邂逅編
交錯する男たち
足元がぼんやりと緑色に光っている。
そのおかげで、平太郎は狭い通路でもどうにか歩くことが出来た。
確か、蓄光と言うんだっけな、と平太郎は思い出す。
明るいうちに光を溜めておいて、暗くなったら発光するのだ、と、子供の頃、授業で習った気がする。クラスメイトの誰かが「引き篭もりのことじゃね?」と茶化して、笑いを取っていた。
一体、この施設は何なのだろう。
避難シェルターのようなものだろうか。
モノクル越しに暗闇を見ると、天井の端々に赤い点が光っている。
監視カメラの光だろう。
やがて、細い通路は行き止まりになる。
これで終わりなのか、と手探りで壁を探っていると、壁の中央左側辺りに鈍重そうな取っ手がついていた。
力を入れてみると、意外にすんなりとドアは横開きになる。
その先も真っ暗なのかと思いきや、白い光が灯っていて意外と明るい。停電になったのではないのだろうか。
天井を見上げてみると、普段使われているであろう蛍光灯は消えていたが、間隔を広く開けて設置された小さなライトが灯っている。それでも非常用だからなのか、空間全体を照らしきるには至らないようだ。
右も左も水色掛かった廊下で、端々に部屋がある。どこかのオフィスのような雰囲気だが、何故学校の地下にそんなものがあるのか、理由は全く分からない。
左に折れた廊下の角にさし当たった時、その先から人の声が聞こえ、平太郎は思わず影に身を潜めた。
「何かあったのか?」
「オペからも返事がないんだよ。下に行って良いのかな?」
「勝手に行動したらマズいんじゃね?」
「いや、地下二階までなら良いでしょ。行ってみよう」
男女入り混じった数人の人物が、ぞろぞろと歩いていく音が聞こえた。平太郎は角からチラっと顔を出し、彼らの背中を覗く。
見た感じ、自分とそう変わらな年恰好だ。学校の制服を着ている者と、そうでない者がいる。彼らもまた、戸惑いを抱えている様子で、顔を見合わせながら階段を下りていく。
あいつらは生徒なのか?
オペってなんだ?
手術?
平太郎はしばらくの間、廊下の角から男たちが消えた先を見つめていた。
「あ、ちょっと、すんません」
突然、後方から声を掛けられ、平太郎は慌てて振り返る。すると、そこには数人の男たちが立っていた。先ほどの集団と同じく、制服、私服と様々だったが、その中に、オレンジ色のニットキャップを被った男がいた。その男のことを、平太郎は知っている。
ギルト・ギルドの水峰ユウト――。
「あれ、お前…………」
水峰がこちらを指差し、声を上げた。
「拍子木平太郎ッ!?」
平太郎は慌てて体を回転させ、水峰たちとは反対方向へ逃げ出した。
「なんであいつがここに?」
「見つけたんじゃなかったのか?」
「おい、捕まえろ!」
背後からそんな喧騒が聞こえる。
どうして、アイツがここに!?
まさか、ここは奴らの拠点だったのか!?
平太郎は階段を降りて下の階層へ向かい、とにかく走った。
最初の角を左へ曲がり、廊下を突き進む。さらに左に曲がったところで、平太郎の頭の中に不安が過ぎった。
まさかこの階、ぐるっと一周するような設計なんじゃ……。
そして次の曲がり角も、果たして左に折れていた。
予感が的中し、平太郎は臍を噛む。
「おい、どこに行った!?」
「分からん!」
前方から、男たちの声が聞こえる。平太郎は慌てて踵を返した。
どこか、隠れる場所は……!?
