迷宮

 翌日。

 一通り授業を終え、部室へ向かおうと教室を出る際、織守に引き止められた。


「ちょっと、待ちなさいよ!」

 織守は両腕を腰にあてがい、仁王立ちをして行く手を塞ぐ。


『やっぱり、忘れてなかったみたいだねぇ』と耳奥からQの声。


「今日は部員の勧誘をする約束だったでしょ!?」

 織守は憤懣やるかたないと言った表情で、俺をにらみ付けた。

「勧誘する部活の名前は? 活動日数は週何日だ? そもそも顧問は決まったのか?」

 疑問を一つ口にするたび、織守の顔が段階を踏んで曇っていく。

「結局、何も考えられてないんじゃないか。それで誰を勧誘するつもりだ?」

「うるさいわね! 良い名前が浮かばなかったのよ!」

「名前第一かよ」

 名称は仮としておいて、まずは活動内容から考えていれば、まだ説得のチャンスがあったというのに。

「そんな状態で、週に一度しかない部活の貴重な活動時間を割くわけにはいかん」

 そう言ってやると、織守は気勢を無くし、ぐぬぬと口をひん曲げる。


『お見事』Qが手を叩く音がマイクに乗り、耳に届く。


「明日までに考えておくから、覚悟してなさい!」

 ふてくされた顔を浮かべてはいたが、織守はしぶしぶ了承した。


 彼女には申し訳ないが、部活は週一日しかないので、都合上、こちらを優先せざるを得ない。

 織守千尋の部活新設に関しては、一時保留という扱いになったと、今朝方Qから聞いていた。一つの部活を作るというだけでも他部署との調整が必要だし、時機を逸した今であれば尚更だ。


 校舎を出て、文化部の部室塔へ向かう。この学校の部活はかなりの数があり、その殆どが訳の分からない名称を付けられていて、在籍する部員数も極端に少ない。

 すべては、ゲストである彼女たちそれぞれの意向である。

 彼女たちの殆どが、新しいものを造りたいという意欲に駆られていて、既存のものに参加する気はさらさら無いらしい。勿論、織守のような無所属派もいて、彼女のように、何かしら縛られることを強制されるのが億劫なタイプもある。彼女たちは皆ワガママなのだ。


 そんな中、文芸部という地味目な部活を選択したゲスト、伊鞍彩香いくらあやかは、非常に稀な部類に入る。彼女が文芸部を選択した当初は、研究対象としての順位をかなり下げたほどだ。それほど部活動の選択というものは、判断材料として重きを置かれている。


 では何故、伊鞍彩香が研究対象として取り上げられたのか――それは、偏に彼女の持つ才能によってだった。


『ゲストは十分前から椅子に座り読書中。タイトルは、えーと……何て読むんだこれ』


「ういっす」

 文芸部のドアを開くと、そこにはすでに伊鞍彩香の姿があった。

 十畳ほどしかない狭い部室は、四方が本棚で埋まっていて、これでもかと言うくらい様々な種類の本で埋め尽くされている。中央に申し訳程度に机が置かれているが、椅子は二脚しかなく、人が活動するスペースは殆ど本に占められているといっても過言ではない。


「一分、遅刻ですね」

 伊鞍彩香は腕時計を見ながら、おずおずと言った。


「あれ、そう? ギリギリ間に合ったと思ったんだけど」

「いいえ、ほら」伊鞍は左手首に巻いた腕時計をグイとこちらへ見せ付ける。

「そうか、そりゃ、申し訳ない」

 俺は小さく頭を下げ、伊鞍の向かい側に腰を下ろす。鞄の中から文庫本を取り出し、ページを捲る。ふと、昨日の山乃葉マリの姿を思い出した。彼女はどんな気持ちで、何を読んでいたのだろう。


「あ、あの」

 不意に、伊鞍が声を掛けてきた。


「ん?」

「あの、その、約束……」

「……約束?」

「部活に遅刻したら、言うことを一つ聞いてくれるって、約束……」

「え? そんなこと言ったっけ?」

 俺が首を傾げると、伊鞍は泣きそうな顔になりながら、

「去年の十月十四日、十八時十二分に、次に遅れたら、言うことを一つ聞くって」

「……あ、そうだったっけ」

 全く覚えていない。去年の十月と言えば、今から八ヶ月も前の話だ。


『ログを確認……』


「そうです、言ったんです」伊鞍はやや前傾姿勢になりながら、頬を膨らませた。


『……確かにそう言ってるね。時間も正確……ああ! この日は織守千尋と一緒に、総合体育館で大暴れした日だ! ほら、他チームのゲストと接触しそうになってさ、君らキャストが必死に立ち回って、ギリギリで回避出来たって、例のあれ』


