消失

 久しぶりにゆっくりと昼休みを過ごせるので、教室の自席で腕を枕にうとうととしていると、


『ちょっとちょっと、また問題発生したみたいよ』


 Qの声が耳の奥に響いた。


『いやあ、こんなことってあるのかなぁ』


 一向に本題に入ろうとしないので、教室前方に掛けられている監視カメラをチラと見ながら、机を指でトントンと叩き、催促する。


『ほら、昨日問題になってたチームあるでしょ。ゲストが被ったって言う。なんかね、そこのゲスト、急にいなくなっちゃったんだって』


 いなくなった?

 あの、拍子木平太郎が?


 Qが話した内容は、俄かには信じがたいことだった。

 校内にこれだけの監視カメラが置かれている中、その視線を逃れ姿をくらませるのは至難の業だろう。


『今、全カメラの記録をチェックしてるみたいだけどね。どうなることやら』


 Qの声はやはり、心なしか弾んでいた。


 放課後になって施設へ向かうと、彼が言っていた通り拍子木平太郎は忽然と姿を消したようで、研究室副長が陣頭に立ち、総合司令室で捜索の真っ最中だそうだ。


 一体彼の身に何が起こったのか。まさか、学校を抜け出したのだろうか。

 抜け出したとして、どこへ行ったというのか。


 Qが待つオペレーションルームに入ろうと、IDカードを掲げたところで、篠川所長が部屋の前を通り掛った。


「今戻りか」

 篠川に声を掛けられ、俺は「はい」と頷く。

 ピピ、と音が鳴り、部屋の扉が空いた。椅子に座っていたQが笑顔で振り返ったが、所長の顔を見て、ギョッと目を丸くしている。


「丁度良い。今発生している問題は知っているか?」

「何でも、ゲストがいなくなったとか……」

「それだけ分かれば問題ない。総合司令室に顔を出してくれ。私も後で行く」

 そう言うと、篠川は一冊の薄いファイルを投げて寄こし、早足で廊下を歩いて行った。


 手渡されたファイルを捲ってみると、拍子木平太郎を対象とした問題のチームに関する情報が記載されている。


 命令であれば仕方が無い。

 片手を上げてQに挨拶すると、エレベーターに乗り、総合司令室のある地下五階を目指す。


 地下五階は、他のフロアに比べて天井が高い設計になっていた。

 エレベーターを降りてすぐ、左側に階段があり、正面は長い廊下が左右に伸びている。その両端にそれぞれ扉がついていて、どちらからでも司令室に入れるようになっているが、俺は右の扉から、司令室へと入室する。

 決まりがあるわけではないだろうが、右は室長派、左は副長派と分かれているらしいとの噂を聞いていたからだ。


 司令室は2フロアをぶち抜いた吹き抜け構造になっている。

 その大きさは、Qが操作しているようなオペレーションルームの比ではない。入り口から階段状に下がっていく造りで、正面に巨大なモニターがあり、それらは細かく分割され、様々な情報を映し出している。階段に沿うように、オペレーション用に設計された机が横並び、多くのオペレーターが、手元のモニターを覗き込むようにチェックしていた。

 あちこちで指示が飛び交い、まるで戦争中かのように、室内は雑然としていた。俺は所在無く、ゆっくりと階段を下りながら、呆然とそれを眺めていた。

 行けとは言われたが、何をすればよいのか分からない。


「人間が消えるわけないだろう! もっとよく捜せ!」


 部屋の中央に位置する指令席で、一人の男がそう声を上げてヘッドセットを叩きつけた。

 そうして振り返った男と目が合う。


「なんだ君は? 関係者以外は立ち入らないで欲しいんだが」


 そう言って手を払う仕草をしたのは、研究室副長の諸田だ。

 歳は四十代半ばくらいだろうか、インテリ風の細い眼鏡の奥に、切れ長の目がせわしなく動いている。研究室所属だが、白衣は纏っておらず、高級そうなスーツにその身を包んでいる。


