第3話 転校

 翌日、朝七時の成城音楽高校。朝一番で登校してきた女生徒たち五~六人のグループが校庭を歩いている。その時、黒塗りのクラシックなジャガーが校門から入ってきて、ゆっくりと彼女たちの横を通り過ぎると校舎の正面玄関前に止まった。運転手が降り、白い手袋をした手で後部座席、左右両方のドアを開けると、それぞれのドアから少女が降り立った。

「あれ、転校生だ。どのクラスかな」

三十名のクラスが一学年に二つ。全校でも百八十名という小さな学校だから生徒たちは学校全体に関心がある。車から降りた二人が人形のような顔立ちをした美少女で、さらに双子のようだったからなおさらだ。

「なんか雰囲気があるね~」


 一限目の最初に、先生に連れられて銀花が教室に入ると歓声が上がった。二十名の女子からは「かわい~」という声が、そして十名の男子からも「お~っ」と低い声が。銀花はホワイトボードに自分の名前を書いて自己紹介する。

「ウチは源 銀花みなもと ぎんか申します。今まで京におりましたさかい、京訛りなんは堪忍や。楽器はヴァイオリンです。どうぞよろしう」

「かわい~。お人形さんみたい」

それから銀花は再びホワイトボードの方を向くと、自分の名前の隣に『源 夜古』と書いた。

「実はウチらは双子やて、夜古やこいうモンが隣んクラスに入ってきとります。夜古もヴァイオリンです」

「へえ、二人とも名前、かっこいいなぁ」

男子生徒は見た目を大っぴらにほめられないので、名前をほめたようだ。


 最初の休み時間になるとすぐに銀花の周りを生徒たちが取り囲んで質問攻めにした。そしてそれが一段落すると、銀花も一つだけ質問をする。

「となりの席の人はお休みされてはりますか?」

 するとその言葉が引き金になって、次から次へと事件について大勢の生徒が話し出した。それはそうだ。その席の生徒、鮫塚樹里は命に別状が無かったのでこの事を話題にしても後ろめたさはない。そうなれば青春真っ盛りの彼女たちにとって、自分のクラスの実技試験中に起きた誘拐事件、しかもダンボール箱に入って父親の会社の冷凍倉庫で発見されたという特異な事件について夢中にならないわけがない。彼女たちの話した事の要約は次のとおり。

 ホールのロビーの左脇に楽屋に行くドアがあり、そこから階段を降りると地下に廊下が伸びていて、その横に右一列に並んで次の部屋がある。

『男子トイレ』『女子トイレ』『給湯室』『練習室』『控え室(男性用)』『控え室(女性用)』『倉庫(当日は鍵がかかっていた)』そして控え室を入るとその奥に更衣室がある。

廊下の突き当たりは一階に上がる階段になっていて、階段を上がると舞台の下手側の袖に出る。階段の横にエレベーターもあるがこれは地下と一階の舞台の袖だけにしか止まらない。ピアノや大道具を地下の倉庫に運ぶためだけの設備だ。

つまり楽屋といわれるこの地下の一帯にはロビーからか舞台の袖からしか行けない。

 試験の日、樹里は極めて上機嫌で、フルートの演奏も会心のできだったようだ。もっとも伴奏をしたのが最近樹里がアタックしていた神田俊哉だったから。俊哉は隣のクラスのピアノ専攻。特に見た目がカッコいいわけではなく口数も少なくて暗い雰囲気。しかも幼馴染の黒木紗枝がいつもビッタリくっついている。どう考えても樹里にとっては「対象外」なのに樹里はさかんに「いい」と言っていたという。(ちなみ紗枝はこのクラスの生徒だが、今も俊哉のクラスに遊びに行っている)

しかも樹里にはなんと婚約者がいる。当日もホールのロビーでその人がずっと待っていた。バレンタインデーだからデートの予定だったのだろう。しかし試験が全て終わっても樹里が出てこないし携帯も通じない。そこで彼が先生の所に言いに来て、それから皆でホール中を探したが、樹里はどこにもいなかった。しかし樹里の楽器とカバン、それと水筒は控え室に残っていた。

