報酬

 オペレーションルームを離れ、エレベーターで更に階層を降り、地下三階の所長室へと向かう。


 キャストが頻繁に出入りする訓練室の側に所長室を設けたのは、彼らへの牽制の意味もあるのだろう。あの所長が側にいると分かれば、おふざけなどという空気には到底なれはしない。


 所長室入り口横のパネルにIDカードを翳し、しばらくの間待っていると、滑るように扉が開いた。


 室内の壁面にはずらっと棚が並んでいて、分厚い本や資料で埋め尽くされている。大きな机が部屋の端に置かれていて、その上には紙の束が山積みになっていた。


 その机の向こう側、分厚い皮製の椅子に、この研究機関の長である篠川姫由梨しのかわひめゆりが腰掛けている。


「来たか」と呟いた篠川は、眺めていた資料を机に置いた。


「今日、三人目が始まったらしいな。ご苦労だった」


 篠川は低い声でそう言うと、掛けていた細眼鏡を外し、折り畳む。耳が隠れるほどの短い髪の毛を一度かき上げると、部屋の中央へ来るように手招きをする。


「話しというのは、他でもない。今回の件で、君には更に多くの権限を持って貰うことが決定した」

「権限……と言うと」

「具体的には、総合司令室、資料室、研究室、各オペレーションルームへの入室許可。これは、各部署の部長待遇と同等と考えて貰って構わない」

「オペレーションルームって、つまり、他チームの?」

「そう言うことだな。何せ君はキャストとして最古参であるし、本施設の職員の中でも、相当長くこの研究に関わっている部類に入る。ある意味、君がこの研究機関の核であると言っても過言ではないと、私は思っているんだよ」

 篠川は口元をクイと曲げた。


 思えば六年前、彼女に誘われて俺はこの機関に入った。

 まだ末端の研究所でしかなかった時からずっと、彼女は俺の上司として、その手腕を振るい続けている。

 母親と呼べるほどの年齢ではないはずだし、また、そう呼んだなら烈火の如く怒るだろうが、研究機関に入った当初は、それに近い感情を抱いていたものだ。


「各部署へはこれから通達する。かと言って、特に何をする必要も無いんだが、時には他チームの様子も見てやってくれ。特に、新設された男ゲストのチームは、何かと問題がありそうだ」

「はあ……」

「そう畏まることも無い。私が言えた義理ではないが、君は少し、愛想というものを覚えるべきだ。ここに来てからというもの、君がまともに誰かと会話をしている姿を見たことがない」

「Qとは、良く話をしていますが」

「アレは別だ」篠川が苦笑いを浮かべた。


「可笑しなものだ。君は研究対象の扱いに関しては非常に優秀であるのに、普段の人間関係は、むしろ逆だ。適正があると言えばそうなのだろうが、研究室長あたりが君に興味を抱くのも良く分かる」


 研究室長は、この機関で調査されたデータを統合し、予兆があるかどうか、危険度はどの程度かを判定する重要な役職であり、篠川の言葉を借りれば、まさにこの研究機関の核となる人物である。

 俺とQが提出したデータも、彼の元へ届き、目を通されているはずだ。


「さて、本題に入ろう」そう言うと、篠川の目に鋭さが増す。「君にはこれから、ある少女と会合して貰う」

 ある少女、と聞いて、俺はハッと息を飲む。その反応を見て、篠川は一つ頷いた。


「そうだ。山乃葉マリと会って貰う」


 山乃葉マリ。一年と半年前に「事象」を発生させた少女。


 それは一瞬の出来事であったが、彼女が引き起こした事象により、日本各所が電波障害に包まれ、そして、一人の男が死んだ。

 今までの調査内容が見直され、地上にある校舎と地下施設の建築、更には男子高校生を対象にした研究チームの発足へと繋がる現在までの流れを作った、その中心にいる少女。


 それ故、この研究機関の地下深くに、今もなお幽閉されている。

 だから、俺は会ったことが無い。

 けれど、しかし、その名を一度も忘れたことが無い。


「彼女と直接会うことが許されているのは、私と、研究室長、それと彼女の世話をしている一部の人間のみ。それを考えれば、君がどれだけの権利を有することになるのか、多少分かり易くもなるだろう」

