山乃葉マリの激動
地下六階の廊下を走る。
もう間もなく、山乃葉マリが閉じ込められている部屋だ。
問題は、どうやって施錠された鍵を開けるか。
三上が素直に鍵を渡してくれるとは思えない。俺の力で彼女をねじ伏せられるだろうか。
……どうにも難しそうな気がする。
あの三上と言う女性は、雰囲気的に、護身術くらいは習得していそうだ。
それでも、とにかくやってみるしかない。
俺はモニタールームの扉の前に立つと、ドアに手をかけた。
しかし、扉はロックされていて開きそうもない。どうやら電力は完全に復旧しているらしい。
IDカードを取り出し、タッチパネルに翳した。これで、俺がこのドアを開いたことが、データとして記録されたはずだ。
いや、それよりも、すでに監視カメラに映っている。
後のことを考えるだけ無駄だ。
ドアがスライドし、俺はモニタールームの中へ足を踏み入れる。
三上が居ない――と思いきや、床に伏せるようにして倒れている彼女の姿があった。
「三上さん!?」
慌てて駆け寄ると、彼女は小さいながらも、呻き声を上げた。
どうやら息はあるようだ。
一体何故……と、考えるまでも無い。
山乃葉マリの力だろう。
側にいたコウスケを死に至らしめたほどだ。壁越しだろうと、その影響は免れなかったのだろう。
体の内側は、大丈夫だろうか。心配だが、手当てを呼んでいる時間は無い。
「すみません」
俺は謝りつつ、彼女の服を探る。
上着のポケットに、錠前を開く鍵が入っていた。それを手に取り、それから、緊急用の連絡ボタンを押す。
これで、しばらくすれば誰かが三上の救助に駆けつけてくれるはずだ。
俺は部屋の入り口へと取って返し、廊下を出て、彼女がいる部屋へと向かった。
鍵を解錠し、錠前を廊下へ投げ捨てる。
「山乃葉!」
そう叫びながら、俺は扉を開いた。
すると、扉のすぐ横に、背中を預けるようにして立っている彼女の姿があった。額も、首筋も、制服も、何もかも汗だくで、疲れきった表情を浮かべている。
「あれ……あんた、また来たの」
山乃葉はそう言って、目を丸くする。呼吸が荒く、肩を大きく揺らしている。
「だ、大丈夫か!?」
「誰か来たら、これで殴ってやろうと思ってたのに……」
彼女は苦笑いを浮かべ、手にしていた分厚い本を床に落とした。ジャラリ、と手につながれた鎖が鳴る。かなり消耗しているのか、もう腕に力が入らないのかもしれない。
「歩けるか!? 逃げるぞ!」
山乃葉の肩を担ぎ、部屋の外へと連れ出す。
「……あんた、何、言ってんの?」
「時間が無い! 急ごう!」
山乃葉を引き摺るように、エレベーターへと向かう。
電力が復旧した今なら、これで最上階まで上がれるはずだ。そうすれば地上まではあと少し。彼女を自由にしてやることが出来る。
俺はエレベーターの前に立ち、ボタンを押した。
タイミングよく、チン、と音が響く。
「乗るぞ!」
彼女を担ぎなおし、いざ、エレベーターに乗り込もうとすると、
「そこまでだ」
冷たい声が響き、俺の眼前に銃が突きつけられた。
「……まさか君が、このような行動に出るとはな」
そう言ってエレベーターから降りてきたのは、篠川所長だった。所長は銃を突きつけたまま、俺に下がるよう、顎をクイと上げる。
「閉じ込められた、か。咄嗟にしては、悪くない嘘だとは思うが……」
篠川はそう言って、口の端を持ち上げる。
「君を信じたかった。だが、結果がこれではな。私もまだ甘い」
「所長……」
俺は一歩、二歩と後ずさりながら、どうすればこの場を切り抜けられるか考える。非常ボタンでの反応にしては早すぎる。所長の予感での行動だろうか。
山乃葉は、項垂れるようにして、大きく口から息を吐き出している。そういつまでも立ってはいられないだろう。
