誰がジュリエットを眠らせたのか

北風とのう

第1話 依頼

 寒さの厳しい二月一日の京都。竹林に囲まれた料亭の離れ屋で三人の少女が対峙していた。時折強く吹く風が竹林をゆらし、障子に囲まれた部屋にもそのざわめきが聞こえてくる。


鮫塚さめづかさま、ほんに結構なモンいただいて、おおきにです」

テーブルの上にはキャビアの一キロ缶がどんと置いてある。その向こうには和服を着た女将おかみが二人。そろって畳に手を付いてお辞儀をしたところだ。女将と言っても二人ともまだ十五~六歳。日本人形のような端正な顔立ちだ。二人は双子なのだろう。ほとんど見分けが付かない顔をし、ご丁寧に和服まで同じ柄の物を着ている。

一方、テーブルの手前側には、これまた一際目を引く少女が座っている。輝く金髪をした鮫塚樹里さめづかじゅりだ。樹里はひどく緊張した面持ちで、下を向いたまま小さな声でしゃべった。

「父の会社が輸入している物です。でも私は嫌いなんです」

すると右側の女将が、樹里の緊張をほぐすように明るく答える。

「ええ?そうなんですかあ?私、キャビア大好きです。どうもありがとうございます」

樹里は顔を上げ二人の女将を交互に見ると、覚悟を決めるように一呼吸してから話し出した。

「私の母はロシア人です。三年前に両親が離婚して、母はロシアに帰ったのですが、昨年末に亡くなりました。そしてこの遺書が送られてきて、その中に銀花ぎんかさんの事が書いてあったのです。どうしても解決できないような困った事があったら、こちらに来て相談するようにと」

彼女の父、鮫塚雄一郎は、ソビエト崩壊の混乱時に莫大な資産を築いたニコライ・エミリヤネンコの三女ナターリヤと知り合って結婚し、二人でロシアの物産を輸入する会社を創った。そして二十年かけて年商一千億円にまで成長させる。しかしその家庭を顧みない仕事中毒で頑固一徹な性格が災いし、雄一郎は三年前に離婚されてしまう。最近はそれにもめげずにキャビアを仕入れる独自ルートを開拓するために奔走していたという。


 そこまで言うと樹里は下を向いてしまったが、やがて勇気を振り絞るように膝の上の両手を握り締めると一気に話し出した。

「あの、そ、それでお願いしたい事なんですが……。私には父の決めた婚約者がいます。しかし、その人ではなく…………ほかに実は……片思いの人がいます。その人に振り向いてもらって、その人の誕生日を一緒にお祝いしたいのです。母の故郷であるペテルスブルグで」

「……」

「……」

離れ屋に沈黙が流れる。普通ならひいてしまうような樹里の依頼に対して、しかし女将たちは少しも驚かず、やがて左側の女将がわずかに微笑んで噛みしめるように言った。

「あんたさんは幸運やな。ここにおわす夜古やこは人の心を操るんや」


 樹里の話は次のとおり。

樹里は成城音楽高校の二年生で専攻はフルート。この年で既に父が決めた許婚の鯉沼こいぬま一郎がいる。父が共同でキャビアのルートを開拓した鯉沼啓一の長男で東大の一年生だ。鯉沼青年への父の惚れ込みは大変なものだと言う。樹里は断るのも悪いと、なんとなく鯉沼と付き合っていたが、最近になって他に好きな人が出来た。隣のクラスのピアノ専攻生、神田俊哉としやだ。まず鯉沼と別れたいが、どうしても言い出せない。それにたった一人の肉親である父とは喧嘩したくない。しかし父は強引で頑固なので、鯉沼と別れたいと言ったらまず断絶状態になるだろう。

一方、俊哉には黒木紗枝さえという幼馴染がいる。紗枝は俊哉の事が大好きで音楽高校にまでついてきたほどだ。俊哉のほうは紗枝を友達としか見ていないようだが、二人が親密な事は間違いない。樹里も俊哉にピアノ伴奏を頼むなど、思い切ってアタックしてみたが、いつも紗枝が傍にべったりくっついていて満足に話もできない。ある時など伴奏の打ち合わせのために学校近くのファミレスで俊哉と話したのだが、紗枝がこっそりつけてきて遠くから様子を伺っていた。ストーカー紛いの行為までされたと言う。なんとか紗枝を引き離して自分にもチャンスが欲しい。だから俊哉をロシアに連れて行って、二月二十八日の誕生日の時に一気に勝負をかけたい。

 銀花が噛みしめるように言う。

「では、ウチらに頼みたいんは次の三つーいう事でよろしおますか?

  一、 お父様と喧嘩別れせんように鯉沼さんとの婚約を解消する

  二、 紗枝さんを神田さんから引き離す

  三、 神田さんをロシアに連れて行き、神田さんの誕生日をお二人で一緒に過ごせるようにする

で、特に三が重要っちゅうことやなあ」

「はい。そのとおりです」

「この三つん事は同時にやらんといきまへんなあ」

「いかがでしょうか。何とかロシアまで連れてきていただければ、後は自分で頑張ります」


「どないな感じやろか?」

銀花が夜古の方を見る。夜古は少しの間うつむいて考えていたが、やがて樹里に聞いた。

「じゃあ質問。その神田さんってどんな人なの?三つの言葉で表現してみて」

「“やさしい”……“頭がいい”……それから“責任感と行動力がある”」

「ブッブー。あなたは四つ言いました」

「……」

「ははは。じゃあ、神田さんの趣味は何?」

「あの、推理小説を読む事です」

「ははははは」

それを聞くと夜古は一人で大笑いしたが、やがて落ち着いて言った。

「分かった。やるよ」

しかし真剣な顔で樹里を見ながら続ける。

「……しかしね、一つ条件がある」

「何でしょうか?」

「この話に命かけてもらうよ。もしかしたら死ぬかもしれない」

「……はい。それで結構です」

すると今度は銀花が聞く。

「お金はなんぼまでなら動かしはりますやろか?」

「もちろん母の遺産が入ったからこちらに来たのです。三千万円でいかがでしょうか」

「へー。ほんで大丈夫です」

夜古は銀花がうなずくのを確認すると、樹里の方を向いて言う。

「じゃあ樹里さん、早速ですが成城音楽高校に匿名で一千万円ほど寄付してください」

「え?」

樹里が戸惑っているのを見て銀花がフォローする。

「お金はみーんな必要経費やて、ウチらがいただくのではおまへんのや。いつでも現金を動かせるようにしておいてもろうて、ウチらが『こん方に払っておくれやす』とお願いした時その通りに払ってもらいたいのです。学校側には匿名ん寄付を受けてくれはるように話しておきますさかい」

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