裏側

 放課後になって寮の自室へと戻る。


 鞄を置き、部屋に備え付けられているクローゼットの中、床面のパネルを開けて梯子を降りた。薄暗いキャスト用連絡通路を通って、本部へと向かう。

 周囲を鉄板で覆われた通路は、少し肌寒く、革靴の音がカツンとこだまする。


 やがて、分厚い金属の壁が眼前に現れる。


 パネルにIDカードを翳すと、ピピ、と小さな電子音が鳴り、空気が噴出するような音と共に、扉が開いていく。


 薄暗い廊下に光が差し込んだかと思うと、目の前に青藤色の廊下が現れた。

 いかにも近未来SF的な様相だが、それを狙ったわけでは勿論無く、特定の電磁波を遮断する特殊加工された金属を用いているそうだ。


 高校の地下に建設された研究施設は、幾つかの階層に分かれている。


 下に行けば行くほど重要度が増していき、それに合わせてセキュリティの度合いも増加する。

 キャストが立ち入れるのは、学校要所に通ずる連絡通路、キャスト用待機室、会議室があるこの地下一階と、オペレーターが指揮を振るう地下二階、研究室や訓練室のある三階までだ。

 それ以降ともなると、キャストは勿論のこと一般研究員なども立ち入りを禁じられている。


 細長い廊下を歩いていると、学生服を着た生徒や、黒服、あるいはサラリーマンのようなスーツを着た人々とすれ違う。


 今、一体どれくらいの人がキャストとして動いているのか俺にはもう分からない。


 年を追う毎に増えていっているようだし、知らない顔ばかりだ。どこから連れて来たのか、外国人まで居たりするから驚きだ。


 会議室の前を通りかかった時、声を掛けられた。


「チュウさん!」


 振り返ると、オレンジ色のニットキャップを被った若い男が、会議室から顔を出し、こちらに向けて手を振っていた。会議室や待機室は、大小様々な区画に分かれていて、それぞれ担当するストーリ毎に分けられるのが常となっている。

 室内は、黒いプラスチック製のパイプ椅子が並べられ、中央に幾つか、鉄製の大きな机があるだけで、非常にシンプルな作りになっていた。


「お疲れ様っす!」

「ああ、お疲れさん」彼の名前も分からないが、軽く手を上げて返事をした。


 チュウとは、この研究機関における俺の呼び名であり、勿論これも本名ではない。中学生の時にここに所属したからか、機関職員は皆俺のことを「あの中学生」と呼んでいた。それが簡略化され「チュウ」と呼ばれ出し、定着してしまったのだ。