「何故その女を助ける? 贖罪のつもりかね」
「……そうです。こいつだけは、外へ出してやりたいんです」
「分からんな。たかだか三、四日話しただけなのに、どうしてそうも情が移るのか」
「……三、四日じゃないですよ」
俺は、篠川所長の目を、じっと見つめた。
「一年と半年です。コウスケの願いですから」
コウスケという名前を聞いて、篠川の眉がピクリと動く。
「これは、コウスケの願いなんですよ。あいつは、彼女を自由にしてやりたいって言ってました。だから――」
「だから、君がその遺志を継ぐと?」
「……そうです」
「ハハ……ハハハッ」
突然、篠川所長が笑い出した。
彼女にしては珍しく、歯を見せて大きく笑っている。
「コウスケそっくりだ。やはり、君たちは似たもの同士と言うわけか」
「……どういう、ことですか」
すると、篠川の笑い声がピタリと止んだ。
それから、いつも通りの怜悧な顔に戻る。
「彼は言っていたよ。彼女を自由にするべきだと。私のところへ直談判しに来た。山乃葉マリが事象を発生させる、一日前のことだ」
「コウスケが……?」
それは全く知らなかった。まさか、所長に直接伝えに行っていたとは。
「勿論、却下した。そんなことが出来るわけは無いとね。するとどうだ、彼は、今、君がしているのと同じようなことを画策したんだよ。彼女を外へ連れ出すためにね」
「まさか……あいつが、そこまで?」
「彼は彼女に洗いざらい打ち明けた。自分のやっていること、組織がやっていること、その全てをね」
俺は、俺の肩にぶら下がるようにして立っている彼女を見た。
信じていたものに裏切られたと分かった時、彼女はどう思ったのだろう。
「それで、山乃葉は、その力を?」
裏切られたショックから、彼女の力が発動したのだろうか。
『研究室副長の諸田だ。所長から指令を受け、代わりに全職員へ通達する』
突然、廊下にアナウンスが響き渡った。
『ただ今この施設内に、二人の人物が侵入している。一人は拍子木平太郎。学生服を着ている。もう一人は、白いローブを羽織った少女の二人組だ。見つけ次第、総合司令室まで連行するように。尚、そのうち一人は武器を所持している模様。警戒して当たられたし。非武装の職員及びキャストは、速やかに地下三階の訓練室まで避難、指示あるまでそこから動かぬこと。以上だ』
そこで、ブツ、とアナウンスは途切れる。
拍子木平太郎が追われているのか?
白いローブの女性もここの内部に?
「チュウ君」
篠川が俺のあだ名を呼ぶ。
その言い方はとても優しく、まるで昔に戻ったかの様だった。
「そんなことで、山乃葉マリの能力が発動したりは、しない」
「……え?」
「山乃葉マリは当時、コウスケを精神的主柱としていた。その主柱、支えが失われれば、彼女の秘められた力が発動するのではないか……これが、私と布永室長が導き出したアイディアだ」
「……失われる? それって」
俺は、その言葉の意味が、理解出来なかった。
いや、違う。理解したくなかった。
コウスケがいなくなれば、確かに、彼女は少なからず心に傷を負うだろう。
その考え方は、分かる。
けれど、いなくなるとは、具体的にどういうことを指すのか?
いや、そうだ。結果は、すでに出ている。
コウスケは、その日、死んだのだから。
「でも、それは、山乃葉の力によるものだって……!」
「確かに、彼女の発した力は強大なものだったよ。近くにいた数人のスタッフたちは、全員意識を失ってしまった。だが、死に至るまでの被害は被っていない」
「ちょっと待ってくれ! じゃあ……所長たちが、コウスケを!?」
すると篠川は、とても悲しそうな目をして、言った。
「コウスケを、じゃない。コウスケも、だ」
パァンッッ!
