第6話 会談

 翌日の放課後、銀花、夜古、紗枝、そして神田俊哉は練習室に集まっていた。俊哉がストレートに切り出す。

「お前、樹里さんの紙袋持って行っただろ」

紗枝は一人だけ他の三人とは離れて窓際で外を向いて立ったままだったが、俊哉の問いかけに対し落ち着いた口調で話し始めた。

「だって樹里が忘れて行ったから。使えないわね~あの子」

「お前なあ、何やってんだよ。やばいぞ。僕には本当の事言えよ」

「じゃあ、この二人は何なの?」

「夜古さんたちは、本当の誘拐犯がロシア・マフィアだと思っていて、それを突き止めようとしている。そのために転校してきたんだ」

「そう……。で俊哉はどうしたいの?」

「僕はお前が心配だよ」

「…………」

「なあ、何があったか言えよ」

「あなたの思っているとおりよ。私が樹里にカツラと作業服とマスクを用意して、変装して楽屋から抜け出すことを教えたのよ。反対にフルートとカバンは置きっ放しにして誘拐されたように見せかけて、後でひょっこり家に帰って『記憶が無い』ってずっと言い張れば大丈夫だって」

「それで?」

「樹里の私服が入った紙袋をトイレで見つけたから届けた」

「どこに?」

「彼女と待ち合わせをしていた駅前のファミレスに。それで彼女の飲み物をドリンクバーに取りに行って睡眠薬を入れたのよ。彼女はそれを飲んでトイレで着替えている間に眠ってしまったわ。それをマフィアに教えたのよ。あそこのトイレから裏口に出られるの知っているでしょ?」

「やっぱりな。……何でそんな事したんだよ」

「……」紗枝は無言で窓の外を向いたままだ。

「じゃあ、何で樹里が楽屋から失踪する事を手伝った?」

「それ、本気で質問してるの?」

「はあ?」

「あなたが言わないのなら、私から言って上げるわ。……樹里が試験の後あなたとデートだって言っていたから」

「え?デート?僕と?」俊哉が驚いて聞く。

「樹里は新しいワンピ買ったって言ってたわよ」

「えええ?デートの約束なんてしてないよ」

「……」

「信じてくれよ」

「何か勘違いしているようだけど、俊哉が誰とデートしたって私にはどうでもいい事なのだけれど」

紗枝はここで初めて三人の方に向き直る。……いや、俊哉の方を見る。

「全くそんな話は聞いてないよ。それは何かの間違いだよ」

「……それは変ねえ……」紗枝が爪を噛む。

「で、なんでフィアンセをまいて僕とデートできるように手伝ったんだよ?」

「それはね、私が睡眠薬飲ませた事を口止めするためよ」

「……分からない」

「いい?バレンタインデーよ?その日に変装までしてフィアンセをまいて他の人とデートしようとしたなんて、絶対に誰にも言えないでしょ。だからあの子は私に睡眠薬飲まされたって言えないのよ。彼女があなたとの事で私にぬけぬけと恋愛相談なんてしてきたから、ちょうどいいと思って利用したのよ」

「……で、なんでマフィアに引き渡した?死んでたかもしれないんだぞ?」

部屋に沈黙が流れる。樹里はしばらく下を向いて爪を噛んでいたが、やがて小さな声で話しだした。

「私もマフィアに騙されたのよ。樹里の亡くなったお母さんの親戚が樹里を引き取りたがっているって。親権が父親にあるけど、どうしても連れてきたいって。だから銃で脅すとかじゃなくて睡眠薬にして、かつ自分たちの印象が悪くならないように生徒にやってもらいたいって。だから手伝ってあげたの。ははは」

「そんな理由でお前がマフィアを手伝う分けないだろう」

「まあ、ちょっとだけ他の理由もあるのよ。後で銀花さんに言っておくわ。そのために銀花さんがいるんでしょ」

「ウチらはそのロシア・マフィアん名前と連絡先が欲しいんやけど」

「それはどうかな~。後で相談しましょうね~」

「へー」

そこで夜古が質問する。

「水筒に睡眠薬入れたのも紗枝さんでしょ?なんで入れたの?たしかに一時的には容疑者は演奏順が樹里さんの前後の人に限定されるからアリバイ工作になるけど、楽屋からの失踪が樹里さんの狂言だったって事が分かったら、水筒に睡眠薬を入れるのはフェイクだから樹里さんがいなくなった後でもいい事になる。そうなれば逆に樹里さんも容疑者リストに載ってしまうでしょ」

「それもマフィアから頼まれたのよ。樹里の親戚からの依頼で、どうしても試験会場から誘拐されたように見せたいって。まあ、おっしゃるとおり、私にとってはばれるリスクが上がるから良い行動ではないわ。でも……このトリックは私も気に入っていたのよ。やっぱり試験会場から誘拐されたって方が面白いじゃない」

 そこまで聞くと俊哉は無言で立ち上がって部屋を出て行った。ただし、決してあきれたような顔をしていたわけではなく、紗枝の事を心配そうに振り返って、それからドアを開けて出て行った。


*  *


俊哉が出て行くと紗枝は銀花と夜古の近くまで歩いてきて、壁に立てかけてあったパイプ椅子を一つ広げて座った。

「じゃあ、話すわよ。よく聞いてなさい。一ヶ月ぐらい前の話だけど、樹里が俊哉にピアノ伴奏を頼んできた時に、単に伴奏を頼んでいるだけなのか、俊哉に気があるのか調べようと思って、二人の後をつけたのよ」

