覚醒サブジェクト

 俺は、山乃葉マリに担がれるようにして、細い廊下を歩きながら地上へと向かっていた。俺たちの他にも多くの施設関係者達が、連なるようにして階上を目指している。地上へ向かう通路は蜘蛛の素状に分布しているため、それぞれ集団になり、方々の出口へと向かう。


「もうすこしで、外だ」


 そう言うと、隣で山乃葉マリは大きく頷いた。階下の施設で何が起こっているのかは判然としないが、立て続けに鳴り響く振動と爆発音、それと、先ほどの篠川室長のアナウンスとを合わせると、尋常ならざる事態に陥っていることは容易に連想出来た。


 薄暗い階段を昇り切ると、そこは講堂の壇上裏だった。

 表へ顔を出すと、構内には避難してきたと思しき沢山の生徒が身を寄せる様にして犇き合っていた。

 突然壇上へ現れた人々の姿に、生徒達の視線が集中する。広々とした空間へ出ることが出来た機関関係者達は、一斉に駆け出し、講堂の出口を目指していく。


「アンタ、どうしたの!?」

「十柳クン!」

「先輩?」


 幾つかの声が重なり、数人の生徒がこちらへと駆け寄ってきた。それは織守千尋、伊鞍彩香であり、遅れるようにして深影美薗の姿もある。三人とも真っ赤に染まった俺の腹部を見ると、驚愕の表情を浮かべた。


「ちょっと、何があったの!? てか、その女は……?」


 違う制服を着ているからか、織守が山乃葉マリを見て眉を顰める。

「今は、あまり話をしている時間は、無いんだ。とにかくここから逃げないと……」

 俺はどうにか気を保ちながら、三人に向けて告げる。

 階下では未だ、断続的に振動が起こっている。それでも、見慣れた生徒達の姿を見たことで、少しの安心感を覚えた。


 その時、深影美薗が俺の背後を見ながら「あっ」と声を上げた。

 後方から「グルル……」と獣が唸るような声。


 振り返ると、俺たちが出てきた壇上の裏手から、一匹の獣が姿を現していた。

「きゃあっ!」

伊鞍が声を上げる。

「か、怪獣です!」

「何なの、コイツ!?」

そう叫んだのは織守だった。

 その声は講堂内に響き渡り、動揺がその場にいた生徒達に、さざ波のように広がっていった。


 それは、獣と呼ぶにはあまりにも異形だった。

 伊鞍が評した怪獣という表現は、間抜けだけれど、実に的を得ている。

 二本足で佇む、硬質の肌をした爬虫類のような化け物。


 拍子木平太郎の言っていたことは、やはり真実だったのだ。

 恐らくこいつが現れたせいで、地下施設は狂乱の最中にあるのだろう。

 そして、講堂内にも幾多の叫び声が反響し、生徒達が逃げ場を求め駆け出していく。


「グルルル……」

 化け物は低い唸り声を上げ、こちらに視線を送る。射竦められる暇も無く、化け物は膝を折り曲げ、そして飛び掛ってきた。

「きゃあああああっ!」

 空気を切り裂く様な女性の叫び声。

 爬虫類の凶暴な顔が俺の目の前に迫ったかと思うと、バンッ! と言う破裂音が鳴り響く。途端、化け物が遥か後方へと吹き飛び、壇上上方に掲げられた、高校の校章が記された看板に叩きつけられ、力なく落下していく。

「な、何だ……?」

 何が起こったのか、全く理解出来なかった。

 化け物が弾き飛んだ。誰かが、弾き飛ばしたのか?

 横で俺を支えてくれている山乃葉マリに視線を送る。

「……お前が、やったのか?」

 しかし、山乃葉マリは大きく首を振った。彼女もまた、目の前で起こった現象が理解出来てはいないようだ。

「じゃあ、一体何が……」

 俺は背後を振り返った。そこには、それぞれ身を庇うようにして、前方へ手を突き出しいる三人の女性の姿があった。

「まさか……」

 この女性の誰かが、あの化け物を弾き飛ばしたのか!?

