利に終わり、彼の兄は戦死し、その部族は弟のそれに吸収された。

 雪だるまの「核」は完成したのだ。



 馬上のズタスの半面が赤く染まった。血を噴いたわけでも浴びたわけでもない。コナレ族の誰かが兵舎に火を放ったのだ。突入早々に放火しなかったのは、食糧等の略奪品が置いてある場所を確認する必要があったからだ。火がつけられたということは、それらを確かめられるほど余裕ができた証である。ズタスは暗さに慣れた目を細めて火を見やる。



 それからの二十年は、ズタスにとって、戦いと、敗北と、勝利との繰り返しだった。敗北の数に比べて勝利の数は圧倒的に多く、それに比例して彼の勢力は巨大化していった。

 だがズタスは騎馬民族同士の戦い以外にも敵を持っていた。いずれ雌雄を決しようと腹蔵している央華民族、央華文明である。彼の他にもそのような気概を持つ者もいたが、その中で、央華のことを知ろうと努めていたのはズタスだけだった。

 ズタスは、時に北にやってくる央華の民の中から学識がありそうな者を雇い、あるいはさらって、央華についての知識を求めた。央華と騎馬民族は宿命的な敵同士であっても、まったく交流がないということはなかった。中にはこのように、長城の外に出てまで商売や旅をしようという央華人もいる。また商人や旅人だけでなく、正式な庸の使者が彼らの元へやってくることもあった。敵であればこそ、外交を結び、関係を良好にしておく必要を、少なくとも庸の方は知っていたのだ。

 その使者もズタスは捕らえ、自らの「教師」としてしまう。むしろズタスにとっては、庸の官人である彼らの方が教師としては歓迎すべき存在であった。当時の知識人のほとんどは官途に就く道を選ぶのだから。

「汝ら庸人、央華人、央華文明のことを教えてほしい」

 ズタスは捕虜である彼らに対して、威は持ちつつも礼を守って頼む。庸の、特に官人である使者は、まずそのことに驚く。彼らの認識では、北の蛮人である彼らは、礼などとは最も遠い場所にいる存在なのだ。

 それでも彼らのほとんどは、まずは断る。当然である。なぜ敵に味方のことを教えなくてはならないのか。そのような「情報」が祖国に仇なす基になると、彼らは知っていた。もちろん拒絶は命懸けである。ズタスの逆鱗に触れ、その場で殺されてしまうかもしれない。中にはそのことを恐れ、すぐに平伏してズタスの頼みを受け入れる者もいた。だがズタスは、そのような者をさほど重用はしなかった。学問は気概であると、学のない身でありながら、ズタスは本能的に知っていたのだ。

 それゆえに彼は、断固として拒絶する者をこそ口説き落とそうと決めていた。


 そして幾人か現れた使者の中で、最も硬骨の男である韓嘉かんかを自らの真の師にしようと決めた。韓嘉は三十代の官人で、庸の宮廷でも将来を嘱望されている俊英だった。だが同時に自らに厳しく、同僚たちが尻込みする中、北方への使者などという危険な任務を進んで引き受ける硬骨さもあった。

 この当時ズタスは三十歳前後。韓嘉とほぼ同年代であったが、初めて会った時から彼に一目惚れした。

「惰弱な庸にもこのような男がいるのか」

 ズタスにとって央華人・庸人に見るべき者はいなかった。もちろん会った庸人の絶対数が少ないのだから、それをもって庸人すべてを測る愚を犯すつもりはない。それをズタスも自覚してはいたのだが、それでも実際に韓嘉を目にするまで、自分が認めるような男がいると実感することは難しかった。

 そして彼が庸人を心から蔑まなかった理由の一つは、彼を敗った「長城」を造ったのが庸人、央華人でだったからである。彼は長城を通して庸人の強さを見ていた。あのような「強敵」を造れる民族のすべてが惰弱なはずはない。いかに聡明であっても、この時期のズタスはまだ力を信奉する騎馬民族の域から脱してはいない。他の騎馬民族同様、力が計器である点に変わりはなかった。

「まるで長城のような男ではないか」

 ズタスは彼が捕らえられている(実質的には与えられている)天幕テントを何度も訪れ、何度も自分に学問を与えてくれるよう懇願した。懇願と言っても決して卑屈にならず、しかし礼を守って頼み続けた。

