ベルと杖
薄暗い資料室の中で、平太郎はずっと座り込んでいた。
ズタ袋を背負ったまま、棚に背中を預けながら、手元のベルを弄んでいる。
いつまでもこんなところに居たって、仕方が無い。
それは分かっている。
しかし、立ち上がる気力が失せていた。
自分が何をすればいいのか、全く分からない。
再び、ベルを鳴らす。
チリン、と綺麗な音色が室内に響く。
サーリは今頃、どうしているだろうか。
酷いことを言ってしまったような気がする。
彼女に謝らないと。けれど、謝って、どうすれば良いのか。
結局俺は、平凡な男であることに、変わりは無いのだ。
平太郎は俯き、また、ベルを鳴らした。
そこで、コンコン、と扉が叩かれる。
平太郎は慌ててベルを手で塞ぎ、ポケットにしまいこんだ。
それからじっと息を殺し、棚の影から入り口を窺う。
「すみません、誰か、いらっしゃいませんか」
扉の外から、声がする。
「あの……ヘータロー様? いらっしゃいません……か?」
その声は、間違いなくサーリのものだった。
平太郎は慌てて駆け出し、扉を開け放つ。
「きゃっ」と小さな悲鳴。
目の前に、杖を抱き、身を縮める様にして怯えた顔の彼女の姿。
「サーリ!」
平太郎は思わず彼女に抱きついていた。
「ひゃあ」と、今度は大きな悲鳴が廊下にこだまする。
「サーリ、どうしてここに!?」
「いえ、その……べ、ベルを鳴らして頂いたようなので……音が、聞こえましたから……その、風に乗って……」
「そうか、そうだよな。サーリは魔法使いだからな!」
平太郎はサーリを強く抱きしめ、そして直後、我に返りパッと彼女から身を離す。
「ああ、ご、ごめん」
「い、いえ、すみません」
二人は互いに頭を下げあった。
そしてその後、二人して顔を上げ、小さく笑いあう。
「ここは……何なのでしょう? とても不思議な空間ですが」
サーリはキョロキョロと辺りを見回した。
「ああ、ここは……」どう説明したものか平太郎は悩んだが、
「秘密組織のアジトだよ」と、適当なことを言った。
「なるほど、秘密の」サーリはそれで納得出来たのか、頷いている。
「てっきり、もう国に帰っちゃったのかと思ってたよ」
「いえ、その、戻ろうかとも思ったのですが……」
サーリは口篭る。それを見て平太郎は思い出した。
「そうか、冀求の門の外には……」
グリウルが待っている。何百年だって待ち続けてやると、あの魔王は言っていた。
つまり、彼女はこちら側の世界に閉じ込められてしまったことになる。
平太郎は再び自責の念に駆られ、唇を噛んだ。
「ごめん、何もかも俺のせいで」
平太郎は頭を下げる。
「いえ! 違います!」
頭を下げた平太郎を見て、サーリは叱るように言った。
「ヘータロー様。聞いてください。ヘータロー様が責任を感じることなんて無いんです。だって、ヘータロー様を連れて行ったのは、私なんですから!」
「サーリ……」平太郎は顔を上げ、彼女の顔を見つめた。
「私がヘータロー様を信じるのは、私の問題なんです。だから、私の勝手にさせて下さい」
サーリはそう言って、にっこりと笑うのだった。
その顔を見て平太郎は、この子だけは、何があっても元の世界に戻さなければいけないと強く思った。
勿論、自分に何が出来るのか、どうすれば良いのかなんて分からない。
その時、廊下の明かりが切り替わり、辺りが一層明るくなった。
同時に、背後のドアが、ガチャリと音を立てる。扉を開けようとしたが、堅く閉ざされいて、開きそうもない。
「電気が戻ったんだ」
平太郎は天井を見つめ、呟いた。
そして、慌てるようにモノクルを取り出すと、片目に装着して辺りを窺う。
監視カメラも、ドアのパネルにも、黄色い光点が浮かび上がっている。
やばい!