 ニットキャップの男があけた扉の隙間から、チラと室内が見えた。ラフな格好をした若者が十人ほど、椅子に腰掛けて資料に眼を落としている。

 どうやらかなり大所帯のようだ。


「え、誰?」

 同じく室内にいたセーラー服の女の子が顔を覗かせる。


「チュウさんだよ。知ってるだろ?」

「え? あの!? あ、初めまして!」

 女子生徒は顔を明るくし、こちらに駆け寄ってきた。


「お会いできて光栄です! 色々とお話を聞かせて頂いてます!」


 一体どんな話を聞いているのか想像も付かないけれど、どうも、と頷いておいた。

「会議中じゃないの?」俺は会議室を指差す。

「あ、これからなんです。私、今度初めてキャスト出演するんですよ。メインだから、緊張しっぱなしで」

「女性がメインってことは……」

「男ゲストなんっす」ニットキャップの男が補足する。

「なるほど」


 男性対象の研究チーム――つまり、彼らは最近発足した部署の所属ということだ。


 俺のような平凡さが売りのキャストとは違い、男子生徒相手のメインキャストとなると、それ相応のスキルを持っていることが絶対条件となっている。

 目の前のこの女性もまた、普通に高校生活を営んでいれば、何かしらの面で活躍出来るだろうし、他の生徒から羨望の眼差しで見られることは間違いないだろう。


「私もう、ドキドキしちゃって。ユウトさんたちに助けられて、何とかいけそうにはなってるんですけど」

「まあ、フォローくらいはね」キャップの男は小さく頷いてみせた。

「やっぱり、チュウさんくらいになると、緊張とか、しないんですか?」

「いや、するよ。普通に」

「本当ですか? それを聞いて安心しました!」女子生徒がにこやかに微笑む。


「そろそろ打ち合わせするよー」

 会議室からそう声が掛かり、その女子生徒とキャップの男は、丁寧に頭を下げて、室内へと戻って行った。


 ――男ゲスト、か。


 昔は無かった部署だ。


 今から一年半前に、研究機関が始まって以来の最悪の事例が発生するまでは、ずっと女ゲストが研究対象だったからだ。


 男ゲストの場合は、関わってくる人数もより多く、エキストラ的な扱いで参加する人物もかなりの数を揃えていると聞いた。

 とにかく派手らしく、噂では銃火器が登場したり車が爆発したりするらしいから、一体何をやっているのか興味が沸かないでもないが、勿論、作戦行動中は他キャストが故意に別ストーリーに接触することは硬く禁じられている。

 担当オペレーターのQが言うには、ギリギリのラインを超えているんじゃないか、ということまでやっているようで、果たして男ゲストは大丈夫なのかと考えなくも無い。


 この研究施設の現状を省みれば、追い詰められて多少の無茶をしてしまうのも、分からなくは無いのだが。


 廊下を歩き、中央に設けられた階段で下層へ向かう。

 地下二階は幾つものオペレーションルームが並ぶ区画になっていて、こちらもそれぞれのストーリーごとに割り振られている。

 上階より機密保持の意識も高く、それぞれの部屋は厳重にロックが掛かっていて、IDカード無しでは入れないようになっている。


 階段を下りた右側、ドアの中央に「1」と記されている部屋へと向かう。

 入り口のパネルにIDカードを提示すると、滑るようにドアが開く。


 やや薄暗い室内の前方には無数のモニターが所狭しと並べられ、どれもが淡い光を発している。その手前には、校内にある様々な物を操作するスイッチ、カメラを切り替えるボタン、音量のボリュームを調整するレバーやらがぎっしりと並んでいる。


 中央の椅子に座り、カチャカチャとキーボードを叩いているのが、俺の専属オペレーターであるQだ。


 Qは俺の入室に気が付くと、くるりと椅子を回転させた。

 ボサボサの髪と、それに良く似合った銀縁の眼鏡を掛けた、いかにも研究者と言った容貌。その眼鏡の奥にある二つの細い眼が、俺を見るなり更に細まった。


「やあ。おかえり、チュウくん」


 Qは片手を挙げて挨拶をする。俺は頷くことで返事をした。

 Qと言う名前は勿論偽名であるが、これは俺のあだ名と掛けている訳ではない。とあるスパイ映画を参考にしたようで、要するに悪ふざけの一つだ。


「お疲れ様。一度に三話という快挙を成し遂げた感想はどうだい?」

「いや、別に。まだ始まったばかりだから」

「またまた、ご謙遜を」

 にやけた顔を浮かべ、Qは中指で眼鏡のブリッジを上げる。


「それで、深影美薗の印象はどうだい?」


 Qはいつも、口頭による感想を求めてきた。どうせ後でレポートに纏めて送ることになっているのだけれど、彼は直接感想を聞きたがる。


「どうかな。まだ一回目だから何とも言えないけど……」

「けど?」

「何か……問題か、秘密を抱えてる気はした。それが、求めているものかどうかまでは分からない」

「なるほど」

 Qは椅子を回し、目の前に置かれたモニターと向き合う。


「深影美薗の制服に取り付けられたチップから判断すると、脈拍、鼓動共に、基本的には正常の範囲だったよ。君と出会った時も、それは殆ど変化なし。残念だね」

 Qが肩を揺らしている。


「上が渡してきた資料によれば、彼女はその素質がある可能性が、他のゲストよりも高いらしい。高いと言っても若干レベルだけどね。それでも万が一を考えたから、チュウ君にお鉢が回ってきたんだろうけど」


