ファリグラート国記

 外の喧騒に、平太郎は目を覚ました。

 廊下から人の声や甲冑の音が響いている。


 何事かと窓から外を見ると、城の入り口が開かれ、兵士たちが一所に集まっている様子が窺えた。夜が明けて間もない時間帯らしく、日はまだ昇っておらず、方々に設置されたかがり火が朝もやの中にぼんやりと浮かんでいた。


「ヘータロー様!」

 勢い良くドアを開け、杖を手にしたサーリが駆け込んでくる。


「ああ、おはよう」

 平太郎は寝ぼけ眼を擦り、ひとつ大きくあくびをした。

「あ、おはようございます」

 条件反射のように、サーリは丁寧に頭を下げる。

「やっぱりと言うか、朝は特に冷え込むねぇ」

 雪国と言うだけあって、早朝の冷気は身に染みるようだった。

 暖炉の火はすでに消えていて、石の壁はひんやりとしている。

「大丈夫ですか? 体調を崩されていなければ良いのですが」

「ああ、大丈夫。それより何だか騒がしいけど、いつもこんな感じなの?」

「あ! そうです! 先ほど早馬が着まして。お戻りになったんです!」

「おもどり?」

「行きましょう!」

 そう言うや否や、サーリが部屋の外へと飛び出していった。

「え、ちょ、どこに!?」

「城門です!」と廊下からサーリの逸る声。

 平太郎は訳も分からず、とりあえずとばかりに魔法アイテムの数々が入ったズタ袋――昨晩、サーリが用立ててくれた――を引っ掛けるように掴むと、急いで彼女の後を追った。


 お戻りって、誰が?

 まさか、勇者?

