魔王なあの子と高校生A

 森の更に奥、深い山間の谷間から、黒いローブに身を包んだ何者かが、突如としてが姿を現した。


 その何者かは空を滑空し、猛烈な勢いで城門へと近づくと、青白く燃える炎の塊を、城門前で戦う兵士たちにばら撒くように放射した。

 途端、兵士たちは身を捩り、散り散りに駆け回る。その炎はゴブリンやオークたちをも焼き、一瞬にして焦げた匂いが辺りに充満した。


「魔王だ!」

「魔王が現れたぞッ!」


 狂乱の中、兵士たちは上空を見上げ、次々に叫んだ。


「あれが……魔王!?」

 平太郎もまた、空を見上げる。


 光沢のある黒いローブに身を包んだその人物。

 フードの内側こそ伺えないものの、二本の腕と二本の足を有していて、それは人の形をしていた。しかし何よりも平太郎を驚かせたのは――、


「ちっさ!」


 その体のサイズである。

 上空にいるので正確には分からないが、恐らくサーリよりも更に小さいのではないだろうか。


 そうか、魔王の息子……なんだっけ、と平太郎は納得しかけたが、その直後、体の内側から形容しがたい震えが沸き起こった。

 身体の芯に氷の棒でも突き刺さったかのようなその震えに、平太郎は今にもその場に伏せてしまいたくなる衝動に駆られる。


 周りの弓兵も、矢を放てばあたる距離にいるにも拘らず、戦意を喪失したかのように、だらりと腕を下げ、その場にへたり込んでいた。グリウルから発せられる禍々しいまでの圧力が、一瞬にしてこの場を支配した。


『儂に楯突く愚かな人間ども』


 突然、平太郎の脳内に、言葉が響く。


「な、なんだ?」

「これは……!?」

 サーリにもそれが聞こえたようで、目を大きく見開いていた。


『この城に逃げ込んだ、勇者とかいう小僧はどこにいる』


 低くくぐもったその声が、平太郎の頭の中に反響する。

 まるで、頭蓋骨の中にスピーカーでも埋め込まれているようだった。


「グリウルが、こちらに語り掛けているの……?」

 サーリは立ち上がり、上空を見遣る。


 グリウルはその小さな体をゆっくりと上下させながら、城門の上に滞空している。


『その小僧を差し出せ。でなければ、この国の全てを焼き尽くしてやる』


 三度、平太郎の頭の中に声が反響する。

 それは確かに人間の言語ではあったが、まるで地の底から沸き上がってくるかのように、深く、そして重たい響きだった。


「な、何故、グリウルが……」

 ムルイは体を縮めながら、首だけを空へと向けた。

「勇者を差し出せ……だと?」

「……どうして、勇者様を?」

「分かりません。分かりませんが……」

 ムルイが体を上げる。


 グリウルが現れると共に城門前に押し寄せていたモンスターの軍勢は、波が引くかの如く山の麓まで後退を始めていた。

 戦っていた兵士たちも、態勢を立て直すべく、城門の前に陣を張り、そして真上を飛ぶグリウルへと視線を注いでいる。


「勇者様を引き渡せば、この国は襲われない、と言うことなのか」

「そんな!」

 ムルイの言葉に、サーリが反発する。

「そんなこと! フリウ様はこの国のために戦って下さったのに!」

「それは、しかし……」ムルイが口ごもった。

「そのようなやり方で国の安寧を得ようなど、許される行為ではありません!」

 サーリの勢いに、ムルイは顔を背ける。


「では、そちらにいる伝説の英雄様が、グリウルを倒して下さるとでも?」

「えっ?」

 突然指をさされ、平太郎はその身を堅くする。

「ムルイ!」

「……とにかく、この隙に現状を打開する策を練らねば。対話が可能ならば、何かしら手の打ちようはある。サーリ様もお早く、城へとお戻り下さい」

 ムルイはそう言い残し、よたよたと階段を下りて城門へと向かっていった。


『どうした。臆したか、人間共』


 グリウルが翳した両手から、青白い炎が勢い良く漏れ出した。


『手始めに、この辺りにいる小さな虫ケラを焼いてやろうか』


 魔王は城門の上にいる、平太郎やサーリたちを見下ろした。

 その上空で炎の塊が燃え上がり、弓兵たちがへなへなとその場に尻餅を着く。

「ヘータロー様……!」

 サーリが、助けを請うように平太郎を見つめる。


 しかし、平太郎には何も出来なかった。

 禍々しい魔王の姿を見ているだけで、恐怖に溺れそうだった。

 一歩でも動くことさえ躊躇われる。

 今すぐ目を閉じて、耳を塞ぎ、その場にうずくまりたい気分だった。


 ある種のモンスターには、見た者の恐怖心を煽り、戦意を喪失させる場合がある。グリウルがまさにそれであり、平太郎や多くの兵士たちは、そのオーラに中てられ、立っていることすらままならない状況だった。


 無理だ。

 俺になんか、無理だ。

 グリウルを倒す?