平太郎はサーリの手を引き、階段へと向かった。
早くしないと、この施設から出られなくなってしまうかもしれない。
間もなく階段へ辿り着く、と思ったその時、「1」と書かれた部屋から、一人の男が姿を現した。ボサボサの頭、眼鏡を掛け、白衣を纏った科学者風の男で、男は鼻歌交じりで廊下に体を晒した。平太郎は慌てて方向転換するが、勢いを止められず、その男とぶつかってしまう。廊下にすっ転び、白衣の男もまた、眼鏡を吹き飛ばしながら尻餅をついた。
「だ、大丈夫ですか?」
サーリが駆け寄ってくる。平太郎は起き上がり、手で大丈夫だと合図を返した。
「あいたたた」
白衣の男は顔を抑えながら、のろのろと立ち上がると、落ちた眼鏡を拾い上げた。
「す、すみません」
平太郎は小さく頭を下げる。
「なんのなんの……」
そう言いながら、男は眼鏡を掛け、まじまじと平太郎の顔を見る。
「ん……? 拍子木平太郎……?」
男が呟いた。
平太郎は身構える。
男は視線をずらすと、今度はサーリを見つめ、大きく目を見開く。
「白い服の女!」
白衣の男はサーリを指差し、大きな声を上げた。
「サーリ、急ごう!」
平太郎はサーリの腕を引っ張り、駆け出す。
「あ、待ちなさい!」
男が慌てて追いかけてきた。
しかし、足は速くなさそうだ。
これなら、自分の足でも逃げ切られるかもしれない。
二人が階段へと向かうと、タイミング悪く、灰色の迷彩服を着た二人の男が、目の前の階段を上ろうとしているところだった。
「制圧部!」
背後から白衣の男が叫ぶ。
「その二人、捕まえて!」
それに反応して、二人の男たちが振り返った。その手には銃器が握られていて、銃口が素早く平太郎たちに向けられる。
銃!? 本物?
平太郎は立ち止まった。
サーリが勢いあまって平太郎の背中にぶつかる。
二人の男は、銃口をこちらに向けたまま、素早く階段を下り、平太郎の前に横並びでに立ちはだかる。
「ナイス! そのまま動くな!」
白衣の男が快哉を上げた。
「この方たちは……?」
背後から、怯えたような声。
「敵……かな。多分、そうだろうね」
男たちは銃を構えたまま、じりじりと少しずつ間を詰めてくる。
「サーリ」
平太郎は背中越しに、サーリに声を掛けた。
「攻撃魔法とか、使えないんだっけ?」
「すみません、私、ちょっと苦手で……」
サーリが申し訳なさそうに呟く。
その間にも、銃を向けた男たちがにじり寄ってきた。平太郎は背中に手を回し、素早く袋の中から一本の杖を取り出す。
サーリが渡してくれた、魔法のアイテムの一つだった。
それに反応するように、男たちが銃を構え直す。平太郎も対抗して、杖を突き出した。
「……これ、使い方は!?」
「え?」
「どうやって使うの!?」
「ね、念じて下さい! 炎を強く思い浮かべて、対象に投げつけるイメージで!」
平太郎は目を閉じ、炎を思い浮かべる。グリウルが放出した、あの業火を。
すると、杖がじんわりと熱を帯び始めた。水晶が、燃えるように赤く輝いている。
「今です!」
サーリが叫ぶ。
「うおおおッ!」
平太郎は杖を振り上げ、前方の二人に向けて、勢い良く振り下ろした。
瞬間、杖の先端の水晶から、ソフトボール大の火球が、前方に向けて射出される。火の粉を舞い散らせながら、その火球は空を切り裂き、男たち目掛けて突き進んでいく。
ボゴォォンッ!
火球は右側の男にぶつかると、派手に弾け飛んだ。
同時に、先端の水晶が、パリンと音を立てて砕け散る。
火球がぶつかった男はそのまま後方へと吹き飛んで行き、爆風によって左側の男はよろめき、壁に背中を打ちつけた。
「やった!」
サーリがはしゃいだように跳ねる。
しかし、喜ぶのもつかの間、騒ぎを聞きつけた迷彩服の男たちが、上の階から連れ立って降りて来ている。
「行こう!」
平太郎は再びサーリの手を掴むと、階段を駆け下りる。
その際、ふと背後を見ると、白衣の男が口をあんぐりと開き、呆然と立ちすくんでいた。
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