廊下には幾つかの部屋がある。それぞれナンバーが振られているが、どこに入れば良いか分からない。
考えている暇は無い――と、平太郎は「1」と書かれた部屋の扉を開く。
室内は、幾つものモニターやら機械やらで溢れかえっていた。
そのどれもが電源を落としていたが、部屋の中は若干の明るさがある。
部屋の中央に、機材を弄っている一人の男の姿。
しまった、と後悔するのもつかの間、
「Q、早かったな。懐中電灯を――」
一人の男がそう言いながら振り返った。
そして、平太郎の顔を見て目を丸くする。
「お前……拍子木平太郎……?」
男がそう声を上げる。
同時に、背後から水峰たちの声。
何かを察したように、目の前の男は平太郎の下へ駆け寄ると、腕を掴み、平太郎を室内へと引き入れた。平太郎を室内に押し込むと、男は入り口を塞ぐように立つ。ほぼ時を同じくして水峰ユウトたちが駆けて来る。
「あ、チュウさん!」
「……どうした?」
チュウと呼ばれた男は平然と答える。
「拍子木平太郎、見ませんでした?」
「拍子木……?」
「あ、そうか。俺らくらいの高校生なんすけど……通りませんでした?」
「いや、見てないな」
「そうですか、すみません」
水峰ユウトは頭を下げると、「もう一個下に行ったかも!」と誰かに向かって声を上げ、走り去って行く。チュウと呼ばれた男は、しばらく廊下を見渡した後、、室内で屈み込んでいる平太郎に向けて振り返った。
「あいつらはどっか行ったが、ここはちょっと良くない。場所を変えよう」
そう言って、チュウは辺りを警戒しながら外へ出ると、平太郎を手招きする。
いきなり出会った男――しかも自分の名を知っている――を信用して良いものか判断に迷うが、誰かに報告するつもりならば、水峰たちに嘘を付く必要が無い。不安に思いつつも、平太郎は彼の後を付いて行くしかなかった。
チュウは慎重な足取りで歩くと、同じ階層にある一室の前で立ち止まった。
扉を開くと、中に入るように促してくる。
その男の指示に従い、平太郎は室内へ足を踏み入れた。
目の前に、数台のモニターが置かれていて、その奥には背の高い棚が幾つも並んでいた。チュウは静かに扉を閉めると、一つ、小さく息を吐き出した。
「ここなら多分、大丈夫だ」
チュウが静かに言う。
しかし、平太郎はそれを鵜呑みにすることなど出来るはずも無く、目の前の男と一定の距離を保つ。
こいつは水峰ユウトの仲間だろう。
でも、だとしたら、何故俺を匿うようなことをしたのか。
不安は拭えず、疑問は解消されない。
「拍子木平太郎……だよな?」
チュウは、ゆっくりと室内の中央へと歩いて行く。
「色々聞きたいことがあるんだが、まずは、そっちの疑問を解決しないと駄目か」
男はそう言った。そして、平太郎の言葉を待つように、口を閉ざす。
「……どうして俺を助ける? あいつらの仲間じゃないのか?」
「仲間か仲間じゃないかで言えば……まあ、仲間ってことになるのかな」
チュウの答えに、平太郎は身構える。
背中のズタ袋に手を掛け、彼の様子を窺った。
「どうして助けたかは…………自分でも良く分からん」
「……は?」
「これじゃ答えになってないな。まあ、捕まらない方が良いと思ったんだよ」
「……それも、答えにはなってないと思うけど」
「だよなあ」
何が可笑しいのか、チュウは笑った。その行動で、平太郎はますます混乱する。
「あんたは誰だ? ここは、何なんだ?」
「説明するのが厄介なんだが……PCは、まだ立ち上がらないか」
チュウは机の上にあるモニターを弄っていたが、諦めたのか、平太郎がいる棚へと近づいてきた。
「今からする説明を、とりあえず聞いてくれ。紙媒体もあると良いんだが……」
そう言いながら、男は近場の棚に置かれたファイルをパラパラと捲る。
「ここは、研究機関だ。ある目的があって、この上の高校に通う生徒を研究している」
「は?」
男が突拍子もないことを言い出したので、平太郎は思わず声を上げた。
「この世の中には、非常に特殊な力を持った人間が存在している。そこまでは良いか?」
「ああ、それは……」
雪平カエデや三都依沙、サーリたちの顔を思い浮かべ、分かる、と平太郎は納得しかけたが、
「ただ、拍子木君が最近出会った女性たちは、違うんだ」
そう男に否定され、再度、平太郎は「は?」と口を開く。