 礼とは央華の思想であり、知識として知るのはまだしも、体現して生きていける人間はほとんどいない。それほどに深淵で、真に到達するには難しいことわりなのである。だがそれは、理である以上、人である限り、あるいはこの宇宙に存在する個体である限り、誰の中にもあるものであった。ただたどり着くために、無限といえるほどの深さを潜り、遼遠というのも遠すぎる道を歩む必要がある。たとえば、月へ歩いてゆくほどに。

 その礼を、ズタスは体現していた。正確にはすべてではないにしろ、礼の一端をごく自然に体現していた。しかも無自覚に。ズタスの要請を頑として断り続ける韓嘉だったが、そのことには心から驚嘆していた。央華人でも表面をかじっただけで礼のすべてを知ったような顔をし、恥じることもない者がほとんどであるというのに、北の蛮族にこのような男がいたとは。韓嘉にとってそれは、驚きと同時に恥辱であった。

「北狄ごときに央華の神髄である礼を体現されるとは、なんという…」

 だが韓嘉はすぐにハッと気づいた。そのような考えを持つ自分こそが卑しいのだと。そのことを恥じた韓嘉は、あらためてズタスを見る。今度は素直に見た。そしてそのようにズタスを見れば、果ての感じられない奥行きと器量とが彼にあることがわかった。その器量は韓嘉すら吸い込みかねない大きさで、戸惑いと、そして納得とを彼に与えていた。

 そのようなズタスを知った以上、韓嘉に彼を拒むことはできなかった。

「いずれ帰国を許していただけるなら。その時に陛下に罰を賜りたいと存じます」

 彼にとっての「陛下」とは、当然庸の皇帝である。ズタスに教養を与えることは、あるいは彼に数十万の兵を与える以上の脅威を祖国に及ぼすことになるかもしれない。そのことを自覚し、恐怖しつつも、韓嘉は彼の師となることを受け入れ、ズタスはそれを心から喜んだ。

「帰国の願いは聞く。だがいつか、その願いは霧散させてみせよう。汝にとってわしのいる場所を『我が国』と感じさせてやろうほどにな」

 自分を弟子にするにあたって韓嘉の望みを一応は聞き入れながら、心中にそう宣言するズタスであった。



 燃える兵舎からは火のついた紙も舞っている。文字の国である庸では当然のことで、報告書や日々の決済書なども含まれているのだろう。ほとんどの騎馬民族にとって無意味で無価値なものだが、ズタスは数少ない例外だった。

寧安ねいあんでは保護せねばならぬ書物も多かろうな」

 寧安とは庸帝国の首都であり、彼の視界はそこまで届いている。それは侵略者であれば当然のことだが、書物のことまで考えるようズタスに影響を与えたのは、彼の師の影響であった。



 ズタスは字が読めなかった。それはズタスのみが特別だったわけではなく、騎馬民族のほとんどは読み書きができなかったのだ。

 それゆえ韓嘉のズタスへの教育は、口頭によるものがほとんどだった。

「よろしいか、おさよ。我が央華の歴史は、天上の神々に統治をゆだねられ、地の神々に統治の代理を任された帝土の御代より始まります」

 韓嘉はズタスに対し、央華の歴史から教授しはじめた。それは神話の時代から人が治める世になり、そして人の世においての治乱興亡のすべてが網羅されたものになる。

 ズタスもこれには面食らった。彼が知りたかったのは極論を言えば「どうすれば長城を打ち破ることができるか」だけであったのだ。それについての知識や技術、多少範囲が広がったとしても、現在の庸の宮廷や軍についての概要や組織についてだけ知れればいいと考えていたのである。

