第7話 お見舞い
その後、銀花と夜古は成城の、駅近くのティー・ルームで俊哉と落ち合った。
「紗枝さんは、どうしてマフィアに協力したかを私たちには教えてくれたけど、神田君には絶対に言わないでくれって。念を押された」
「やっぱりな。……まあ、へんな脅され方してなければいいんだ」
「それは大丈夫……」
「僕もあれこれ考えて……」
「まあ、大丈夫でっしゃろ。紗枝さんはしっかりされてはります。そんで、実行犯の日本人がロシアん方と電話で話してはるとこん音声をいただきました」
「え?もしかして紗枝が隠し録りしてたの?……ははは。さすが紗枝だ。それでそのロシア人が誰だか分かる?」
「まだ誰だかよう分からしまへんなあ。このファイルを持ってモスクワ行って、何人かの人に聞かせよう思うとります」
「そう……で、紗枝はどうするのかな?」
「もう家には帰らんそうです。失踪やな」
「え?」
「逃亡生活の覚悟と準備はできてるちゅうてはりました」
「う~ん、……紗枝の事を先になんとかしないと。あいつは危ない……自主させられないかな?……」
俊哉が考え込んでしまったのを見て夜古がなだめるように言う。
「まあ、一つずつ考えていこうよ」
「……やっぱり僕が紗枝と会ってじっくり話をする。やっぱり自首させた方がいいよ……マフィアに脅されてたとか言って……どうかな?そういうストーリーは。どうせマフィア側の証言なんて取れっこないんだし」
「……」
「僕の言う事は聞かないかもしれないけど、やるだけやってみるよ。全力で説得する」
「……」
「……」
銀花と夜古は俊哉の見えない位置で顔を見合わせた。困った事態になったという意味だ。夜古が静かにまた話し始める。
「神田君、実は今から私たちは樹里さんのお見舞いに行く事になっているんだ」
「えっ?お見舞いに来ないでくれって言われてるだろ」
「実は樹里さんのお父さんに言って許可をもらったんだ。それに『もうすぐ狂言がばれます』って本人に知らせておいた方がいいでしょ?神田君も一緒に行こうよ」
「えっ?僕が行ったら嫌がると思うよ」
「でも、樹里さんは神田君とのデートだと思っていたんだよ?試験の後にさ。何でそう思ったか、っていうか誰がそれを樹里さんに言ったか気になるでしょ」
「う~ん……」
「それに、まず樹里さんの話を聞かないと、紗枝さんに何てアドバイスするかも決められないんじゃない?」
「それはそうだ。……う~ん、でも今日はまず二人で行ってもらった方が……」
「じゃあこうしようよ。私らと一緒に病院に行って、銀花と私だけで先に病室に入るよ。神田君はロビーで待っててくれる?で、樹里さんが神田君に会ってもいいって言ったら呼ぶ」
「うん。分かった。悪いね面倒かけて」
* *
俊哉を病院一階のロビーに残し、銀花と夜古は病室に行くエレベーターに乗った。
「夜古ちゃん、まずいわー。失敗してもうた。ウチが『逃亡生活』言うたから。……神田さんが紗枝さんとじっくり話しおうたら、最悪のケースは二人で失踪しはるかも……。今日お見舞い仕込んどいて良かったわー」
「神田君の誕生日まであと一週間。後は詰め将棋みたいに二人を合わせないように次々にイベント繋いでいかないといけないね」
「しかしなあ、意外やったんは紗枝さんがウチらに秘密をぜーんぶ言わはった事やあ。ストーキングの件でマフィアに脅された事、本当は樹里さんに日本から消えて欲しくてマフィアに協力した事、百万円もろうた事、よく言わはったなあ。そやかて『神田君には絶対言わんといてー』言うて。ウチらが神田さんに言ってしまうかもって何で思わんのやろ?神田さんも神田さんでウチらに『樹里は何て言ってた』ってぜんぜん追及しーへん。何でやろなあ?」
「銀花ちゃんさー、お金の流れは手にとるように分かるのに、乙女心は本当に分からないんだねー」