「彼女たちは、君を追い込むために、演技をしている。何故君を追い込むかと言えば……お、あった」
チュウは一冊の分厚いファイルを取り上げると、ページを捲る。
「これが、ゲスト候補のリスト。君の名前も載ってるだろう?」
そう言って差し出されたファイルには、確かに平太郎の名前があった。
その前後にも、他の男子学生たちの履歴書のようなものが、写真と共に記載されている。自分のクラスメイトも何人か、そのファイルに綴じられていた。
「そして、最近君が出会った、特殊な力を持った女性は、この子じゃないか?」
そう言ってチュウは、別の薄手のファイルを手渡してきた。
その開かれたファイルには、雪平カエデの顔写真が載っている。しかし、氏名欄に書かれている名前は、彼女のものではなかった。
チュウは更にページを捲っていく。水峰ユウト、ギルト・ギルドの連中、そして、三都依沙の情報までがファイルに纏められている。
「これは、どういう……?」
「この研究機関に所属している人間のリストだよ。特殊な能力を持った人間は確かに存在して、それは十代中盤の女性に限られているんだ。だから、俺たちは彼女たちを見つけ出し、研究するために、こんな施設を作った。上の高校もその一部だ」
「……それと、俺と、どういう関係が?」
「彼女たちと相性が良い男子の傾向に、君がピッタリと当て嵌まっているからだよ。つまり、平凡で、これと言って人に誇れるような特技も無く、友人関係も希薄。勉強が出来るわけじゃなく、けど全く出来ないわけでもない。得意な教科は一つか二つ。性格は暗すぎず、明るすぎず……だろ?」
だろ、と言われても。確かにそれは、その通りだけれど。
「俺もそうだ。平凡な男だよ。俺は、特殊な能力を持つんじゃないか、と予測される女性たちのデータを収集するために、この機関に雇われている。君は、特殊な能力を持つ女性の側に居られる男性として、調べられる側にいる。そういう違いだな」
「……はあ」
「君は多分、この短い期間に、沢山の危ない目に合っている筈だ。そんな時、君らは一体どんな反応をするのか、それが君らを調査する目的だな」
「でも、鉄のパイプが飛んだり、銃で撃たれたり、グリウル……魔王が出てきたり! あんなの普通じゃ……」
「仕掛け、凄いらしいな。全部、この機関の工作部が作ってるんだ。君を追い込むために」
「……そんな、馬鹿なことが」
平太郎は彼の言うことが全く信じられなかった。
だって、そんな作り話みたいなこと、信じられるわけが無い。
いや、そもそも、超能力なんてものだって、普通じゃないのだけれど。
だから「理解出来たか?」と問われ、平太郎は「全然」と答えるしかなかった。
「そうだよな」
チュウは苦笑いを浮かべる。
「ただ、これだけは言える。君は、このリストに載った彼女たちに……いや、この施設に居る全ての人間に、騙されている。君だけじゃない、もっと多くの人たちが、研究材料として、君と同じような目にあっている。これは紛れも無い事実だ」
そう言った彼の目は真剣で、そして、どこか悔しがっている様な雰囲気さえ感じられた。
「……どうして、それを俺に?」
もしも彼の言うことが全て真実だとするならば、彼は騙す側の人間と言うことになる。そうなると、その対象である平太郎に真実を告げるのは、仲間を裏切る行為に他ならない。
平太郎の問いに、彼は何かを言いかけたが、小さく首を振るだけで答えなかった。
その代わりに彼は肩を竦めると、「気まぐれ」とだけ、呟くように言った。
改めて、平太郎は渡されたファイルに目を落とす。
自分の欄。家族構成、成績、運動能力はおろか、中学時代の素行についても明記されていた。
一体どこからこんな情報を……と考えるまでも無く、中学校から仕入れる以外、方法は無い。もう一方のファイルには、雪平カエデや、三都依沙の本名だけではなく、特技や、いつこの機関に所属したかも明記されている。そして、何よりも決定的だったのは、彼女たちが平太郎にしてきたことが、まるで舞台の進行表のように、詳細に記されていたことだった。どの場所で、どのタイミングで、どのような仕掛けを使うか。平太郎が受けてきた受難の数々、そのトリックが、ここに記載されている。
俺は、騙されていたのか……?
彼女たちは、俺を騙していたのか……?
よってたかって、この俺を? その、研究とかいうもののために?