 それがいきなりこれである。さすがのズタスも面食らうのが当然で、困惑気味に質すのもまた当然であった。

「師よ、わしはなにも央華の神々や帝の履歴を知りたいわけではないのだが…」

 そんなズタスを韓嘉はぎろりと睨むと、硬質の声音で答えた。

「長は私になにを教えるかを指示できるほどに習熟しておりましたか。では私がお教えすることはなにもございません。ここまでにいたしましょう」

 と、彼のみが持っていた書物を片づけると、立ち上がってズタスの天幕から出て行こうとする。それを見たズタスはあわてて韓嘉を引き留め、心から陳謝した。

「師よ、申し訳ない。許されよ。わしが無知で無礼であった。どうか座って、わしの至らぬところを正してくれ」

 央華の常識からいえば、師に対する弟子の言動としてまだ礼儀がなっていない。しかしズタスの心中にある想いは、形は整っておらずとも礼の神髄からはずれていない。「礼」は思想であり「儀」は形である。形を整えれば中身が勝手にともなうとする者は、礼を真に理解したとは言えない。現在の庸の知識人にはこのような者が多く、韓嘉としては鬱屈する日々を過ごしていたのだが、ズタスはその逆であり、儀は整っていないながら彼を不快にはさせない。

 しかしその感情は面には出さず、韓嘉は重く硬い表情のままズタスを諭す。

「師に付くということは、おのれをむなしくし、師のすべてを吸い取る覚悟のある者のみに許されることです。そして弟子を取るということは、その者におのれのすべてをそそぎ込む覚悟と能力がある者のみに許されたことです。ゆえに弟子は師を選び、師は弟子を選ばねばなりません。師たる資格のない者を師とするのは弟子の不明であり、弟子たる覚悟のない者を弟子とするのは師の不明です。私は長を弟子とするに値する方とお見受けしたからこそ師事することを許したのであり、長もまた私をそのような師と見てくれたからこそ私に師事してくださったのでしょう。互いに師として弟子として、ふさわしい振る舞いをいたしましょう」

 厳格でありながら真情の通った韓嘉の訓諭はズタスの心に染みた。彼は自分が師を選び間違わなかったことを知り、そのような師にふさわしい弟子になろうとあらためて誓った。

「仰せの通りです。師よ、不明の弟子をお導きください」

 ズタスは、他のコナレ族にとっては捕虜でしかない男に心から頭を下げ、それを見た韓嘉はわずかに表情をゆるめると、あらためて座り直し、講義を再開した。



 ズタスは学生に専念したわけではない。彼には族長としての責務が山積しており、本来はそれをこなすだけでも時間が足りないほどであった。しかし彼はどんなに忙しかろうとも、必ず韓嘉の講義を受ける時間を設けた。それはいずれ央華を我が物とするために必要だからというだけでなく、純粋に韓嘉の語る央華の歴史がおもしろかったからだった。

「なるほど、では褐王は姦計に欺かれ捕虜となりながら、そこから這い上がり、ついに天下に覇を唱えたのですか」

「さよう、一兵も持たぬ身に落ちながら、不屈の心と尋常ならざる努力をもって、王として返り咲きました。褐王が碧王を打ち破り、革命を果たした『棟協の戦い』は、央華史上でも初めておこなわれた天下分け目の決戦といってよいでしょう」

「それはどのような戦いだったのですか」

「褐王軍二十万が碧王軍四十万に挑む戦いでありました。その日は豪雨が襲い、戦場となった棟協も沼地のようであり、しかしこれは馬に引かせる戦車が一番の兵器だった当時、その数も質も劣る褐王軍にとって天祐でした…」

 ズタスたち騎馬民族に文字はない。伝承は存在するが、それは父祖から口伝で伝えられるもので、多分にあやふやで伝説性が強い。「歴史」とはそのようなものだと考えていたズタスにとって、韓嘉が語ってくれる央華の歴史は新鮮で臨場感があり、また族長の立場として学ぶべきものも多く、そして純粋におもしろかった。

 それは師である韓嘉の手腕にもよる。彼はズタスが興味を持ちそうな話を中心に講義を進め、その中で彼に「君主」として必要なものを巧みに教えていたのだ。言ってみれば帝王学である。韓嘉はズタスの師になると覚悟を決めた時から、手を抜くことは考えもしなかった。


 しばらくしてズタスは文字も覚え始める。先述した通り、コナレ族を含む騎馬民族に文字はないため当然央華文字ということになるが、このようなことは、戦場で剣を振り矢を射ることとあまりに勝手が違い、さすがのズタスも手に余ることが多かった。だが彼は、央華の文物をより楽しみたい、より知りたいという欲求に押され、徐々にではあるが確実にそれらを覚えてゆくと、数年のうちに完全に獲得してしまっていた。