「……」
夜古はエレベーターを降りると銀花を小さなロビーに引っ張って行き、立ち話を続ける。
「いい?紗枝さんは勝負に出ている。『幼馴染の関係を壊したくない』って言ってたけどさ、あれはウソだ。このままでは樹里さんに取られてしまうから」
「……」
「……紗枝さんの今の状況は『私は神田君に片思いですって公表したくない、だからマフィアに脅されてたっていう情状酌量も使わずに私は犯罪者になって逃亡生活を送りますよー』っていう事だよね。でもそれを直接言うんじゃなくて、神田君に推理させたい。だから私たちに真相を神田君に『ほのめかして』して欲しいんだよ。あれこれ考えていくうちに神田君は紗枝さんの事が心配で仕方がなくなるし、突き詰めていくと彼女を救うには神田君の方から告るしかないという事に気がつく。だって紗枝さんは片思いを利用されて脅されたなんて意地でも警察に言わないと思うから。だから神田君が「僕は一生お前に付き合う」みたいな事を言って恋愛成就すれば、紗枝さんは安心して『マフィアに脅されてました』って言って自首するよ」
「……」
「私は樹里さんに『この件に命掛けてもらうよ』って言ったけど、本当に人生をかけてきたのは紗枝さんの方だ。しかもすごく効果的に仕組んでる。自分の状況を逆手にとってね。強敵だね」
「うーうー、ほんに『逃亡』ちゅうた事、まずいと思うた。……かんにんやあ」
「神田君の方も紗枝さんの本心に気付いているから。私たちに聞かないんだよ。まず、紗枝さんの目的は樹里さんをロシアに追い払う事。そんなのは明白。でもマフィアと知り合った切欠が分からない。紗枝さんの事だから何か危ない事をしてマフィアに脅されたのかもしれないと思う。だからそこだけ私たちに聞いたんだ。紗枝さんの方も神田君がそこを聞くだろうと思っている。私たちは口止めされているからほのめかすよね。「大したことじゃない」とか言って。そうすると神田君はずーっとその事を考えて、最後は紗枝さんに追及するよね。それを紗枝さんは逃亡先で待っている。だから私は「大した事じゃない」って言葉を使わないで「大丈夫」って言ったんだ」
「追求する言うても失踪中やから連絡が取れへん」
「二人には絶対に秘密の連絡方法があると思うよ。だから紗枝さんもこういう作戦を取ってきているんだし、神田君も失踪って聞いても必要以上には焦らないんだよ。……結局、幼馴染どうしはツーツーで分かりあっていて、でも意地の張り合いみたいなゲームをしている。私たちはその間に入ってコマとして利用されているだけ。だから紗枝さんは『そのために銀花さんがいるんでしょ』って言ったんだよ。気前よく音声くれたのも、利用料なんじゃないの?」
「……」
「しかし結構まずい状況だねー。まず神田君の紗枝さんへの心配をなんとかしよう。紗枝さんの心配が頭にある限り、樹里さんの声は届かない」
* *
「樹里さん、突然、お見舞いに来てすみません。っていうか、初めて会うんですけど。先週転校してきた源夜古と申します」
「ウチは夜古の双子の銀花、申します」
「……」樹里は壁を向いて寝たまま、来客を見ようともしない。
「あのお、実は私たちはお父様の雄一郎さんの知り合いで、ちょっとお父様に頼まれて事件の事を調べているんですけど。……刑事さんとは別行動で」
「……」
「あの、トイレに私服の入った紙袋を忘れて、それを紗枝さんが持って来てくれたんですよね」
「……」
「でも紗枝さんがそれを回収する前に、紙袋を見た生徒さんがいてですね、もうすぐその話が刑事さんに伝わります」
樹里は壁を向いたままだったが、そこで初めて口を開いた。
「紗枝さんに迷惑がかかるわね。紗枝さんには話した?」
「やはり、樹里さんは本当は覚えていらっしゃるんですね」
「…………」
