第5話 幼馴染

 翌週の月曜日、二月二十一日。最後の授業が終わると、今度は俊哉が教室の後ろの方に歩いてきて教科書をカバンにしまっている夜古に話しかけた。

「夜古さん、ちょっといいかな。相談したい事があるんだけど」


夜古は練習室の一つに入るとヴァイオリンを出して調弦を始めたが、続いて入って来た俊哉は、それにかまわずいきなり真剣な顔をして話し始める。

「夜古さん、ちょっと相談があるんだ。うちのクラスの笙子しょうこが紙袋を見た事を思い出したって」

「何それ?」

「笙子が楽屋のトイレで私服の入った紙袋が置いてあるのを見つけたんだって。これはおかしいだろ。だって演奏のためにドレスに着替えるのは更衣室でだから、演奏中は私服はそのまま控え室か更衣室に置いてあるだろ。わざわざトイレに持って行くなんてあり得ない」

「そうだね」

「だけどね、どんな服が入っていたか聞いたら花柄のだって。それならたぶん樹里さんのではないと思うんだ。彼女はいつもトレーナーみたいな服着てるから」

「花柄?……へえ~。それビンゴだよ」

「え?」

「樹里さんが眠らされた時の写真がお父さんの所に送られてきたって聞いたでしょ。それを持ってるんだ。見せてあげるよ」

夜古はiPhoneを操作してその写真を見せる。

「へえ本当だ。花柄だ。めずらしいな。デートだからかな?フィアンセと」

「かわいいね樹里さん。この画像、あげようか?」

「……紙袋が樹里さんの物じゃなければいいなと思っていたんだけど。やっぱり最悪の展開になりそうだな」

俊哉が困った顔をする。

「最悪?」

「この紙袋の事で樹里さんが変装して抜け出した可能性が高くなるよね。つまりトイレで着替えたのは変装したから……。しかし抜け出す時に樹里さんは私服を持って行かなかった。だからそれがトイレに残っているのは分かるんだけど、その紙袋はいつの間にか無くなっているんだよ。試験が終わって皆で徹底的に樹里さんを探した時に、楽器とカバンとドレスは控え室にあったんだけど、この紙袋の事は誰も見ていないんだ」

「笙子さんが紙袋を見たのはいつ頃なの?」

「笙子は樹里さんの三つ後ろ。で帰る時に見たって。だから樹里さん自身が私服を取りに戻ってきたか、あるいは誰かが紙袋を回収して樹里さんに届けたか、どっちかって事になる。まあ取りに戻ったら誰かに見られるだろうから、やっぱり誰かが届けたんじゃないかな」

「ふ~ん。やっぱり協力者がいるんだね」

「で、……これを夜古さんに言おうかどうしようか悩んでいたんだけど……」俊哉は下を向いたまま黙ってしまったので夜古が顔を覗き込む。

「どうしたの?」

「……いや、……実は思い当たる人がいないわけじゃないんだ。協力者のこと。演奏順は樹里さんの五つ後ろ。だから紙袋を回収して樹里さんに届けたるとしたら、まあぴったりの時間なんだ」

「誰?」

「しかしその子が樹里さんの脱出を手伝うメリットが無い。むしろ逆の動きをしそうな気がする。それにいくらなんでもマフィアに協力するとは思えないんだけどなあ」

「逆の動きというと?」

「ちょっと恥ずかしいんだけど。その子は僕の幼馴染で他の女子が僕に近づいてくるとそれを邪魔するんだよ。だから樹里さんが僕に会おうとするのを邪魔してフィアンセにくっつけとくなら分かるんだけど、反対にフィアンセから逃げるのを手伝うとは思えないんだ。ははは自信過剰だよね。……で隣のクラスの黒木紗枝さえ。知ってる?知らないよね。転校してきたばかりだから」

「……知ってるよ。いつもうちのクラスに来て神田君と話している子でしょ?」

「昨日あれからさあ、……少し樹里さんの性格を考えてみたんだけど、今回のことはやっぱり樹里さん一人ではできないと思う。楽屋から抜け出すのさえ彼女にはできない。変装なんてする勇気のある子じゃないと思うんだ。彼女は金髪だからすごく目立つだろ。いつもそれを嫌がっていた。でもそれを逆手に取って黒いカツラを被ればフィアンセには気付かれないと思う。だって金髪の人しか注意して見ないから。でも、そんな事までしたら、バレた時の言い訳が困るだろ。フィアンセや親に対して『ちょっと気分が悪くて先に帰りました』なんて言い訳ができない。彼女の性格だったら、言い訳できない事を一番嫌がると思うんだ」

「そうだよね。だから今、樹里さんは何も覚えてないって言ってるんじゃない?」

「そもそもそんな大胆な行動に出る子じゃないんだよ。でさあ、紗枝ならそこらへんが怖いぐらいに緻密で大胆だから、彼女ならそういう計画を立てかねない。……何て言うかなあ……一連の流れから感じる雰囲気っていうか、皮膚感覚みたいなものが紗枝っぽいんだな。ははは」

