第2話 誘拐

 二週間後の二月十六日、銀花は鮫塚雄一郎からの電話を取った。

『銀花さん、お久しぶりです。またお力をお借りしたくてお電話いたしました』雄一郎が少し震える声で言う。怒りを必死に抑えている様子が電話口からも感じられる。

『どうなされはりました?』

『実は娘が誘拐されました。しかしすぐに犯人から連絡があり、会社の冷凍倉庫の中でダンボールに入れられている所を発見されました』

ぼそぼそと鮫塚が説明した経緯は次のとおり。

 鮫塚の一人娘、樹里は音楽高校の二年生。一昨日、ちょうどバレンタインデーにクラス全員が出る実技試験があった。この試験は外部のコンサートホールを借りて行われる公開形式で多くの父兄が参観に来ていた。樹里の演奏が終わってから樹里の婚約者である鯉沼がロビーで待っていたのだが、いつまでたっても樹里が出てこない。携帯にも出ないので、試験がすべて終了してから楽屋に行き、先生に言って残っている生徒で会場の隅から隅まで探してもらった。その結果、樹里の持ち物は控え室に残っていたが、本人はどこを探してもいなかった。

雄一郎が鯉沼からの連絡を受けて警察に連絡しようかどうしようか迷っていた時に、雄一郎の携帯に匿名のアカウントからのメールが来た。

『倉庫に新商品の見本を入れておきました。キャビアの扱いはもうお止めいただいて、今後はこちらを販売してください』

そして眠っている樹里の写真が添付されていた。会社の倉庫に駆けつけて大きな冷凍倉庫の中を探すと、眠らされてダンボール箱に詰められている樹里がいた。


『お嬢様んご容態はいかがでっしゃろ?』

『発見された時は仮死状態でしたが一命をとりとめました。数時間後に意識は戻ったのですが、まだもうろうとしているようで一言もしゃべりません。それと手足が凍傷にかかっています』

『警察に連絡されましたんやろ?警察はなんと?』

『娘の尿から睡眠薬が検出され、それと同じ成分がホールの控え室にあった娘の水筒からも発見されたそうです。だからそこで睡眠薬を飲まされ、眠らされて誘拐されたのではないかと……。しかし、不思議な点があって、警察では頭を抱えています』

『と言わはりますと?』

『楽屋に行く廊下の入り口はロビーに面した扉、一箇所だけです。ロビーでは鯉沼君がずっと待っていました。反対側は舞台の袖に出るようになっているのですが、こちらにはアナウンス係の先生がいて、こちらもずっと見張られている状態です。それに控え室、ロビー、舞台の袖などどこにも生徒さんがたくさんいますから、とても眠らせた樹里を運びだす事などできないのです』

『ほな密室から誘拐されたーちゅうわけやね。犯人については警察はなんぞ言うてはりますか』

『警察は大胆なやり口から、マフィアのようなプロの犯行ではないかと。なぜかと言うと、うちの倉庫にダンボール箱を運び込んだ時のセキュリティ・カメラの画像が残っているのですが、実に堂々と営業時間内である六時半に男性二人で運び込んでいます』

『倉庫ん入り口でチェックはあるんやろか?』

『門の受付で会社名と荷物の中身を言うと入れてしまうんです。それで調べたところ偽の申告が一件ありました。』

『ほな毒物とか運び込まれてもよう分からんちゅう事やな』

『まあ、そうなんですが、受付で申告した会社名が実際の取引先だと、それ以上は調べません。この業界はそんなものです』

『ウチらは何をすればよろしいんでしゃろか?』

『銀花さんには誰が樹里を誘拐したか、それとどうやって楽屋から運び出したかをつきとめて欲しいのです』

『ほな送られてきはった娘さんの写真を送っていただけんやろか』

雄一郎はすぐに銀花に犯人からのメールを転送した。ゆるくカールする金髪の間から透き通るような白い肌がのぞく。安らかに幸福そうに眠る樹里の横顔が写っている。しばらくの沈黙の後、銀花が言う。

『申し訳あらしまへん。こん話はお受けできまへん』

銀花の意外な返答に雄一郎が驚く。

『え?どうしてですか?』

『娘さんが命をかけて守っている何かをウチが暴くことはできまへん』

『え?どういう意味でしょうか?』

『まあ、そのうち警察でも分かるやろ』

雄一郎は上ずった声を出す。

『お金は必要なだけ払います』

『もう娘さんは戻りはったんや。……これ以上なさりたいん事は何でしゃっろ?』

『キャビアのルートを開拓する時に色々恨みを買いましたから、そいつらの誰かがマフィアを使って脅しをかけてきているのだと思います。もちろんそいつらには報復するつもりです。しかし今後もそんな連中は際限なく現れてくるでしょう。だから私は実行犯のマフィアの方にも釘をさしておきたいのです。どのマフィアを使ったかをつきとめて。今後も誰方が同じような依頼をした時にマフィアの方でそれを安易に受けないように』

『へえ、マフィアを脅すと……』

『そうです。娘を誘拐されて冷凍庫に入れられて、黙っていられません。しかし警察はロシアのマフィアを捜査する事をあきらめているように見えます』

『そうでっしゃろね……しかし、申し訳あらしまへん。こん件は受けられまへん』

『なぜですか?』

『こん件は受けられまへん。堪忍や』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る