ゾンビとワルツをですか!?

 もうすぐ昼休みが終わる。


 考え事をしながら歩く平太郎の横を、教室へ戻る生徒の集団や、駆け足でトイレに駆け込む男子生徒たちが通り過ぎていく。


 サーリという少女は、平太郎にベルを預けると、「今日はここで失礼します。用事が済みましたらご連絡下さい」と丁寧にお辞儀をし、どこかへと歩いて行ってしまった。


 あの子は本当に、この学校の生徒では無かったのだろうか。


 だとすると、この辺りに住んでいるのかも知れない。

 年齢的には同年代らしき印象を受けたけれど、もし本当に外国人だったならば、彼らは日本人よりも大人びている雰囲気があるから、あるいは結構年下なのかも知れない。


 しかし……、と平太郎は小さく笑う。


 人類最後の希望と、伝説の英雄か。


 どっちか一個だけでも設定を覚えるのが大変そうなのに、まさか二つも背負わされるとは。厨二病は引かれ合う、ということか。


 彼女たちの可愛さもあって、その設定に乗っかる素振りをしてみたものの……実際のところ、どうしたものか。

 皆がいる教室なんかで、恥ずかしげも無くアレを続けられてしまったら、流石にたまったものじゃない。


 彼女たちがどこまで真剣なのか――それを早いうちに見極めないと。

 見極めたうえで、どうにかして両方とえっちな展開になったら、良いのになぁ。


 廊下の一番端にある教室を目指し、ゆっくりと歩いていると、突然、平太郎の目の前に黒い影が躍り出て来た。


「わっ」と平太郎は声を上げる。


「拍子木平太郎さん……ですよね?」

 その黒い影が耳元で囁くように言う。


「あ、はいっ」


 吐息のような囁きに、平太郎は耳を押さえながら、慌てて身を仰け反らした。

 突然目の前に現れたのは、利発そうなボブカットが良く似合う女子生徒だった。


「あ、あの、お話ししたいことがありまして……ちょっと、き、来て貰えませんか?」


 その女子生徒は平太郎の手首を掴むと、グッと引き寄せる。


「え? あ、いや、どこに」


 女性の柔らかな肌に触れ、どぎまぎしながらも平太郎は問う。

 その女子生徒は少し頬を紅潮させつつも、無言で平太郎を引っ張った。


 校舎の端、階段を駆け上り、やがて、屋上の入口へと辿り着く。

 立ち入り禁止のプレートも気にせず、その女子生徒はドアノブを捻った。予想に反し、ドアはあっさりと開き、視界が一気に開ける。


 山奥の学校だけあって、屋上から見渡す景色は雄大だった。無数の木々が合わさって山稜を形成し、それがどこまでも続いている。山間には赤い高架がチラリと見え、タイミングよく二両編成の列車がのんびりと通過していた。


 女子生徒は平太郎の手を離すと、扉を閉め、屋上の中央辺りまでゆっくりと歩いていく。


「あの……話しって?」


 様々な想像が頭を過ぎり、平太郎は彼女の背中に尋ねる。

 まさかこの子も、伝説だとか、世界がどうこう言い出さないだろうな。


「こっちへ……来てください」

 くるりと振り返ると、女子生徒は平太郎を手招きする。


 従うように、平太郎は彼女の側へと近づいていった。近くで見る彼女は、愛らしい猫のような顔立ちをしていて、平太郎の気持ちはますます昂っていく。


「あの……実はですね、私……平太郎さんを……」


 彼女は顔を赤らめながら、小声でぼそぼそと呟く。 

「う、うん」平太郎はごくり、と唾を飲み込む。


「平太郎さんが……欲しいんです」

「え?」

「良いですか? 良いですよね?」

「いや、ちょっと意味が……」

 突然、その女子生徒が平太郎に抱きついた。

 平太郎はどうすれば良いのか分からず、ただただ身を硬直させていた。


 ――急にえっちな展開になった!

 これは、どどどどういう状況なんだ……!?


 平太郎は焦りながらキョロキョロと辺りを見回した。

 何らかのドッキリに掛けられているのではないかと思ったからだ。


 しかし、立ち入り禁止の屋上には、入り口横に監視カメラが一台、入口の上には給水タンクがあるだけで、フェンスも何も無く、その他には白い雲と緑色の深い山々が広がっているだけだった。


「戴きます」


 小さな声。再び、今度は首筋に甘い吐息が掛かる。

 そして、冷たく尖った感触。

 

 ぞわり、と寒気がした。


「そこまでだ!」


 そう声がして、屋上の扉が勢い良く開く。

 颯爽と屋上に入ってきた一人の女子生徒は、平太郎の下へ歩み寄るなり、手にしていた何かを平太郎の方へと向けた。


 パアァァァァンッ! 