「でも紗枝さんが樹里さんを応援するとは思えないんでしょ」

「まあ、そう。……でも今話していて思い出した事があるんだけど。……ちょっと前に言ってた事がある。紗枝が。樹里さんから恋愛相談されたって」

「え?」

「それ自身が不思議だよなあ、今から考えると。あの変人の紗枝に恋愛相談持ちかける人がいるなんてなあ」

「で、どんな話?」

「中身までは聞いてないんだけど。今回の事には何か特別の事情があるような気がする……紗枝と樹里さんの間で。もしかしたら本当に紗枝が本当の誘拐犯に樹里さんを引き渡したのかもって思ってしまうけど……。さすがにそこまではしないかな……」

「……」

「という事で悩んでいるんだ。最悪の展開になりそうだよ。二人っとも危なっかしい奴だ」

「……で、どうしたいの?」

「いや、刑事さんも紙袋の事を知ればそのうち紗枝に行き着くだろ。今は紗枝はあんまり調べられていない。順番が後だから。樹里さんがいる間に水筒に睡眠薬を入れる事が出来ないと思われているんだね。でも紙袋の話はその逆だ。紗枝の順番はぴったりだから。まず樹里さんが変装して抜け出したと思われて、樹里さんが追及される。それから手伝った人が誰かが焦点になって、紗枝が容疑者リストに載る」

「そうね」

「そうなる前に紗枝の話を聞きたい。それでなんとかしてやりたい。もし紗枝が絡んでいるなら」

「じゃあ仲がいいんだから、二人で話すのが一番いいでしょ」

「それがだめなんだよ。そう簡単に行く相手じゃない」

「う~ん、なんか怖いね」

「そう。怖い。見た目はごく普通の子なんだけど、めちゃくちゃ頭が良くって何を言い出すのか検討がつかない」


*  *


 翌日の昼休み、銀花は黒木紗枝から呼び止められた。相談があると言う。

二人が屋上に上がると、紗枝はフェンスに寄りかかって遠くの景色を見たまま、隣りで一緒に景色を見ている銀花に話し始めた。

「あなたの双子の妹さんかお姉さんか知らないけど、ビッチなの?なんで転校した次の日に男子のメアド聞いて呼びだすのよ?」

「へー。そないなこと言うてはりましたなあ。ふふふ」

「もう~、次から次に何なのよ。この前は金髪のロシア女で今度は日本人形みたいな子が何の用なの?俊哉なんて背も低いし暗いし、全然かっこよくないのに」

「あんたはその俊哉さんいう方ん事、好いてはるんでっしゃろか?」

「私たちは幼馴染だから。ただそれだけ」

「じゃあ、こうしましょ。ウチが夜古に言うて、神田さんとこれ以上、仲ようせんようさせましょ」

「ふーん、やっぱり名前知ってるのね」

「夜古が神田さんと話すんは、ちーっと用があっての事なんよ。用事が早よう終わってしまえば、もうなーんも神田さんと話すことはないやて」

「え?何の用事?」

「そやさかい、お願いがあるんや」

「何?」

「紗枝さん、夜古、ウチ、それに神田さんを入れて、一度、四人で会うとくれはりますか?それできーちり決めましょ。いかがでっしゃろ?」

「分かった。話が早くて好きだわ。銀花さん」

「へーっ。紗枝さんも」


*  *


その日、ジャガーが静かに走る中で銀花が話す。

「紗枝さんが、さっそくコンタクトして来はりました。ストレートな方やなあ」

「神田君の方も紗枝さんが仕組んだと思ってるよ」

「紗枝さんは自首してくだはりますやろか?」

「そうなるように仕向けてみようよ。ところでさ、紙袋をさあ、誰も見つけてくれなかったらどうしようかと思ってたけど、ちょうどいいタイミングで目撃談が出てきたから良かったなーほんと。神さまは私たちに味方しているね。ははは。これで難関突破。安心したよ」

「ふふふ。しかしジュリエットは完璧にやってくれはりましたなあ」

「しかもさあ、神田君は樹里さんを天然で気が弱い性格だと思ってるんだよ。これで後で神田君のためには勇気を振り絞るってシナリオが生きてくるな~」

「ふふふ」

「……ほんとに神田君はすごく心配していていい感じだよ」

「どちらを心配しておるんやろ?」

「まあ二人とも……この構図はずっと変わらないと思うよ」

「ふふふ。そういう方もいらはるよなあ」

「まあこれからだよ。まず、自分からロシアに行くって言わせる。あとは舞台設定で一気に恋に落とす。ああ~楽しくなってきた」

「舞台の方はまかしとき。もう話は付いてるえ、マフィアとの。店も決まったし。冬のモスクワの一番ええとこ使こうてな。ふふふ。……ところで紙袋ん事、刑事さんに伝わるんはいつになるんやろか?」

「次に刑事さんが学校に来るのは来週の月曜日。神田君の誕生日の前の日だよ。」

「かて、その前に伝わるやろ。……ほな、明日お見舞いに行こか」

「樹里さんの演技が楽しみだなあー」

「ふふふ」

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