 そんなの、無理に決まってる。

 俺は何でもない。

 ただの、高校生なんだ。

 伝説の英雄なんかじゃ、無いんだ。


 平太郎の頭の中で、ぐるぐると言葉が回る。


「グリウル!」


 城壁付近に設置された物見塔の一番上に、ムルイがいた。

 額から多量の汗を流しながらも、ムルイは魔王に呼びかける。


「聞こえるか!? グリウル! 私は、この国の国政を任されている宰相だ。話の通ずる相手と見込んで、グリウルに一つ尋ねたい!」


 魔王はゆっくりと首を捻ると、瞬間、ムルイの眼前に迫った。

 ムルイは気圧されたように、物見の端へ後退しつつ、更に続ける。


「ゆ、勇者を差し出せば、この国を助けてくれるのだな?」

『フン……このような国などには微塵も興味は無い』

「そうか。わかった! ならば、これから準備に掛かろう。しばし時間の猶予をもら――」


 そこで、ムルイは不意に言葉を切った。


 何故会話の途中で黙ったのか。

 平太郎は疑問に思ったが、その答えはすぐに判明する。


 城門上の一番端、グリウルから死角となる位置に、勇者に同行していた三角帽子の魔法使いがいた。その魔法使いは杖を突き出すように構え、巨大な火球を射出する。

 それから僅かに遅れるようにして、物見塔の影から、斧を担いだ戦士が飛び出した。塔の上部に設けられた鋸壁を蹴り、グリウルの鼻先目掛けて跳躍、大柄な体躯を反らせながら、その斧を振り下ろす。


「うおおおおおおっ!」

 戦士が咆哮する。


 戦士に気を取られれば、背後の魔法が着弾し、背後の魔法に対応すれば、戦士の斧がその体を捉える。


 万全の奇襲作戦だった。


 しかし――火球と斧、その両方がグリウルの体を捉えたと思った瞬間、グリウルの周囲からバチバチと破裂音が鳴り、魔王の身体は紫色をした球体の壁に包まれた。

 魔法使いの放った火球はグリウルの体に着弾する僅か手前で爆発し、爆風すら魔王の体に届かず、戦士が振り下ろした斧もまた、見えない壁に阻まれたかのように後方へ弾き飛ばされる。


「バリア……!?」

 平太郎は驚愕する。


 魔王の周囲に浮かんでいた紫色の壁は、バチバチと断続的な音を鳴らし、やがて消えた。


「あれが……魔王の特殊な力です。魔法のようで、魔法ではない、不可思議な力……先の魔王も、同じような力を使っていたと言われています」


 サーリがそう呟いた。


 凶悪な魔法と飛行能力、おまけにバリア持ちだなんて……やりすぎだろ!


 グリウルは、落下していく戦士や背後にいる魔法使いを気にも留めず、物見塔の上で青ざめているムルイにその顔を向けた。そして、右腕を振り上げたかと思うと、青白い炎の塊を物見塔の側面へ叩きつける。