「紗枝さんは誘拐の共犯がバレると思って、失踪するそうです」
「……そう。で、私の事、みんなどこまで知ってるの?」
「あのお、刑事さんに紙袋の話が伝わったら、楽屋から樹里さんがいなくなったのは樹里さんが自分で変装して出たんだろうって思われますよね。狂言だったと。それで樹里さんは刑事さんの追及を受けます」
「……」
「で、神田君は紗枝さんが失踪する前に、二人で会って話したいって言っています。最悪、そのまま二人で失踪してしまうかもしれません」
「…………話はわかったわ。私はどうしたらいいのかしら?」
「えーそれでですね、実は今日、神田君も来ているんですよ。一階のロビーで待っています。病室に呼んでいいでしょうか?」
「わかったわ。私は神田君に謝る」
「はい。あとはその後デートに行く予定だったって話をうまく使いましょう。あとはこちらで何とかします」
* *
俊哉が病室に入った時、樹里は相変わらず壁を向いて寝ていて、さらに顔の半分まで毛布を引っ張りあげて被っていた。毛布から頭頂部の金髪だけが見える。
「樹里さん、大丈夫?」
「うん。……迷惑かけてごめんね」
「教室のみんなも心配して待ってるよ。早く良くなってね」
「……。紗枝さんにはすごく悪い事をしたわ。事件に巻き込んでしまったわね。私の相談にのってくれたのに」
「まあ、紗枝のことより今は自分の事を考えなよ」
それから樹里は半分泣き声になって言った。
「私がしっかりしていれば良かったのよ。最初からお父様にはっきり言えば良かった。この年で
「ああ。はっきり言えばいい。誰も樹里さんの意思を妨げられないよ」
「うん。鯉沼さんが待っているの知っていて、それをまいて神田君とデートしようと思うなんて、神田君にも悪かったと思って。私、本当にどうかしていたわ。浮かれていたのよ。それを思うと涙が出てくる……」
「……。その事なんだけど、僕とデートだって誰が言ったの?」
俊哉がその発言をした時、毛布の上からでも樹里の身体がこわばるのが分かった。樹里が細い声で言う。
「え?もしかして違ったの?」
「いや、……違わないけど」
「……そう。ごめんね待ちぼうけで」
「いや。いいよ。早く良くなってデートしようね」
「うん」
二人がちぐはぐな会話をしていると感じている様子を見て、銀花が割って入る。
「ほな、ウチからお父様に『楽屋からいなくなったのは樹里さんの狂言や』言いますので。よろしおますか?」
「はい。お願いします。銀花さん。私も父に謝って、鯉沼さんと婚約解消したい事を言います」樹里は蚊の泣くような声でそう言うと毛布を完全に被ってしまった。
* *
病室を出ると銀花はすぐに雄一郎に電話をして樹里の失踪の真実を言った。雄一郎は怒りの感情を抑えるように、そっけなく、しかし声を震わせながら「そこまで思いつめているのなら婚約解消もやむを得ない。しかし樹里とはきちんと話したい。特に、その後の誘拐の事、結局、誰が睡眠薬を飲ませたかを聞きたい」と言った。
それから銀花と夜古は俊哉を連れて病院の最上階にあるカフェに行った。俊哉はずっしりと落ち込んでいる様子で、ため息をつきながら言う。
「紗枝はいったい何をやっているんだ……」
俊哉がめずらしく声を荒げる。紗枝への怒りの感情が心配に進行するのを阻止したい夜古は、必死で樹里の方に話を持っていこうとする。
「デートの予定だったって言っちゃったね」
「だってあの状況で、そう言わざるを得ないだろ。樹里さんはそのためにこんな大変なめにあったんだし。これで『デートの話なんて知らない』って言ったら可愛そうすぎるだろ」
「……そ、そうだね。樹里さんはやっぱり紗枝さんの心配をしていたねえ。騙されて睡眠薬飲まされたって怒るんじゃなくて」
「しかし不思議だなあ。なんでデートの話になったんだろう?紗枝が仕組んだんじゃなさそうだし……」