「……どうして、俺が?」

「私は君を買っているが、これは私の独断と言うわけではない。室長の意見も同様だ」


 そう言いながら、篠川はタバコを取り出し、口にくわえた。

 高級そうなガスライターで火をつけると、一息、大きく煙を吐き出す。


「君は、この研究機関がどういう状況にあるか、理解しているだろう?」

「まあ……何となくは」俺は小さく頷いた。


 この機関は政府直属の機関ではあるけれど、しかし彼らに快く思われているというわけではない。


 まず第一に、研究結果が非常に曖昧であるという点。


 なにせ謎が多く、関係者であっても理解出来ていない部分が多いのだから、報告書を提出されただけの人間には尚更だろう。


 更に、一年半前に引き起こされた、国際問題にまで発展した『事象』。


 その原因の多くは、この研究機関にあることは間違いない。

 政府の要求に応えるため、無理な研究を続けてきたという言い訳もあるにはあるが、それが通用するわけもない。資金援助は成されたものの、この機関に対する負の感情は、以前にも増して色濃くなったと言っていいだろう。


 今、この研究機関は大きく二つの流れがある。

 所長と研究室長を信奉する旧体制派と、研究室副長を筆頭とする新体制派。


 勿論、それは水面下でじんわりと広がっているものなので、目の見える範囲では、そこまであからさまに分断されているわけではない。


「あの事象が発生してから今まで、彼女たちに対する研究は停滞気味だ。それは仕方が無い。彼女たちが抱えている爆弾……いつ爆発するとも知れず、誰が持っているか分からず、それがどのような状態にあるのかも判断し辛いとあれば、慎重にならざるを得ない」


 篠川はタバコの先端を見つめ、それからまた一つ吸い、長くなった灰を灰皿に落とす。


「だが、上はそれでは納得しない。莫大な予算を与えてやっているのだから、研究の成果を見せろとせっついてくる。その結果、研究対象を男子に変更し、研究室副長の指揮の下、彼らから何らかのデータが得られないかと躍起になっているわけだが……キーはやはり、彼女たちにある。そこは揺るがないのだよ。特に、山乃葉マリだ」


 タバコを灰皿にぐいと押し付け、篠川は椅子に背中を預ける。


「彼女に対する研究は、研究室長がほぼ単独で動き、細々ながら続いている。しかしやはり、思った成果は上げられていないのが現状だ。だが、何もせず、このまま永遠に彼女を閉じ込めておくというのも、やはりおかしい。彼女はいつまでも少女ではないしな」


 篠川は机の上に置かれていた資料を、ポンと、と机の前方へ投げた。


「山乃葉マリのデータだ。君は彼女と会い、そして君が普段やっている通りに彼女と会話して欲しい。勿論会話の内容はモニターさせてもらうが、オペレーターは不在。目標も特には設定されていない。だから、そう気負う必要は無いよ」


「会話、ですか」

 俺はその資料を手に取り、目を落とす。

 そこには、彼女に関する情報が、事細かに記載されていた。


「あれ以来、彼女は誰にも心を開くことが無い。そこで、君だ。君が優秀であることは、この機関内にいる人間ならば誰しも承知しているとは思うが、今回の一件で、それは周知のものとなったわけだ。今の今まで、一度に三名の調査を同時並行していけたキャストなどいないのだからな」

「一つは、今日始まったばかりですが」

「良いんだよ。君の今までのキャリア、相対してきた女性たちの数を見れば、有能であることは明らかだ。今回のこれは、君が山乃葉マリと接触するための大義名分に過ぎない。煩型を黙らせるための、な」

「はぁ……」

「君に託した、と言うと、萎縮してしまうかも知れないが……成果が得られなかったといって、落ち込む必要も無い。そういう仕事だ。一つ、よろしく頼む」

「分かりました」


 山乃葉マリと直接会い、そして何らかの会話をする。

 それに関して、俺自身、色々と思う部分はある。

 彼女の名を聞くだけで、どうしたって、あの事象を思い出してしまう。


 篠川を含めた研究員たちの青ざめた顔と、死んでいった一人の男。


 けれど、彼女に会うのが嫌なのかと問われると、答えはどうも違う気がする。

 むしろ、俺は会ってみたいのかも知れない。会いたかったのかも知れない。


 だから、了承した。

 元々、拒否する権利など持ち合わせてはいないのだろうけれど。


「ならば、早速これからやって貰いたいのだが……Qとの打ち合わせは?」

「あとでレポートを送るだけで、特には」

「宜しい。では、室長に連絡を入れる」


 篠川が内線通話を掛け、それから、二人連れ立って所長室を出た。


 エレベーターに乗り込み、篠川に言われるがまま、階層ボタン上部にあるパネルにカードキーを翳す。すると、パネルの下部が横開きに開き、普段は表示されていないはずの階層、地下六階までのボタンが出現した。頷く篠川を見てから、俺はそのボタンを押した。