 平太郎の耳元で破裂音が響く。


「うわっ!」


 何が起こったのか分からず、平太郎は反射的に顔を反らした。

 その頬に、べっとりとした液体が付着する。


「な、な、な……」

 思わず頬を手で拭う。平太郎の掌が真っ赤に染まった。


 掌の赤い液体を凝視し、その後、先ほど自分の体に密着していた女子生徒に視線を送る。


 すると、その女子生徒の顔――猫のように愛らしかった顔の丁度真ん中辺りに、ぽっかりと大きな穴が抉られていた。


「うわああああッ!」


 平太郎は叫び声を上げ、その場にへたり込む。

 遅れるようにして、その女子生徒もまた、仰向けに崩れ落ちた。


 一瞬にして変わり果ててしまった女子生徒から視線を外し、平太郎は振り返る。

 後から屋上に入ってきた女の右手には、拳銃が握られていた。


 まさか、さっきの音……銃声?

 え? 本物の銃?

 まさか、殺したのか? 


 平太郎は俄かに混乱する。

 しかし、そんな平太郎の心境を察するでもなく、拳銃を握った長髪の女性は、屋上に臥した女子生徒に向かって歩を進め、そして再び引き金を引いた。


 パァンッ、パァンッ!


 二発の銃声。

 しかし、その銃弾は女子生徒に当たることなく、屋上の床面を抉った。


 倒れていたはずの女子生徒は、二発の銃弾が着弾するよりも早く起き上がると、後方へ回転するように飛び上がった。

 その顔の中心には未だ大きな穴が穿たれていたけれど、その表情、口元には笑みが浮かんでいる。


「な、なんで……生きてるのか?」


 平太郎の疑問に、黒髪の女性は弾装を交換しながら静かに答えた。

「あいつは屍食鬼(グール)だ」


「ぐ……グール?」

「そのまま伏せていろ」


 彼女はそう言って、再び銃を構えた。

 艶やかな黒髪が、、屋上に吹き付ける風に靡いている。

 スラッとした体形には少々不釣り合いにも思える豊かな曲線がその胸元にあり、スカートの下から伸びる細長い脚は、いつでも全力で走り出せそうなエネルギーに満ちていた。


「まさか、ハンターが居たとはねぇ。でも……」


 屍食鬼と呼ばれた少女は、先ほどまでの愛らしさはどこへやら、その顔を醜く歪めて笑っている。

 そうして、背中に手を回すと、そこから一丁の短機関銃を取り出した。


 黒髪の女性が小さく舌打ちをする。

「これは避けられないでしょぉ!」


 屍食鬼が構えた短機関銃から、無数の弾丸が射出された。

 連続して鳴り響く発砲音。

 ガガガッ、と弾丸によってコンクリートが抉られていく。


「――!」


 平太郎は身を伏せたまま、黒髪の女性に目をやる。

 無数の銃弾を受けるかに思えた彼女は、発砲音と同時に地面を蹴っていて、その身を横に傾けていた。

 彼女は美しい曲線を描きながら側方へと宙返りをし、地面を滑る様に着地する。

 その姿に目を奪われたのも一瞬のことで、彼女は手にした拳銃を屍食鬼に向け、再び引き金を引いた。


 途端、屍食鬼の右肩辺りから血飛沫が上がる。「ぐぅッ」と小さく唸ると、屍食鬼は身を仰け反らせ、距離を取った。


 そして、空に向かって両手を広げる。

「まずい、呼ばれる!」

 黒髪の女性は再び舌打ちをし、何を思ったのか、自分のスカートの中に手を伸ばし、裾をたくし上げた。


 チラリと見えた白い肌に、平太郎は目を奪われる。

 しかし、当然ながら彼女はその中身を見せようとした訳では無く、気が付けば、彼女の両手にはそれぞれ一丁づつ拳銃が握られていた。


「キィェェェェェェッ!!」


 屍食鬼が叫び声を上げた。耳が痛くなるほどの、高音の金切り声。


 突然、ガィンッ、と派手な金属音が鳴り、屋上の扉がひしゃげた。更に数度、耳障りな音と共に扉が内側に変形し、そして、吹き飛んだ。その扉は平太郎たちの真上を軽々と飛んでいき、屋上の中央付近で一度大きくバウンドした。


