第4話 挑発
その日最後の授業が終わると夜古が銀花のクラスに入って来た。再び生徒たちが取り囲む。
「ええ~っ。本当にそっくり。双子の人形みたい」
しかし銀花と夜古は挨拶をしてさっさと教室を抜け出し、校門前に待機していた黒いジャガーに乗った。車が動き出すと待ってましたとばかりに夜古が話しかける。
「どう?面白い話、聞けた?」
「鯉沼さんは許婚言う事はみんな知ってはりました。やて樹里さんが神田さんにアタックしている事も、み~んな知ってはりました」
「へえ。隠してないんだ、何にも。でさあ、私も面白い話を聞いたよ。ホールの掃除の人が夕方、トイレのモップが無いって探してたって。ははは」
「ふふふ。それはけったいやな。ジュリエットは掃除好きなんや。ふふふ。ところで神田さんいう方はどないな様子でした?」
「彼は全然しゃべらない。もともと無口だっていう話だけどね。一緒にいる黒木紗枝って子がいつも一方的にしゃべって……」
その時、銀花の携帯が鳴った。鮫塚雄一郎からだ。
『銀花さん、調べていただいているんですか?娘の学校に転校されたんですよね』
『へー。よう分からはりましたなあ』
『樹里の友達が教えてくれました。すごい美少女の双子が転校してきたって』
『樹里さんの様子はいかがでっしゃろ?』
『いや……。意識は完全に戻りましたが、まだ何にも思い出せないようです。ほとんど何もしゃべってくれません』
『刑事さんからは何か聞かれはりましたか?』
『はい。水筒に睡眠薬を入れられるのは五名に限られると言っていました。しかしそれはみんな生徒さんなんですが、本当に生徒さんが絡んでいるんでしょうか?』
『ウチはこの話はちーっと複雑な話と思うとりますんやけど……。ところで鮫塚さま、二つお願いしたい事ございます。刑事さんと話したいんやけど、そん時にウチと鮫塚さまが知り合いだと言うてかまいまへんでっしゃろか?』
『銀花さん、もちろんです。では料亭の常連客という事で』
『へー。ほなそうしましょ。それで今回ん事も鮫塚さんから少し情報を聞いたと言ってよろしおますか?』
『はい。もちろんです。どうかよろしくお願いいたします』
『もう一つ、樹里さんとこ、お見舞いに行ってもよろしおますか?直接話を聞いてみたいんやけど』
『樹里はまだ精神的ショックが強いようであまりしゃべらず、あんまり人と会いたがらないんです。しかし話しておきますよ』
「へー。おおきに」
電話を切ると銀花が言った。
「どうも刑事さんは睡眠薬入れたんは樹里さんの前後五名と思うてるようや。神田さんの誕生日まであと二週間。こんままではなかなか進展しそうにないさかい、ウチ、刑事さんに話すわあ」
夜古もにやにやしながら言う。
「じゃあ、私は神田君にアタックしてみるよ」
「ふふふふ。たいがいにおしやす」
「ははは」
* *
翌日、昼休みが始まるとすぐに夜古は神田俊哉の席に歩いて行った。
夜古の席はクラスの後ろの方。俊哉は一番前だ。俊哉は昼休みが始まるとすぐに机に突っ伏して寝てしまった。夜古はその正面に立つとかがんで声をかける。
「神田君、メアド教えて?」
一斉にクラス中の生徒の視線が集まる。それはそうだろう。昨日転校してきたばかりの女子がなんでいきなり一人の男子生徒のメアドを聞くのか。しかもなんの変哲もない地味な男子生徒のメアドを。しかし俊哉は顔を上げると何も言わずにノートにメアドを書き、その部分をちぎると夜古に渡し、そしてまたすぐ顔を机にうずめた。夜古はそれをもらうと教室を出る。そして屋上に上がるとすぐに俊哉にメールを出した。
放課後、夜古が練習室の一つでヴァイオリンを弾いていると俊哉が入ってきた。かなり不機嫌そうな顔をしている。夜古がピアノの椅子を勧めたが俊哉は腕を組んでドアの近くに立ったままだ。夜古はちょっと恥ずかしそうに話し始めた。
「あの、神田君、来てくれてありがとう。来ないかもしれないと思ったけど……」
「あんな謎かけみたいなメール出されたら来ない訳にはいかないだろ」
「ごめんなさい」
「で、樹里さんとはどういう関係なの?」
「実はある人から頼まれて」
「はあ?誰から?」
「神田君、心当たりがあるでしょ。なぜ刑事に言わないの?」
「あのさあ、余計なお世話なんだよ。なんで樹里さんの事調べるために転校してきたのか知らないけどさ」
「私の目的は冷凍倉庫に樹里さんを入れた人が誰かを突き止めることなのよ」
「そう。……勝手にやれば」
「神田君だって知りたいでしょ。誰がこんなひどい事をしたのかって」
「別に知りたくない」
「う~ん……」
「あのさあ、樹里さんは誰が何をしたかを知っているんじゃないかと思うんだ。それを彼女が言わないのなら、ほっておいてあげればいいじゃないか」
俊哉がきっぱりと言うと、夜古は満面の笑みをたたえた。
「はいそうですね。意見が合いましたね」