「……」

「その事をマフィアに知られて脅されたの」

「……そんな事、何で分かったんだろう?」

「知らない」

「何だって言われたの?」

「お前がストーキングしている事を俊哉にばらすぞって」

「ははは。別にいいじゃない。そのぐらいの事」

「嫌よ。だって私たちはただの幼馴染なんだから」

「ふ~ん、そういう立ち位置なんだ。好きならさっさと告っちゃえばいいじゃない」

「私たちはただの幼馴染なのよ。告ったらこの素敵な関係も終わってしまうじゃない」

「なるほど」

「それで紗枝さん、そん時のロシア・マフィアん名前は分かりますやろか?」

「うん、ファーストネームだけ。あと声がちょっとだけ」

「え?」

「私に直接話してきたのは日本人。たぶんそいつは今回の事で雇われただけだと思うわ。その人が電話していたのがマフィアだと思うわ。ロシア語だけど」

そう言うと紗枝はiPhoneを操作して、その時に隠し録りした音声を銀花たちに聞かせた。

「エフゲニー言うてますね。そん方の声もちーっとだけ聞こえます。この音声、ウチにいただけませんやろか?」

紗枝は黙ってカバンを開けるとiStickを取り出しiPhoneに差して音声ファイルをコピーすると、それを銀花に渡した。

「メールで送ると私との関係が分かるから嫌でしょ?」

「おおきに」銀花は表情ひとつ変えずにお礼を言う。

「で、紗枝さんはどうするの?」

「今回は失敗したわ。もう逃亡生活の覚悟と準備はできているのよ。ちょっとまずい事があってね。もう家には帰らない。今日この学校を出たら私は行方不明だわ」

「なんでっしゃろ?」

「あの子には本当にムカつくわね。モップを持って行ったのが致命的なミスなのよ。本当に深く考えていないバカ」

「……ねえ、一つ質問。なんで紙袋をピックしたの?置きっぱなしにしたら樹里さんの狂言がすぐに分かってしまって致命的だけど、ピックしたらそれで紗枝さんの関与が疑われるでしょ。それならもう、今回はマフィアに引き渡す事はあきらめるべきじゃない?」

「だって、睡眠薬を飲ませた後にトイレで着替えさせるつもりだったから。着替えが無ければトイレに行かないからファミレスの席で眠ってしまうじゃない」

「へ?こうなってもマフィアに渡したかったってこと?もうその時点で作戦を中断するしかないじゃない?」

「いい?私が作戦放棄しちゃったら、あの子は作業着でも俊哉とデートするわ。恥知らずだから。そうしたら……フィアンセがいるのに……不倫みたいなものだから燃え上がっちゃうかもしれないじゃない」

「……」

「……樹里にはどうしても俊哉の前から消えてもらいたかった。それをマフィアがやってくれるって言うんだから絶好の機会じゃない。反対に今回失敗して狂言がばれたら父親のガードが固くなって次の手が打てなくなるでしょ。ロシアに追い払えなくなる」

「なるほど。マフィアと利害関係が一致しているんだなあ。マフィアは実に最適な人にコンタクトしたわけだ。ははは」

「それにモップを持ってったなんて私には考えもつかなかったから。それが無かったら何とかなったのよ」

「……かて、逃亡までしーへんでも、紙袋を持って行っただけなら『たまたま見つけたから持って行った。後ん事はよう知らん、睡眠薬も入れてへん』とずーっと突っぱねれば、樹里さんも睡眠薬ん事はいーひんやろから何とかなるやもしらんけど」

「紙袋が見つかった事であの子の狂言が確定的になって警察に追求される。それから袋を持ってった人が誰かに焦点が移って私は容疑者の一人になる。でしょ?その時にもし私が警察に『その時に樹里に着せた作業着やカツラを買うためのお金はどこから出たんですか?』って聞かれたら、答えられない。だって……マフィアから百万円ほどもらって買ったから」

「マフィアからお金もろうた……そら、まずいですなー」

「ちょっと待って。なんで紗枝さんは紙袋を届けた容疑者の一人にすぎないのに作業着やカツラを買ったと思われるの?っていうか、どんな服を着て抜け出たか聞かれても樹里さんが黙秘を続けていれば……まあカツラは言うだろうねえ。金髪じゃあ絶対に抜け出せないから。……あっ……なるほど。だからモップを持って行った事が致命的なのか……どんな服を着て抜け出したか想像が付いてしまう。作業着なんて売っているお店は限られるから調べればすぐに分かってしまう。女子高生がそんな物買いに来たら、そりゃそのお店の人も憶えているよね、……紗枝さんの事」

「マフィアからお金もろうてると誘拐の共犯ちゅう事になりますなあ」

「そういうこと」

「『脅されてました』ゆうたら情状酌量ん余地あるんやから自首されはったら……」

「私は脅されてた事は絶対言わない」

「そやかて、情状酌量があるんと無いんではぎょーさん違うえ」

「別にいいわ。私は自分の意思でマフィアを手伝った。それは樹里に日本からいなくなって欲しかったから。でもその事も誰にも言わない。……結局、樹里のバカさ加減を見誤った私がいけないのよ」

「そやかて……」

銀花は何か考え事をしている様子で言葉に詰まってしまい、その横から夜古が質問する。

「それでさあ、今聞いたストーキングが見つかって脅されてた事、樹里さんが日本からいなくなって欲しくてマフィアを手伝った事、神田君に言っちゃいけないんだよね?」

「……だからそう言ってるでしょ。私たちはただの幼馴染なのよ。いいわね、絶対約束守ってよ?頭脳明晰なあなたたちにはどうせバレてしまうと思ったから言ったのだけど、俊哉には絶対に言わないでよ」

「わかった」

「ほな、逃亡生活を微力ながら応戦させてもらいますさかい、連絡先、ウチに教えといていただけますやろか?」

「それはできないわ」

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