 魔王退治をしてきた、ということだろうか。


 ファリグラート王国の王城には東西南北に四つの門があり、国を囲う外壁にもそれぞれ対応した城門が備わっている。

 昨日二人が山を下るように入城した冀求の門側は城の北側に当たり、南側、山のふもとに位置する城門は“正門”と呼ばれているようだ。


 まだ夜も明けきってはいないので、街は静かだ。

 そんな街並みを、サーリと平太郎、そして、数人の兵士が鎧の音を立てながら外壁へ向かって駆け下りていく。

 何事だろう、と寝ぼけ眼で戸を開ける住人の姿を横目に、平太郎たちは正門へと辿り着いた。


 正門はに、数多くの兵士が集まっていた。

 時間帯もあって皆は小声ではあったけれど、人数の多さもあいまって、かなりざわついている。不似合いに顔を綻ばせ、御付の兵士と会話をしている宰相ムルイの姿もあった。

 彼らは一様に、正門の向こう側、山のふもとに向けて視線を送っている。


「これじゃ、見えませんね」

 サーリはそう言って、ぴょこんと飛び跳ねた。

 しかし、正門を人が覆い尽くしているため、その先を窺うのは難しそうだ。


「こちらへ!」

 サーリは平太郎の手を引くと、脇道に逸れ、城壁にへばりつくような階段を上った。そしてそのまま、城壁の上へと駆け上がる。

 城壁の高さは三階建てのビルくらいだろうか。見晴らしがよく、王国の前方がどこまでも見渡せた。


 なだらかに続く石畳の道が、正門から山のふもとにある深い森へと続いている。

 門から森まではかなり距離があり、その間に木々は少ない。

 森の更に奥は、険しい山脈が幾重にも連なっていた。


「あそこです!」


 サーリは城壁の壁に体を預けながら、山のふもとへ続く道の先を指差した。

 平太郎は息を切らせながら、同じように彼女の横に並び、合わせて視線を送る。


 十数人ほどの集団が、体を寄せ合うようにして坂を上り、こちらへと向かって来ていた。


 その集団の先頭に、真紅の鎧に身を包んだ赤毛の戦士の姿があった。

 歴戦の戦士にしてはやや細身の体格をしたその男は、緩やかな足取りでこちらへ向かってくる。


 勇者の凱旋を称えるように、真下にいる兵士たちから喚起の声が上がった。

 ある者は飛び跳ね、ある者は抱き合い、鎧や武具が擦り合わさる音が鳴り響く。


「あれが、勇者様?」

「はい、そうです。フリウ様……ですが――」


 サーリはそこで言葉を失った。


 見れば、勇者フリウの纏っている真紅の鎧は、右の肩当てが大きく破損しており、胸の部分には、何かに引っ掻かれたかのような深い傷跡が付いていた。

 悠々として見えた足取りは、恐らくは足の怪我によるもので、時折右へ、左へとふらつきながらの行軍だった。


「こりゃ、まるで……」


 平太郎が息を飲む。

 勇者の周りにいる、屈強な体躯をした男戦士も、三角帽子をかぶった金髪の魔法使いも、追従する兵士たちも、誰もがどこかしら傷付き、その傷を庇う様にしてよたよたと歩いている。


「まるで……敗走じゃないか」


 平太郎の言葉に、サーリはビクッと体を震わせる。

 声を上げていた兵士たちも、口をあけたまま、二の句が告げないようだった。


 ムルイが、兵たちを掻き分けながら集団の先頭に立つ。

 よろよろと歩を進め、ようやく城門前へと辿り着いた勇者フリウは、ムルイの眼前に立つと、何事か呟いた。

 恐らくは精悍な顔つきであったであろうその表情は、疲弊のためか青ざめていて、覇気はとうに失われているようだった。

 一言、二言交わした後、フリウは意識を失ったかのように前のめりに倒れ込む。

 宰相のお付兵士に抱えられるようにして、そのまま城門の内側へと運ばれていった。


「兵の数が……少ないです……」


 次々に城門内へ入ってくる兵士たちを見送りながら、サーリが呟く。

 確かに、国を挙げての遠征に、追従した兵士の数が十数人程度というのは心許ない。多くは、戦いのうちに命を落としてしまったということなのだろうか。


 平太郎は、彼らが歩いてきたであろう山のふもとを見遣る。


 雄大な雪の森から、黒い塊がこちらへ向かっていた。


 王国に向かってやってくるその黒い塊は、よく見れば小さな点の集合体で、横に広がりながらどんどんと近づいてくる。


「あ、あれ見て! ほら、こっちに来てる! 遅れてただけなんじゃない?」


 平太郎が指を差す。

 それはまさに大軍であり、国家存亡を賭けたグリウル討伐に相応しい軍勢だった。しかし、


「て……敵襲ッ!」


 平太郎たちの横に立っていた見張りの兵士が、声を上げた。


 途端、あたりがざわつき始める。

 見れば、その軍勢は二本足で歩き、武器を手にし、鎧をこそ纏っているものの、明らかに人とは異なる種族であった。

 オーク、ゴブリン、オーガ、リザードマン等々、平太郎が観てきた映画やテレビゲームでも馴染みのあるモンスターたちが、整然と列を成して山を上がってくる。


「後を追われたのかッ!」

 ムルイが叫んだ。

 それに呼応するように「迎撃準備!」と声が上がり、周囲の兵士たちが慌てたように動き出す。

 どこからか、カンカンカン! と鐘が打ち鳴らされ、城門前は喧騒に包まれる。

 そんな中で平太郎は、呆然とこちらへ向かってくるモンスターの群れを眺めていた。


 勇者が負けたのか?

 そして、今、この国にモンスターが向かっている?


