拍子木平太郎編
拍子木平太郎はもう夢を見ない
新緑の六月。新学期が始まって、はや二ヶ月が経とうとしている。
山間を吹き抜ける風が木々を揺らし、緑の匂いが平太郎の鼻腔をくすぐる。
午後に一度天候が崩れる、とのことだったが、今はまだ穏やかな陽光を浴びて、平太郎は一つ伸びをした。
学生寮は高校の構内に建てられているので、教室までは五分と掛からない。
平太郎と同様に、寮から吐き出された多くの生徒たちが、校舎に向けて列を成している。衣替えの移行期間とあって、周りの生徒たちは全て夏服に袖を通しており、詰襟姿の平太郎は実に目立つ。
ただの寒がりなだけなのだけれど、自分は他とは違う、という状況に平太郎は僅かな満足感を感じていた。そして、薄着になった女子生徒をちらちらと横目で見ては、
(えっちな季節がやって参りましたぞ)
と、心の中でにやけた。
元気に挨拶する生徒たちの間を通り抜け、下駄箱の扉を開けると、まだほんの少しだけ新品のゴムの臭いがする上履きが出迎える。
「拍子木平太郎?」
背後から名を呼ばれ、平太郎は振り返る。
後方に、一人の女子生徒が立っていた。脱ぎたての革靴を拾おうとしていたので、平太郎は自然と彼女を見上げる形になる。
その女子生徒は両手をそれぞれ腰に当てていて、意志の強そうな黒い瞳で平太郎を見下ろしている。肩口の辺りで揺れている髪の毛が、やや茶色がかって見えるのは、玄関から洩れてくる日の光に照らされているからだろう。
「拍子木平太郎、でしょ?」その女子生徒は再び名を呼んだ。
「あ、ああ……そうだけど」
見知らぬ女子生徒に話し掛けられた!
しかも可愛い!
可愛くて見知らぬ女子生徒に話し掛けられた!
という内心の動揺を抑えつつ、平太郎は頷きながら革靴を手に取り、それを下駄箱に放り込んだ。
この子、俺のクラスだっけな。こんな子いたっけ?
でも、俺の名前を知っているということは……いや、それよりも何よりも、この子は抜群に可愛いなぁ、こんな可愛い子が話しかけてくるなんて、これはきっと高額な絵を売られるに違いない……用心用心ですぞ。
などと様々な思いが平太郎の頭を過ったが、次の彼女の台詞を聞いた途端、それは彼方まで吹き飛ばされる。
「やっと見つけたわ。人類最後の希望、ラスト・リローダー」
彼女はそう言った。続けて、
「同じ学校にいるらしいとは聞いていたけど、全然反応が無いから全く分かんなかったわ。アンタ、もうちょっと自己主張しなさいよ」
と、不機嫌そうに眉を顰めるのであった。
「…………はあ?」
平太郎は大きく口を開け、やっとの思いで一言だけ声を返す。
「その様子だと、まだ“目覚めて”いないの? あんまり時間は無いって言うのに」
その女子生徒は歯噛みしながら、小さくため息を吐き出した。
「いい? よく聞いて。アンタには秘められた力があるわ。そしてその力を行使して、私たちと一緒に戦うの。アンタにはそれが出来る筈よ」
下駄箱の周りにいた生徒たちは、それぞれの教室へと向かうべく、上履きに履き替えて教室へと向かっていく。そうして、気が付けば辺りには平太郎と彼女しかいなくなっていた。彼女は変わらず強い眼差しで、平太郎を睨むように見つめている。
秘められた力?
何言ってんだ、こいつ。ラストリローダーって何だ?
ははーん、さてはこの女……変な女だな!?
平太郎の頭の中に、ぐるぐると疑問の言葉が渦巻く。しかし、
「そうか、やはり俺は……力があったのか!」
彼は己の右腕を見つめ、グッと拳に力を入れながら呟くのだった。
勿論、彼にそんな力などありはしない。
そして、目の前の女性が発した言葉の意味を、何一つ理解してはいない。
だが、平太郎は続けた。
「それで……俺は、どうすれば良い? 一体……俺は――」
苦々しい顔を保ったまま、女子生徒に尋ねる。
「――何の部活に入れば良いんだッ?」
「は?」今度は女子生徒が素っ頓狂な声を発した。
「勧誘しに来たんだろ? 俺を……いや、俺の“力”を……か」
そこで、平太郎はわざと自嘲気味に笑ってみせる。
目の前の女性が持ち出した設定は妄想の産物である、と平太郎は瞬時に判断した。
アニメや漫画にどっぷりと浸かっていた中学生時代ならいざ知らず、もう高校生であるから、自分自身の能力の限界と、現実の摂理くらいは弁えている。
つまり、自分は人類最後の希望でも選ばれし者でもないし、だから秘めたる力が覚醒したりなんかしないんだ、と。本当は、そうであったら良いな、などと考えてしまう節が未だにありつつも、決して人前ではそれを出さないようにしていた。
厨二病という言葉がある。
自らをアニメ的漫画的設定に浸し、自然の摂理から乖離した世界に生きようともがく人種のことだ。
そして、彼らが他者と積極的に接しようとする時は、大抵、仲間を求めての行動となる。彼らの趣味を理解出来るノリの良い生徒の勧誘――たとえば人員の少ない特殊な部活、ないしは同好会へのお誘いだと考えるのが妥当だろう。
もう六月だから、やや時期を逸している感があるが、幸か不幸か平太郎は部活に所属していなかった。
ちょっとアレな可愛い女の子が、仲間を求めている。
ならば、取るべき行動は一つ。