「な、ななな……」

 平太郎は訳が分からず、口を大きく空ける。

 同時に、大きく口を開けた屋上の入り口から、複数の人影が姿を現す。


「な、な、な、なんだああぁぁッ!?」


 それを見て、平太郎は悲鳴を上げた。

 どの人物も、まるで毒素でも注入されたかのような赤紫色の肌をしている。

 小さな瞳孔は爛々と輝き、地面に臥している平太郎に向けられていた。

 爛れた口元からはダラダラと赤色の涎が流れ出ていて、それがポタポタと屋上に垂れている。


「うわあああああっ!」

 平太郎は悲鳴を上げた。


 黒髪の女性は、二つの銃口を前方に向けると、扉からやって来た怪物に向けて発砲する。


 パァン、パァン、パァン! 


 平太郎が良く観る映画やゲームで耳にするよりも若干高い破裂音が鳴り、怪物たちの身体に無数の穴が穿たれた。

 一番先頭を歩いていた怪物が、呻き声を上げて倒れる。更に彼女は、流れるような動作で怪物たちの間にスプレー缶のような物を投げ入れた。


「目と耳を閉じろ!」

 彼女が叫ぶ。同時に爆発音が鳴り、眩いほどの閃光が広がった。

「うわあっ!」

 平太郎の視界が一瞬にして奪われる。

 慌てて耳を塞いでみたが、すでに遅く、耳の奥から入り込んだ破裂音は頭蓋骨の中を反響し、平太郎の脳内を掻き回した。


 何だ!? 何なんだこれは!?

 平太郎は目を閉じ、耳を両手で塞いだまま、屋上の床を転がり回った。


「立てるか? 行くぞ!」

 黒髪の女性に引き起こされ、やっとの思いで平太郎は目を開く。

 先ほどの閃光はゾンビ達にも有効だったようで、どのゾンビもフラフラとたじろいでいた。


「こっちだ!」


 勢い良く手を引かれ、平太郎はよたよたとその後に着いて行った。

 屋上の端まで辿り着くと、彼女は階下を見下ろす。屋上にはフェンスなど無く、ちょっとした段差で囲われているだけで、一歩間違えれば十数メートル下へと真っ逆さまだ。


「問題無さそうだな」

「は?」

「飛ぶぞ!」

「いや、ちょっ、飛ぶって?」

 彼女に倣い、平太郎は屋上の端から階下を見遣る。近くに飛び移れるような場所など何も無く、校舎裏の乾いた地面が見えるだけだ。


「問題しか無さそうですけど!?」

「問題無い」

 女は平太郎と向かい合うと、平太郎の腕を自らの腰へと回し、まるで抱き合うかのようにあてがわせた。


「しっかり掴まっていろ。あいつらを石器時代に戻してやる」


 彼女の長袖、左肘の辺りから僅かに機械音が鳴り、小さな射出口が現れた。

 同時に、シャコンッと射出音。お手玉のような物体が屋上中央、怪物たちに向けて発射される。


 突然、屋上の一角が炎に包まれた。怪物たちは炎に飲まれ、右往左往している。


「行くぞ」

 三都依沙はそれを確認するよりも速く、平太郎を抱いて屋上を蹴った。


 待って、と言う暇も無く、平太郎は中空へと放り出される。


 目の前には彼女の顔――それは実に見事なまでに無表情で、その顔の向こうには雄大な六月の空が広がり、やがて、屋上の端と、校舎の壁と、最上階の窓が飛び込んでくる。


「うわああああああああああっ!」


 落ちる落ちる落ちる落ちる!

 落ちてる!