「あのお、紗枝さんが失踪しはるんを何とか止めさせたいっちゅう神田さんのお気持ちはよう分かります。そやけど紗枝さんに『失踪すな』言うても絶対に言う事を聞きへんと思います」
「僕もそう思う」
「ほな、どこかよう分からん所へ行きはるより、こちらで潜伏場所を用意しましょ。もちろん紗枝さんがそこを使わはるかどうかは分からんけど」
「……」
「ウチら、湯河原の山ん中に小さな家を持っておりますさかい、そこを使ってもらいましょ」
「銀花ちゃん、それはいい考えだ。あそこなら本当に山の中だし、篭城できるように一ヶ月分ぐらいの食料もあるから」
「へ?別荘とか?……たしかにそれはいいアイディアだ。紗枝を説得して自首させるとか、逃げるなとか言っても絶対に説得できない。それならどこに行ったか分からなくなるよりは、こっちの知っている場所にいた方が……でもいいんですか?銀花さん。逃亡者をかくまったら……」
「そんなん全然かまへんわー。ウチはロシアんマフィアの音声もらいましたさかい、こんくらいは、させてもらいます」
「銀花さん、本当にありがとう」
俊哉はそう言って深々と頭を下げた。
「……そやけど、どないして紗枝さんにそん事を知らせるか。携帯も切ってはりますし」
「銀花さん。……それなら僕らには連絡方法がある。小学生の時に二人で小鳥の巣箱を作って公園の木に付けたんだ。その巣箱が二重底になっていて手紙が置けるようになっている」
「……」
「……」
「もちろん紗枝の考えた事だよ。ね、分かるでしょ……この『普通じゃない感』。紗枝っぽいよなあ。子供の頃から」
「いいなあ幼馴染って。その頃から紗枝さんは神田君が大好きだったんだねえ」
「いや、そんな事はないんだけど……失踪するんだったら一度はそこを見に来ると思う」
「ほな、今地図と行き方を書きますさかい」
「銀花ちゃん、今、鍵持ってるの?」
「へえ。たまたまやけど」
「じゃあ、僕は手紙を書くよ。必ずここで待っているようにって。……でも僕の言う事聞くかどうか分からないなあ……」
「ははは。今回だけは神田君の言う事聞くよ。ずーっと神田君が迎えに来てくれるの待ってる」
「ほんでウチん仕事の方の話なんやけど、やっぱり睡眠薬飲まされた後ん事、マフィアの誰がどないに絡んだか、ちーっとモスクワに行って調べてまいります。そんでこの音声を何人かのマフィアに聞かせて、この声の主、探して真相を調べて来ます」
「え?そんなの滅茶苦茶危険だろ」
「へー。しかしそれをしーへんと、樹里さんも安心できへんと……」
その時夜古が銀花の話を遮って妙にあっさりとした口調で話し出す。
「マフィアはさ、樹里さんのお父さまを脅すために、全然関係無い樹里さんや紗枝さんの純粋な思いを利用したよね。っていうかわざわざ手の込んだシナリオまで作って乙女の心をもてあそんだ。それって頭に来るじゃない。だからそいつが誰だかどうしても突き止めたくて。……仕事だけじゃないよ、これは」
「それは僕だってそれを突き止めたいよ。このままうやむやになってしまうのは耐えられない。……でも、それ本当にマフィアがシナリオ考えたのかな?そんな手の込んだ……」
俊哉は下を向いて考えているようだ。
* *
「湯河原に居てもらう件はうまくいきそうだね」
「これで、小鳥ん巣箱に鍵を置きに行った時に二人がばったり会わんよう祈るだけやわ」
「それは無いよ。紗枝さんは万一神田君を見かけても隠れている。だって失踪して心配させて、時間をかけて神田君に紗枝さんの事を考えさせるのが目的なんだから」
「そうやな」
「これでやっとこっちの番になった。樹里さんのモスクワ行きは予定通りで」
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