第12話 闇からの誘い

  桃花が護に自分のやってしまったことを告発していた頃。

 一足先に戻った月美は自室に入り、買ってきたものの整理を始めたが、今集めている漫画や小説の類だけだったため、整理にはそれほど時間を要しなかった。


――ほかにしまい忘れたものは……あれ? これって


 月美がカバンの中身を確認すると、見覚えのない呪符を見つけた。

 黒い紙に白い墨で言霊が記されたその呪符に、恐る恐る手を伸ばす。


――これ、触ったらだめなやつだ!!


 この呪符は「呪物じゅぶつ」と呼ばれている呪詛の道具だったらしい。

 指が触れた瞬間、月美の脳が警鐘を発した。


――どんな力があるかわからないけど、一度これに触れたら大変なことになる!!


 そう確信した月美はそのままカバンから距離を取り、必要になるであろう最低限の呪具を持って、部屋を出ようとした。

 だが、呪符から距離を置こうとした瞬間。


「何これっ?! このっ!! 離せ! 離しなさいよ!!」


 呪符から感じられていた邪念が黒い液体のようなものとなって具現化し、月美を包み込む。

 月美は必死に液体を振りほどこうとしたが、液体はまるで意思を持っているかのように月美にまとわりついてくる。

 動かない手足を何とか動かそうとするが、ついには首から下が全て液体に包み込まれてしまい、最後には全身を包み込まれてしまった。

 体が徐々に沈んでいく感覚と同時に、月美の意識は薄れていく。


――まも、る……


 薄れていく意識の中で、どうか無事でいてほしいと願いながら、月美は護の名前を呼ぶ。

 それからしばらく後、亜妃が月美を呼びに部屋まで上がってきたが、月美の姿は無く、いまだ負の感情を漏らしている、一枚の符だけが残されていた。

 そんなことは露知らぬ護が風森家に戻ると、敷地に入る前から肌をピリピリと突き刺すような感覚に気づき、眉をひそめる。

 まるで儀式の前のような厳かな緊迫感が漂っていると思わせるほど、空気が張りつめているように感じ。


――何かあったのか?


 護は嫌な予感がして、駆け足で家の中に入る。

 家に入った瞬間、友護と白桜が同時に護に声をかけた。


「護くん、ちょうどよかった。緊急事態だ」

「護、大変なことになったぞ!」

「同時に言われても困るんですが……まさか、月美に何かあったんですか?」

「……あぁ。君が今、考えている通りだ」


 自分の不甲斐なさを悔いているのか、友護は奥歯をかみしめて目を伏せて答える。

 予感はあったが、友護の口からその予感が事実であることを告げられたことで、護は感情のまま、友護の胸ぐらをつかみ、問い詰めた。


「いったい、いったい何があったんですか?!月美は無事なんですか?!」

「おい、落ち着け!」

「落ち着いていらいでか!!」

「月美が心配なのはわかるし、それは俺も同じだ。だが、ここで感情的になってどうする?」


 使鬼の白桜に言われ、護は反発したが、友護の声が落ち着いているが、かすかに震えていることに気づいた。

 感情を抑え、できる限り冷静であろうと努めているようだ。

 それを理解した護は、どうにか怒りを抑え、友護を離した。


「すみません」

「いいや、気持ちはわかるからな。気にすることはない」


 突然、詰め寄ったことに謝罪する護に、友護は気にしていない様子で答える。

 護にしても友護にしても、大切に想っている人が被害に遭ったのだ。

 術者ならば冷静であることに努めるべきだろうが、二人とも術者である以前に、一人の人間。

 自分に近しい人間が被害に遭えば、特に護のように理性よりも感情が先に出てくる若者は、冷静でいられることのほうが難しいだろう。

 友護もそれをわかっていたから、強く責めるつもりはないようだ。


「で、もう大丈夫だな?」

「えぇ、どうにか……それで、いったい、何があったんですか?」

「俺にも何が何だか。妙な気配を感じたから、月美の部屋に行ってみたんだが、その時はすでに月美の姿が消えていた」

 

 月美が消えた。

 友護のその言葉に、護は一つの可能性に思い至る。


――今回の事件の被害者は全員、いたはずの部屋から忽然と姿を消している。てことは、月美もほかの被害者と同じ方法で、どこか別の場所に転移させられたのか?