 一秒にも満たない時間が、平太郎の中では数十秒の出来事に思えた。


 南天に達した太陽を視界の端に捉えたのもつかの間、平太郎は風の抵抗を受けながら勢い良く落下していく。

 すると、女は空中で瞬時に身を翻し、右肘から何かを屋上へ向けて射出する。

 それにはワイヤーが繋がっており、打ち出された塊が屋上へと消えると、平太郎の身体はガクンと衝撃を受け、その後空中でピタリと制止する。


「見かけよりも重いな」

 女が耳元でそう呟いた。彼女の筋肉質な二の腕と、異常に柔らかな胸の感触を身体で感じていると、ワイヤーはゆっくりと動き始め、平太郎と彼女は緩やかに地面へと降り立った。


「襲撃を受けた。そちらでも確認出来たか?」


 黒髪の女は耳に手を当てながら、再び誰かと話し始める。

 校舎の裏には人影もなく、時折風に吹かれた木々がざわめくだけだった。


「……了解した。任務を継続する」

 彼女はそう告げると、耳から手を放す。


「そろそろ離れて貰えるか?」

 目の前の女性が冷静に告げる。

 気が付けば、平太郎は彼女の身体をきつく抱きしめていた。


「あ、ご、ごめん、なさい」

 平太郎は慌てて距離を取る。

 彼女はさして気にした様子も無く自身の右肘を触ると、ワイヤーがキュルキュルと巻かれ、制服の袖へと収まっていく。


「上は片付いた。あの女屍食鬼は取り逃がしたが、ゾンビ共は始末出来たようだ」

「ぞ、ゾンビ? いやいや……本当に?」


「手短に説明しよう。君は狙われている。だから、私が君を保護する」


「は?」

「私はそう遠くない未来から、君を護るためにやって来た。これから暫くの間、君は我々の監視下に入って貰うことになる。君の安全は私が保証しよう。だから、今後は私の指示に従うこと。いいな?」

 彼女は淡々と言った。


「はぁ……あのー、あなたは?」

「名前か? 名前など存在しない。コードネームは3(スリー)だ」

「……コードネーム、ですか」

「不満ならば、三都依沙さんといさと呼べ。仮の名前だが」

「はぁ。仮の」

「少し移動しよう。ここは目立っていけない」


 そう言うと、三都依沙は校舎裏を駆け出した。

 平太郎は慌ててその後を追い掛ける。チラ、と屋上を見てみると、もうもうと立ちこめていた黒い煙が、その色を薄くしながらゆっくりと広がっていた。

 校舎裏を抜け、建物の壁伝いに走り、学生寮の側まで駆け抜けた所で、三都依沙はようやく足を止めた。


「仲間が周囲を警戒している。おそらくこれ以上の襲撃はないだろう」

 三都依沙は一つ、小さく息を吐き出した。


「し、襲撃って……ゾンビだとかグールだとか……あれ、本物?」

「そうだ」彼女は平然と首を縦に振った。

「だって、幾ら何でも……ゾンビって! まだ昼だし、そもそもゾンビが居るっておかしいじゃないか! おまけに銃まで!」 

「ゾンビだって昼は歩くし、グールは銃も使う。奴らは、君から発せられる特殊な匂いを嗅ぎつけているんだ」

 彼女は淡々と説明する。平太郎は恐怖と混乱から、息切れを起こしていた。


「匂いって……何だ? 俺、何なんだ?」

「君は、怪物を滅するモノ、つまりハンターの血が流れている。だから怪物どもは君を狙っているのだ」

「ハンター?」

「そして私の任務は、君の安全を確保すること。それ以外は問題ではない」

「ええと、ちょっと待って……」


 唐突に起こった現象と、立て続けに打ち明けられた話に、平太郎は全く付いていけない。


「さっき、未来からやって来たとか言ってたけど、それ、マジで言ってる?」

「そうだが」

「いやでも、幾らなんでも未来だなんて」

「ふむ?」と三都依沙は小さく頷く。「証拠を見せろと言うことか?」

「まあ、はい」

「しかし、時間遡行するにあたって、私は自分の出自を示すような物の所持を禁じられている。この服も銃も全て、現地で調達したものばかりだからな。何かあれば良いのだが……」


 そこで三都依沙は「そうだ」と呟く。


「私の胸元にIDチップがある。肌に直接埋め込むタイプのものだが、これが証拠にはならないだろうか」


 そう言って、三都依沙は制服の上着をたくし上げる。

 細い腰と、小さなおへそと、そして白い下着が露になった所で、「ちょっとちょっと!」と平太郎は三都依沙を止めた。

「何だ? 見たいのではないのか?」

「見たいか見たくないかで言えば見たいですけど! 誰かに見られたらまずいから!」


 平太郎は慌てて監視カメラの位置を確認する。

 校舎裏にもカメラは設置されていて、二人を視界に捕らえているカメラも確かにあった。校内全ての監視カメラをモニターしているとは思えないが、もしも見られていたら大変だ。