 まるで――現実感が無い。


 剣を掲げ、槍を構え、弓に矢を番える兵士たちを横目に見ながら、平太郎はただただ立ち尽くしていた。


「陣を敷け! 防撃陣! 街へは近づけるな!」


 兵士たちの中でも、格上と思しき鎧を纏った一人の男が、剣を掲げながら声高に言う。それに合わせて、城門にいた兵や、どこからか駆けつけてきた数多の兵士たちが動く。


「列を組め! 鍛錬の成果を見せろ! 左右へ展開!」


 兵士たちはどよめきながらも、その声を頼りに、川が低きに流れるかのようにそれぞれの目的の場所へと移動した。

 多くの兵は、城門から続く道に横並び、迎撃の構えを取る。また、ある隊は物見を駆け上がり、城壁の上に列を成した。

 見れば、サーリと同じくローブを身に纏った魔術師風の兵士もいる。

 その中に、先ほど勇者たちと行動を共にしていたであろう、三角帽子を身に着けた金髪の魔法使いの姿もあった。


「住民を避難させろ! 王城へ伝令! 王の護衛、住民を受け入れ、迎撃の準備をしろと伝えろ! 陣形が整い次第、門、閉めるぞ!」

 指揮を執る兵士が声を上げる。

「アグアス、ここは任せたぞ!」

 宰相ムルイがその兵士に声を掛けた。

 アグアスと呼ばれたその男はムルイをチラと見て、一礼する。


「宰相を城へ!」

 アグアスの命に従い、ムルイは御付の兵と共に王城へと向かった。

 城門にいた兵の何人かは、近場の住宅地の戸を叩き、住民たちを城へと避難させていく。


 突然、サーリが立ち上がった。

 眼を閉じ、手にした杖を掲げながら、何事か小さく呟く。


 すると、杖の先端に嵌っていた水晶が、淡い光を伴って輝き始めた。


「近衛兵長、聞こえますか……? サーリです。ただいま、我が王国はモンスターによる襲撃を受けています」


 サーリは、まるで目の前に誰かがいるかのように、語り掛ける。


「住民が避難してくるので、門を開け、受け入れ態勢を整えてください。また、城内にいる武器を持たぬ従者たちも同様に、避難させて下さい。その後の行動は兵長に任せます。宜しくお願いします」


 そう告げ終わると、サーリはフッと眼を開けた。

 同時に杖の輝きも静かに収まっていく。


「今のは……?」

 平太郎が尋ねる。

「風の精霊に、言葉を伝えてもらいました」

「そんなことが、出来るんだ」

「私にはこれしか、出来ないんです」

 サーリは眉を歯の字に下げ、困ったように笑った。

 それから、ハッと眼を丸くする。


「ヘータロー様、こちらへ!」


 サーリが平太郎の腕を掴む。

 引き摺られるようにして階段へ向かったその時、


「ワイバーン!」


 城壁上にいた兵士が叫んだ。

 同時に、耳を劈くような甲高い怪鳥音。

 大きな影が平太郎の上を通過したかと思うと、途端、城壁上にいた兵士たちの何人かが宙を舞った。城壁の一部が吹き飛び、大きな石がつぶてのように方々へと飛び散っていく。


「うわあっ!」

「きゃああっ!」


 平太郎とサーリは階段に身を伏せる。

 大きな影が城壁に舞い降りたかと思うと、再び上方へと飛び上がり、城門の真上を旋回する。


「あ、あれは……」


 平太郎は恐る恐る顔を上げ、大空を舞う巨大な獣に目をやった。


 蛇のようにうねる長い体と、大きな翼。

 腕は無く、二本の足には鋭い鉤爪。

 深い緑色をしたその体の先端、鰐のように開かれた顎からは、獰猛な牙が覗いている。


「もう一匹! 来るぞ! 構えろッ!」

 城壁にいる兵士たちが弓を構えた。

「放てッ!」

 号令と共に、無数の矢が放たれる。

 風切音が幾つも鳴ったかと思うと、上空のどこかで再び、引き絞るような怪鳥音が鳴り響く。

 僅かに遅れるようにして、魔術師たちが掲げた杖の先端から、眩いばかりの閃光が走った。

 突如として空中に幾つもの火球が出現し、それらが上空へ次々に撃ち上がっていく。飛竜はその身を捩ったが、火球のスピードはそれを許さず、幾つかが飛竜の頭、胴体に着弾する。