 そのことにより、彼の学習能力も知識も、飛躍的に向上してゆくことになる。


 そしてそのような日々を過ごすうち、ズタスは央華の歴史を学ぶことが長城を打ち崩すために必要だと知るようになる。なぜ長城ができたのか。なぜ必要であったのか。それは央華民族を知らなければ理解することは難しい。

 その国の歴史を知ることが、そこに住む人々を理解するのに有効な方法であることをズタスは感得してゆく。それは表面的にだけではなくより深い意味で「敵を知る」ということである。このことが央華民族との戦いにおいて、この上ない武器になると、学はなくとも聡明なズタスはすでに理解していた。


 それら央華の歴史の数々がズタスに染み入りはじめたのを見て取った韓嘉は、いよいよ長城をはじめとする、庸の軍制度についても講義を始めた。韓嘉にしてみれば、ここまで教えることにためらいもないわけではない。これは完全な軍事機密の漏洩であり、利敵行為そのものだからだ。

 だが長年この地で過ごしたことで、韓嘉もさらなる心境の変化もあったのだ。それはズタスの人となりをより深く知ったことが理由の一つである。

「このままでは長は、私が央華のことを教授しようがしまいが長城を越えて我が祖国へ侵攻してゆくだろう。しかし長にできるだけ我らの思想を染み込ませておけば、無用な破壊や殺戮を減らすことができるやもしれぬ」

 ズタスは勇猛だが残忍ではなかった。鋭利な知性を持ってはいても狡猾ではなかった。その彼に純良な央華思想を注ぎ込めれば、あるいは侵略時に無駄な人死にを減らせるかもしれない。そう感じさせるものが、この北狄の長の中にはあるのだ。

 それどころか韓嘉の心中には「いっそ長に庸を治めさせれば…」という想いすら湧いてきており、さすがに頭を振ってそれを振り払う。そこまで考えてしまうのは、彼がズタスを心底から信頼し、敬愛するようになっていたからだが、同時にそれほどまでに庸の朝廷が末期的な状態であることも知っていたからだった。


 韓嘉に央華文明の講義を受けながらも、ズタスは自分の本来の仕事について忘れてはいなかった。それはもちろん実力を身につけること。力を身につけ、勢力を拡大し、長城の北に一大勢力を築き上げること。そしてその戦力をもって南下し、庸を滅ぼして史上初の騎馬民族の一大帝国を興すことがズタスの目標であった。

「とはいえ足りぬものが多すぎる」

 勢力が強くなってくると、戦わずして降って来る部族も多くなってくる。それは喜ばしいことではあるのだが、増えるのは純粋な戦闘力ばかりである。兵器その他の技術力という点では、同じ騎馬民族では得ようにも得られないのが現実であった。

「やはり庸人をさらってくる以外ないか」

 それはさほどめずらしいことではなかった。騎馬民族はもともと文化的な事柄について人材が乏しい。ゆえに略奪の項目には物だけでなく人も入っていた。とはいえさらってくるのは、文学や芸術の類を得意とする人間ではなく、工芸や建築、武器など実質的なものを作り出す技術者がほとんどだった。騎馬民族にとっては実際的なものこそが重要視されるものだった。ズタスのように、韓嘉に影響されたとはいえ、央華の文明や文化に興味を示す者はめずらしく、また軟弱とそしられる対象でしかない。それだけにズタスは、今はまだ自分韓嘉に央華の文明や庸の文化について講義を受けていることは、一部の者をのぞいて秘密にしていた。


 が、それはそれとして、庸から人をさらってくるのも難しい。長城に守られているのだから当然である。長城を攻略するための技術者を得るために長城を越えなければならない。大いなる矛盾であり二律背反であった。

「やはりまだまだ時間はかかりそうだな」

 庸攻略を心に決めてすでに二十年。四十歳を越えたズタスは、騎馬民族の中で有数の勢力を築くに至っていた。すでに彼のコナレ族に互角に対抗できる部族は片手の指で足りるほどしかない。しかし彼は、いまだ自分が目的を果たす力を持ち得ていないことを知っており、そして自分の年齢に焦りを覚えはじめてもいた。