 そこまで考えた護は、被害者の一人の部屋に残されていたものを思い出し、友護に問いかけた。


「友護さん。月美の部屋に何か変わったものはありませんでしたか?」


 予想が正しければ、彼女の部屋のどこかに呪符が置かれているはず。

 それを確かめるため護が問いかけると、友護は何か思い出したらしく、険しい顔つきで答えた。


「あった。白い墨で言霊を記した黒い呪符だ」


 それを聞くと、護は急いで家に上がり月美の部屋に入った。

 部屋に入ると、確かに部屋の中央に黒い呪符が置かれている。

 護は自分が普段持ち歩いている呪符を取り出し、黒い呪符と見比べた。


――風間友尋の部屋に残されていたものと同じ……てことは、これが月美を連れ去るために使われた仕掛けってことになる


 護はそう推測する。

 どうすれば、月美はどこに連れて行かれたのか、どうすれば月美のいる場所に行くことができるのか。


――今回の事件と、月美の失踪はつながっている。なら、鍵になるものはすでに見つけているはず……


 護は必死にそれを思い出そうとする。

 不意に、ぴちゃん、と脳裏で水が滴る音が聞こえた気がした。


「水……?」


 その音に、護は月美の水鏡でも学校にあるらしい池が写っていたことを思い出す。


――この呪符を水のある場所で使えば、あるいは月美のいる場所に行くことができるかもしれない。けど、いったいどうすれば……


 術者と術は強くつながってため、この呪符をたどっていけば、鳴海のいる場所を知ることはできる。

 彼女が水鏡の向こう側の世界にいるのだとしたら、そこで決着をつけることができるかもしれない。

 しかし、問題はそこに月美がいるかどうか。

 鳴海の逮捕も重要だが、護の中での最優先事項は月美の無事な救出だ。

 こればかりは月美の存在を感じることのできる何かが必要になる。

 護は必死になって思考を巡らせていたが、突然、耐えがたい睡魔に襲われ、倒れこんでしまった。

 眼を開けると、視界は闇が広がっていた。

 ときどき、上の方から水の撥ねる音が聞こえる。

 どうやら、ここは水鏡の向こう側の世界のようだ。


――月美は……


 夢の中だとわかっているが、わかっていても護は月美の姿を探してしまう。

 すると、うずくまっている一人の少女が眼に入る。

 桜色のワンピースと桜のワンポイントがついたカチューシャ。月美の今朝の格好だ。


「月美!」

「……護?」


 護の声に気づいたのか、月美は護の方へ駆け寄るが、月美は護に触れることができるまであと一歩、というところで立ち止まる。

 護は不審に思ったが、月美が差し出している手のひらが、不自然な位置で止まっていることに気づき、目で捉えることができない壁があることを察した。

 近づいて月美の指先を見てみると、精一杯の力を込めているらしく、その指先は白くなっている。

 護も壁を殴ってみるが人間の力では、いやおそらくどれほど強い圧力をかけたとしても、この壁を壊すことはできないらしく、びくともしない。


――くっそ! 重機でもあれば話は変わるんだろうけど、そんなもん、ここにはない……どうすることも、できないってのか?!