彼女の設定に、真正面から堂々とお付き合いする。
相手が厨二病でも恋がしたいのだ。
「……勧誘には違いないけど。部活って言うか、組織よ」
彼女は身じろぎもせず、きっぱりと言ってのける。
「組織か!」平太郎は唸った。
適度に仰々しく、適度に怪しい、便利なワード。
背後に控えている多数の人員を想像させ、尚且つ、活動の細部は明かさなくても、秘密組織だから問題は無い。使い勝手は抜群だ。
「……で、その組織が何故俺を呼ぶ……? 俺は、何と戦えば良いんだ?」
「意外と飲み込みが早いのね。ま、その方が助かるんだけど」
女は目を丸くして、それから細い指をピンと立てた。
「アタシたちの組織は『弾を込める者』、リローダーって呼ばれてるわ。そして、アタシたちが戦わなければならない相手は、『反逆の異能者達』……ギルト・ギルドの連中とよ」
「……ほう。それで、そいつらはどんな奴らなんだ」
「その名の通りの反逆者よ。アタシたちの力は、本来、人に与えられるべき力じゃ無い。遺伝子的には壊れた存在なのよ。けど、アイツらの考え方は違う。覚醒者は選び抜かれた人間なんだと定めて、そうでない者たちを支配しようと考えてる。でも、そんなの間違ってるわ。だから、アタシたちは戦わなきゃいけないの。それが正しい在り方で――」
「あー、ちょい! ちょい待って」
息巻いて喋り続けている彼女を、平太郎は手で制する。
「なに?」
「ちょっと、単語が多くて飲み込み辛いよ。覚醒って? どんな力を指してるの?」
「簡単に言えば……超能力かしら」
「何だ、超能力か。言い方は色々だろうけど、そういう表現の方が分かり易くて良いよ」
「……別に、分かり易さなんて求めてないんだけど」
「雰囲気重視な。格好は付くしな。よし、それで、だ。俺はその、リローダー部? リローダー愛好会? とやらに入れと、そう言うことか?」
「は? 何言ってんの?」
「そもそも、名前を聞いてなかったな。て言うか、同学年……で良いの? もしかして、先輩だったりします?」
先輩だったらちょっと引くなぁ、と平太郎は心の中で苦笑する。
「ああ、遅れたわね。アタシはアンタと同じ一年。
「雪平。一年ね。オッケー。んでだ、部活の件なんだけど……まあ、別に入ってやっても良いんだけどさ。俺もそれなりに、やりたいことがあるから――」
「だから、部活じゃないって言ってんの!」
雪平は目を剥いて、平太郎にずいと歩み寄って来る。大きな瞳と意志の強そうな眉が眼前に迫り、平太郎は思わず後ずさった。
「わ、悪い悪い。組織だったな。んでさ……」
平太郎は更に一歩下がり、彼女から適度に距離を取りつつ、言った。
「その組織は、週何回?」
「あのねぇ!」
そこで、玄関口にチャイムが鳴り響く。慌てて時計を見ると、もう朝のホームルームの時間になっていた。
「やべ、この話はまた今度だな。部活は考えておくよ!」
平太郎は上履きを履き、駆け足で自分の教室へと向かった。背後から「待ちなさいよ!」と声が聞こえて来たが、振り返らずに軽く手を挙げてそれに答える。
チャイムが鳴り終わると同時に、平太郎は教室に飛び込んだ。
クラスメイトの視線を交わしながら、教室のやや右寄り中央にある自席へ座る。
そして一つ、溜息を吐き出した。
やっぱり、俺は人類最後の希望じゃあないよな……だってほら、席が端っこじゃないし。
平太郎は雪平の顔を思い浮かべ、どこまで真剣にその世界を作っているのだろう、とか、流石に全てにおいてあの世界観で行動されるのは面倒そうだ、などと考え、しかし何よりも可愛い子だったな、とにやついた。
そして同時に、本当に自分がラスト・リローダーとやらならば良いのに、などと考えていると、それを笑うかのようにチャイムが鳴り、一時間目の授業が始まった。
平太郎が通う高校は、山間を削り取ったような場所にある。
開校してから今年で二年目であるから、まだどこもかしこも真新しい。それだけでなく、次々と設備を新設しており、至る所がまだ工事中で、あっちこっちに立ち入り禁止の看板やらフェンスが張られている。
『より学業に邁進出来るような快適な学校にするため』
入学式当日、壇上に上がった校長がそう言って説明した。
現に、総合体育館、図書館、遊戯室など生徒のための施設も充実しているし、教室はエアコン完備、おまけに完全防音となっており、集中して勉学に勤しめる環境が整っている。
午前中の授業を終えて、昼休み。
平太郎はクラスメイトと連れ立って学生食堂に向かった。管理栄養士がしっかりと栄養バランスやカロリー計算をしてくれているとの謳い文句で、味もなかなか美味しいと生徒たちからは好評だった。
「そういや、唸川(うなりがわ)、学校辞めたってよ」
「それって隣のクラスの? まだ新学期始まったばかりなのに」
「理由は分かんないけど、怪我が結構酷いとかなんとか」
「怪我と言えば、腕とか足とか折ったって先輩もいるなぁ。流行ってんのかね、怪我」
クラスメイトはそんな話で盛り上がっている。
平太郎と言えば、それに合わせてフンフンと頷くだけだった。
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