 しかし、そうなると――。

「グルル……」

 四つん這いになった怪獣が、口から涎を滴らせながら呻く。


「п¢щ!?」


 そこへ、甲冑に身を包んだ巨大な体躯をした男が現れ、まるで空き缶でも蹴るように怪獣を蹴飛ばした。

 子犬のような叫び声を上げ、爬虫類がゴロゴロと壇上を転がる。男は抱えていたモノをそっと置くと、すかさず斧を振り、怪物を一刀の元に切り伏せる。

「вкёдн……」

 巨躯の男が、緊張感のない声で何事か呟いた。

「いや、違う場所から上ったんだ。きっと、出口は他にも沢山あるんじゃ……」

 弱々しく立ち上がったのは、先ほど大男に抱えられていた、拍子木平太郎だった。

「魔王はどこへ向かったのでしょうか……」

 その横に、白いローブを身に纏った女性の姿。


「何なんですか、これ……」

 深影美薗が呟くように言った。その顔には疲弊の色が滲んでいる。

 見れば、伊鞍はその場にへたり込むように座っていて、織守の額からは一筋の汗が流れている。

「お前ら、今……」

 彼女たちが何をしたのか、もしかしたら、眠っていた特殊な力が発動したのか、それを問おうとしたのだけれど、しかしそれは講堂内を揺るがす轟音によって阻まれてしまう。


 ズガァァン! 

 けたたましい音が鳴り響き、講堂は縦横に激しく揺れ、天井に巨大な穴が空いた。人の居なくなった床面に鋼鉄の建材がバラバラと崩れ落ち、そして、穴の中から小さな物体がゆっくりと舞い降りてくる。


『見つけたぞ、虫ケラ共』


 その小さな物体が発したのだろうか、声が俺の頭の中に響き渡る。

「グリウル!」ローブの女性、サーリが声を上げる。

「……кШа¢!」巨躯の男が歯噛みした。


『儂を虚仮にしたその愚行がどういう意味を持つか、思い知らせてくれる!』


 光沢のある黒いローブの内側で、その人物の目が妖しく光った。子供にも思える褐色の顔は、はち切れんばかりの怒りで満ちている。思わずへたり込みそうになってしまいそうな圧力が、その少年の小さな身体から発せられていた。


 突如、風を切り裂く音がしたかと思うと、少年の周りに紫色の球体が表れる。

 バチバチと音を鳴らし、その球体が何かを弾いた。それは、大柄な戦士が投げた小振りの剣で、力なく落下した小剣は、軽い金属音を立てて床に転がった。


『愚かな……己の力量がまだ分らぬか』

 少年が顔を歪める。

「эη……!」

 甲冑の男は再度歯噛みした。

『灰燼に帰せ!』

 そう言うや否や、浮遊している少年は両手を広げた。見る見るうちに、紫色の光の渦がその手に収束していく。

「п¢п! κёщэ!」

 甲冑に身を包んだ男が叫ぶ。それに合わせてサーリが走り、男は拍子木を抱え、講堂内を駆けた。

「良く分からないけど、ヤバそう。動ける?」

 山乃葉マリが言う。

「ああ」

 俺は頷き返した。無理だと言っていられる状況ではなさそうだ。

「こいつらを……!」

 俺は山乃葉マリから離れ、呆然としている深影と織守を指差した。山乃葉は深く頷き、彼女らの手を掴むと、講堂の入り口目指して駆け出した。

「伊鞍、立てるか!?」

 ぐったりと項垂れている伊鞍を引き起こし、俺も必死に彼女たちの後を追う。


 その時、上空で漂う少年の掌から、無数の光弾が発射された。それは床面へと降り注ぎ、講堂内の至る所を吹き飛ばしていく。 

 幾多の爆発音がそこら中で鳴り響く。最早、振り返っている暇など無い。

 先を行く山乃葉たちが講堂の入り口に辿り着いた。

「こっち!」

 山乃葉マリが振り返り、俺を急かす。もうすぐ、外へと出られる!

 その間も背後で爆発音が迫っていた。

 腹部の痛みは更に増し、思わず膝が抜けてしまう。


「チュウ!」

 誰かが俺の名を呼んだ。

 拍子木の声? 

 振り返ると、一筋の光弾がすぐ目の前に迫っていた。

 直撃する!?

 力を振り絞り、入り口に向けて伊鞍を突き飛ばした。

 同時に、周囲に紫の光が溢れる。


 瞬間、さっきまで鳴り響いていたはずの音が、一切聞こえなくなった。

 目の前が真っ白になり、俺の全身に奇妙な浮遊感が漂う。

「―――ッ!」

 どこかで山乃葉の声が聞こえた。

 それが何と言ったのか、俺にはわからなかった。

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