第13話 出迎えたるは妖魔の群れ
穴の中に飛び込むと、しばらくの間、無音の闇が続いていた。
視界に入ってくるものは何もないが、ずっと下の方に、何かの気配がある。
しばらくすると、足に軽い衝撃を受けた。
――着地したか。あの女と月美はどこに?
着地するや否や、護は周囲を見渡し、月美と、手の中で灰になっている符と同じ気配を探る。
「あっちか!」
気配を察知し、護はその方向へ歩こうとしたが、その先には護や霊力の類を持っている人間をこれ以上、先へ進ませまいとするものがいた。
それを言い表すならば、「異形」という言葉がふさわしい。
不定形のもの、やたら大きい鉤爪をもつ四足歩行の獣、二本足で立って居るが肌は赤くあるいは青く、顔には人間のものにしては大きい犬歯を生やしたものなど。
そこに集まっているものたちの姿形は様々だった。
目の前にいるすべての妖が鳴海に使役されているのか。それとも、鳴海の背後にいる存在の配下なのかはわからないが、その数に圧巻されそうになる。
だが、こんなところで立ち止まっている時間はない。
「……邪魔だ」
感情というものをすべて殺した冷酷なまでに冷たい声で呟き、護は懐から数珠を取り出し、不動明王の真言を紡いだ。
「ナウマクサンマンダ、バザラダン、カン!」
真言に込められた不動明王の力が具現化し、異形たちの動きを封じていく。
動きを封じられた異形たちは、鎖を振りほどこうと必死にあがきだした。
しかしそうしている間に、護はその間をすばやく駆け抜けていく。
その様子を横目に見ながら、異形たちは悔しそうに歯ぎしりする。
だが、そのあとも、異形どもは護の前に立ちふさがっていった。
「本当に……しつこい!」
どれくらいの数がいるのかはわからないが、とにかくしつこい。
そう感じ、毒づいた護は、腰に下げていたポーチから
「オン、ソンバニソンバ、ウンバサラ、ウンハッタ!」
降三世明王の真言に宿る言霊が、手にした独鈷杵に宿り、自身の霊力を刃へと変える。
降三世明王の真言で構築された刃は、怨敵調伏の呪力を施された刃。
妖たちに有効な武器となる。
――いちいち言霊を紡いでいられねぇ。早く、月美のもとに行かねぇと!
なぜ、そう思うのかわからない。
だが、ただただ急がなければならないという衝動に突き動かされていた。
「そこを、どけぇっ!」
雄叫びを上げ、護は妖の群れの中を走っていく。
それを阻むように、異形のものたちは護に襲い掛かってきた。
異形たちの牙が、爪が、護の皮膚を引き裂こうと肉を食いちぎろうと迫る。
だが、護は表情一つ崩すことなく紙一重で回避し、手にした武器で受け止めていく。
防戦一方というわけではなく、言霊の刃で異形を容赦なく切り捨て、腰に下げたホルダーから素早く取り出した呪符を投げつけて、向かってくるものたちを次々に倒していた。
――いつもなら、白桜たちに任せるとこだけど、今は誰も連れてきてないし……やっぱ誰か連れてくるべきだったか?
その数の多さに、悔やんでも仕方のないことを考えていると、戦いから注意がそれてしまい、後ろから走ってくる異形に、ほんの数秒、反応が遅れた。
「くっ!」
ぎりぎりのところで回避することが出来たため、傷はさほど深くはなかったが、浅くもない。
――ちまちま相手していると、こっちがやられる!