 月美が目の前にいるというのに何もできないという悔しさで奥歯をかみしめ、護は月美の手のひらが置かれている場所に手を置く。

 そこに月美の体温を感じることはできないが、確かめずにはいられないことがあった。

 まっすぐに月美を見つめ、護は確かめなければならないことを、確かめずにはいられないことを問いかける。


「月美、まだ無事なんだな?」


 月美は、護のその瞳と声色から、自分のことを本気で心配していることを理解した。

 そのことがうれしくて、月美の顔が緩んだ。

 だが、自分たちがいまいるこの場所がどんな場所なのか、誰よりも理解していた月美は、すぐに戻るよう警告する。


「早く戻って! 魂だけでここに来るのは危険すぎるよ!」

「けど!」


 護はこの場を離れるわけにはいかないと、抵抗する。

 それを、月美は優しい声色で諭した。


「まだ大丈夫だから。護が来てくれたから、きっと道ができる。だからお願い、その道をたどって、わたしを探して?」


 その声色に、護はそれ以上、抵抗することができなくなる。

 月美は、護が魂の状態でここに来たことを悟っていた。

 そして、護も今の自分がどんな状態なのか、理解している。


――わかってる。魂だけの、霊体に近い状態でこの場所にとどまることは、危険だということは……


 たとえ土御門家の中で随一の霊力を持っている護であっても、肉体と魂がそろった完全な状態でなければ、妖や邪な思いをも持った相手に太刀打ちできないことは理解している。

 だが、感情を抑えることはできない。

 月美に諭されたことで護は感情の制御し、少しだけ冷静になることはできたが、もう片方の手を強く握り締めていた。

 ぱたぱたと、手のひらに食い込んだ爪が皮膚を破り、そこから血が流れるほど、強く。

 ようやく落ち着いた護は、月美をまっすぐに見つめて約束した。


「絶対、助ける」

「うん。待ってる」


 見つめ返してそう答える月美の目からは、一筋の涙がこぼれていた。




 護が再び目を開くと、そこは月美の部屋だった。

 どうやら、夢殿に向かったと思われたのか、倒れたまま放置されていたらしい。

 もっとも突然、倒れた人間にかまっていられるほど余裕がないということでもあるのだろうが。

 いずれにせよ、護がやることは一つだった。


「御霊のゆく道、指示せ」


 護が右手で刀印を結び、言霊を唱える。

 その瞬間、すぅっと、一筋の淡い光を発する糸が目の前に現れた。

 その糸は護の胸から伸び、部屋の外へと伸びている。

 護は術がうまく発動したことを確認すると、一度自分の部屋に戻り、独鈷と呪符、数珠を取り出し、糸をたどっていく。

 玄関まで行くと、思い出したように立ち止り、二体の使鬼を呼ぶ。


「紅葉、黒月。友護さんと亜妃さんに月美を見つけたと伝えてくれ」

「場所は?」

「俺もこれから向かう。だから二人の道案内を頼む」

「わかった」

「よかろう」


 護の指示を受けた紅葉と黒月は、亜妃と友護のいる場所まで駆けだした。

 それを見送ることなく、護は糸をたどって走り出す。

 しばらく走っていくと、校舎裏にあるビオトープがある中学校に到着した。

 フェンスの向こうに見えるビオトープの水面に、自分の胸から伸びている糸が続いていることから、ここが入り口となっているはすぐにわかる。

 入り口を見つけることはできたのだが、ここで一つ、問題が浮上してきた。


――どうやって侵入しよう……


 大学を除く教育機関というものは、外の人間を非常に警戒する。

 特に最近は生徒の保護者か学校関係者、あるいは学校から招待されたか、訪問を約束した人間でなければ、校内を単独でうろつくこともできない。

 まして、この地域の人間ではない護にとっては、学校に侵入するということそれ自体が容易ではないのだ。


――髪を使って即席の式を作って騒動を起こさせて、その隙にってのが一番手っ取り早いけど……


 やや物騒なことを考えたが、護はすぐにその考えを振りはらった。

 下手に騒動を起こして校内の生徒や教職員に怪我をさせるのは、護としても不本意だ。

 なにより、騒動を起こすために自分の体の一部を使って即席の式を作ったとしても、出てくる姿は自分と瓜二つのものになる。

 そうなると、下手をすれば、自分が不審者扱いされることになることは明白だ。

 どうしたものか、と思考をめぐらせていた護だったが。


――仕方ない。気配を消して、このまま侵入するか


 ひねり出てきた答えは一番シンプルで、かつ単純な方法だった。

 護は踏ん切りをつけて、そっと刀印を結び、自分の周囲に風を起こさせる。

 ふわり、と風が護の体を浮かし、フェンスの向こう側へと運んだ。

 幸いなことに、周囲には人影すら見当たらなかった。

 好機とばかりに、護はビオトープまで近づき、懐にしまっていた鳴海の符を取り出して言霊を紡ぐ。


「御霊の轍、指示せ」


 言霊を紡ぎ、糸の伸びている先を見ると、水面にぽっかりと穴があいていた。

 どうやら、ここから先が月美のとらわれている場所につながっているようだ。

 護は持ち歩いていた袋から、一本の針を取り出し、刀印を結んだ指で針をなで、そのままビオトープの付近に突き刺した。

 すると、その針から煙が立ち昇る。

 普通なら、この時点で火事の通報が出されてもおかしくないが、この煙は護があとから追いかけてくる友護や使鬼たちに場所を知らせるために仕掛けた目印のようなもの。

 見鬼の才を持っていない限り、この学校にいる人間はその煙を見ることすらできない。


「さてと、行くか!」


 術が機能していることを確認した護は、再び立ち上がり、水面にあいた穴を見つめ、まるでこれからどこかに出かけるかのような口調で呟く。

 そして次の瞬間、護は迷うことなく、穴の中に飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る