 Qはカタカタとキーボードを叩く。

 その間も、目の前のモニターには校内の様子が映し出されていて、その一つに寮の自室で椅子に座って本を読んでいる深影美薗の姿があった。


 特異な現象を発揮させる女性なんて、そうそういるもんじゃない。

 ここに集められた彼女たちも、世間一般からすれば、性格、行動が人並みはずれている、というだけで、存在そのものは非常に安全だ。


 しかし、だからと言って放置をしておくわけにもいかない。

 そういった女性たちが集められ、俺のようなキャストが彼女たちに触れ、安全なのか、そうでないのか、真偽を確かめる必要がある。


 現象発生の切欠は不明ではあるが、彼女たちが過度なストレスに苛まれぬ様にせねばならぬ反面、どういった刺激を与えると、彼女たちは過敏に反応するのかも探らねばならない。


 相反する二つの目的を同時にこなすのが、俺たちキャストの仕事である。


 それは、この世界を平常に運転するためにも、また、彼女たちのためにも良いことなのだと、俺はそう教わってきた。


「そうそう、あとで所長が顔を出せってさ」

「所長が?」

「一度に三話同時は、この機関発足以来初めてだから、褒めて貰えるんじゃない? 僕としても鼻が高いよ」

「俺なんかより、Qの方が負担は大きいと思うけど」

「労ってくれるのかい? ありがとう。でも、僕はモニターを眺めて、茶々を入れているだけだからね」

 Qは再び笑った。


 彼とは、もう長いこと一緒に組んで、幾つものストーリーを進めてきた。

 彼は本当に良く喋るので、煩わしいと思うこともしょっちゅうだったが、他のオペレーターと組むよりもやりやすいのは事実だった。

 必要な情報を即座に抽出するスピードは比類が無いし、他のチームの動きも正確に把握しており、また、緊急時における対処も的確だ。それを考えれば、お喋りであるという点に目を瞑ってもお釣りがくる。


「そう言えば、さっき男ゲストのチームと会ったな」

「ああ、初めてだった? そういや、準備は下の訓練室でコソコソとやってたみたいだからねぇ。今学期から動き出しだってさ。ジャンジャン新しいチームが出来て、スケジュール表がしっちゃかめっちゃかになってるよ。おかげでこっちとの調整がさあ、もう大変で」

 Qは頭をぽりぽりと掻いた。

「でもさあ、あっちは楽しそうだよね。銃とか、魔法とか。一度見させて貰ったんだけどさ、立体映像の技術も凄くてさ、怪物とか出せるんだよ? 工作部の連中、もう嬉々としてね。どうやって男ゲストを追い詰めてやろうか、って、男チームの連中と話し合ってさ」


「それで、ゲストは大丈夫なのか? 怪我とか」


「さあ? 女ゲストと違って、危険度はほぼゼロだろうからね。ギリギリまでやって、反応を調査したいんじゃないの? 聞いた話だと、制圧部の連中も参加してるらしいよ! あいつらいつも仏頂面してるくせに演技派だって言うから、おかしなもんだよねえ」


 制圧部とは、緊急時に武力を行使して場を治める、この機関の軍隊のようなものだ。ありとあらゆる状況を想定し、日々訓練に励んでいるらしいが、まさか、キャストとして参加しているとは思ってもみなかった。


「何にせよ、羨ましいことだよ」


 Qはパシンとキーボードを叩いた。彼ほどの能力があれば、部署移動も聞き入れて貰えそうなものだが。そう言ってみると、Qは「ははは」と笑うのだった。


「でもね、僕はあいつらがちょっと嫌いなんだ。美しくないよ、あいつらの仕事はさ」

「こっちも、別に美しいとは思わないけど」

「そう? 結構芸術的だと思うけどなぁ。女の子可愛いし」

 Qは首を傾げながら、必要なデータを打ち込んでいく。


「あとでレポートを送る」とQに言うと、彼は背中越しに手を振った。

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