 爆発音と共に、飛竜が戦慄き、空中を飛んでいた勢いのまま急降下していく。

 背の高い住宅の塀に体を打ちつけたかと思うと、そのまま街中へと落下した。


 その落下地点に、城へ向かおうとしていたムルイたちがいた。

 幸いにしてムルイの真上には落ちなかったものの、王城へ向かう道を塞がれた格好になる。

 ムルイに付き添っていた兵士たちがそれぞれ剣を抜き、落下してきた飛竜と相対した。飛竜は顔を焦がし、翼に矢を受けながらも、地を這うようにして兵たちと向き合う。


「ムルイ!」

 サーリが声を上げる。

 その間にも、飛び回るもう一匹の飛竜に対し、弓兵や魔術師たちとの攻防は続いていた。飛竜は距離を取るようにして、城壁の東側へと旋回していく。

 そんな中、城壁内に留まっていた兵士たちが、ムルイらの救援に向かうべく街中を駆けて行った。


「敵、動いてます!」


 どこからか兵士が叫んだ。

 サーリが慌てたように振り返り、城壁上に向かって階段を駆け上がった。

 平太郎もハッと我に返り、その後に続く。頭を下げながら、覗くように正門を見ると、確かにモンスターの軍勢が少しずつこちらへ近づいてきていた。

 それに呼応するように、城門前で陣を張っていた兵士たちがじりじりと横に広がり始める。


 やがて、オークやゴブリンの群れと、兵士たちがぶつかり合う。


 そこらじゅうに剣戟の音が鳴り響き、人と獣、双方から叫び声があがった。

 物量では勝るモンスターの軍勢ではあったが、斜面上に位置する地の利と、弓や魔法の援護も相まって、王国の兵士たちは善戦していた。

 アグアスと呼ばれた兵士が機敏に指揮を執り、モンスターを引き付けつつ、各個撃退していく。

 雪の王国とあって、兵たちは雪上戦闘に長けていた。

 足場の悪さに動きが鈍いモンスターを、機動力で圧倒する。

 勇者に連れ立っていた、大柄の戦士もまた、その豪腕にふさわしい巨大な斧を振るい、ゴブリンの群れを蹴散らした。


 しかしそれでも、多勢に無勢。

 陣の一つが破られると、そこへ数多くのモンスターがなだれ込み、一角は混乱に包まれ、それが全体へと伝播していく。

 雪の上に鮮血が舞い、その上に多くの兵が転がり回る。


「どうなっている!」


 気が付けば、ムルイが城壁近くまで退避して来ていた。落下したワイバーンと兵士たちの戦闘は、今もなお続いている。


「アグアスは、どうした!」

 ムルイは城壁の階段を駆け上がると、その中腹から城壁上の兵士へ声を上げた。

「危険です! お下がり下さい!」

 矢を補充するために下がった兵士が、ムルイを嗜める。

「ムルイ! 怪我は?」

 宰相の接近に気付いたサーリが側へ駆け寄る。

 ムルイはサーリの存在にギョッと目を丸くし、

「なぜここへ!? 早くお逃げ下さい!」と、反対にサーリの袖を掴んだ。

「今はそれどころではありません。民の避難は?」

「それは……今、兵たちがやっております。サーリ様もお早く!」

「でも、私にも出来ることが……!」

「ありません!」

 ムルイは大きく首を振る。

「サーリ様は、王と共に避難されて下さい!」

「でも……っ!」

 サーリもまた、首を振り、掴まれた腕を振りほどいた。

「こんな状況で、彼らを放って避難するなど!」

「お聞き分け下さい! 貴女は――」

 そこで、ムルイは平太郎を見た。

「お前は」とその口が微かに動く。


 その間も城門前での戦闘は続き、苛烈さを増していく。

 そして、戦況を更に決定付けるような事態が起こった。

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