異世界から来訪者がやって来たようです!
昼食を食べ終えると、クラスメイトたちは連れ立って総合体育館やら遊戯室へと出掛けて行く。
普段の平太郎ならば、教室で昼寝でもして一人静かに過ごすのだけれど、今日に限っては眠気は一向にやってこなかった。
室内には、楽しそうに談笑する生徒たちの姿。
こんな中でぼんやりと過ごすのは流石に居たたまれない、と平太郎は椅子から腰を上げ、和気藹々と集うクラスメイトたちの隙間を抜けて、教室の外へと出た。
窓の外を眺めてみると、豊かな緑がきらきらと光を跳ね返していた。
分厚い白い雲が、遠くの山の奥へと流れている。天気予報の通り、四時限目開始時に強い雨が降ったが、それも一瞬のことで、今はすっかり上がったようだ。
ぼんやりと窓の外を眺めていた平太郎だったが、雪平カエデと組織のことが頭から離れず、思い立って図書館へ向かうことにした。
図書館になら、学校に関連する書類も置かれているだろう。
雪平カエデの部活は本当に存在するのか、もし本当にあるのならば、週何回、どこで活動しているのか。それが分からなければ、こちらとしてもおいそれと入部は決められない。
そう言えば、あいつは何組なのだろうか。聞いておけばよかった。
まあ恐らく部活は特殊な名前を付けられているだろうから、一見すればそれと分かる筈だ。
下穿きを履いたまま、コンクリート敷きの中庭を通り、図書館へと向かう。
所々に置かれている木製のベンチは、いつもならば学生たちで賑わっている筈だが、雨上がりでベンチが濡れているからか、今日は閑散としている。
木々の間を抜け、いざ図書館へ入ろうとすると、
「あ……あの!」
慌てたような声を上げて、平太郎の側に一人の少女が小走りで歩み寄って来た。
その女性の姿を見て、思わずギョッとしてしまう。
どう見ても日本人離れした灰色の髪が、彼女の首の後ろで大きく結わえられている。水色の瞳はおどおどとして頼りなく、ふっくらとした唇は小さく震えていた。
外国人……なのか? 留学生? 随分と身体が小さいけれど、高校生じゃないのだろうか。そして、今朝出会った雪平カエデとはまた違って、可愛らしい顔立ちだ。
しかし、それよりも何よりも――一番異質なのは、彼女の格好だった。
少女は、白い布ですっぽりと身体を覆っていた。
その生地は厚手で、所々に複雑な文様をした装飾が縫い込まれている。
ファンタジー映画などに登場する魔道士が着る、ローブと呼ばれるものみたいだ。
彼女は右脇に挟むようにして、彼女の身長ほどもある、細長くすべすべとした木製の棒を持っていて、その棒の先端には紫色に光る丸い玉が嵌っていた。
「す、すみません! 少し宜しいですか!」
彼女は平太郎の正面に立つと、慌ただしくも流暢な日本語でそう言った。
そして、たすき掛けにしていた茶色いズタ袋から、A4サイズのノート程の大きさをした灰色の板を取り出し、平太郎の姿と手にした板とを交互に見比べる。
「やっぱりそうだ……」
彼女は目を見張った。
そして、平太郎の顔を見て、安堵するかのように顔を綻ばせる。
「よかった……やっと出会えた」
「えっと……何ですか?」
平太郎はおずおずと尋ねる。
「あ! すみません、申し遅れました。私、サーリと言います。サーリ・クロイ・ミラ・ファリグラートです」
サーリと名乗った少女は慌てたように頭を下げる。
その拍子に、背中で垂れていたフードがパサリと彼女の顔を覆った。再び顔を上げた彼女は、恥ずかしそうにフードを後ろへと戻す。
「サーリ、さん。は……どこの国の人?」
「はい。私はウィルミリア渓谷の先にある、ウィル・ラ・ミリオル・フォム・ファリグラート王国からやって参りました」
「……ウィル……ラ?」
平太郎は眉を顰める。
長い国名だ。そんな国あっただろうか。
「留学生なのかな? 俺に何の用? もしかして、迷ったとか?」
「いえ、あの……実は……」
サーリはそこで、僅かに顔を落とした。
唇はまだ微かに震えていて、どうやら緊張しているらしい。
良く見れば彼女が来ているローブはかなり汚れていて、まるでどこか地面でも転がり回ったかのようだった。
「貴方に、助けて欲しいのです」
顔を上げたサーリが、訴える様に言った。
「助けって……何? 俺に出来ること?」
「貴方にしか出来ないことです。伝説の英雄である、貴方にしか」
「…………は?」
伝説の英雄って……おいおい、何だよ。またこのパターンか!