 Qの説明を聞いて、思い出した。

 その日も部活だったけれど、織守を宥めるのにかなりの時間が掛かってしまい、部活に二時間も遅刻した。運悪く、伊鞍とは図書室で本を借りる約束をしていたものだから、彼女を宥めるのも大変だった。


「言ってましたか……」

「より正確に言えば、これから部活に一分でも遅れたら、言うこと一つ聞くよ、です」

『一言一句、間違ってないね』

「流石、伊鞍は記憶力が抜群だ」


 これが、彼女の特異な能力だった。

 彼女は、一度記憶したことは絶対に忘れないし、微細に至るまで覚えている。その気になれば、彼女が手にしている文庫本を一冊丸ごと暗記することも出来るだろう。

 元々、成績優秀な彼女ではあったが、それが発覚したのは、数学の授業中、脇道にそれた教師が円周率の問題を出し、彼女が小数点以下第二百位までよどみなく紡ぎ出した瞬間だ。教師が止めなければ、彼女は更に続けていただろう、と研究員は言っていた。


「それで、その、や、約束なんですが」

「え? ああ、うん」

「何でも、一つ……なんですよね」

「そう言ったなら、そうなのかな」

「それじゃ、その……」

 伊鞍は急に顔を赤らめ、もじもじと文庫本を閉じたり開いたりしている。

『お、まさかまさか!?』Qも何故か興奮している。

「チ、チ……」

「ち? 何だ? 血が出たのか? 怪我?」

「ち、違いますっ! その、チ…………チュウを」

「え?」

 自分の名を呼ばれたのかと、思わず聞き返してしまう。しかし、そんははずが無いことは、良く考えれば分かることだった。

「ちゅう? 空中? 空を飛びたいのか?」

「あ、いえその……なな、何でも無いです!」伊鞍は顔を紅潮させ、声を荒げた。

「まあほら、遅れたって言っても一分だから。そんな大げさな罰はやめてくれよな」

「罰なんかじゃ、無いんですけど……もう良いです」

 彼女は意気消沈とばかりに肩をションボリと落とし、文庫本をいじっている。それから、こちらを恨めしそうな顔で見つめると、「鈍感なんですから……」と呟いた。

「え?」

「い、いえ、なんでも!」ブンブンと顔を振る伊鞍。


『いやあ、ドキドキしたね!』

 Qは楽しげで、興奮冷めやらぬといった調子だ。

 こっちは気が気で無かったというのに。


 立場上、キャストとゲストが恋愛関係にまで発展することは、当然ながら禁じられている。相手がその素振りを見せてきたとしても、上手く交わすよう指示されているし、その為のマニュアルまであるくらいだ。それでもどうにもならなかった時は、当然ながら配置換えとなる。


 幸いにして、その後は『約束』に関する話題は挙がらなかった。本を読みつつ、伊鞍からぽつぽつ近況を聞きだし、部活の時間は終了する。


 キャストとして彼女と付き合うようになってからもう大分経つが、記憶力以外では、特にこれといった特異な点は見受けられないのが現状だ。織守千尋が設立しようとしている部活の件もあるし、ひょっとすると、伊鞍彩香の調査は打ち切られる場合もあるかもしれない。その理由は恐らく上が拵えてくれるだろうから、気にする程のことでも無いだろう。