 ズシン、と重たい音が鳴り響く。


 物見塔の上部が発泡スチロールのように折れ曲がり、崩れ、落下していく。

 塔の上に立っていたムルイや御付の兵士たちは、鋸壁にぶら下がるようにして、その体を傾けながら、バラバラと崩れる石の塊と共に地面へと落ちていった。


 グリウルは折れた物見塔の上に着地し、周囲を見遣る。


『今の蝿は、勇者と名乗った小僧と共に居た者共だな。ならば小僧もここにいるということだ』


 グリウルは、首をぐるりと回し、王城と、その街並みを見下ろす。


『望み通り、小僧ごと全てを焼き払ってやろう』

 両腕を大きく開きいた魔王の周囲に、得体の知れない金色の光が収束していく。


「待ってください!!」


 誰もが身動き一つ取れぬ中、城壁にスッと立ち声を上げたのは、サーリだった。

 その小さい体からは想像もできない程の大声が周囲に響き渡り、誰もが彼女の姿を見上げる。


 それは、グリウルも例外ではなかった。

 今にも攻撃を繰り出さんと掲げていた両腕をフッと解放し、その首をサーリへと向けた。


『ほう、立つか、小娘』

 グリウルは感心したように言う。


「私はファリグラート王国の三女、サーリ・クロイ・ミラ・ファリグラートです!」


 サーリはグリウルに気圧されつつも、その細い二本の足を地に着け、必死に耐えていた。それが、彼女の近くで身を伏せている平太郎には良く分かった。


「何故、貴方は勇者を求めるのですか!? 貴方に危害を加えようとしたからですか!」


 手足を震わせながら、それでもサーリは毅然として問う。


『危害?』

 グリウルが小さく息を吐き出した。

『危害など、受けてはおらぬ。奴が勇者と言うのであれば、排除する。それだけの話だ』

「ならば!」

 サーリはそこで、平太郎に視線を送った。

 一度、口を固く結び、それから何かを決意したように、再びグリウルへと向き直る。


「ここに、伝説の英雄と呼ばれる者がいます! 彼が貴方を打ち倒すでしょう!」

「えっ」


 平太郎は息を飲んだ。

 まさか、この状況に及んで尚、頼られるとは思ってもいなかった。


『伝説の英雄……?』

 グリウルが、魔王と呼ばれる威厳に似合わずちょこんと首を傾げる。

「強い者を求めているのならば、貴方は伝説の英雄とこそ、相見えるべきでしょう!」

 平太郎は心の中で、やめてくれ、と何度も叫んでいた。

 サーリの申し出も場違いなものだし、自分に期待するのも間違いなのだ、と。

『そこで虫ケラの如く伏せているその人間が、英雄だと?』

「そうです! ヘータロー様は、伝説の英雄です!」

『伝説とは何だ? 高々百年も生きられぬような人間が、何かを成し得たとでも言うのか』

「証拠ならあります! ……今は持っていませんけれど、ガアラトの石版に、そう記されていたのですから!」


 サーリは強気だった。

 そしてその言動は、今までのサーリと何ら変わらない。

 自分のことを本気で伝説の英雄だと信じてくれている。

 しかしそれが今では、悲しいまでに平太郎の心を抉るのだった。


『ガアラト……?』


 魔王はふと、何かを考えるように顎を上方へ向ける。

『……知らんな、聞いたことも無いわ』

「そうでしょう! 貴方がこの世に生まれてもいなかった頃の話ですから。しかし、占星術師ガアラトは実在していましたし、だから、ヘータロー様は魔王を倒す伝説の英雄なのです!」

 サーリは自分に言い聞かせるように頷き、不敵な笑顔を浮かべ、胸を張った。


 破滅を呼ぶ小さな魔王と、小さな体をした少女が対話をしているその光景があまりにも異様で、周りの兵たちは皆、固唾を飲んで状況を見守っていた。


『……良かろう。小さき者よ。貴様のその言葉通り、そこに臥せっている伝説の英雄とやらを、引き裂いてやろう!』

 グリウルはその腕を平太郎へ向けると、、青白い炎を浮かび上がらせる。

「ちょ、ちょっ!」

 平太郎は恐れのあまり、身を捩りながら後ずさり、城壁の鋸壁に背中を預けた。

「ただし、こちらにも準備があります! 万全でない英雄を奇襲し、それで打ち勝ったとするならば、グリウルという魔王の息子はその程度であったと後世に語り継がれることでしょう。そうでないのなら、ヘータロー様の装備が整うまで、国民には一切手を出さない! これが条件です!」


『条件……この儂に、条件だと!』

 グリウルは物見塔を蹴った。

 そして、あっという間にサーリの眼前へと迫る。

「サーリ!」

 平太郎は叫んだが、それでグリウルを止められるはずも無い。

 しかし、魔王は城壁の上にふわりとその体を乗せ、サーリの鼻先寸前で急停止した。その衝撃で城壁は揺れ、突風が舞い上がる。サーリは風に煽られ、よろよろと後退し、ぺたんと尻餅をついた。


『それで儂を煽ったつもりか、小娘』

 ローブの隙間から、グリウルの浅黒い顔が覗く。

 一見すれば、それはただの子供にしか見えないのだけれど、その釣り上がった瞳は黄金色に輝いていて、憤怒からなのか、その顔は歪んでいた。


『人間共にどう思われようが、儂には何ら関係が無い』

「で、ですが、あなた方の後の世代はどう感じると思いますか!?」

 サーリは意を決したように立ち上がると、グリウルを見据えた。

『儂ら……だと?』

「貴方の側近が記す魔王回顧録には、魔王グリウルの第一歩目には、装備も揃わぬ英雄を打ち倒したと記録されることになるでしょう! それでも良いならば、今すぐヘータロー様を倒すと良いです!」

 サーリはグリウルの鼻先に言葉をぶつける。

 その顔は恐怖に引き攣り、声は震えていた。


 どうして彼女は、そこいらの人間ならば一秒で屠れそうな怪物を目の前にして、こうも言葉を紡げるのだろう。

 平太郎は、サーリという女性の底知れぬ力に、ただただ驚いていた。


『なんだ、魔王回顧録と言うのは……』

 グリウルは呆れたように首をかしげた。

 かと思うと、城壁を蹴り上げ、上空へと舞い上がる。


『しばしの猶予を与えてやる。武器を手にしたこの小僧めを捻り潰した後は、小娘、貴様を飲み込んでやろう!』


 グリウルは上空で大きく旋回すると、モンスターの集団が待つ山のふもとの更に向こう、森の奥深くへと飛翔していった。

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