 エレベーターが下降していく。

 どこまでも深く、深く潜っていく。

 俺はその間もずっと、手元の資料を眺めていた。


 やがて、チン、と言う間が抜けた音と共に扉が開いた。

 俺は篠川に先導されるようにして、やはり似たような色合いの廊下を歩く。


 突き当たりに大きな扉があった。その扉の横にも入室用のパネルが設置されていたのだけれど、何よりも目を引いたのは、扉の中央部に取り付けられている、拳二つ分もある巨大な南京錠だった。


 何もかもがハイテク機器で埋め尽くされているこの地下施設において、その無骨な銀色の錠前は、あまりにも原始的で、場違いだ。


「彼女の特性は、君も知っての通りだ。もしその力が発動したのならば、電子ロックなど何の役にも立たない。色々と考えたのだが、結局のところこいつに落ち着いた」


 篠川は重量感のある南京錠を持ち上げ、そう説明する。

「モニタールームはこの横だ。来たまえ」


 無骨な扉の隣にモニタールームはあった。


 Qたちオペレーターがいるオーペレーションルームと同じく、前面に数多くの液晶パネルが並んでいるが、その中央あたりにガラス窓がはめ込まれている。


 それは、隣の部屋の内部を直接視認するためのものであり、室内の様子が窺えた。

 ここからでは距離があり、その表情までは分からないが、学生服を着た一人の少女が、椅子に座っている姿が確認出来た。


「室長、連れてきたぞ」

 篠川の言葉に、中央でモニターを観察していた男が振り返った。


「おお、君と会うのも久しぶりだな」

 布永ふなが研究室長は俺を見て片手を上げる。

 小柄で太り気味、椀のようなじっとりとした目が特徴的の、不健康そうな中年男だ。


「室長も、お変わりないようで」

「そうでもない。代わり映えしないデータを眺めてばかりで、儂はストレスで痩る一方だ」


 室長はそう皮肉ったが、目が笑っていないので、冗談なのかどうなのか判別が付かない。儂、などと自分を表現するような年齢でも無いのだろうけれど、布永室長には妙に似合う。


「さて、今日君にやってもらうことは……所長から聞いているかね」

「大まかなことは、説明してある」

 篠川は窓に近づき、隣室を覗きながら答えた。


「山乃葉マリの様子は?」

「何も変わらん。世話係と一言二言、会話を交わしはするがな」

 布永室長はそう言って、入り口にジッと控えている女性を指差した。

 布永と同じく白衣姿のその女性は、俺と目が合うと無表情のまま小さく頭を下げる。


「君の活躍次第では、副長一派の糞連中共を黙らせることも可能になる。宜しく頼むよ」


 室長はそう言って、口の端をぐにゃりと曲げた。

 話が違うんじゃないか、と篠川の方を見るが、彼女は俺と目を合わさず、手前のモニターに目を落としている。


「じゃあ、早速掛かってもらおう。資料は、受け取ったかね?」

「今、さっき」

「ふむ。まあ、何の参考にもならんよ。そこに書いてあるのは、ただの上辺に過ぎん。研究の結果がどうなったかは、君も良く知っているだろうからな。三上」

「はい」


 三上と呼ばれた世話係の女性は、扉を開き、廊下へと出て行く。促されるようにして、俺は三上の後を追った。


 突き当りまで行くと、彼女は懐から大きな鍵を取り出し、錠前のロックを外す。パネルにIDを掲示するように指示をされ、自分のカードを掲げると、ピピ、とドアロックが解除される機械音が鳴る。


 それを確認すると、三上はくるりと踵を返し、モニタールームへと戻っていった。

 

 彼女が視界から消えるのを確認して、再び扉と向き合う。


 この奥に、あの山乃葉マリがいる。

 このままにらめっこしていても仕方が無い。

 

 俺は重たいドアノブを捻り、扉を開けた。

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