「何だそりゃ……」
平太郎は吐き出すように言った。
「何だよこれ。これじゃあ、まるで……」
俺が、馬鹿みたいじゃないか。必死になって走ったり、自分がヒーローになれるんじゃないかと嬉しがったり、そうはなれないと分かって、絶望したり……。
まるで、道化じゃないか。
雪平カエデ、三都依沙、サーリの顔が浮かぶ。
彼女たちは、俺が平凡な人間だと知っていて、その上で、俺を騙していたのか?
俺が、ラスト・リローダーだとか、救世主だとか言われたら、どんな反応をするのか、その研究のために、あんなことをしたのか?
「何だよそれ! 何の研究だよ!」
平太郎の声が、室内に響く。
チュウはただ黙って、こちらを見つめているだけだった。
少しでも、彼女のことを信じてしまった自分が愚かしい。
そしてその結果といえば、自分は何の取り柄も無い平凡な男なのだと、再確認出来ただけだ。
雪平カエデも、三都依沙も、サーリも、皆、俺のことを……。
そこで平太郎は、ハッと気付き、ファイルを捲る。
「無い……無いぞ」
「……どうした?」
「サーリのリストが無い!」
「……サーリ?」
チュウが首を傾げている。
「サーリだよ! サーリ……なんとか、ファリグラート! ファリグラート王国の三女!」
「ちょっと、分からないな」
「魔法使いで、杖を持ってるんだ。白いフードを被ってて、グリウルに立ち向かって!」
平太郎は、縋るようにファイルを捲った。最後まで辿り着くと、もう一度最初から。
「白いフード?」
チュウは何かが引っ掛かったのか、目を大きく見開いている。
それから平太郎は何度かファイルを捲ってみたが、サーリの写真が載ったリストは無かった。
「サーリは……本物なのか?」
平太郎の心の中に、パッと、サーリの顔が浮かんだ。
「拍子木君、そのサーリって子は、白いフードを被ってるのか?」
「そう、そうなんだ。……そうだよ、あんなファンタジー世界、現代科学で作れるわけがない。サーリは、サーリは本当なんだ!」
「ちょっと、今度は君の話を聞かせて貰っても良いかな」
チュウに促され、平太郎は堰を切ったように、今までのことを話した。
サーリに連れられて、異界の地へ行ったこと。そこで、グリウルという恐ろしい魔王と対峙したこと。その魔王から逃げるようにしてここへ戻ってきたこと。その全てを。
平太郎が話している間、今度はチュウが、信じられないと言うかの様に眉を顰めていた。
扉の外を、沢山の人間が走り抜けていく足音が聞こえる。そんな中、チュウは難しい顔をしたまま、やはり「信じられない」と言うのだった。
「でも、君とそのサーリという女性が姿を消したこと、それと、彼女がこの場所へいきなり現れたことは、説明が付くな」
チュウは腕組みをして、思案顔になっている。
「彼女は、人とは違う、何か特別な力を持っているのか?」
その問いに、平太郎は大きく頷き返す。
「そうか……だったら、早く見つけた方が良いな。ここの連中に見つかるより前に。ここが、停電状態にあるのも、そのサーリという女性の仕業なのか?」
「停電? いや、だって」
平太郎は天井の明かりを指差す。
「これは、採光装置だよ。外からの明かりを利用してるんだ。通電はしていない。だからコンピューターも作動しないし、無線も入らない。扉のロックも……」
そこで、チュウはハッと息を飲む。
「馬鹿か俺は……山乃葉マリだ!」
叫ぶように言うと、チュウは部屋の外へ向けて走り出した。
「あ、ちょっと!」
平太郎の声も聞かず、彼は廊下を走って行ってしまう。
扉はゆっくりと閉まり、平太郎はまたしても一人取り残される。
手元に残されたファイルを見つめ、それからまた、サーリの顔を思い浮かべた。
サーリの笑顔。
そして、寮を出て行くときの、悲しそうな顔。
彼女だけは、本気で、自分のことを伝説の英雄だと思ってくれていたんだ。
じわじわと、平太郎の胸に、ある感情が高ぶっていく。
平太郎は、制服のポケットに手を入れ、小さなベルを取り出した。
サーリに、会いたい。会わなければ。
チリン、とベルが鳴る。
彼女が「はい」と答えたような、そんな気がした。
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