篠川がこちらに向けていた銃口が、眩い光を発した。その瞬間、俺は自分の腹部に、突き刺されたような痛みを感じ、思わず自分の体を見下ろした。
はだけたワイシャツの、左のわき腹に、小さな赤い点が出来ている。その点は見る見るうちに広がり、燃えるような痛みと共に、赤く染まっていく。
「あ……う」
あまりの痛みに、俺はその場に膝をついた。銃で撃たれたのだと理解したのは、見上げた篠川が手にした銃口から、微かな煙が上がっているのを見た時だった。
「ここまで話したのは、親心だよ」
篠川はそう言って、やはり悲しそうに笑っていた。
「さあ、山乃葉マリ。自分の部屋に帰りたまえ」
篠川が、山乃葉マリに銃を向ける。両手で覆うように構えられたその拳銃の銃口は、少しも揺らいではいない。山乃葉は足をふらつかせながらも、どうにかその二本の足で立っていた。
「私の……部屋?」
山乃葉は、震えるような声で言う。
「そうだ、君の部屋だ」
「あそこは…………私の部屋なんかじゃないわ」
山乃葉はそこで、大きくよろめく。何とか一歩足横へ踏み出し、踏ん張るように立った。ジャラ、と足の鎖が音を鳴らす。
「そんな体で、手足を鎖で繋がれたまま、どうするつもりだ? 大人しく従っていた方が身のためだ。悪いが、今の私は、君にだって引き金を引くつもりだ」
篠川が、銃のトリガーに指を掛ける。
山乃葉は俯いたままだったが、気が付けば、荒かったはずの呼吸は収まっていた。
「舐めないで……」
山乃葉が呟く。
「あんたの目の前にいるのは、山乃葉マリよ」
「……何を言っている? そんなことは百も承知だ」
「私は……山乃葉マリだッ!」
突然、山乃葉マリが篠川目掛けて駆け出した。
今までの動きからは想像もつかないような速度で走り出した山乃葉マリに対し、篠川の反応が僅かに遅れる。
しかし、山乃葉の足に繋がれた鎖が、彼女の疾走を許さなかった。山乃葉は前方に崩れるように倒れ込み、それに合わせるように、篠川は銃口を下に向ける。
あわや転ぶかに見えた山乃葉だったが、瞬間、その両の足で、床面を蹴り上げた。
山乃葉の体は前方へと捻られ、その両足が体は美しい孤を描き、篠川の頭部を挟み込む。
一瞬、時が止まったかのようだった。
山乃葉は篠川に抱え上げられたような体勢で、ピタリと静止する。
篠川の構えた銃口は、山乃葉の体に遮られる形になり、引き金を引けずにいた。そして、次の瞬間――、
「うおりゃあああああッ!」
山乃葉の雄叫びと共に、彼女はその身を後方へと捻った。引っ張られるように、篠川までもが宙を舞い、所長は頭頂部から床面に叩き付けられる。
ゴガァッ! と鈍い音が響き渡り、篠川は仰向けの体勢でぐったりと地面へ倒れ込んだ。
膝をついていた山乃葉は、素早く落下した銃を拾い上げた。
地面に背中つけ、それを支えとしながら、両足を広げ、繋がれた鎖をピンと伸ばした。そして、その鎖に目掛けて銃口を向け、顔を反らす。
パァン!
乾いた音が響き、山乃葉を繋いでいた足の鎖が、その中心で二つに割れる。
山乃葉は立ち上がると、一度、篠川の様子を確認し、それから俺の元へと駆け寄って来た。
「ちょっと、大丈夫!?」
山乃葉が俺の体を揺する。
大分血が出てしまったからなのか、俺はすでに意識が朦朧としていた。
「凄いな、お前……フラフラだったのに」
痛みを堪えながら言うと、「あんたの方がフラフラじゃない」と山乃葉は小さく笑った。
「……ごめんね。私のせいで、撃たれちゃって」
山乃葉は言った。俺は首を振ってそれを否定する。
「お前のせいじゃない。俺が――」
「ううん、私のせい。いつアイツに飛び掛ろうか考えてたんだけど、話に驚いちゃって。そしたら、あんたが撃たれちゃって」
「……お前のせいか」
俺はそう言って笑ってみせた。笑おうとすると、腹部が猛烈に痛む。まさか、あのフラついていたのも演技だったというのだろうか。それが真実なのかは、俺には知る由も無い。
「……立てる?」
「いや、痛くて」
「立って!」
山乃葉は、無理やりに起こそうと、俺の脇に頭を入れた。それから、腕の鎖に苦戦しつつも、壁を利用して、よろよろと俺を立ち上がらせる。
「ここを出るわ」
「いや……俺は」
「うるさい!」
山乃葉はひときわ大きな声をあげ、それから静かに言った。
「あんたと、出る」
そして、山乃葉は俺を引き摺りながら、エレベーターへと歩を進める。
立場が逆転してしまった。これが、山乃葉マリなのか。
コウスケの言う通りだ。凄いな、彼女は。
俺は腹部の痛みを堪えながら、そんなことを考えていた。
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