「副長、彼は……」

 諸田の隣に座っているオペレーターが、窺うように囁く。

「ああ、アレか。キャストらしからぬ権限を与えられたんだったな。それで、何の用だ」

「いや、所長に、人手が不足しているようだから、手伝って来いと」

 かなり加工をして説明したが、まるっきり嘘というわけでもない。

 すると諸田はフン、と鼻を鳴らした。

「お目付け役か。まあ、良い。その辺で適当にしていてくれ」

 諸田は再びモニターに向かう。


 俺は彼から少し距離を取り、前方の巨大なモニターを眺めた。

「どうなってるんです?」

 脇で作業をしているオペレーターの一人に尋ねてみる。

「ああ、ちょっとおかしなことになっていて……」

 そう彼が答えようとした矢先、

「おい!」

 諸田がそれを制するように、大きな声を上げた。

 オペレーターは申し訳なさそうに首をすぼめ、作業へと戻る。

「作業中だから、ちょっかいを出さないで貰えるか」

「あ、すみません」俺は小さく頭を下げた。

 諸田はチッとあからさまに舌打ちをすると、小声で、しかし聞こえるように


「ホスト風情が」


 と言うのだった。

 

 横にいるオペレーターが、一瞬、目を丸くしてこちらを見た。

 諸田の台詞は明らかに侮蔑の意味が多分に含まれていたけれど、俺はその台詞を聞いて、腹が立つというよりも、なるほど、と納得してしまう。


 キャストではなく、ホストか。


 思わず笑ってしまいそうになったが、諸田が睨みを効かせているので、顔を引き締める。


 あまりホスト事情に詳しくは無いが、色々とノルマを課せられているだろうホストたちと同列に並べられては、むしろ彼らに失礼だとも思うのだけれど、なるほど確かに、多くの女性を相手にするという点では、その通りなのかも知れない。


 そして、諸田が見下す『ホスト風情』の俺が、彼と同等に近い権限を得てしまったことが、気に食わないのだろう。

 話によれば、諸田は鳴り物入りでこの機関に編入したエリートのようだし、俺のような何の取り得も無い高校生の餓鬼が、こうして自分の領域まで出張ってくるのは、さぞかし目障りだろう。