「え?……」
「ははは。私もそう言ったのよ。『樹里さんが命をかけて守っている何かを暴く事はできない』って」
「……誰に?」
「犯人の特定を依頼してきた人に」
「……で?」
「その人は冷凍庫に運び込んだのはロシア・マフィアじゃないかって思ってるのよ。樹里さんのお父さまが仕事の関係でロシアの誰かに恨みを買って、その人がマフィアを雇って脅しをかけたんじゃないかって。それでその実行犯のマフィアが誰かを調べるのが私の目的なんだ。この学校の誰が絡んだかは、私には別にどうでもいいの。樹里さんが言わないんなら」
「……じゃあ楽屋からいなくなったのと冷凍倉庫に入れられたのは別の事件だと思ってる?でも、マフィアをどうやって調べるの?っていうか、どこまで知ってる?」
「まだ何も。皆が話している事だけしか。で、樹里さんのお見舞いには行ったの?」
「いや、誰もお見舞いに来ないで欲しいとクラスでは言われているから……」
「そう……で、どうして樹里さんは誰が何をしたかを知っていると思うの?」
「まず、睡眠薬を飲むと記憶が無くなる事があるって言うけど、それは飲んだ後の記憶だよね。飲む前の記憶が無くなるわけじゃない」
「そうだね。でも……それじゃあなんで樹里さんは誰に睡眠薬を飲まされたのか言わないんだろう?それが分からないよねえ」
「何か都合が悪くて言えないか、あるいは入れた人をかばっているかだと思うよ」
「へ~っ。やさしいんだ樹里さんは」
「っていうか気が弱いと思う。だって許婚が嫌なら父親に言って婚約解消すればいいだけの話じゃないか。何で婚約者をまいて楽屋から抜け出すような思い切った事したのか理解できない」
「え?それって樹里さんが自分で楽屋から抜け出したって事?だってフルートとカバンは置きっぱなしだったんでしょ?それでその後で誘拐されたって事?」
「いや、分からない。しかし彼女が楽屋からいなくなったのは、単に許婚に会いたくなかったから逃げたんじゃないかと思う。びっくりするような行動だけど。でもその後、本当に誘拐されたのか、何がどうなったのか分からない。……で、お前もしかして僕を疑ってる?」
「樹里さんが気が弱い人だっていうなら、だれか樹里さんの背中を押した協力者がいる事も考えなきゃいけないね」
「……」
* *
銀花は学校の狭い応接室で聞き込みに来た刑事と話していた。
「何?話したい事って。君、事件の後に転校して来たんだろ?」
刑事は黒皮の柔らかすぎるソファに座りにくそうに前かがみに座り、世田谷信用金庫と書かれたボールペンでトントンと机を叩きながら不機嫌そうに銀花を見る。
「へー。そうなんやけど。ウチ、推理小説のファンで……」
「…………そういうのマジ勘弁して欲しいんだけど。こっちは仕事で忙しいんだ」
「堪忍や。でもちーっとだけウチの話、聞いておくれやす」
「はあ。じゃあ、五分だけ」
「ウチはこの話は狂言だと思うとります」
「……お前なあ、推理小説なら最初から結論言っちゃだめだろ。……で?」
「まず、どないして密室から誘拐したかやなくて、なんでわざわざ密室から誘拐したかを考えます。犯人は何でわざわざ他の生徒さんがぎょうさんおる試験の会場から樹里さんを連れてったんやろ?推理小説マニアじゃないやて」
「いや、それはあんただろ」
「それでやね、ウチん知り合いで誘拐保険いうモン扱っとる方いらはるんで、ちーっと電話してみましょ。よろしおますか?」
「……いいよ」
銀花はiPhoneの音声をスピーカーに切り替えると、ブリティッシュ・ロイヤル保険に勤める年金数理人の豊橋に電話をかける。
『豊橋さん、お久しぶりです。お元気でっしゃろか?』
『いやあ、これはこれは銀花さん、ほんとーに久しぶりです。またロンドンに来る時があれば事前に教えてください。英国料理の将来を占えるようなレストランを見つけたんですよ』
『ふふふ。それは楽しみやなあ。ぜひ行きましょ。ところで今日は豊橋さんにお教えいただきたい事あって電話差し上げたんです』
『どうぞどうぞ、今、ちょっと時間がありますから』
『それはおおきにです。ほな、早速ですが、キッドナップ保険に関してです』
『ああ。最近伸びてますよ。すごく』
『睡眠薬、飲まされて誘拐されるっちゅう事はぎょうさんあるんでっしゃろか?』
『ははは。銀花さん、相変わらず刺激的な生き方していますね。まず統計的な説明をしておきますね。世界のキッドナップの九十%は大人です。キッドナップというと子供の誘拐のように感じますが、警察に届出られた事件ベースでは大人がほとんどです。で、地理的に見ると世界の誘拐の半分は中南米で起こっています。次に多いのがアフリカ、中東、そしてロシアも多くなってきています。次に誘拐される状況ですが、そのほとんどが通勤途中かレジャーへの行き帰りの時で、仕事中がそれに次ぎます。自宅に押し入られての誘拐というのもあります。