護は独鈷杵の刃を地面に突き刺し、右手で刀印を結んだ。
異形たちが大群で押しかけてくる中で、護は静かに目を閉じ、意識を集中させ、言葉を紡ぐ。
「伏して、帝釈天に請い願う」
いま目の前の状況を打開するために必要となるものは、すべての異形を薙ぎ払う圧倒的な力。
異界であるこの場に紡いだ言霊が届くのか、どれほどの加護をもたらしてくれるかは、まったくわからないし、最悪の場合、不発に終わるかもしれない。
しかし、もう手段を選ぶだけの猶予はないし、何より、この方法しか思い浮かばなかった。
目を見開き、刀印の切っ先を天につきたて、護はその真言を唱えた。
「ナウマクサンマンダ、ボダナン、インドラヤ、ソワカ!」
唱えた真言は、ヒンドゥー教の軍神インドラの化身とされる、帝釈天の真言。
インドラは軍神であると同時に、雷を司る神でもある。
その真言に呼応して、異界の空に雷鳴がとどろき、白い光が護の周囲にいた異形どもを貫いた。
護が異形と激しい戦闘を繰り広げている間、同じ空間のどこか別の場所では、静かな音が響いていた。
しゃん、しゃん。しゃん、しゃん。
暗く静かな、しかし、どこか不気味な雰囲気を漂わせている空間には似つかわしくない、澄んだ音が響き渡っている。
その音源は、一心不乱に舞う鳴海が手にしている神楽鈴だった。
鈴を鳴らしながら舞い続ける鳴海の正面には、白い単衣をまとった月美がいる。
胸がかすかに動いているため、眠っているだけのようだが、決して無事というわけではない。
その両腕は言霊が記された布で吊るされ、彼女の前には祭壇のようなものが供えられている。
何かの対価として、月美を差し出すのか、はたまた何かをこの世に呼び出すための依り代とするのか。
いずれにしても、月美をおぞましい何かに利用しようとしていることは明らかだった。
「……かしこみかしこみ申す……」
しゃん、しゃん、と鳴海が唱える祝詞に合わせて、鈴の音が鳴り続けた。
何度、その音が響いただろうか。
月美はようやく気がついたらしく、そっと目を開いた。
「……んぅ……え? なに、これ?」
だが、最初に飛び込んできた光景に、自分が置かれている状況を把握しきれなかったらしい。
身動きが取れないこの状態から抜け出そうと、ひたすら腕を縛っている布から抜け出そうともがく。
そんな様子を気にしていないようで、鳴海はひたすら祝詞を唱え、舞い続けていた。
しばらくの間、どうにか自力で脱出しようともがいてはみたものの、宙づりにされている不安定な状態であることが災いして、自分の力で振りほどくことができなかった。
ならば、と月美は言霊を紡ぐ。
「この身は我が身に非ず、神の息吹をまとうものなり!」
月美の口が紡いだ言霊に応え、風が集まり、月美を包み込もうとする。
しかし、風が布に触れたと同時にはじき返されてしまい、月美の術が打ち消されてしまった。
――術が消された? まさか、巻き付いてる布のせい?
それでも月美はあきらめず、思いつく限りの言霊を紡ぎ続ける。
しかし、その努力もむなしく、彼女が紡いだ言霊の全てが、腕に巻かれている布に込められた術ではじき返された。
そうこうしている間に、鳴海は舞を終え、召喚のための祝詞を紡ぎ続けている。
「かけまくもかしこみかしこみ申す、我が声に……」
最後の言葉を唱えようとしていたその時だった。
「臨める兵闘う者、皆陣列れて前に在り!」
鳴海が祝詞の最後の部分を紡ぐ前に、それを遮るように九字を唱える声が高らかに響くと同時に、激しい気の流れが背後から鳴海に襲いかかった。
術が強すぎたのか、気の流れは鳴海だけでなく、祭壇も吹き飛ばし、粉砕する。
粉砕された祭壇の破片は、衝撃によって月美に向かって飛んでいき、彼女を縛っていた布をも斬り裂く。
支えとなっていた布がなくなったことで、宙づりになっていた月美は地面に落ちていった。
だが、大した高さから落ちたわけではないため、上手く受け身を取り、落下の衝撃を和らげる。
「護!」
「月美!」
鳴海を吹き飛ばした張本人である護は、駆け寄ってきた月美を受け止め、しっかりと抱きしめた。
抱きしめられたその腕の中で、月美はこみ上げてきたものに耐え切れず、静かに涙を流しながら、つぶやくように口を開く。
「信じてた、絶対助けに来てくれるって……護なら、わたしを見つけてくれるって」
夢の中ではあったが、護は魂の状態で自分を見つけてくれた。
その時に交わした、必ず君を見つけると、必ず助けに行くと約束。