 部活を終え、寮から地下道を通り、研究施設へ向かう。

 地下一階を歩いていると、会議室の前でまた声を掛けられた。


「チュウさん!」


 振り返ると、会議室のドアの隙間から、先日の女性キャストが顔を覗かせている。

「ああ、どうも」

「とうとう明日、デビューなんですよ!」

「ああ、そうなんだ」

「それでですね、あの、何か心構えみたいなものがあれば、お聞かせして頂けないかと思いまして」

「心構え……?」

「はい! 上手くやる秘訣と言いますか」

「秘訣、ねぇ」そんなものがあれば、俺のほうが聞かせて貰いたい。

 しかし、熱の篭った目で意見を求められ、無下に追い返すのも気が引ける。

「予定通りに進むことはまず稀だから、無理に修正しようとしないことかな」

「なるほど」女性キャストはメモ帳を取り出し、熱心に書き記している。

「あとは……オペが上手く誘導してくれると思うから、それに任せてれば良いんじゃない?」

「はい、分かりました!」と彼女は満面の笑みを浮かべ、頷いた。

「ところでチュウさん、三話同時進行中って本当なんですか?」

「え? ああ、うん」

「凄いなあ! 三人同時だと、殆ど毎日がお仕事にならないですか?」

「まあ、そうかな」

「やっぱり。そうなっちゃうと、自分の時間が無くなっちゃいますよねぇ」

「……自分の時間?」意味が分からず、聞き返す。

「素でいられる時間って言うか、本当の自分? みたいな」

「……はあ」彼女の言葉に、俺は曖昧に頷いた。


 本当の自分、とは何だろうか。


 キャストとして行動している時、確かにある程度感情を作っている部分はあるが、別段、無理をしている訳ではない。男キャストと女キャストで大分雰囲気も違うらしいから、おそらく彼女の場合はそうせざるを得ないのだろう、と納得した。


「それじゃあ、これから最終打ち合わせなので、これで失礼します。また、機会があったらお話させてください!」


 女性キャストは丁寧に頭を下げると、小走りで会議室へと戻っていった。

 その姿を見送ってから、俺は階段を降り、Qの待つオペレータールームへと向かう。定例の報告を済ませ、軽く雑談、それで、本日の業務は終了となる。

 先ほどの彼女の言を借りるならば、つまり、これから本当の自分の時間だ。


 しかし、俺はエレベーターに乗り込むと、地下六階へ向かっていた。


 勿論これは自分の意思ではあったけれど、何故向かうのか、その理由は全くもって明確ではなかった。


 モニタールームには、昨日の宣言どおり布永室長の姿は無く、世話係の三上がいるだけだ。三上は、まるで待ち受けていたかのように、俺を連れて山乃葉マリが閉じ込められている扉へと向かい、錠前の鍵を開けると、すぐにモニタールームへと戻って行った。終始無言だった。


 所長の篠川や室長の布永もそうだが、Qにしろ、この三上にしろ、研究施設に携わる人間は、その本心が読めない人物が多い。俺からすれば、研究対象である女性ゲストよりも、彼らのほうがミステリアスであり、危うさがあると思うのだが、勿論、これを誰に話したことも無い。


 扉の前で一呼吸してから、ドアノブを捻る。


 昨日と変わらぬ格好で、山乃葉マリは本を読んでいた。文庫ではなく、分厚い単行本だったので、昨日のものはもう読み終えてしまったのだろう。


「…………」

 山乃葉マリは、俺を一瞥すると、再び本に目を落とした。


 俺は所在無くうろうろと室内を歩き回り、ベッドの脇の本棚を覗いてみたりする。


「……何? 何の用?」


 背後から、彼女の声。振り返ってみると、彼女は本に目を落としたままで、ペラ、と一枚ページを捲っていた。


「用事が無いなら、来ないで」

「いや、まあ、そうなんだが……」

「どうせ、同世代だから話し易いだろうとかあいつらに言われて、のこのこやって来たんでしょ」

 彼女は冷たく言い放つ。あながち、間違っているわけでもない。

「あんたたちに協力する気は、一切無いから」

 そう、投げ捨てるように言うと、彼女は単行本をバタンと机の上に置いた。そして、黒い瞳で俺を睨み付けて来る。


 どうしたものか。


 こういう、切り捨てるような態度の女性ゲストは、今までに無かったわけじゃない。その時は上手く切り返せていたはずなのに、しかし今はどういうわけか、何も言葉が出てこなかった。

 あるいは、目指すべき目標が設定されていないからかも知れない。

 山乃葉マリから、聞き出すべき情報など有りはしない。殆どの情報は、昨日もじっくりと目を通した報告書の中に記載されているし、記載されていないことはと言えば『あの事象』に関することや、コウスケに関することだろうから、今の俺が彼女に聞いて良いことではない。


 所詮、俺はオペレーターのQがいないと、何も出来ないということなのだろうか――そんな思いを抱かせるほど、彼女に対して、何と声を掛ければ良いかが分からないのだ。


 結局、この日も会話らしい会話は出来ず、俺は部屋を辞した。彼女に会えば会うほど、俺は自信を無くしていく。


 一体何をやっているんだろう、と思わないでもない。

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