で、何が言いたいかというと、睡眠薬なんか飲ませてタラタラやっている状況ではないでしょうね。銃で脅して一分以内に連れ去っているのだと思いますよ』
『なるほど。そうでっしゃろね。日本はどないな状況やろか?』
『アジアでの誘拐は十七%ですが、そのほとんどがパキスタンと東ティモール。日本も含めたその他のアジアの国では誘拐はかなり少ないと言えます。で、睡眠薬を使うかどうかなんですが、これに関しては私の業務とは関係ない個人的な感想を言っていいでしょうか』
『へー。よろしうお願いします』
『ほとんどあり得ないと思いますよ。なぜならば眠らせてしまったら運ぶのが大変じゃないですか。銃で脅して『車に乗れ』って言った方が早いでしょ。だから銃が普及していない地域では誘拐が少ないのだと思いますよ。まあ、睡眠薬が使われるのは、被害者を動かさなくていい場合。さらに被害者に何か後ろめたいことがあって、誰に飲まされたか分かっても訴えにくい場合のような気がするんです。たとえば、銀花さんにこういう例え使って申し訳ないんですけど……デリバリーなんとかをホテルの部屋に呼んで昏睡強盗にあったとか。みっともなくて届けられないでしょ。ははは』
『なるほど。ようわかりました。すばらしいです。貴重な情報をおおきに』
『えっ?貴重ですか』
『へー。ほんまに』
銀花は電話を切るとまた刑事に向き合って噛みしめるように話し出した。
「あの日に楽屋からいなくなって、一番損したんは許婚の鯉沼さんや」
「……お前、なんで名前知ってるんだ?」
「へー、樹里さんのお父さまからお聞きしはりました」
「え?お父さんにも話したの?」
「実は、雄一郎さまとはずーっと昔からの知り合いで、私がこん学校に転校するなら学校ん中からも調べて欲しいと頼まれはりました」
「……それならそうと早く言えよ。俺たちだって当然、狂言の線は考えたさ」
「最近、樹里さんは許婚の他に好きな人がおるんやて」
「え?……」刑事はここで初めて銀花の顔をまともに見る。
「ふふふ。やはりこういう事は、他の生徒さん、だーれも刑事さんにはいーひんよな」
「……」
「だから、鯉沼さんに分からんように変装してロビーから出たちゃいますか。モップを持って」
「変装の可能性は出てるよ。しかし、分からない事がある。じゃあ、楽屋からいなくなったのは自分で抜け出たんだとしても、冷凍倉庫に運ばれたのも狂言なのかよ。それこそ動機が分からないだろ。死にかけたんだよ」
「雄一郎さまは、運びこまれた時ん映像を見ると堂々としてマフィアみたいなプロん犯行だ、言うてはりました」
「そうだね。それでプロならリスクも考えるから、小娘の狂言にそこまで付き合わないだろ、ちょっとぐらい金もらっても。で、もう一つ考えられる可能性がある。楽屋から失踪したのは自分の意思で、その後、たまたま同じ日に誘拐されたという事だよね……。でもそんなの偶然過ぎるし、……睡眠薬の話、知ってるだろ」
「へー。水筒ん中の睡眠薬が、樹里さんの尿から出たモンと同じ薬だった話やろ」
「そう。だからこれは一連の出来事だと考える方が自然だろ」
「はあ。さすが刑事さんは読みが深いなあ」
「いや、そのおだては見え透いているだろ。……それでも万一、失踪と誘拐が重なったと仮定すると、考えられる可能性は二つ。最初は控え室の水筒に睡眠薬入れて眠らそうとしたんだけど、樹里さんがそれを飲まずに抜け出してしまって、後でどこか外で改めて飲ました。もう一つの可能性は、最初から計画的に外で睡眠薬を飲ます事になっていてそれは成功した。しかしそれに加えて何かの目的でわざわざあの場所から誘拐したように見せたかった」
「最初の可能性ん場合は、からんでいるのは学校ん関係者やろね。外ん人ならわざわざ生徒さんのぎょうさんおる楽屋に来て睡眠薬を入れて眠らそうとしーへんよな」
「そうだよ。だから生徒さんの聞き込み一生懸命やってるんだよ」
「へー。ほんに深く考えてはりますなあ。完敗やなあ」
「いや、だから俺をおだてるなって」
「ほな、もう一つん可能性の場合、誰かがわざわざ楽屋から誘拐したように見せたかったっちゅう場合やけど、これの場合だと、なんでそう見せたかったんやろ?」
「いや~、捜査撹乱ぐらいしか思いつかないんだよ……」
「そん場合は樹里さんに睡眠薬を飲んでもらうちゅう目的ではおまへんやから、樹里さんがいなくなった後で睡眠薬を入れた水筒持って来てもいいんやなあ……」
「…………(なるほど)……ま、まあいずれにしても学校での聞き込みはもう少し範囲を広げてみるよ」
「へー。どうぞよろしう」
「で、最近読んだ推理小説でどんなのが良かった?」
「……」
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