「全民族を統一することも、長城を克服する方法も手に入れられず、わしはこのまま老いて死んでゆくのか…」

 すべてを成し遂げる能力を得る自信は、ある。だがその自信がわずかにゆらぎはじめているのも事実であった彼は、同檎する妻妾の乳房を撫でながら、そんな弱気を覚えはじめた自分に老いを感じていた。



 ズタスは、ふと思い出し背後を振り返った。張堅はどうしているのかと思ったのだ。

 だがそこには誰もいなかった。あるいはまだ、長城の門の外で立ち尽くすか座り込むかしているのかもしれない。それとも自害でもしたのだろうか。

 ズタスにとってはどうでもいいことだった。彼は前へ向き直り、二度と張堅のことは思い出さなかった。



 だがそんな彼を天が哀れんだのか、あるいはただの偶然なのか、ありえないほどの提案が庸の一人の高官からなされてきた。男の名は張堅といい、その提案は「長城の扉を開けるゆえ侵攻してきてほしい。ただし条件はある。委細はいずれ。返書を請う」というもの。条件というところが気になるが、にわかには信じがたい話である。庸にとって絶対に開いてはいけない長城の門を自ら開けるとは。それは大げさではなく国家の自殺になりかねない暴挙であった。それゆえズタスとしても最初はこの提案の真意がつかめなかったのだが、この頃にはズタスの師としてだけでなく、対庸対策首席顧問のような立場にもあった韓嘉は、悲しげな表情で弟子に解説した。

「長よ、この提案はそのままの内容でございます。裏はありません。この提案をもって待ち伏せし、長たちコナレ族を壊滅させようという策でもございません」

「しかし師よ、それはおかしいではないか。なぜ張堅は祖国に仇なすようなことをするのだ。これでは張堅はただ国を滅ぼす賊臣として歴史に汚名を遺すのみだ。それは央華の民にとって死すよりつらいことであろう」

 央華の民は名誉を重んじる。それは騎馬民族とて同じだが、彼らと央華人とでは名誉の質に異なるところがあった。騎馬民族にとっての不名誉は、戦場で敵に背を見せて逃げ出す等わかりやすい類のものである。もちろん央華でもそれらの行為は不名誉だったが、彼らは史書におのれの名が悪名として遺ることを非常に恐れたのだ。


 央華文明は記録の文明である。文字を発明し、筆、墨、すずり、紙を生み出した彼らは、自らの行状を後世に遺す術を手に入れた。央華の歴史が始まって二千年以上。そのうち相当数の事績が遺っているのは、このためである。

 だがそれゆえに、彼らにとって相対さねばならない相手は同時代人だけではなく、後の世の民も含まれるようになった。そして後の世とは、数年、数十年という短さではなく、数百年、数千年を越え、人類が滅びるまで続く永劫の時という意味でもある。人が滅亡するまで、おのれの名が悪名として遺ってゆく。その恐怖は央華の、少なくとも士大夫(貴族)以上の立場にある者たちが共通して持つ心情であった。「自分が死んだ後のことなど知ったことではない」という考えは、彼らにとって野蛮人の思考なのだ。

 もちろん、なんの名も遺さずに死んでゆく人がほとんどであり、そうであるならたとえ悪名でも歴史に名を遺したいと考える者もいないわけではない。だがそのような者はやはり多くはない。

 また悪名を遺してしまう者でも、最初からそのつもりである者も少ない。彼らとて、すべては善意からおこなうのだ。だが人の世は、善意から始まっても悪行で終わってしまう事績も少なくなかった。歴史は彼らの思想や目的でなく「行為」の功罪を断じるのだ。

 中には悪行を為した者たちの、せめて善意だけは理解してやりたいという後世の史家もいる。歴史の評価とは一つだけではなく、無数に存在するのだ。


 だが、この張堅の行為はそれにはあたらないとズタスは感じた。それはそうだ。祖国に歴史的敵対民族を招き入れるなど、「国を売る」という悪意か狂気かを持たなければなしえない行為である。

 ズタスのその考えに、韓嘉はゆっくりと悲しげに首を横に振った。

「いえ、長よ。張堅のこの行為も、確かに善意から発せられております。彼にとってこれが祖国と皇帝陛下に対する忠義そのものなのです」

 そう聞かされて目をむくズタスに韓嘉は静かに説明を始めたが、これは後に詳述したい。

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