「見せろ、脱げと言ったのは君のほうだが」

「脱げとまでは言ってませんよ!」

「そうか? まあ、見る必要が無いのなら良い」

 上着が戻され、平太郎は安心と落胆で大きく息を吐く。


「それよりも、だ。君は大丈夫か? どこか、体に異変は?」

 三都依沙はしげしげと平太郎の身体を見回す。


 平太郎も、屋上で身を伏せた時に擦りむいたであろう、ヒリヒリと痛む肘や膝に目をやったが、これといって大きな怪我などはしていなかった。


「……いや、大丈夫」

「ふむ、そうか……」

 彼女は一瞬何かを思案するような顔をして、平太郎から離れ、再び耳に手を当てた。


「対象に異常は認められない。怪我なども無い…………え?」

 不意に、彼女の顔が突然曇った。


「どういうこと? どうすれば……」

 三都依沙が小声で誰かとやり取りをしている。

 やがて、彼女は平太郎に向き直った。


「……君を監視下に置くとは言ったが、基本的には平常通り、一学生としての生活を送って貰って構わない。ただ、この一件は口外しないこと。これだけは絶対条件だ。 良いな?」


 三都依沙の有無を言わさぬ物言いに、平太郎はとにかく頷くしかなかった。


「私も同様にこの学校で活動をしている。学年は二年ということらしい。しかし、私への接近も控えること。用があれば、こちらから連絡する」

「あ……はい」

「平太郎君」

 三都依沙はグイとその身を寄せる。フワッと、油の匂いが鼻腔を擽った。


「君は私が守る。だから、大丈夫だ」


 彼女はそう言うと、くるりとその身を反転させ、黒髪を靡かせながら、校舎の方へ足早に歩いて行った。


 一人取り残された平太郎は、必死に気持ちを整理しようとしたが、動揺は一向に収まらず、へなへなとその場にへたり込んだ。



 結局、平太郎は五時限目の授業をサボった。

 気持ちの整理は一切出来なかった。

 先ほど目の前で起こった出来事を思い返すたび、まるで夢でも見ていたような心地になる。


 これは一体、何なんだ?

 こんなことが本当にあるのか?

 手の込んだドッキリとかじゃないのか?


 そう思いはすれど、顔に穴が空いても生きていたグールやゾンビの呻き声、甲高い発砲音、屋上で炊かれた煙の匂い、飛び降りた際の風の抵抗が、耳に、鼻に、肌にこびりついて離れない。


 これ以上の襲撃は無い、と三都依沙から聞かされていたが、校舎の中に入る気にはなれず、平太郎は逃げ場所を求めるようにうろうろと歩き回った。


 しかし、このまま歩き回るわけにもいかないので、とりあえず寮に戻ることにする。とにかく、今はゆっくりしたい。


 学生たちが寝泊りする六階建ての学生寮の一階、一番端にある自分の部屋へ向かい、扉を閉めると同時に、大きく息を吐き出す。


 背を伸ばし、それから、室内を見渡した。


 四畳ほどの小さな部屋だが、学生にはそれぞれ個室が割り当てられている。

 家具はどれもこれも備え付けで、大きな家具に関する持ち込みは許されていない。


 入口から見てすぐ左脇にシンプルな机が一つ。大きな窓の手前にベッドが一つ。

 申し訳程度に作られている沓脱で上履きを脱ぎ、ベッドに横たわり、目を閉じた。そして、先ほどの一件を反芻する。


 度が過ぎる冗談だ――そう思いつつも、頭の半分は別の可能性で占められてしまい、どうにも払拭出来ずにいる。

 耳を劈く銃撃音が、落下時の重力と、肌に当たった風の感覚が、その考えを後押しする。


 つまり、三都依沙の語った内容は事実である、という……。


 そんな訳……あるのか?

 グールやゾンビが現実にいて、あの女性は本当に未来からやって来ていて、俺を守ってくれる?

 ハンターとかいう存在が、俺だと?


 それに、今朝出会った雪平カエデのこともある。中庭ではサーリという女性もおかしな話を持ちかけてきた。


 まさかどれもこれも、本当っていうわけじゃ……無いよな?

 そんなこと……あるわけが無い。


 頭の混乱は収まらなかったが、しかし、いつしか平太郎は眠りに就いていた。

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