 これは申し訳ないことをしたな、などと思った矢先、入り口のドアが開き、篠川所長がやって来た。


「首尾はどうか、研究室副長」


 篠川の声に反応し、慌てて諸田が振り返る。

「所長。わざわざ来て頂かなくても、順次、進捗を報告致しますのに」

「構わん。状況は」

「……少し、おかしな事態に発展しそうです」

「どういうことだ?」

 篠川が眉を寄せ、諸田は小さく頭を下げる。

「おい、モニターを例のものに」

 諸田の指示で、部屋前方に掛けられたモニターの映像が切り替わる。


 そこには、校舎の廊下を歩いている拍子木平太郎の姿があった。

 右下に表示された時刻を見ると、午前十一時を少し回っている。

 まだ授業時間のはずだから、教室を抜け出したと言うことだろうか。


「授業中に、トイレに行くと席を立ったことは、授業を担当していた教師の証言から判明しています。しかしこのゲストは教室には戻らず、鞄も置きっぱなしの状態です。次」


 再び映像が切り替わる。

 廊下の階段に腰を下ろした平太郎の下に、一人の人物が近づいてきた。

 拡大している画像の荒さから、どういう人物なのかはいまいち判然としないが、恐らくは女性であろうことが窺える。


「彼女は?」

 篠川の問いに、諸田は首を振った。

「データと照合してみましたが、生徒ではないようです」

「では、キャストだと?」

「いえ、それも違うようです」

「部外者が、中に?」

 思わず口に出した俺を見て、諸田は一瞬、不快な顔をした。

「不明です。次」


 次の映像は、拍子木平太郎と謎の女性が、図書館付近を歩いている姿だった。

「この後、二人は図書館裏側の壁とフェンスの隙間へと入って行き、その後消息不明です」

「その映像は無いのか?」

「残念ながら……図書館の真裏は、死角となっていて」

「それから今に至るまで、彼の姿はどこにも確認されていないと?」

「そうなります」

 篠川は腕組みをし、「ふむ」と顎を触った。

「付近の捜索は?」

「現在、手の空いたキャストとサブキャストに捜索させています。見つかり次第、連絡を入れさせることになっています」


 確かに、先ほどからモニターの端々に、誰かを探すような仕草をした人々の姿が見受けられた。制服を着ているものもいれば、教員や用務員の姿もある。見れば、寮長のお爺さんまでもが、捜索に借り出されているようだった。


 モニターは次々と切り替わり、校内各所を映し出している。

 過去の映像を映しているものもあるようで、そちらは早送りや巻き戻しを繰り返し、何か不審な点は無いか、チェックをしているようだ。


 ぼんやりとモニターを眺めていたら、右下のモニターに、ふと、影が過ぎった。

 一瞬で消えてしまったが、あれは、もしかすると――。


「ちょっと、右下の映像、巻き戻して貰えませんか?」


 俺は操作しているオペレーターの横まで歩き、やんわりと指示を出す。

 不承不承と言った感じで頷いたオペレーターは、カタカタとキーボードを操作する。


 画面が巻き戻され、再び再生された。

 何の変哲も無い、校舎を囲うフェンスが映し出されている。

 カメラは左右に動くタイプのものらしく、フェンスを舐めるように映し続けている。そこに一瞬、影が現れた。


「ストップ!」


 俺の合図で、映像が停止する。

 画面の端に、小さな何かが横切る瞬間が映し出されていた。


「……これ、何ですかね?」


 俺はモニターを指差し、オペレーターに確認する。

 彼も良く分からないようで、「さあ」と首を傾げていた。


「どうした?」

 篠川が俺の横に並び、モニターを覗く。

 影を確認した篠川は「別視点を」とオペレーターをせかす。


 慌てたように切り替えられた画面は、先ほど映っていたフェンスをやや遠近から収めたものだった。

 やはり左右に動くタイプのカメラで、緑色のフェンスはカメラが一番右へ移動した時にしか映らない。

「時刻、合わせます」

 オペレーターが手元の機械を操作する。画面はコマ送りされ、そして、正常な速度で再生された。


 カメラがフェンスを捉えている。

 何も映っていない。

 やがて、視点が左へゆっくりとずれて行き、左端の頂点まで移動し、再び元に戻ろうとする。


「あ」俺はモニターを指差した。


 カメラが右端のフェンスを捉えようとしたその時、影が映り込んだ。

 しかしそれも一瞬のことで、その影は建物の裏側へと隠れてしまう。

「今のは……」諸田が身を乗り出す。

「拡大!」

 篠川の合図と共に、巻き戻された映像に映った影が拡大して表示される。

 解像度の問題でぼんやりとしか分からないが、それは拍子木平太郎と共にいた女性に違いなかった。

 そして、全員の頭に、一つの疑問が過ぎる。


 ――この女性はどこから現れたのか?


 カメラの首が振られる前は、そこには誰もいなかったはずだ。

 左右の動きは決して速くは無いとは言え、映像を見る限り、フェンスの脇を走り抜けて建物の裏に回りこめるような時間は決して無い。勿論、フェンス自体も簡単には乗り越えられない作りになっている。


「どういうことだ……?」

 諸田が首を捻り、篠川は顎に手を当てる。

 どうやって入ってきて、どうやって消えたのか。

 謎は深まるばかりで、時間だけが刻々と過ぎていく。


 俺はずっと、拡大された彼女の映像を眺めていた。

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