それを信じていたからこそ、詰みの状況に陥っていたとしても、あがくことをあきらめなかった。
だが、護が来たことで張りつめていた気持ちが緩んだらしい。
それは月美だけではなく、助けに来た彼も同じことだった。
「あぁ、無事でよかった。本当に、本当によかった」
護はしっかりと月美を抱きしめながら、ただただ安堵していた。
月美の魂はここにある、何もされていないし、どうにもなっていない。
夢の中ではあったけれども、自分の腕の中にいるこの少女と交わした約束を、果たすことができた。
そのことに安堵し、護は月美を座らせ、鳴海の方を見る。
放った術が生み出した衝撃波の影響からまだ立ち直れていないらしく、鳴海は起き上がることなく、自分の体を引きずっていた。
その行く先は、月美を吊るしていた祭壇があった場所。
往生際の悪さなのか。それとも、無様な姿をさらしてまで叶えたい願いが彼女にあるのか。
それはわからないが、護の中にはすでに一つ、はっきりとした答えがある。
目の前にいるこの女占い師が、自分の大切なものを、月美を傷つけたという答えが。
「てめぇだけは、何が何でも、絶対に許さねえ」
護の声には、かなりの怒気が含まれていた。
許すことなどできない。できるはずがない。
目の前にいるこの術者は、多くの無関係であるはずの人々を巻き込んだ。
それだけなら、ここまで怒りはしない。
所詮は赤の他人。
自分をバケモノ扱いしただけでなく、家族も侮辱した連中の同類だ。
「そいつらだけだったらまだしも、お前は月美を巻き込んだ。俺にとっちゃ、お前にむかっ腹立てるには十分な理由だ」
月美を最後の標的にしたばかりか、呼び出そうとした存在の贄か召喚しようとした存在の依代にしようとした。
鳴海の様子を見ながら口を開いた護の眼は、感情を全て押し殺した目をしている。
その手にはすでに、一枚の呪符が握られていた。
普段ならば、決して使うことなどない呪殺を行うための、人の命を奪うための言霊が記された呪符が。
「恨むなら、月美に手を出したお前自身を恨むんだな!」
ありったけの憎悪を込め、護は呪符を投げつけようとしたが、その瞬間、地面が大きく揺れる。
何事かと、周囲を見渡すと、目の前の祭壇に供えられた鏡から、薄い紫色の光があふれだしていた。
「残念、だけど……わ、たしは、この……儀式、を止め、ないわ」
鳴海は痛みに耐えながら最後まで言霊を紡いでいた。
本来は、月美を依り代とする予定だったが、その少女は今、護の手の中にある。
不意打ちだったとはいえ、背中に強い衝撃を受けた今の自分では、この青年から依り代を奪い返し、儀式をつなぐことは難しい。
ならば、本来の予定とは違うが、致し方ない。
「わが身、を、より、しろに、来たれ……」
鳴海は、最後の力を振り絞り、のどの奥から祝詞の言葉を紡ぎだした。
そして最後に、この儀式で呼び出そうとしていた神の名を呼んだ。
「伊邪那美大神!」
その名が呼ばれた瞬間、鳴海の体の真下から毒々しいまでの紫色の光があふれ、一本の柱のように立ち上った。
それは、誰もが一度は願うこと。
大切な人をなくせば、そばにいてくれたものを失えば。
戻ってきてほしいと、もう一度眼を開けてほしいと、もう一度笑ってほしいと。
そう、ずっと願っていた。
だから、この神は応え、神は自分にこう告げた。
『お前の願いをかなえてやろう。ただし、そのためには多くの若者の命と一人の清らかな娘の体を対価に差し出さねばならない……そなたにそれを行う覚悟があるか?』
多くの同族を手にかける覚悟があるか、神はそう問いかけてきていた。
神の問いかけに、自分は即座に応じ、提示された対価を支払うことを選んだ。
たとえそれが、罪だとしても。
――もう一度会って、今度こそ伝えよう。この心の内に秘めた想いを。
蓮田鳴海の意識の大半は、すでに召喚した伊邪那美大神に支配されていた。
その意識の中で伊邪那美は、後悔はないのかと鳴海に問いかけてくる。
神とはただ、人を見守り、時に人の願いに応え、対価に見合った結果をもたらす存在。
それゆえ、願いがかなうかどうかは、その人間が願いに釣り合う対価を支払ったかどうかにかかってくる。
そして、鳴海は自分の願いをかなえるために必要な対価を支払い、今、こうして願いを叶えようとしていた。
――後悔は、ありません。これでようやく、あの人が帰ってくる。ずっと会いたかった、あの人に
薄れゆく意識の中、鳴海は伊邪那美大神に答える。