平太郎は心の中で吠えた。
「えーと……君は、雪平カエデと知り合い? その、リローダーってやつ?」
若干呆れつつも、平太郎は平静を装いながらそう尋ねると、サーリは小首を傾げ、それから大きく首を横に振った。
「まさかの新作かよ!」
「新作……?」
サーリは再び、今度は逆方向へ首を傾ける。
まさか、日に二度も厨二病患者が現れるとは思っていなかった平太郎は、驚きのあまり口をあんぐりと開いてしまう。
しかも、服装を見るにつけ、雪平カエデよりもサーリのほうが気合が入っているのは明らかだった。
恐らくスプレーか何かで髪を灰色に染めあげ、瞳にはカラーコンタクトを使っているのだろう。校則はどうなってんだ、と平太郎は心中で呟く。
しかし、どうしたことか、こちらの彼女も抜群に可愛いときているので、平太郎は嘆息しつつも、この状況を拒否しきれない。
「いいよ。付き合おう。……ゴホン。ええと、君は、一体何者なのだね?」
平太郎は『伝説の英雄』らしく、だらけた顔を整えつつ、考えうる限りの重々しさを醸し出しながら話した。
「私は、伝説の英雄を捜す者。そしてその人をお迎えする為にやって来たのです」
「英雄、か……。すると例えば、君の国が、魔王だとかに襲われて大変なことになっているから、そいつを追っ払ってくれる予定であるところの、伝説の英雄であるこの俺を捜しに来た、と、そう言うわけなのだな」
「そう、そうです! 何もかも分かっておいでなんですね!」
「当たっちゃったの?」
平太郎は思わず声を上げた。
もうちょっと複雑なストーリーなのかと思いきや、案外単純な設定だった。
「ええと、サーリさん。一つ聞かせてくれ。どうして俺が伝説の英雄なのだね?」
本日二回目とあって、平太郎は若干の煩わしさを感じずにはいられず、少しばかり意地悪をすることにした。
彼女が構築した設定に不備を見つけて、そこを突いたらどうなるのだろう、と。
「それはですね……」
多少なりとも答えに詰まるかと考えていたのだが、彼女は灰色の板を再び取り出すと、
「ここに、魔王に立ち向かう貴方のお姿が描かれているからです!」
そう言って、やや興奮気味にこちらに向けた。
それは、石版だった。
いかにも年代物といった雰囲気で、石版の周りは所々欠けていて、至る所が風化してしまっているが、中央に二人の人物が見て取れる。
一人は棒切れのような細長い物を持った一人の男、それと相対しているのが、サーリと同じく魔術師のような格好をした人物。その魔術師の背後には、どこかで見たことがあるようなさまざまな種類のモンスターが並んでいて、今にもその男に襲い掛からんばかりだ。
そして、それらの絵を四角く囲うようにして、文字が記されているのだけれど、経年劣化の為なのか、それとも適当に考えられた文字のせいなのか、平太郎には何と書いてあるのか全く読めはしなかった。
「これまた随分と手の込んだ……この、魔王っぽいのに立ち向かっている奴が、俺だと?」
「はい!」とサーリが頷く。
「なるほど。確かにこいつは全体的にぼやけていて、存在感が薄そうで、俺そっくりだな!」
「……?」
平太郎の身を切った冗談に、サーリは瞬きをするだけで、少しも笑いはしなかった。
ノリが良いんだか悪いんだか。
「……しかし、これだけでは、この英雄が俺だとまでは言えないのではないか? この石版の男――そもそも男かどうかすら分からないが、かなり小さく描かれているし、そもそも風化してるから、顔まで分からない」
「でも、身に纏っている服を見てください!」
そう言って彼女は、石版の人物を指差す。
「この襟元の感じといい、胸元にある意匠といい、そっくりです!」
確かに、石版の人物は、一見すると詰襟の制服を着ている様に見えなくも無い。
ボタンの数も一致している。
「いや、これは制服だから……てか、全国の男子はこういう服を着てると思うんだけど」
「でも、この場所でこのような服をお召しになられているのは、貴方一人だけでした!」
む、と平太郎は言葉を詰まらせる。
確かに、未だに冬服なのは平太郎だけだ。それは寒がりであるというだけの理由で、他意はあまり無いのだけれど、特徴と言えなくも無い。
「昨日、一昨日だったら、もうちょっと居たんだけどな……」
偶然なのかもしれないが、凄いタイミングだな、と平太郎は感心する。
「だが、それだけじゃあ弱い。他の高校にだって、まだ冬服の学生もいるだろう。この学校だって言う証拠が無いと」
「それなら、あります!」
サーリは強く頷く。
「災いが起きた時、このガアラトの石版を持って冀求の門を潜ると、石版に秘められた魔力が発動し、英雄の場所へ誘う、という言い伝えなんです!」
サーリは自身満々と言った様子で、平太郎が手にした石版の端を掴む。
「魔力! ……なるほど、そう言うのもあるのか」
平太郎は石版に目を落とし、唸った。
若干のしてやられた感。ご都合主義でありがちな設定のアイテムだが、それだけに突っ込む隙が無い。そうなのだ、と言い張られたら、そうですか、としか返せない。
「ううん……」と平太郎は唸る。
初めは穴だらけかと思ったけれど、意外と良く出来ている。ファンタジー特有の、不思議かつ大仰な設定を上手く使いこなしているとさえ感じてしまう。
でも、と平太郎は心の中で笑った。
一つだけ大きな欠点がある。これは彼女にとって盲点だろう。
「ところで、君はどうして日本語がそんなに上手なんだ?」
異界の者といきなり話が通じてしまうと言う、ファンタジー特有のお約束。
英語圏ならまだしも、世界的には孤立した言語である日本語が話せるだなんて、どう考えてもおかしいだろう。
さて、どう答えるのだろうと、若干意地悪い感情を抱きつつサーリを見ると、
「あ、それも魔法で」彼女は即答してにこやかに笑う。
「ズルいぞ!」
平太郎が反論するも、彼女はキョトンとした表情で、目をぱちくりとするだけだった。
「……一体それは、どんな原理の魔法なのだね」
「風の精霊に助力を得ているんです。私の発した言葉を、瞬時に、他者に伝わるよう変換して貰っている、と言えば分かり良いでしょうか?」
「つまり、今こうして俺の耳に入って来ている君の言葉は、本当は風の精霊の声だと?」
「はい。と言っても、声質は殆ど変わらないと思います」
「じゃあ、俺の言葉も、風の精霊さんが変換して君に伝えている?」
「そうです!」
「……そうですか」
何だよその翻訳機顔負けの超便利機能。
魔法って言っちゃったら何でも有りすぎて、反論の余地が無いじゃないか。
平太郎は、彼女の母国語とやらで話して貰おうかとも考えたが、適当なオノマトペ話されたら、こちらには判定のしようがないなと思い、やめた。
「伝説の英雄ねぇ……」
どう扱って良いものか分からず、平太郎はポリポリと頭を掻いた。
「それで、俺はどうすれば良いんだ?」
設定を突くのは一旦中止し、話題を相手主導に戻す。
「はい。一ナルドほど前の話なんですが――」
「ん? 一ナルド?」
「あ、ええと……ごめんなさい。ナルドって言うのは、日数を表す単位なんですけど……こちらの言葉では翻訳できなかったみたいですね」
「細かいなぁ」思わず平太郎は笑ってしまう。
「一ナルドは、日の昇り沈みが五十四回繰り返されることを指しています」
「てことは、二ヶ月弱くらい前か。……それで?」
「一ナルドほど前に、ウィルミリア渓谷の谷底から、一匹のモンスターが誕生しました。それは、十数年前に倒した筈の魔王の息子――グリウルでした」
「魔王の息子……?」
「強靭な体を持ち、絶大な魔力で多くの魔物を従え、人々を襲う……それが魔王です。そしてグリウルは、恐らくその魔王の息子であろうと考えられています」
「そりゃ、ラスボスだなぁ」
平太郎は茶化してみたが、サーリには全く通じていない。
「実は、今から十ナルド程前に、凶兆は出ていたんです。雨も降っていないのに稲光が走り、木々はざわめき、動物達は皆怯えたようになって……けれど、それも一瞬のことだったので、その時は流されていたのですが、今思えばそれが魔王復活の兆しだったのでしょう」
「十ナルドって言うと……五百四十だから、一年半くらい前に魔王が復活したと」
「魔王は、私が生まれる少し前に、世界中から集められた戦士たちによって滅ぼされた筈でした。……しかし、その魔王の息子、グリウルによって再び世は乱れ、ウィルミリア北部にあったエラルダという小さな村が焼き尽くされてしまいました。新たに誕生した魔王討伐のため、我がファリグラートから討伐隊を派遣したのですが、グリウル率いる魔物たちに返り討ちにされ……王国に絶望の波が広がっている状況です」
サーリは沈痛な面持ちで、滔々と物語を紡ぐ。
また横文字多いな、などという突っ込みも憚られる程、その顔は悲しみに沈んでいた。
「ファリグラート王国で、緊急会議が開かれました。十数年前に戦った戦士達はすでに亡く、現存する兵士たちのみで討伐隊を結成したのですが……成果は挙がりませんでした。そこで、王国に伝わる伝説を紐解くことになったのです。
様々な討論の末浮かび上がったのが、ファリグラートに古くから伝わるガアラトの石版でした。これは王城の宝物庫に保管されていたもので、その言い伝えはファリグラートでも一部の老人が微かに覚えている程度のものでしたが……一縷の望みとは言え、何もしないで滅亡を待つよりは良しと判断し、私が伝説の英雄を捜す任を預かったのです」
サーリはそう言って、小さく息を吐いた。
「えーと……一つ確認しておきたいんだけど……その、ファリグラート王国? って言うのは、この世界と地続きにあるわけじゃないんだよね?」
すると、サーリは、クイ、と首を横に傾げる。
「……よく分かりませんが、恐らくは違うと思います」
「んじゃ、君はどうやってここに来たの?」
「冀求の門、と呼ばれる異世界への入り口が、王国の裏側に聳える山中にあるんです。そこを通り、ここへやって来ました」
「……はあ」
平太郎は自然と溜息を吐いた。流石に情報が多すぎて、訳が分からない。
その態度を困惑と取ったのか、サーリは途端に申し訳なさそうな顔になり、
「すみません。いきなり押しかけてきて……ご迷惑な話だとは思います」
そう言って、彼女は深々と首を垂れる。また、フードがすっぽりと頭を覆った。
「いや、迷惑って言う程じゃ無いんだけどさ。こんな時、どういう顔をすればいいのか分からなくて」
「……すみません」
サーリは変わらず頭を下げ続けている。
平太郎はごほん、と咳払いをした。
ちょっと、古かったかな。
「笑えば良いと思うよ」と返してくれれば、話は簡単だったのに。
しかし、尊大な態度だった雪平カエデに比べれば、この子の方がよっぽど礼儀正しくて好感が持てる。話の内容的には、こちらの方が飛びぬけているが。
それに、何より可愛いしなぁ。えっちじゃないけど、可愛いしなぁ。
厨二病でも何でも、可愛いのは、素晴らしいことだよなぁ。
厨二病は必ず、時が治してくれる。それは歴史が証明している。
それまでの苦労と、そこからの幸せを天秤に掛ければ、どちらに傾くかは明白だ。
「今はちょっと、忙しいというか、やらなきゃいけないことがあったりするので、まずは友達からっていうことで、どうだろう」
いつまでも頭を下げ続けるサーリに、平太郎はそう声を掛けた。
病状がどこまで進行しているのか、その様子見の時間は、やっぱり必要だろう。
すると、パッと顔を上げたサーリは、少し複雑そうな顔をして見せたが、「お友達だなんて、とんでもないことです」と言って、それからにっこりと微笑むのだった。
「で、サーリは、何組?」
「なん……くみ?」
「この学校の生徒なんでしょ? どこのクラスか知っておきたくて」
「あ、いいえ。私はこちらの施設とは、何の関係もありませんが」
「え? 部外者? よく入って来られたね」
この学校には、防犯という名目で、学校の至る所に監視カメラが置かれている。
廊下はおろか、各教室にまで設置されているので、平太郎は四六時中監視されているような気分を味わっていた。しばらくすれば慣れるのだろうとは思っていたが、事あるごとにカメラのレンズを意識してしまう。
「はい。魔法でこっそりと……やっぱり、いけないことでしたよね?」
「いやー、どうだろ。関係者以外は入れるのかどうか、分からないし……でも、それじゃあこっちから連絡も取りようがないな」
「あ、それなら――」
携帯電話でも出すのかと思いきや、サーリがズタ袋から取り出したのは、持ち手に鮮やかな装飾が施された古臭い小さなハンドベルだった。
「これを鳴らして頂ければ、私はすぐに駆けつけますので」
「……はぁ」どこまでも設定に忠実な子だな、と平太郎は感心する。
「ところで……すみません。お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「ああ、俺、拍子木平太郎」
「ヒョウシギヘータロー……様」
「平太郎で良いよ」
「ヘータロー様。ありがとうございます」
サーリがペコリと頭を下げる。様はいらない、という意味だったんだけれど、と平太郎は眉尻を掻いた。
試しにベルを鳴らしてみると、透き通るような高音がチリン、と中庭に響く。
サーリはにっこりと笑っていた。
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