 それからすぐに樹里は父親の会社の冷凍庫で見つかった。命に別状はないがしばらく入院するという。そして翌日から連日のように刑事さんが来て聞き込みをしていった。特に、演奏の順番が樹里の前後の四名が、控え室に何時に入ったか、樹里を見たかなど何度も聞かれてゲンナリしていた。おそらく誰かが樹里に睡眠薬を飲ませて眠らせ、楽屋から運び出したのだろう。だから刑事さんは誰が睡眠薬を水筒に入れたかを必死に探っているようだ。


 そこで銀花が質問する。

「最後に樹里さんを見たんはどなたでっしゃろ?」

「それは知美だね。そこ大事なポイントだよねえ、知美」

そして知美という生徒が前に出て来て樹里の様子を早口でしゃべる。

「私がドレスに着替えて更衣室から出てきた時に、ちょうど樹里が舞台から戻ってきたのよ。なんかすごい上機嫌だったから試験がうまくいったんだと思った。それから水筒のお茶を飲んでいたような気がするけど、そこのところは刑事さんから何度も聞かれたんだけどちょっと自信が無いんだよね。飲んでいたかどうか。それから樹里は私服に着替えて「じゃあさよなら」って言って控え室を出て行こうとしたんだけど、楽器とかカバンとか持っていなかったんだよね。その代わり紙袋を持っていた」

「よく見てはりますね。他ん方の持ち物とか」銀花がすかさずチェックを入れる。

「私の場合、前にヴァイオリンを電車に置き忘れて大変な事になってさ、だから他の人から『さよなら』って言われると、つい楽器を持ってるかどうかチェックしちゃうんだよ」

まわりの生徒たちが「そうそう」という感じでうなずく。

「それで?」銀花が聞く。

「『楽器忘れてるよ』って言ったら樹里は『ちょっとトイレに行くからここでさよなら』って。まあ、私は試験に行ってしまうから、その前にさよならだけ言ったのかなって思った」

「それでトイレで眠っちゃったんじゃない?」他の子が言うと、また回りの生徒たちがうなずく。

「そうだよ。やっぱり演奏が終わってから水筒の中の物を飲んで、それでトイレに行って眠っちゃったんだよ」

「だから刑事さんは水筒に睡眠薬を入れる事のできる何人かに何度も質問しているんだよ」

「ええ~。私、疑われているの?」

「ははは」

教室中に女生徒たちの明るい笑い声が響き渡る。銀花が質問する。

「樹里さんはどないな服着てはりました?」

「ああ、そうそう。細かい花柄のワンピでさあ。びっくりしちゃった。だってあの子、いつもジーンズにトレーナーみたいな感じでしょ」

「バレンタインデーだから。これからデートですっていう事でしょ。東大生の彼とさ」

「でもさあ、それでトイレで眠っちゃったとして、誰がどうやって運びだしたのか分からないじゃない」

「誰も見ていない時に誰かが倉庫に移して夜まで寝かしておいたんじゃないかな」

「でも倉庫の鍵はかかっていたんでしょ」

「そんなの合鍵作れる人もいるから簡単でしょ」

「そうかな~。熟睡している人を運ぶのも結構重いって言うし、そんなにうまくいくかな」

「実は地下二階があって、エレベーターに秘密の暗号を入れると行けるとか」

「ははは。エレベーターの天井の上に上げるという方法もあるね」

「まさかあ。眠っている人を持ち上げられないでしょ」

「でもさあ、湾岸の倉庫で発見されたのが七時頃だっていうから、運び出したのは六時ぐらいまででしょ。樹里の演奏が四時ぐらい……試験が終わってみんなで探したのは六時頃だから、その間に運びだした事になるよね。試験中はいつも誰かが出入りしているから、誰にも見つからずに運びだすなんて無理じゃない?生徒に共犯者がいるって事になるのかな?」

「で、刑事さんはなんぞ言ってはりますか?」

「分からないって。大勢の人が出入りするから指紋も使えないって」

「犯人だったら指紋なんて残さないよね~」

「はははは」

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