この胸の中にしまい続けてきた思いを伝えられぬまま、逝ってしまった彼が、ようやく帰ってくる。
たとえ、蓮田鳴海としての意識がなくとも、彼が帰ってきてくれるなら、それでいい。
――あぁ、けどもしほんのわずかでもわたしの意識が残っていたら、伝えたいな……あなたを、愛しているって
そう思いながら、鳴海の意識は二度と浮上することのない奈落へと落ちていった。
光の柱が消え、鳴海がいた場所に目を向けると、そこには先ほどの傷がまるでなかったかのように立っている鳴海の姿があった。
「な、んだ……あれは」
「何かが、あの人に憑依した?」
いや、そこにいるものは鳴海であって鳴海ではない。
それを護と月美は本能的にそのことを理解した。
そして、光の柱が立ち上る間際まで、鳴海が紡いでいた祝詞の言葉と最後に呼ばれた神の名を聞いた護は、顔をゆがめ、叫ぶ。
「伊邪那美、だと?」
「伊邪那美? まさか、黄泉の神を呼び寄せたの? そんなことしたら!」
「あぁ、生者の国と死者の国の境界が崩壊する!」
鳴海が最後に呼んだものは、創世記紀に記された女神の一柱、伊邪那美大神。
日本という島国を共に降り立った伊邪那岐大神と天沼矛を用いて作り上げただけでなく、八百万の神々を生み出した神だ。
だが同時に、黄泉津大神と呼ばれ、黄泉の神として恐れられている。
黄泉の神ということは、死後の世界の神ということであり、命や魂を司るといっても過言ではない。
「もしかして、この事件は」
「あぁ。黄泉の神に願って、死者を黄泉から呼び戻そうとしたんだろうさ。誰を呼び戻そうとしたかはわからないけど!」
一度生み出された生命は、いつか終わりを迎える。
それが世界の理であり、覆すことはできない絶対の法則。
しかし鳴海はその法則を、理そのものと言っても過言ではない神を呼び出すことでゆがめようとしたのだろう。
そのために多くの魂を捧げ、巫女である月美を依り代にしようとしたのではないか。
――何のために黄泉の神を呼び出したかはわからんけど、そんなことはもうどうでもいい
だが、鳴海が誰を黄泉の国から引き戻そうとしていたのかは、もはやどうでもよくなっていた。
このまま黄泉の神に鳴海の願いを叶えさせてしまったら、世界の理を歪めてしまうことになる。
いまだに見習いとはいえ、陰陽の均衡を保ち、そこから理を紐解くことを使命とする陰陽師として、それは何としても避けなければならない。
――どうする……? 創世記紀の神を相手に、たかが人間風情が勝てるのか?
護の胸中は不安以外の感情が入りこむ余地がないほど、余裕がない状態だ。
伊邪那美とにらみ合う間に、思いつく限りの方法で対抗策を考える。
だが、思いついた対抗策はどれも有効な手段とは思えない。
それどころか、成功する見込みがまったくなく、賭けにならない賭けと言っても過言ではなかった。
何より、今の護では霊力が足りない。
ここまで来るのに、多くの異形の妖を相手に、戦闘を繰り広げ、祭壇を破壊するために、半ば怒りにまかせてありったけの霊力をこめて九字を放った。
そのため、すでに霊力は底を尽きかけており、今もこうして立っていられるのが不思議なくらいだ。
――そういえば……
ふと、護の脳裏に、件の予言が浮かんでくる。
『お前は人と妖の一線を超えるだろう。そして、それを超えた時、お前は死ぬ』
件から授けられた、死の予言が脳裏に浮かびあがってきた。
人と妖の一線を超える。
その言葉を聞いてから、護の脳裏には幼いころからずっと、父親や祖父から言い聞かされてきた言葉が脳裏に響いていた。
『お前は先祖返りだ。霊力だけではなく、安倍晴明も宿っていた神狐の神通力が宿っている。だが、その力に頼ることなく自身の霊力を磨け』
そういつも言い聞かされてきた。
――この力を解放すれば、この神を押し返すことができるかもしれない。けど
ようやく出てきた可能性だったが、護の脳裏は警鐘を鳴らしている。
件の予言を聞いてからずっと考えていた。
人と妖の一線を超えるということとは、自分に宿る神通力を介抱することを意味するのではないか、その代償として、自分の命を落とすことになってしまうのではないかと。
それでも、と護は思う。
――月美を、守れるのなら……彼女を失うくらいなら、俺がどうなろうとかまわない
護はそう心に決め、目を閉じ、自分の魂の最奥へと意識を向ける。
その瞬間、護の体から、白い炎が浮かび上がってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます